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今日は…
今日は結局手紙を書いて、それをプリントして、更にチラシと封筒の宛名書きで一日が終わった。
私のプリンターが封筒を受け付けてくれないとは思わなかった…。実は30通ほどで、別に大変な作業ではなかったので、何を大げさにと言われそうで恥ずかしいが…。
コンサートに向けて、私がダイレクト・メールを書いたのははじめてである。いつも人がやっていたので、自分でやると大変さが身に染みた。
しかし、津田さんが来て、演奏してくれるのだから、何とか一杯にしたいと思うのだ…。

我が家は今工事中で一日中カンカン、ドンドン、キンキンと五月蠅いこと甚だしい。音楽が聴けず、勉強も出来ず、更にベランダのスカパー!のパラボナ・アンテナをはずしてしまったので、そちらも見られずにもう困った状態になってしまった。
まぁ、そんなわけで、お昼ご飯は何をしようかと考えて(ご飯だけは炊いてくれてあるので…でもできたら自分で炊いて炊きたてが食べたいのだが…)やる気がでないので、キャベツをテキトーに切って少量の水で蒸し煮にして、そこにごま油で桜エビを炒めて香りを出したものに塩をふったソース?らしきものを作って和えて頂く。
超簡単な上に、結構いける。それに、香りがよく、野菜がたくさんとれるので私はよく一人の時に作る。
作り方をまとめておく。

キャベツは4〜5枚の葉を使う。まず水にいれてシャキッとさせる。そして芯をとって柔らかい葉を焼き肉屋のキャベツのように三センチ程度の方形に切る。芯は捨てない。これは薄くスライスするように切って使う。
次に大きめの鍋にコップ一杯程度の水(少なくて結構!茹でるのではなく蒸すのだ)を入れて、切ったキャベツを入れる。そしてふたをして火をつける。
沸騰して2〜3分で出来上がりである。
この間に桜エビを細かくみじん切りにしてからフライパンにごま油をひき(少なくて良い)炒める。しばらくすると良い香りが出てくるので、塩を適量いれてから足りないようだったら胡麻油を足す。
こうしている間にキャベツは完成しているので、ザルにあけて水を切り、ボールに入れて先ほどの桜エビを和えて出来上がり。少しだけドレッシングをかけても良い。桜エビの代わりにベーコンなどでも良い。(実は何でも良いのだが…)

私の師である早野柳三郎の合唱曲に「ホテルのサラダ」という曲がある。バイエルのメロディーに先生が歌詞を作って合唱曲に仕立てたもので、合唱の本としてはとても売れたものだそうだ。
この曲の歌詞が「ホテルのサラダは生の野菜切るだけ。季節を外れた生の野菜切るだけ。そのフレンチ・ドレッシングが、口に合わなけりゃ…」というもので、私も野菜を切っただけでサラダでございというのは、牛のえさじゃあるまいしと思って、どうしても食べる気にはなれない。出てきたら「草を食べさせやがって…」などと毒ついてみたりしていたものだ。やれやれ。
それに比べれば、我が家では、私はかならず何か一手間かけて食べる。時間がなければ塩でもんで簡単浅漬けにするだけでも、がさがさそのまま食わされることを思えばましだと思うのだが、いかが?
by Schweizer_Musik | 2006-09-30 21:06 | 日々の出来事
今日の一曲 (27) ブリッジのチェロ協奏曲「祈り」
イギリスの作曲家、フランク・ブリッジをご存知だろうか?ブリテンの師として知られるこの作曲家は、実はロクに知られていない大作曲家でもある。
室内楽作品、それもロマン派的作風の初期の作品がいくつか知られている程度で、イギリスきってのモダニズムとしての彼の果たした役割は、全く顧みられることがないのはあまりに不公平であると思う。
ここでとりあげるのは彼の単一楽章で書かれた大作であるチェロ協奏曲「祈り」である。1930年頃に書かれたこの作品は「イギリスの作曲家は百年遅れている」と大陸の音楽家たちが馬鹿にするそれを黙らせ、唸らせるだけの傑作の一つだ。
第一次世界大戦前の大作としては4曲からなる組曲「海」があげられる。この作品は平易な語り口ではあるが、近代的な和声感は同時代のイギリスの作曲家たちを完全に凌駕している。
そして第一次世界大戦が終わる頃から、晩年までの約20年あまりの間に、ブリッジは時代の前衛に名を連ねる作曲家として、イギリスでは孤高の作曲家となっていったのだった。
不思議なことだと思っているのだが、生前の彼はイギリスのどの教育機関にも属さず、せいぜいヘンリー・ウッドの代役みたいな指揮の仕事や弦楽奏者として活動していただけで、作曲家としてはほとんど評価されていなかった。弟子のブリテンのみが、一生懸命、師の作品をとりあげ、ブリッジの偉大さを啓蒙する活動をしているに過ぎない。
これは、ブリッジの音楽がポリコードを使っていたり、ピアノ・トリオ第2番では(ポロディン・トリオの名演がある!!)調性感を極端に拡大し、ほとんど無調に達しながらも、これほど美しい響きと旋律性を保つことができるのかと驚嘆するほどの素晴らしい成果をもあげたのだった。
このトリオが1929年の作であるから、その翌年に書かれたのがこのチェロ協奏曲ということになる。
「祈り」という副題を持つチェロ協奏曲は、悲歌的協奏曲とタイトルにある。全編が悲しみに満ちていて、張り裂けそうな絶望感と救いを求める祈りがその主題となっている。
モードの扱いやオーケストレーションに、ドビュッシーなどの影響を指摘することは可能だが、この重さというか、深淵を感じさせる曲調はやはり独特のものと言わざるを得ない。調性は崩壊寸前まで拡大されている。また高次倍音を積極的にハーモニーの中に取り入れていて、斬新なサウンドを得ていることもまた事実だ。しかし、この美しさは一体何なのだろう!!二十世紀に書かれたチェロ協奏曲の中でも特別の作品だと思うのだが、私はたった一枚しかCDを持っていない。他にも出ているのだろうか?こうしたことに無知な私は、その辺りのことはわからないが、よろしければ一度お聞きになられることをお薦めしたい。私の持っている録音は、アレクサンダー・バイリーのチェロ、ジョン・カレヴェ(John Carewe)指揮ケルン放送交響楽団の演奏(PEARL/SHE CD 9601)である。但しこのCDは1988年に福岡のCDショップで買ったもので、果たして今も手に入るものかは知らない。願わくば再発されていることを祈りたい気分である。それほど良い演奏だった。
by Schweizer_Musik | 2006-09-30 05:01 | 今日の一曲
津田理子さんの帰国リサイタル!!
津田理子さんの帰国リサイタルの予定が決まりました。

10月29日(日) 大阪、河内長野市 ニシバタ楽器 音楽広場ミニヨン
11月4日(土) 広島、東区民センター小ホール
11月5日(日) 名古屋 大橋サロン
いずれも
開場14:00 / 開演14:30
入場料は大阪と広島が、一般3500円、大学生以下・65才以上2000円です。

演奏する作品は
モーツァルト ロンド イ短調 K.511
シューベルト ピアノ・ソナタ イ長調 D.959
ショパン 舟歌 Op.60
プーランク 3つのノヴェレッテ
ラヴェル 高貴で感傷的な円舞曲

以上です。
コンサート終了後に交流会も行われます。

チューリッヒのコンサートではスタンディング・オーベーションで絶賛されたプログラムをそのまま日本で再現されます。
ですからリサイタルは「チューリッヒの秋」とつけられました。
スイスで活躍する本格派のピアニスト津田理子さんを間近に聞く素晴らしいチャンスです。ぜひお誘い合わせの上、お越し下さいますよう、ご案内申し上げます。
チケットのお申し込みは音楽ネットワーク「えん」の方でお申し込み下さいますよう、お願いします。
by Schweizer_Musik | 2006-09-29 19:32 | 音楽時事
今日の一曲 (26)ラングストレムの「神への祈り "Invocatio" (交響曲 第4番 ニ短調) 」
今日の一曲は、ラングストレムの「神への祈り "Invocatio" (交響曲 第4番 ニ短調) 」にしたい。この曲も素晴らしい演奏が残っている。1985年に録音されたアーロノヴィッチ指揮ストックホルム・フィルのもの(CAPRICE/CAP 21195)で、今も手にはいるかは全く心許ないが、cpoからも出ているので、曲は聞ける。(cpoのユロノフスキのものは未聴)
ラングストレムは1884年に生まれたスウェーデンの作曲家。アルヴェーンより12才年下なのだが、アルヴェーンがとても長生きしたため、なんだか同世代かその前の世代のように思ってしまう。とは言え、アルヴェーンよりもずっとモダンなスタイルで書いた作曲家で、北欧最初のモダニストと言っても良いかも知れない。
ヤルヴィなどが指揮をして私たちにも親しいエーテボリ交響楽団を1922年から1925年まで首席指揮者をつとめたこともある人で、交響詩にはじまり、4曲の交響曲をはじめ室内楽、オペラなど幅広いジャンルに作品を残した作曲家であった。
1933年から1936年にかけて書かれたこの作品は、Invocatioというタイトルで書かれ、交響曲第4番として知られる。オルガンが使われているのも宗教色の強いものとなっている。サン=サーンスの作品のようなスペクタクルなものを想像するとちょっと肩すかしをくうかも知れない。全体にはオルガンはソロ的に扱われ、オケと対峙するような形では用いられてはいない。
5楽章からなるが、ニ短調という主調を持つ歴とした調性音楽で書かれている。その点、オネゲルなどよりもずっと保守的な作風を貫いた作品であると言えよう。ポリ・コードや多調性などの近代的な手法は使われていないが、モード的な部分や半音階など聞かれ(一楽章など)技法の新鮮さとか斬新さはないが、丁寧なオーケストレーションでさすがに現場をよく知る職人らしい手際の良さを感じる。
このモダニズムを内包しつつも保守的な作風は彼の作風を貫く特徴でもある。だから、近代音楽が好きな方は聞き始めたらきっとはまることだろう。辛酸をなめ尽くしたような深刻さや、皮肉な言い回しはなく、だからといって聴衆に媚びるわけでもない、自らの表現を突き詰めようとする誠実さが彼の音楽の良さだと思う。
第2楽章トッカータなど聞いていると、どこかイギリスのロイド・ウェッバーのミュージカルなどに出てきそうな音楽でちょっと面白い。何の音楽かって?「オペラ座の怪人」…。ミュージカルを猛勉強中なので、ついそんな連想をしてしまった(笑)。そういえば、あれもオルガン・サウンドをかぶせていたっけ…。
いかが?
by Schweizer_Musik | 2006-09-29 08:15 | 今日の一曲
今日の一曲 (25)アルヴェーンの交響曲第4番「海辺の岩礁より」
このところ忙しくて書いていなかったけれど「今日の一曲」を再開します。
さて、何をとりあげようかと思ったのだけれど、アルヴェーンの交響曲第4番「海辺の岩礁より」をとりあげたい。
アルヴェーンと言えば、ステンハマルとともにスウェーデンを代表する作曲家の一人であるが、スウェーデン狂詩曲 第1番「夏至祭」以外あまり知られているとは言えないようだ。なんという曲だったか忘れてしまったが、ヤマハの幼児科のテキストに載っていた次のメロディーもこの「夏至祭」ではフーガの主題になっていたりしている。ヤマハのテキストは古いものなので今はどうなのかは知らない。けれど、かつては流行ものでなく、こうしたヨーロッパの子供の歌がたくさん使われていたのを懐かしく思い出している。
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話を戻して、アルヴェーンの交響曲第4番「海辺の岩礁より」であるが、1918年から1919年にかけて作曲されたもので、第一次世界大戦の後の作品ということになる。
実はこの曲にはソプラノとテノールのヴォカリーズが入る。母音による歌唱なのだが、これが曰くありげでなんとも悲しげな雰囲気を持っていて、私は最初にこの曲を聞いてから完全に魅了されてしまったものだ。
50分近い単一楽章の作品ということで、昔LPで聞いていた頃には裏返すのが、大変もどかしいものに思えたものであるが、今はそうしたこともなく、実によろしい。
ゆったりとしたメロディーに対して三連符のざわめくような伴奏が美しいし、歌がなんとも言えない風情をあらわしていて、知らないという人に聞かせると必ず好評を得ているので、ここで取り上げるのもよいかなと思った次第である。
この作品の(ヴォカリーズを二人使うという)特異な編成は、もともとはニールセンの交響曲第3番「広がりの交響曲」に影響を受けたものだという。確かにあの作品にも同じソプラノとテノールのヴォカリーズが使われている。雰囲気というか、曲の表現しているものは全く異なるが、なるほどと思う。
CDもいくつか出ているが、LPでも聞いていたスティグ・ウェステルベリ指揮ストックホルム・フィルとゼーダーシュトレーム他の独唱によるものが良い。(Bluebell/ABCD 001)
但し、このCDが手に入らなければ、ネーメ・ヤルヴィ指揮ストックホルム・フィルによるものでも良いだろう。(BIS/CD-505) 多少緊張感が弛んでいるように思われるが、それなりの演奏をヤルヴィは聞かせてくれる。
アルヴェーンに興味をもたれた方はアルヴェーン協会のページに行かれてはいかがだろう。
by Schweizer_Musik | 2006-09-28 10:04 | 今日の一曲
昨日は授業担当者会議でした…
秋から新しい授業がなんと4コマも増えることになった。今ですらやっとのことでこなしているのに、いや準備が大変である。それもポップス系の授業。クラシックとポピュラー、両方が守備範囲に入っている講師が少ない(それぞれの専門は多いのだが)ためでもあるのだが、ちょっとしたことから先生がいないということになり、いきなり私にお鉢が回ってきたそうだ。昨年まで来られていた劇団四季なのの音楽スタッフもしておられるK先生が来られないということがあってこうなった。
実は昨日は断ろうと思って行ったのだが、つい説得されてしまった。お世話になっている方から「お願いしますよ」と言われると断れなくなってしまう。適任の方が他にもいるだろうと言ったのだが、こうしたマネージメントは大変だということを私も知っているので、つい断れなくなった。
ミュージカル学科で持っているたくさんの台本からやることとなるのだが、作って終わりではない。学生たちをチームにして作品を書かせ、カラオケを作り、それで持って公演するところまでやるのだが、コンピューターでの打ち込みだけでなく、生楽器をいくつか使いたいし、ベースやドラムは出来れば生が良いのだが…。かつて仕事をお願いしていた広島のO先生がいてくれたら良いのだが、仕方がない。

さて普段は現代音楽だとかオーケストレーションなどといった内容を担当しているのだが、いきなりミュージカルということで、私の大好きなジャンルをがんばって担当していくつもり。
しかし、後一週間ではじまる後期をどうやりきるのか…かなり心配だ。おかげで火曜日も含め今まで遅く出て、早く帰れる日があったのに、これから学校のある日は朝早くから夜遅くまでということになってしまった。
仕事をお願いされるのだから、ありがたいことだ。期待に応えて良い授業が出来るように今から準備しなくては!!この二年ほど、ポップス系の内容がほとんどなかっただけに、ちょっと頭がこんがらかっている。
by Schweizer_Musik | 2006-09-28 05:26 | 日々の出来事
津田さんのリサイタル・プロ・シリーズ3
このソナタの終楽章は、不思議なほどベートーヴェンの第九、あるいはシューベルト自身の「ザ・グレイト」と呼ばれる最後の交響曲に似た主題であるように思うのだが、間違っているだろうか?
ロンドと明記されているのだが、ソナタ形式に近い形式を用いている。
-ロンド・テーマ(第1主題:イ長調)
-(短い推移)
-第1クープレ(第2主題 : ホ長調)
-移行部(属音の保続)
-ロンド・テーマ(イ長調-イ短調)
-展開部(3つの部分からなる)
-ロンド・テーマ(嬰ヘ長調 - イ長調)
-(短い推移)
-第1クープレ(第2主題 : イ長調)
-移行部
-ロンド・テーマ
-コーダ

そのロンド・テーマは次のようなものである。
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このテーマのバスは第1楽章の冒頭、第1主題の内声の動きに由来していることはすぐわかるだろう。ロンドで書かれているが、第2クープレにあたる部分が展開部と解釈できるため、ロンド・ソナタ形式と考えるのが良いだろう。
このテーマが左手に、そして右手に新しい対旋律をあてて繰り返した後(確保した後)、第1クープレに移る。
第1クープレは第2主題提示と考えて良い。
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この主題も第1楽章の冒頭のテーマの4度の順次上行の基本モチーフを主題の中心に据えており、全体が極めて入念な準備のもと、緊密な構成によっていることがこのことからもわかる。
ガヴォット風のリズムを持つ主題に対して、曲中頻繁に使われている三連符の動機が伴奏に充てられているのだが、響きとしてはちょっとベートーヴェン風にも聞こえる。この部分、ベートーヴェンの第9番のホ長調のソナタと酷似したサウンドで、ボーッと聞いていると、ベートーヴェンを聞いている気分になってしまう。

展開部にあたる第2クープレは頻繁な転調を繰り返す第1群から第1主題を中心に展開する嬰ハ短調の第2群、そして第2主題を中心に展開する第3群と3つの部分から出来ている。
当時、対位法の勉強を始めたばかりだったシューベルトが、この展開でその成果を聞かせているところがとても面白い。シューベルトの他の作品では滅多に聞かれないほど対位法的な展開で、短期間でシューベルトがこうした技法を自らのものとしていたことがわかる。
最後の部分でCisの保続から嬰ヘ長調での主題の再現に移るのは、全く驚くべきもので、こうした再現は中々聞かれるものではない。もちろんすぐに主調にもどるのだが、こうしたところにシューベルトの天才があるように思う。定石どおりでない部分を指摘して、それが構成力がない点のように言うのは、ロマン派の音楽を全く理解していないことを白状しているようなものだ。気まぐれでなく、こうしたファンタジックな響きからふっと主調に戻るあたりのユニークな面白さ、独特の味わいにこそ、シューベルトの素晴らしさと考えるべきだと思う。
この後は、ほぼ型通りの再現が行われ、最後にロンド・テーマがとぎれとぎれになって再現された後、曲中の素材による力強いコーダで終わる。しかし凄い名曲だ!ベートーヴェンから発していることは明らかだが、ベートーヴェンとは違う、独特の世界観を持つ作品であり、傑作である。
私はひたすらラドゥ・ルプーの録音でこの曲を楽しんでいる。ポリーニはやや物足りない。ケンプは繰り返しを省略しているのでちょっと…。アラウは録音が残響を多くとりすぎていて、輪郭がよくわからない。
さて、私の大好きな津田さんがどういう演奏をしてくれるのだろう。彼女は多くの安川加寿子門下の中で、音が木質で豊かだと思う。だからシューベルトは絶対に合っていると思う。楽しみである。
by Schweizer_Musik | 2006-09-27 11:41 | 音楽時事
津田さんのリサイタル・プロ・シリーズ2
第2楽章Andantinoは平行調の嬰ヘ短調に移る。
ベートーヴェンとは全く異なる、新しい世界が冒頭から広がる。舟歌のような美しい冒頭部をあげておこう。
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ショパンの曲だと言っても、この部分だけなら欺される人もいるかもしれない。そうピアノが上手だったわけでもないシューベルトが、これほどまでピアニスティックな音楽を書けたとは信じられない。この曲が書かれた1828年。ショパンはまだポーランドでようやく自分の語法を探し出そうとしていたところであった。
メンデルスゾーンの無言歌はこの2年後に最初の作品が書かれたわけで、シューベルトのこれらの作品はロマン主義のピアニズムを具現化したものとして、当時の最も前衛的な音楽であったとも言ってよいし、この成果の上にリストがあると言っても過言ではない。
このテーマの左手はCis音を13小節目まで保続していて、第1楽章と均衡をとっている。このメロディーを少しずつ変奏を加えながら繰り返している。
実は三部形式のこの楽章。中間部は即興的なパッセージの連続で出来ているが、減三和音の半音下降の後、ハ短調に移り、やがて嬰ハ短調でレチタティーヴォ風の音楽が流れるとCis音の保続が出てきて、再現の準備をはじめる。
そして型どおり最初のメロディーが再現するだけのことなのだが、少しずつ変奏が加わりながら繰り返される音楽は、フィールドやショパンのノクターンの手法そのものと言っても良いのではないだろうか。

第3楽章はスケルツォである。スケルツォのテーマは次のように自由な転調を含むものである。これはベートーヴェンなどのスケルツォ・テーマに習ったものであるが、第1楽章の冒頭の主題をうまく取り入れたものである点に注目すべきである。
歌謡的で「構成力が弱い」(というかただの先入観と思いこみによる)誤解を吹き飛ばすほどの工夫であり、彼の天才がどれほど幅広く、深いものであったかを示している。
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この後も自由な転調を行うのだが、これは完璧な和声感を持たないとただのデタラメになってしまう。もちろんシューベルトがそのような初心者と比べては申し訳ないが…。
トリオで調的な不安定さは解消される。
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安定した響きは、よく聞くと第1楽章の冒頭の音楽の響きが遠く谺しているようでもあり、シューベルトが全体を緊密に関係づけて構成しているみとを示している。
続いて同主調転調に平行調転調を組み合わせて、ニ短調からヘ長調へと移り、ドラマチックなクライマックスを作り上げてから主調に戻る準備にかかる。そしてダ・カーポするのは、定石通りの展開である。

この稿、更に続く。
by Schweizer_Musik | 2006-09-27 10:07 | 音楽時事
津田さんのリサイタル・プロ・シリーズ1
このブログ発で、津田さんのリサイタルが行われるという慶事?に際して、チューリッヒでスタンディング・オーベーションとなったプロの曲をとりあげてみようと思う。
その第一回は、大好きなシューベルトの第20番のソナタだ。この曲はシューベルトの作品の中でも即興曲や楽興の時のようなポピュラーな作品ではない。どちらかというとマイナーな存在であるので、まずこの曲の魅力から書いてみよう。

ベートーヴェンに影響を受けながらも、独自の世界を持つ傑作群である最後の三大ソナタの2番目の曲にあたるこの作品は、雄渾な19番、大らかで雄大な21番に挟まれ、入念な構成と展開が魅力の作品である。
第1楽章冒頭で提示される主題は次のようなものである。まず第1主題から。
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構造的には二部からなる主題で、前半はイ音をトップで保続しながら、内声が全音階的に順次上行する形をとり、三連符のアルペジオを挟んで後半はニ音を保続しながら、ホ音からバスが半音階的に上行する形をとる。似通った形でありながら、全音階と半音階、そしてフォルテとピアノ、和音のゆったりとした連打的な前半と三連符によるアルペジオを伴う後半というように、対照的に作られている点も留意すべきで、こうした主題内の対比を重視する手法はベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタの第1楽章など、大作に多く聞かれるもので、ロマン派の作曲家たちが愛用した方法でもある。
主題の確保が続くが、イ音の保続は内声に移され、対旋律が新たに付け加えられているので、主題が繰り返されているというよりも新しい主題が提示されているように感じるかもしれない。それほどのびやかで美しい旋律が対旋律におかれている。
また後半はイ音を中心に行われており、そのまま推移部へと繋がっている。
推移部は三連符のスケール、アルペジオを中心に主題後半の発展の中で作られている。
そして第2主題が提示される。
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この第2主題は、第1主題の器楽的な性格に対して、極めて単純な歌謡的なものであるが、第1主題が内声で重要な動機を提示したのに対して、第2主題は単純な和音の伴奏でトップにメロディーが持ってきいてる点が対照的でもある。
また主題は4小節で、すぐに繰り返される(確保される)のだが、確保では後半同主調への転調を伴っており、ロマンチックな情感がそこから感じ取ることができる。これはベートーヴェンのソナタでも使われていた手法である。

さて、この2つの主題は次の特徴によって共通の素材から出来ていることがわかる。
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第1主題の4度上行する動機が反行して、第2主題のテーマのE-D-Cis-Hの4度下降のスケール得られたのだ。
第2主題が確保されて後、第1主題後半の動機の素材を中心に発展しつつ、提示部の終結部へと向かう。ここでは第2主題が何度も繰り返されているのだが、その終わり近くでこの第2主題の一部に乗ってもう一つの重要な動機が提示される。
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第2主題を変奏しただけなのだが、十六分音符はここまで一度も使われていないので、この登場は新鮮である。よく見れば、第2主題の冒頭の動機のリズムを半分に縮小してこのリズムが得られていることがわかる。当時、熱心に勉強し始めていたという対位法のフーガなどの応用ではないかと考えるのは、ちょっと行きすぎかも知れぬ。
この動機が展開部では重要な役割を果たす。
提示部は繰り返され、(ケンプなどの古い録音ではこの繰り返しは除かれている場合が多い)ホ長調に終止すると、そのまま展開部へと突入する。

展開部はいきなりホ長調に対して長三度下、主調のイ長調からすれば短三度上のハ長調からはじまる。この明るく力強い調性で繰り出されるのは、提示部の終結部で出てきた新たな動機である。
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面白いことにハ長調とその半音下のロ長調の間を行ったり来たりするのが、このソナタの展開部の前半である。ベートーヴェンなどのソナタでは、展開部で一度通った調性は二度と使われることはないのが通例なのだが、この曲ではロ長調に行ったあと、またハ長調に戻り、更にロ長調、ハ長調と繰り返すのが、この展開部の特徴を成している。
第1主題が一度だけ右手に出てくる。
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この部分が出てきて後、第1主題の後の推移部のところで使われた8分音符によるスタッカートでその展開が打ち切られ、再現部へと移る。この辺りの響きはかなりベートーヴェン的で力強さに満ちている。
再現部はほぼ型どおりに繰り返され、第1主題を中心として長いコーダの後、第1楽章が終わる。

この稿続く
by Schweizer_Musik | 2006-09-27 07:41 | 音楽時事
追悼!名指揮者アルミン・ジョルダン
アルミン・ジョルダンが亡くなったと、教えて頂いた。急いでネットで検索した。ショックだった。スイス・ロマンド管弦楽団を退いてから9年あまり。ファビオ・ルイジ、ピンカス・スタインバークとあとを継いで、今はマレク・ヤノフスキがそのオケを率いている。
私は、ジョルダンの評価が低いのに不満であった。どうして彼のモーツァルトがあんなに少ないのか!どうしてマーラーの第9などの録音がないのか?ライブで聞かせたベートーヴェンの凄い名演があるのに、何故CDがないのか?私にはわからないことばかりだった。ハイドンで聞かせた颯爽とした演奏は魅力一杯であった。

彼の指揮をはじめて聞いたのは、グッリと共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲だった。グッリのヴァイオリンも素晴らしいものであったが、共演のオケに私は驚いた。何としなやかで快活で、颯爽としているのだろうか!私にとって今もアルチュール・グリュミオーの名盤に唯一匹敵する名演がこれである。マリア・ジョアオ・ピリスと共演したモーツァルトのコンチェルトもあったが、これは借りてきた猫のようで、私は面白くなかった。もっと凄い指揮者なのにと思っていた。
その後、エラートから続々と出されるラヴェルの演奏に心躍らせたことも書いておかなくては…。
私が最も好きなラヴェルのオペラの録音はジョルダンとバーゼル交響楽団によって行われたものだった。全てCDになっているのか知らないけれど、ジョルダンのラヴェルは格別の味わいがあった。軽妙さ!と緻密さ、そしてほどよい情感が高度にバランスしたその解釈は抜群の相性の良さを示していた。
ジョルダンはシューベルトのミサ曲やシューマンの「楽園とペリ」などというちょっとマイナーな作品にも光をあててくれた。ハイドンの「天地創造」も素晴らしい録音だった。あんなに良いハイドンをやっているのだから、ロンドン・セットくらい残して欲しかった。いやあまり名演のないパリ・セットだったら嬉しかったなぁと思ったりする。今となっては無い物ねだりでしかないのだが。
ホルスト・シュタインが退いたスイス・ロマンド管弦楽団のシェフについた時のジョルダンは、アンセルメ時代の栄光を取り戻す旗手として大いに期待された。そしてそれに彼は応えた。少なくとも私はジョルダンとスイス・ロマンド管弦楽団の十年は短かったとは言え、充実した十年だったと考えている。
スイス・ロマンド管弦楽団の指揮者は、誰もがアンセルメと比べられるという運命を持っていた。スイス・ロマンド管弦楽団の海外公演においては、必ずアンセルメのレパートリーが入れられる。それはおそらくはプロモーターの強力な要請によるものだと思う。先般、ファビオ・ルイジと来日した時の評価もそうしたものだった。アンセルメと比べてどうのこうのと言うこと自体が限りなく愚かなことであるのは、言を待たない。そうした評価は根本から間違っている。アンセルメはアンセルメであってジョルダンでもルイジでもないのだ。比べられないから芸術なのに、比べたがる無能な評論家が多くて困ったものだ。プロモーターもまた聴衆も、スイス・ロマンド管弦楽団にアンセルメを求めてはならない。チェコ・フィルにドヴォルザークの完璧な演奏を要求し続けるようなものだ。本場物なんてものは確かにどこかにはあるのかも知れないけれど、そんなものを求めて、本当の輝きを見逃してはならない。

アルミン・ジョルダンは1932年4月にルツェルンで生まれた。ルツェルンはドイツ語圏であり、多くの人たちが勝手に思いこんでいるフランス語圏ではない。また、幅広いレパートリーの中心にあったのはワーグナーの楽劇やイタリア・オペラの数々、あるいはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」などの歌劇だった。
1985年にジュネーヴで行われた「コシ・ファン・トゥッテ」の公演では、あまりに多くの人が押し寄せたために3000人収容のスケートリンクで公演が行われるということまで起こった。
スイスでは、彼はスター指揮者だった。
去る9月15日、ジョルダンとも縁の深いバーゼルの劇場で「3つのオレンジへの恋」の公演の最中に倒れ、病院に運ばれたが、19日に永眠。七十四才だった。
まだ聞かせて欲しいものが一杯あった。でもそれもかなわぬままとなってしまった。合掌…
by Schweizer_Musik | 2006-09-25 10:32 | 音楽時事