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ヴァント指揮ミュンヘン・フィルによるシューベルトのザ・グレイト
ヴァントがミュンヘン・フィルを指揮したシューベルトの交響曲第九番(新しいナンバリングでは8番)を聞く。ライブ特有のノイズはあるものの、充分なクオリティの録音で、演奏もまた素晴らしい!
こんな良い演奏を定額サービスで聞けるのはナクソスのおかげ。聞かないでおいては罰が当たるとばかり、昼真っから飲んだくれて寝ていたのを、夕飯のために起き出してから食べながら聞く。
2度聞いた。2度目は酔いも醒めてまぁ何とか物を書けそうな状態になって聞いた。ヴァントはテンポを動かさない指揮者のように思われている部分も無きにしもあらずだが、この演奏での大きなテンポの変化はちょっと驚かされる。ベルリン・フィルとの演奏でもそうだったか今は記憶が定かではないが、ケルン時代のスタジオ録音ではそれほど目立ってテンポを動かしてはいなかった。しかし、ミュンヘン・フィルを振ったこの演奏では、場面に合わせて細かくテンポを設定しているように思う。そのおかげで、それぞれの性格が強調され、音楽が立体的に聞こえてくる。興奮のあまりにテンポが速くなるというアチェレランドなどではなく、微妙にテンポが設定されているもので、ルバートとももちろん違うが、それがやはりこの曲ではとても効果的だと思う。ただ第1楽章のコーダのテンポは私はもう少し速めに入った方が良いように思うが…。
第2楽章でもこの演奏スタイルはとても効果的で、音楽の場面場面を明確に描き分けていくことになっている。所々、金管が突出して雰囲気を壊していると思われるところもあるが、クライマックスへ向かって緊張を高めていく呼吸の良さは絶品だ。さすが、並の指揮者ではない。初めてこの曲を聞いた。ミュンシュの録音も好きだったし、フルトヴェングラーやベームも夢中になって聞いたものである。が、このヴァントの演奏もそれらに比肩する素晴らしいものだと思った。
第3楽章は、ヴァントの柔軟で弾むリズムと伸びやかなカンタービレとの対比が絶妙だ。レントラー風のいくぶんのんびりとしたトリオのどこか悲しげな響きをヴァントは決して聞き逃していない。ワルターの録音で聞かれたこのデリケート極まりない指揮術は、ヴァントのものでもあったのだ。しか、この楽章、演奏によっては必ずと言って良いほど退屈させてくれるのだが、いつまでも聞いていたと思わせられたのは久しぶりのことだった。(この楽章をもう一度聞くために、全体を聞いてからもう一度1楽章から聞き返してみたくなったのだった)
終楽章の冒頭のホルンの効果がこれほど明確に聞き取れる録音も珍しい。なるほどこうなっていたのかと、かなり得をした気分である。落ち着いたテンポは第1クープレでわずかにテンポを落とし、メロディーの抒情的な性格を浮き立たせるあたりはもう神業である。金管(特にトランペット)は若干品の無い音で白けさせてしまうが、この演奏の欠点と言えばこれくらいではないか?
良い演奏である。買うと2000円弱だそうだ。円安のせいだろうか?最近輸入盤だからと言って安く感じないことが多いが、ナクソス・ライブラリーは安い!!私のような貧乏人にはありがたいシステムである。(何と言ってもショップに行かなくてもよいのだから…)
by Schweizer_Musik | 2007-02-28 23:57 | ナクソスのHPで聞いた録音
オルセー美術館展
東京都美術館でオルセー美術館展を見て来た。通勤ラッシュなみの混雑であった。このような状況で絵を見た(と言えるのかどうかはともかく)のは初めての経験であった。
2時間あまり。昔、確か福岡でオルセー美術館展を見た記憶があり(記憶違いかも知れないが)今回2度目の鑑賞となった絵がいくつかあった。ピサロやシスレーは別に見ているので何度か見たものが多かった。しかしマネの絵の前など身動きが出来ないほどの混雑だったりしたことはなく、こんな異常な美術展は初めてで、良い絵を見られたけれど、鑑賞したという充実感は全くない。いや、今後東京ではこうした美術展に行くのは止めようと決心した次第である。
これだけ多くの人々が絵に興味があり、それを楽しむというのは良いことだと思うが、ウィークデイの午後でこの混雑では(入り口から入るまで30分以上並んだ…)土日はどうなるのだろう。ちょっと恐ろしく思う。それはともかく、こうした曜日時間帯故か、おばさんが多かったのだが、大阪顔負けの「オバタリアン」が列をなし、押すな押すなの中、絵を見ながら世間話を大声でし、ふっと割り込んでくるなど、不愉快極まる事態に、ひたすら耐えながら2時間半ほど見て歩いた。
日本人の好きな印象派とその周辺のコレクションであるからこうなるのだろう。昔、ガラガラのピサロ展やシスレー展、ボルドー美術館展などを見たときのゆったりとした絵と対峙し、何かを感じインスピレーションを受ける暇なんてなかった。それよりも親類の誰々が骨折してねぇなんて大声でしゃべるおばちゃんにイライラするばかりだった。ああ行くんじゃなかった…。
帰りの電車は久しぶりにグリーンで、お昼に食べようと持ってきたおにぎりを頬張りながらこれを書く。ああ疲れた!!
by Schweizer_Musik | 2007-02-27 19:50 | 日々の出来事
ヤルヴィのチャイコフスキー交響曲第2番、結構良い!
昨日、学校で久しぶりにピアニストの横山幸雄君と会った。彼を我が校に紹介したのは私であるが、そのおかげで何ヶ月かに一回は彼の特別講座が開かれるようになった。昨日がその回というわけで私はしらなかったのだがホールの前を通りかかると手をあげて呼ぶ人がいたので行ってみると彼だった。
ふとそんなことを思い出したのは、彼と昔ヤルヴィが共演してグリーグの協奏曲を録音していて、その演奏が情けないほどつまらなかったからである。多くはヤルヴィのやる気のない指揮に責任があると私は思っているのだが、そのCDを聞いてからヤルヴィを聞かなくなった…。
で、ナクソス・ライブラリーを後から徘徊していたら、そのヤルヴィが振ったチャイコフスキーの交響曲第2番があった。ちょっと興味が出てきて、それを聞くことにした。
私はこの曲が好きだ。冒頭の主題がロシアらしい雰囲気満点で、寒々としていながら広大なパースペクティヴを感じさせ、オーケストレーションの妙はあちらこちらにあり、決して駄作ではないのだが、今ひとつ人気がない。不思議な話である。1879年に改訂された版をヤルヴィは演奏しているが、オーケストレーションも構成も完成度は高いと思う。ただ、この作品のウィークポイントは、クライマックスがないわけではないが盛り上がって終わるというよりも煙に巻かれたような終わり方をする(特に第1、第2楽章)ことにあるのではないか。終楽章はそうしたことはないのだが、やはり第4番以降の作品のように手に汗を握ってクライマックスに向かい絶大なトゥッティの爆発の中に大拍手で終わるという感じがないことが要因ではないかと思う。
ヤルヴィのこの録音は2004年11月ということらしい。オケはかつての手兵エーテボリ交響楽団。昔は硬派の演奏だったヤルヴィも次第に丸みを帯びてきて、硬派の部分がそぎ落とされていったのだろうか?で、その結果、1990年代は平凡な出来の演奏が多かったように思う。グラモフォンに録音された彼の演奏はどれも常識人ではあるが、張りのないテンポがつまらなくて、私は買ってすぐにほとんど手放してしまったし、横山幸雄君とのグリーグで止めをさされた感じであった。
しかしこのチャイコフスキーは、これがグラモフォンでなくBISレーベルのものである。CD時代のはじめに私は夢中にになって聞いた彼らの質実剛健なシベリウスはこのBISレーベルから出たものであった。前置きが異常に長くなってしまったが、そんな記憶をたどりながら聞いたチャイコフスキーの交響曲第2番はどうだったのか。
細部にまで行き届いたバランス感はさすがである。歯切れの良い語り口というかテンポ感は戻ってきていると思った。ただシベリウスの交響曲を聞いたときの新鮮さはない。がそれはこちらがヤルヴィの演奏スタイルに慣れてしまったということもあるのだろう。
チャイコフスキーの第2番の終楽章のコーダでの盛り上がりはいささか物足りないものの、それは原曲の問題でもあるので、ヤルヴィに責任を押しつけるのはどうかと思う。でもこの曲の抒情的な世界はとてもよく表現していたし、民族的な素材による舞踊もキビキビとやっていて文句はない。感傷的に流されるようなことはなく、私は大変聞きやすかった。
このCDには1866年に書かれた序曲ヘ長調(1865年の小管弦楽組曲という曲があるらしいのだが、それを素材としたものらしい)と同じ年に書かれたデンマーク国歌による祝典序曲 ニ長調 Op.15とアバドの演奏がなかなか良かったという記憶がある序曲「嵐」Op.76が収められている。
知られざるチャイコフスキーといったところだろうか。私は「嵐」は以前から知っていて、親しみも少しはあるが、他の2曲は昔LPでロジェストヴェンスキーでだったか、別の指揮者だったかもう定かではないが持っていたけれど、それ以来の出会いとなった。3曲の序曲の中で、タイトルを持たないヘ長調のものとデンマーク国歌による祝典序曲はいずれも作品としては傑作とは言い難いものの、祝典序曲の方は1892年に改訂されたものが演奏されており、それなりに作曲者存命の頃には演奏をされていたものなのであろう。さすがに大家の書いたものであると思わせられるものではあるが、わざわざこの曲を聞きたいと思ってCDを買う者もいないだろう。カタログの穴を埋めるという点で必要ではあるし、ヤルヴィの演奏も充分にその期待に応えてくれるものである。
しかし、何と言っても「嵐」は飛び抜けてよく書けている。主題も個性的だしもっと聞かれても良いだろう。演奏もアバド盤に比べても遜色のない出来で、オケもとても良い。但しあちらはシカゴ響だったはずで、ちょっと分が悪いけれど…。
しかし、もういくつになったのだろう。この演奏からは「老い」を私は全く感じなかった。指揮技術が大変優れているのだろう。エーテボリ交響楽団も大変よく反応している。BISのエッジの効いた明晰な録音故に大変聞きやすいことも付け加えておきたい。
by Schweizer_Musik | 2007-02-27 11:09 | ナクソスのHPで聞いた録音
ライトナーとアースによるモーツァルトK.488
最近出た放送音源の中でも、このProfilレーベルのものはなかなか面白いものが多く、私も随分色々と聞いてきた気がする。
ライトナーが振ったブラームスのハイドン・ヴァリエーションとアースと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調K.488、そしてヴォルフ=フェラーリの歌劇「マドンナの宝石」の中から2つの間奏曲が収められている。
ブラームスはWurttemberg State Orchestra Stuttgartとあり、ヴュルテンブルク州立管弦楽団とでも書けばいいのだろうか?まずまずの出来だが、冒頭から木管がいささか弱く、テーマを演奏するオーボエなどフラフラしたボー弾きといった感じであるが、それをうまくカバーしてライトナーはまとめている。しかし、これについてはわざわざ買ってまで聞こうとは思わない。フルトヴェングラーやカラヤンの良い演奏を持っているから…。
肝心のアースのモーツァルトはさすがに良い演奏である。すっきりとしたテンポでライトナーも実に手慣れた共演振りで、安心感のある演奏である。とは言えprofilのものとしてはかなり雑音が多くおそらくは同時期に録音されたとおぼしきグラモフォン盤には及ばないのではないだろうか?しかし演奏の清々しさは最高で、今朝一番に聞く音楽に相応しいものであった。彼女はほとんどテンポを動かさない。その語り口は実に流暢なものであるが、だからと言ってフレーズのそこかしこにある余韻の深さは味わい深い。聞いていてアースの存在はどこかに消えてモーツァルトだけがそこにいるという演奏…私はそんな演奏が理想なのだ!ああこれで録音がよかったなら、どれだけ素晴らしかったことだろう!持続するノイズに悩まされながら、結局最後まで聞いてしまった。
最後にヴォルフ=フェラーリの歌劇「マドンナの宝石」から2つの間奏曲が入っていたので聞く。一曲目は、昔の名曲コンサートの定番だったものだ。何十年ぶりかで聞いてみて、このセンチメンタルなメロディーもなかなか悪くないなどと思った。オケはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。上手いに決まっているのだが、録音がモノラルで分離が今ひとつという点を除けば、この曲の最高の録音の一つではないかと思う。もう一曲、あまり有名でない方は私は意外と好きで、時々聞くものであるが、この演奏のように鮮やかなものは初めて聞く。何ということもない曲なのだが、爽快感が好きなのだ。ライトナーの録音が良ければ、これが私のスタンダードとなっただろうに!うまくいかないものだ。
by Schweizer_Musik | 2007-02-27 06:49 | ナクソスのHPで聞いた録音
ヴォルフ=フェラーリの室内交響曲を聞く
久しぶりに夜更かしをしてしまった。寝る前に滞っていた作曲に見切りをつけて、気分転換をしようと小品わ書き始めたのが原因で、あの時間に新曲を書き始めてはいけないのに、ついやってしまった。
おかげで今朝は7時すぎになってようやく起き出す羽目に…。
こうなると気分が落ち込んでしまうので、何か音楽を聞こうと思い、ナクソス・ライブラリーを徘徊してみた。で聞いたのは、ヴォルフ=フェラーリの室内交響曲。この作曲家のこうした純粋器楽作品はあまり聞く機会がないままになっていたが、こうして聞くと本当に良い作曲家だったことがわかる。
編成はピアノ(大活躍で協奏曲かと思ってしまった)とフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンにヴァイオリン2にヴィオラ、チェロ、コンバスが各1である。年度末に一年の集大成としてこのあたりまで書かせるので、私にも親しみの多い編成であるが、そういうこと以上にこの編成が私は好きなのだ。小編成は自分の腕を磨く砥石のようなものと思っている。いやそれ以上に全ての音が聞こえるということで、オーケストレーション、楽器法に長じていなければ歯が立たない編成だとも思う。簡単に言えば下手なところが丸わかりになる編成なのだ。編成が大きくなればなるほど、音の配置が少々おかしくても音圧があるのでそれに誤魔化されてしまう。
この点で、この編成を書く、あるいは書かせる事は私の勉強にもなっている。
私のことはともかく、このロマンチックで美しい作品は多くの人に愛されるべき存在だ。あまり知られていないのは残念でならないが、メロディーが親しみやすく響きがどこをとっても洒落ているので、一度聞くと好きになるに違いない。
第3楽章なんて、ちょっとしたライト・クラシックで演奏されていておかしくないほど親しみやすいメロディーである。交響曲などという厳めしい名前がひょっとして災いしたか?更に、この作品、交響曲と名打っているが、ピアノがかなりの部分を担当していて、手の足りない部分をほとんどピアノにやらせてしまっている。私ならピアノはもっと控えめにオケの1パートとして考えるのだが、これでは協奏曲である。ピアノに人を得ないと上演は難しいに違いない。終楽章にはカデンツァ風の部分まで用意されているほどである。ひょっとするとそうした側面がこの曲のアキレス腱となっているのかも知れない。もっとやりようがあるのにと、思いながら聞いた…(笑)。
終楽章などはかなり力こぶの入った作品となっていて、後期ロマン派の音楽が好きな人にお薦めである。展開などの技巧は確かな物であるし(当たり前か!)、ユニークな響きや展開も聞ける。なかなか傑作ではないかと思った。おかげで愉しい朝になった。
今日は成績会議で出かける。もう二月も終わりである。今年はとうとう雪を見ることもなく冬が終わりそうであるが、ここに来ていきなり寒くなってきた。
by Schweizer_Musik | 2007-02-26 09:01 | ナクソスのHPで聞いた録音
スランプなので小品を書いて気分転換する
多忙の後の後遺症だろうか?少しスランプに陥っている。良いアイデアがうかばず、楽譜が一向に進まない。書いては消し、書いては消すというのを一日やっていたらどうも気分が良くなくなってしまった。
音楽を聞いたりして気分転換を図るが、結局いつもの通り、ピアノの小品を書いて気分転換した。春みたいな日が続いていたと思ったら今日はずいぶん寒い一日だった。だから桜咲く春を思いながら、作品を作る。
今回は楽譜も一緒に…。別に他で使う予定もないので…。
春の唄う
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2007年2月26日追記
少しゴチャゴチャしていたので、簡単にしてみました。中間の左手を更に簡単に小さな手で弾けるようにしてみたのですが、これなら使えるかなぁ…(笑)それほどこの曲にはこだわっていないのですが、みてみると直したくなるのでそろそろ止めなくては。ブルックナーの気持ちがとてもよくわかる今日の私…。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 23:48 | 日々の出来事
ロジェストヴェンスキーの指揮でエネスコの交響曲第3番を聞く
エネスコの交響曲第3番を聞いた。またまたナクソス・ライブラリーである(笑)。
この曲は以前、マルコ・ポーロ・レーベルで持っていたが、こんなに面白い曲だとは知らず、さぁーっと聞いてそのままになっていた。お恥ずかしい次第である。
エネスコと言えば、ルーマニア狂詩曲第1番のいささかライトな民族主義のようなイメージでいた。いやそれ以上に晩年のバッハの無伴奏などの録音で知るヴァイオリニストとしての印象の方がずっと大きいもので、私は彼の作曲は大変優れたヴァイオリニストの余技程度に思っていたところがある。がそれは間違いだった。
この作品は1919年に書かれ1920年に初演されているから、第一次世界大戦直後の作品ということになる。ストラヴィンスキーはすでに古典的な書法にスタイルを変化させていた時代であり、パリでは6人組が産声をあげた時代である。
新古典主義とシェーンベルクなどのドデカフォニーの音楽が前衛であった時代に、このような厳しい響きのシンフォニーをエネスコが書いていたとは驚きである。
ライトな民族主義などどこにもない。それどころか、深い喪失感と絶望、そして平和な音楽が渾然一体となった独特の世界が描かれているのだ。これには驚いた。
彼の室内楽などにはドビュッシーなどの影響が色濃く反映したものがあったりするので、この作品にもそうしたものが聞かれることは意外でもなんでもないが、強い不協和や増音程を強調したあたりは某かの曲に込めた強い思いが感じられる。
終楽章に女声合唱がハミングで加わるのは、ドビュッシーのノクチェルヌを思い出させるが、オルガンやピアノも使われていて、響きの同質性以上にエネスコのアイデアが全面に出ているように思う。
指揮はゲンナジ・ロジェストヴェンスキー。オケはBBCフィルハーモニー管弦楽団。この演奏あってのこの深い感動である。ぜひ一度お聞きになることをお薦めしたい。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 19:09 | ナクソスのHPで聞いた録音
エルガーの交響曲第2番をナクソスで聞く
エルガーの交響曲第2番をナクソスで聞く。指揮はエドワード・ダウンズで、オケはBBCフィルハーモニーである。もの凄く良い演奏なので、つい最後まで聞いてしまった。1909年から1911年にかけて作曲されたこの作品は2曲残されたエルガーの交響曲のその2曲目というわけだ。何故こんな当たり前のことを書くのかと言えば、第3番を「復元」して聞かせるという愚かしいことをやる者がやはりいるからである。
私はエドワード7世に捧げたというこの作品とリヒターに捧げた第1番だけで充分だと思うのだが、世の中にはそう思わない人が多いらしい。誰もエルガーになれないのだから、そんな無駄なことをしなくても良いと思うのは私一人なのだろうか?
そんな話はともかくとして、エドワード・ダウンズ卿の指揮によるこの演奏は名演である。オケは片時も集中力を欠くことなく、全力で演奏している。アンサンブルは緊密で力強さと祝典的な明るさにあふれている。イギリスの放送オケとしてBBC交響楽団に次ぐ地位のあるBBCフィルであるから、悪いはずはないのだが、この集中力は見事である。
第2楽章ラルゲットの深く悲しみに満ちた響きの中から歌が生まれていくのは感動的だ。どんな演奏で聞いたのだろう。今思い出そうとしてもどうしてもこの曲についての良い思い出がないのだ。第1番の方が多い。プレヴィンのフィリップス盤やショルティ、デイヴィス、バルビローリなど良い演奏はたくさん思い出すのだが、第2番は…。
それだけこの曲が地味なのだろうか?確かに地味な印象をもたらさないとは言えないが、この演奏のような良いものに巡り会えなかっただけのような気もする。
オーケストレーションもフランスの同時代の作曲家たち、例えばドビュッシーやラヴェルといった作曲家たちの作品と比べると、それほど独特なオーケストレーションが行われているわけでもない。ブラームスのような質実剛健な響きはあるが、淡いパステル・カラーや水彩画のような軽快さ、あるいは印象派のような光と影のコントラストなどは全く無縁の重厚さで全編が占められている。
良い音楽なのだが、重いという感じがつきまとうことも事実である。だからいつも聞くのはちょっと鬱陶しい…。でも感動がこの音楽にはある。ダウンズ卿の演奏にはそれがあふれんばかりに備わっている。歌い回しの雄弁さはどうだろう!確信に満ちた表現は説得力抜群だ。こういう音楽を聞かされるともうついつい私の涙腺が弛みいけないこととなってしまう。
第3楽章がスケルツォでなくロンドというのも変わっているなぁと思うけれど、動的な楽章としてロンドを置いたようではある。しかし私は特に凄い演奏だと思ったのは終楽章だ。
堂々とスケールの大きなこの楽章をダウンズ卿はこれ以上は考えられないほどの高い格調とスケール感で演奏している。ほとんど指定以外でのテンポの動きはないのだが、深いタメというか呼吸で演奏するので、音楽に自然と重みが蓄えられるのだ。
良い演奏だった。この曲がやっとわかったような気になった。ナクソス恐るべしである。

NAXOS/8.550635
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 17:25 | ナクソスのHPで聞いた録音
クライツベルクのフランス物を聞く
クライツベルクが2003年から音楽監督をしているオランダ・フィルハーモニーを振ったフランス音楽集を聞いた。フルートが活躍する作品を選んだようで、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲やラヴェルのダフニスとクロエ第2組曲やフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲などが収められている。
ロシアの指揮者がフランス物というと、どうも色眼鏡で見られてしまうようであるが、もともと本場物というものを信用しない私は、何年か前の来日公演の評判がよかったこともあって、興味をもっていたのだ。そしてその結果はまさに私好みでとてもうれしく思った。
ドビュッシーはかなりテンポが遅く、タメが深い。それでいて決して重くならない。当然ロシア音楽のような響きはない。(当たり前だ…チャイコフスキーみたいにこの曲を振ったらただの物笑いの種にしかならない)表情は全体に淡彩で、濃くないのがそうした重さを感じさせないところとなっているのではないだろうか?しかしこのテンポはとても気持ちが良い。ただ、全体にもう少し起伏というかメリハリがあっても良いだろう。クライマックスがやや不完全燃焼で聴き応えという点ではやや?である。
ダフニスを聞いても、テンポの良さがクライツベルクの大きな特徴となっていることがわかる。無理がないのだ。速すぎることもなく、かといって停滞するようなこともなく、どこにも極端な表現はない。それでいて音楽は深く、充分な呼吸で息づいている。これは大きな美点である。
フォーレの「ペレアスとメリザンド」の前奏曲などはそうした美点が最も良い結果をもたらした例としてあげることができる。楚々として美しい!こんなフォーレが聞きたかったのだ!クレジットされているLeon Berendse(なんとお読みするのでしょう?)はきれいな、とても素直な音色で私を魅了した。これは「牧神の午後…」でもそうだったが、このCDでのフルーティストは大正解である。したがって有名なシチリアーノの演奏は今まで聞いた中でも最高の出来だと思った。
ラヴェルの「鏡」の中から「鐘の谷」がオーケストラ編曲で聞けるのはありがたい。編曲はこれはおそらくグレインジャーのものだと思う。何かのCDで聞いた記憶がうっすらとあるが、打楽器を色々と使った異色の編曲で、墓の下のラヴェルは苦笑しているに違いない。とは言え、ラヴェル自身が編曲しなかったピアノ作品の中で、最もオケ向きだと思う作品だけに、このグレインジャーの挑戦的なアレンジも聞き物であることは間違いない。演奏は前に聞いた(誰だったかすっかり忘れてしまった)ものよりもずいぶん良いように思った(うろ覚えの記憶だけがたよりなので…)。
ボレロは大体標準のテンポで、じっくりと演奏している。全く聞いていて安心感のある運びで、エキセントリックなことをやって話題をとろうなどという山っ気はまったくない本格派の演奏で、こうした演奏でこそこうした作品は生きてくるのだ。私は極めて好ましく感じた。
これからクライツベルクという指揮者には注目していかなくては!本日の掘り出し物であった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 14:20 | ナクソスのHPで聞いた録音
一日中寝てました…
多忙から解放されたこともあって、今日は朝から飲んだくれて寝てしまった。とはいえ、その合間に少し音符を書いてみた。書きかけている作品ではなく(どうも詰まってしまったので、気分転換に)ピアノの小品を作ってみた。それは出来上がったのだが、もう少し書き加えたいものがふくらんできたので、また今度…ということにして、ひたすら寝ていた。
夕方になって起き出して、CDを聞く。大好きなブラームスのピアノ協奏曲第2番をじっと聞いていると涙が出てきてしまった。悲しい音楽でもなんでもないのだが、良い音楽に年のせいかかなり緩くなった涙腺が反応したらしい。
演奏は伊藤恵のピアノ、そして先頃引退したジャン・フルネ指揮東京都交響楽団である。こんな演奏が日本のコンサート・ホールで聞けたのだ。なんと凄いことなのだろう。伊藤恵のピアノはもう素晴らしい。量感に欠けるわけでもなく、深い響きをともなって広々とした風景を描き出している。田中雅弘氏のチェロも良い。この曲のチェロの役割は大きい。首席奏者の力量に左右されると言っても良いだろう。第3楽章のチェロのソロのなんと美しいことか!!そこに天から降り注ぐ一条の光のような弦の長い音符が次第に量感を蓄えていってメロディーを奏で始めるあたり、聞くと私はついつい涙が出てしまう。こんな良い音楽をやっている間、ピアノはただ座っているだけというのも気の毒だが、これはまたまたブラームスのヴァイオリン協奏曲の緩徐楽章を思い出させるところでもある。
エミール・ギレリスやバッカウアー、アシュケナージやブレンデル、色々と昔から名演とされる演奏はあるが、この伊藤恵の演奏もまたそれらに加えて良いと思うのだが、いかがだろう。
ラヴェルの両手の協奏曲もこのCDには入っている。2002年のサントリー・ホールでのライブであるが、実はこのCD、このラヴェルが目当てで買ったもので、そちらも大変良い演奏であったものの、今回はこのブラームスでお腹一杯になってしまったのでその話はまた今度…。
by Schweizer_Musik | 2007-02-24 19:42 | 日々の出来事