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カッチーニのアヴェ・マリア…
ジュリオ・カッチーニの作とかされるアヴェ・マリアをスラヴァのCDで初めて聞いたのは今から15年ほど前のことだった。
ポピュラー音楽のような印象を受けたし、どこかアルビノーニのアダージョのような胡散臭さを感じたが、今もその印象は変わらない。
カッチーニは1545年頃の生まれだというが、ほぼ16世紀の作曲家でありながら、和音の使い方などが近世のものに感じられるからである。
カッチーニの作品と言えば、学生時代に友達の伴奏をしたことがある「アマリリ麗し」位しか私は知らない。
また出典が全く明らかでないままに、1990年代に入って急速に広まっていったのも不思議だ。私は少なくともそれ以前にこの曲を知らなかった。
アヴェ・マリアとだけ何度も繰り返すのも、様式的に16世紀当時にはあまりなかったのではないか。モンテヴェルディなどを思い出しつつ、全く不思議なことだと思う。
ナクソス・ライブラリーで聞いて、本田美奈子の美しい歌声を思い出した。と同時に、カウンター・テノールのスラヴァ(すみません、全く好みの音楽家ではないので…)を久しぶりに思い出した。
しかし、変な曲だ。その内、アルビノーニの「アダージョ」の作曲者であるジャゾットのように「私が作りました」と誰かが出てくるのかも知れない。まぁ出てこない方が、著作権の使用料を払わなくて良いので、一般にはありがたいことかも知れないが…(笑)。
by Schweizer_Musik | 2007-02-12 20:51 | 日々の出来事
山田耕筰の長唄交響曲「鶴亀」を聞いて
昨日は150小節ほどのメドレーを作り、それがせいで、色んなことが貯まりに貯まり、どうしようもないほどになっている。「えい、しばらくそれらは放っておけ」とばかり、早朝からの作曲は今日は逆に止めて、休養にあてることとした。追われてした仕事なんてロクなものができない!(ものすごい言い訳だ…)
といって、全力で一週間を過ごしたおかげで、何をしていいのか?ふと考えてしまう。で、聞いていないCDを聞いてみようと思った次第である。
ナクソスの日本の作品のシリーズは必ず買うことにしているのだが、山田耕筰は二枚目となった。ありがたいことである。こうして大正、昭和にかけての日本の交響運動のあらましがわかるのだから。それに片山杜秀氏による詳細な解説!これがあるからナクソス・ライブラリーというわけにはいかない。
「鶴亀」は江戸時代の十代目杵屋六左衛門の作曲による「鶴亀」に管弦楽の伴奏をつけたもので、山田耕筰の作曲というのはやや無理があるのかも知れない。更に言えば長唄の「鶴亀」自体ももともとは伝統的な能の演目をふまえて作られているのだそうだ。
長唄そのものへの私の知識などとるにたらないもので、こうした部分はこの解説が埋めてくれる。
詳細は解説に譲り、私は聞いてみた感想を述べたい。

山田耕筰はこの作品よりもずっと前の1921年に「明治頌歌」という作品を書き上げ(山田耕筰指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が復刻されている)で篳篥を使ったのであるが、そうした日本の伝統的な音楽は、ずっと西洋音楽との関わりの中で育った彼にとってはひとつの挑戦だったと考えられる。
ちなみに山田耕筰は一家のキリスト教徒も多く、賛美歌や吹奏楽を聞いて育つという環境にあった。まだ東京音楽学校に作曲学科はなく、日本に作曲というものが確立していなかった時代のパイオニアは、西洋音楽の中で生まれて来たのだった。この点は考慮すべきだろう。
しかし「明治頌歌」はどう聞いても、ドイツの後期ロマン派風であり、シュレーカーの作曲だと言われたら信じてしまいそうになる。
片山氏は当時の山田耕筰をとりまく2つの時代背景を指摘している。その一つ目は、明治の文明開化以後の西洋音楽と伝統音楽の2つの潮流が拮抗していたこと。(宮城道雄などが活躍したのもこの頃だ)宮城道雄は「さくらさくら変奏曲」を書き、近衛秀麿は「越天楽」を管弦楽化した。二つ目は、無声映画の普及で西洋音楽に大衆が親しむようになって来たことである。SPで西洋音楽に触れる人も増えてきた。宮沢賢治の「セロ弾きゴーシュ」の時代がやって来たのだ。
こういう背景から、山田耕筰は自身があまり接してこなかった日本の伝統的な音楽に取り組むようになっていったのだった。このチャレンジの中で最も斬新だったのがこの長唄交響曲「鶴亀」であった。
元となった「鶴亀」が作られたのは黒船来航の二年前だというから、江戸時代末期も末期であった。まさに江戸時代に発展した文化の集大成の一つと言っても良いのかも知れない。
それを山田耕筰は管弦楽をつけて演奏するようにした。従ってこの作品は長唄を聞くものである。三味線もお囃子も唄も全て入っている。というより、長唄そのものに控えめな管弦楽がついているに過ぎない。
こうした物は、大体違和感を感じるものであるが、実は私は全く違和感を感じなかった。調律も違う、サウンドの違いは大きく、とても聞けた物ではないのではと思っていた。ちょっとしたゲテモノ趣味だと…。
しかし、私はとても自然に聞けた。それは控えめなオーケストレーションが原作を全く邪魔していないことにあるのだろう。見事だとか上手いとか言うのではない。特に変わったことをしているわけでもないのだが、長唄の発声、歌声とオケがこれほどうまく合っているとは思わなかった。
1934年の初演だと言うが、何度か再演されたようで、1960年には森正の指揮でレコーディングも行われたという。私は不残念ながらこれを聞いていないが…。
三味線と唄にヴァイオリンのソロが絡んだり、時々控えめにトランペットが鳴ったり…。この点、山田耕筰の実に手慣れた手腕とアイデアが生きていると思う。
彼が、戦後すぐに脳溢血で倒れ、半身不随となってしまい、充分な音楽活動ができなかったのは残念なことであった。この後に多くの人が続いたとは言え、山田耕筰自身による続く作品が聞きたかったという気がどうしてもする。
一度お聞きになってみてもいいものですよ。私は結構楽しみました。
by Schweizer_Musik | 2007-02-12 11:22 | CD試聴記
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第4番を聞く。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第4番を聞く。
短調のベートーヴェンだから深刻で重い音楽と思っていたら、何ともさわやかで良い感じ、そんな音楽である。これを昔、評論家の薦めにしたがってダヴィド・オイストラフとオボーリンのレコードを買って聞いたらなんともしょぼい音楽にしか聞こえなくて、「ベートーヴェンもこんなしょぼい曲を書くのか」と思った物だが、グリュミオーとハスキルの全集を聞いて目が覚める思いがして、それ以来お気に入りである。
オイストラフの録音はこの音楽をヴァイオリンのオブリガート付きのピアノ・ソナタという解釈で徹底している。それに右にピアノ、左にヴァイオリンという定位も聞きづらく感じられたし、オイストラフは普段の三分の一くらいの力で弾いているのではないか?オボーリンのピアノもなめらかで今ひとつアクセントが効かない感じでどうも焦点がぼけていて面白くないのだ。第2楽章のフーガ風の展開など、全く迫力がなく、まるで「美人のピンぼけ写真」である。きれいな方なのだろうが、ピントがぼけていては美しいかどうかわからない。
その点、グリュミオーは冒頭から勢いも力感もある。ハスキルのちょっと硬質な響きもピッタリとマッチしている。どう考えても別の曲だ。第2楽章も決してピンぼけにはならない。これは若いベートーヴェンの音楽なのだ。勢いもなければいけない。それは第2楽章とて同じなのだ。
私はもう一つ気に入っている演奏がパールマンとアシュケナージの録音である。ここに聞くアンサンブルは最上級のものである。この2つの名演で満足してしまい、私は以来この曲のCDを買うのを止めてしまっている。
さて、これを聞こうと思ったのはナクソス・ライブラリーにあった古いフリッツ・クライスラーの録音を聞いたからである。さすが歴史的名盤で、クライスラーはさすがらテクニックの衰えは隠しようもないが、チャーミングな演奏で、それなりに悪くないと思いながら聞いた。とは言え、買ってまで聞こうとは思わないが…。
by Schweizer_Musik | 2007-02-06 07:34 | CD試聴記
いくつかのトッカータとフーガニ短調を聞き比べ…
オルガンが好きで、色々と集めていると、別にこの曲が特に好きっていうわけではないのに、やたらとこのトッカータとフーガが集まってくる。そんなに多くは持っていないつもりでも手元にはオケ版を除いて十種類以上が集まってしまっている。
yurikamomeさんがトッカータ・アダージョとフーガをとりあげておられて、コメントしようと思ったらまたまた長くなりすぎたのでエントリーすることにした。

さて、手元にあるのは
01) ヘルムート・ヴァルヒャ バッハ_オルガン全集_DOCUMENT223489-321B
 1947年ドイツ、リューベック、聖ヤコビ教会録音
02) ヘルムート・ヴァルヒャ ARCHIV/F00A 20019〜30
 1956年9月17日オランダ・アルクマール、聖ローレンスカーク教会大オルガン録音
03) カール・リヒター LONDON/POCL-3920
 1954年11月スイス、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール、クーン・オルガン録音
04) カール・リヒター ERMITAGE/ERC CD 12008-2
 1965年7月6日スイス、ティチーノ州マガディーノ、聖カルロ教会マッシオーニ・オルガン録音
05) カール・リヒター ARCHIV/POCA-2023〜7
 1964年1月コペンハーゲン、イエスボー教会オルガン録音
06) アントン・ハイラー VANGUARD CLASSICS/08 6107 71
 1964年スウェーデン、ヘルシンボリ、聖メアリー教会録音
07) アントン・ハイラー aura/AUR 145-2
 1967年6月21日スイス、マガディーノ、パロッキアーレ教会マッシオーニ・オルガン録音
08) ハンス・オットー DENON/C37-7004
 1979年10月1-5日ドイツ、フライベルク大聖堂、ゴッドフリート・ジルバーマンによる1710-14制作のオルガン録音
09) ルドルフ・シャイデッガー Die Orgel Im Grossmunster/TSO 98206
 1998年2月17,18日チューリッヒ、グロス・ミュンスター、メッツラー・オルガンにて録音
10) ウルリッヒ・ベーメ DS/3 28 069
 1989年ライプツィヒ、聖トーマス教会、シューケ・オルガン(1966-67製造) を使用して録音
11) マリ=クレール・アラン ERATO/WPCC-5864
 1980年10月フランス、オルレアン大聖堂、カヴァイエ=コル・オルガン録音
12) フランツ・ハーゼルベック hanssler/COCO-75169
 1989年4月10,11日オーストリア、ヘルツォーゲンブルク修道院1752年ウィーンのオルガン制作者ヨハン・ヘンケによって建造され、1894年にホッテンスハイムのレオポルド・ブラスバウァーによって修理、1964年グレゴール・ラデツキー商会によって修復されたオルガンを使用して録音
13) ライオネル・ロッグ HM/HMX 290772〜83
 1970年スイス、アーレスハイム1761年ジルバーマン製造(1959-1962にメッツラーによって修復)のオルガンによって録音
14) クリストファー・ヘーリック Meridian/CDE 84148
 1988年リリース ロンドン、ウェストミンスター大聖堂オルガン録音
15) ギー・ボーヴェ GALLO/CD 453
 1986年リリース、スイス、ポラントリュイ、前イエズス教会ユルゲン・アーレント・オルガン使用
16) 木岡英三郎 日本SP名盤復刻選集1
 1930年頃録音東京日本橋、三越本店七階ギャラリー設置のアメリカ、ウーリッツァー社製オルガン使用

一応、手元に在ったものをあげてみた。オルガンについての覚え書きはCDのライナー・ノートを私がその時々にテキトーに訳したものなので、あまり信用しないでほしい。
さて、聞き比べるとわかるのだが、オルガンのピッチ、調律は千差万別。オットーが弾く18世紀初頭のジルバーマン・オルガンなど、ライオネル・ロッグの弾く同じ18世紀中頃のジルバーマン・オルガンとは短三度ほどの違いがある。絶対的な音高の基準が出来たのは20世紀に入ってからの話である。
その話になるとまた興奮してしまうので(笑)このくらいにして、バッハに話を戻そう。
ヴァルヒャ、リヒター、ハイラーの3人は複数の録音があり、オルガンの違いを聞くのにとても都合が良い。中にジュネーヴのヴィクトリア・ホールにかつてあった19世紀末のクーン制作によるオルガンによるモノラル録音もあり、これは貴重である。
メッツラーの名前がいくつかあるが、私の好きなオルガンだからで、エッジの効いた素晴らしい楽器だと思う。
一方、世評の高いアランの録音はカヴァイエ・コルによる大オルガンの機能を精一杯使い切った演奏で聴き応え充分であるが、この曲のロマンチックな面に焦点をあてたものとして評価できる。が、私にはちょっと身振りが大きすぎるように思え、もっとすっきりとした解釈が好みである。しかし、ストコフスキーのオケ版などの華麗な演奏を聞き込んだ人にはこうした録音が良いのではないだろうか?
世評に高いリヒターの録音はコペンハーゲンで録音されたアルヒーフ盤をもって代表させるべきだろうが、火災で永遠にその響きを失ってしまった旧ヴィクトリア・ホールのクーン・オルガンによる録音も捨てがたい。恣意的なテンポの崩しは全くなく、名匠クーンによるまろやかな響きが心を打つ。コペンハーゲン、イエスボー教会オルガンは少し音が硬く、私はあまり好きではない。
その点、ライオネル・ロッグの弾くバーゼル郊外のアーレスハイムの大修道院のジルバーマン・オルガンによる1970年の全集は素晴らしい出来だと思うが、私は名工メッツラーによるリストアが良かったおかげだと思っている。実に反応の良いオルガンで、古いジルバーマンだとは思えないほど良い状態だと思う。
今日のスイスをはじめてとして多くの弟子がいる名教師にして名演奏家であるシャイデッガーがチューリッヒのグロス・ミュンスターのオルガンを弾いたものなどは大変な名演であるが、日本で彼の演奏したCDを手に入れることは至難の技ではないだろうか?
スウェーデンのヘルシンボリ、聖メアリー教会のオルガンを用いた名手アントン・ハイラーによるヴァンガードへの録音は、廉価で出ているので耳にされた方もいるのではないだろうか。これはこの作品の演奏史の中でも最高のものの一つである。ウィーン音楽大学で長く指導されていたこともあり、日本人のお弟子さんも多いようだが、オルガンそのものが日本では人気が今ひとつないので、彼の名前が話題となるようなことはあまりなかったようだ。しかし、このヘルシンボリの教会のオルガンはとても良い状態のオルガンである。エッジの効いた反応の良い音で、アントン・ハイラーの解釈にピッタリだと思う。
メッツラーのオルガンによるバッハ全集がハイペリオンから出ているヘーリックであるが、ここにあげたのはロンドンのウェストミンスター寺院の大オルガンによるもの。マリ=クレール・アランの演奏をもっとスタイリッシュにした感じで好ましい。
by Schweizer_Musik | 2007-02-03 21:15 | CD試聴記
スープ・カレーを作った。
朝からちょっとバタバタしていて、ようやく昼食。今終わって、デザートのリンゴを食べ終わった所。
昼食は特製スープ・カレー!(笑)
さっき帰ってきた時、ついでに八百屋でエリンギと長ネギ、それにタマネギと豚肉の細切れを買ってきた。何でも良かったのだが、これで私のスープ・カレーを作る。
まず鍋に水を入れて火にかけ、沸騰したところにテキトーに裂いたエリンギ、そしてテキトーに切った長ネギとタマネギを入れる。いや、何でも良いのだ。野菜をテキトーに切って入れるだけ。
ここに鶏ガラスープの素と昆布茶の粉を小さじ1ずつ入れ、ミリンを大さじ1(テキトーなの測ったことがない。あくまでテキトーである)、酒を大さじ1入れてしばらくおいて、アクをとる。
ついで醤油を入れて味見。良い感じのスープとなっていたら、ここに細切れの安い肉をいれる。肉はあまり煮込むと固くなってしまう。食べる分だけ入れて最後にカレー粉を入れて味見をして、塩などを足す。もちろん入れなくても良い。
野菜一杯のスープカレーの出来上がり。火にかけてから約10分以内に完成。で、これが美味い!!ミリンなどちょっと和風なのがミソだと思う。豚肉の代わりに鶏肉でも牛肉でもエビや魚などでも全くよろしい。野菜だってなんでも良い。気取らず、結構味が良いし、誰でも簡単にできるということで、お薦め!

ひとつ書き忘れていた。細切りのとろけるチーズを最後に入れるというか載せる。これでトロトロの食感がプラスされ、この超簡単メニューは「止められない、止まらない〜」状態に突入することとなる。私は一度作るとつい四杯ほど食べてしまう。うーん、食べ過ぎ!
by Schweizer_Musik | 2007-02-03 14:36 | 日々の出来事
ウェーベルンの管弦楽のための協奏曲
久しぶりにウェーベルンの管弦楽のための協奏曲Op.30を聞いていた。
面白い。すこぶる面白い曲だ。
弦楽三重奏曲を契機として、ウェーベルンは再び器楽の分野に戻ってきたのだが、極端なミニチュアールに向かっていた彼が、これ以後大形式に向かい、交響曲、四重奏曲、9つの楽器のための協奏曲、ピアノのための変奏曲と完成させた彼が、その締めくくりとなったのがこの管弦楽のための変奏曲である。
変奏曲とは名ばかりで、一種のソナタ形式とも受け取れるもので、彼は音列と音色旋律の技法をここに完成させたと言ってよい。このあとカンタータ第2番を完成させて、アメリカ兵の凶弾に倒れたのだった。
次にこの作品の音列をあげておこう。
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この音列はいかにもウェーベルンらしい幾何学的なまでに純化された美しいものだと思う。前半の6つの音をEsから反逆行で作っているので、この音列は反逆行の音列を作ることができない。幾何学的に美しく作ると逆にそれだけ可能性を減じるのだが、それを補うのが大きくとられたディナーミクの変化と原色の音色を極限まで使いきったことで、豊かな情感が音楽に与えられている。
変奏曲とあるが、通常の前奏、主題、第1変奏〜というものではない。構成は次のような形で出来ている。そしてそれぞれが変奏となっているのである。
1) イントロダクション
2) 主題提示
3) 移行部
4) 副次主題提示
5) 主題の再現
6) 移行部
7) コーダ
こういう形式で出来ている。展開部を欠くソナタ形式と言えなくもない。ただ、こんなことを知らなくても充分にこの音楽は楽しむことができる。それがポイントだと言っても良いだろう。
この作品の特徴は、交響曲に聞かれた点描主義的なカノンなどの発展型ではないことにあるだろう。ウェーベルンにしては珍しくホモフォニックな点である。
また拍子感が極めて曖昧で、音楽の呼吸に合わせて拍子が自然と伸び縮みしている点が面白い。変拍子だと言われなくてはわからないだろうが、私はこういうスタイルにとても共感するところではある。
昨日の現代音楽の授業で、メシアンなどのトータル・セリエルの話をする中で、ウエーベルンの交響曲第1楽章をとりあげて簡単な分析をした。バッハの音楽の捧げ物のアレンジもスコアを提示して音色旋律などというものの説明をしたことで、久しぶりにこの曲を聞きたくなったのである。午後、10回以上、これを聞き返してみた。短いので、そんなに大変なことではない。それよりも毎回集中力を強いられるので、何度も休憩をとりながら聞いた。
スコアを見ながら聞き、分析してみてから聞き返し、ちょっとピアノで音を出してみたりしてから聞き返したりした。
ブーレーズの指揮で聞いていたのだが、この作品の録音をカラヤンが残していたら、どんな演奏だっただろうかと想像をたくましくしても聞いた。
おかげで充実した一日となった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-01 23:21 | 授業のための覚え書き
トミーズの「尻だし」事件に接して…
お笑いコンビのトミーズが中国の仏教の聖地として名高い(そうだ)"南山文化旅遊区"で「尻を出して」問題になっているというニュースが流れていたが、この事とは関係ないのだが、昔、ウィーンの中央墓地でベートーヴェンやシューベルトのお墓で記念撮影をしている若い東洋人のカップルがなんとベートーヴェンの墓石によじ登って写真を撮っていたのを目撃し、とても恥ずかしく感じたことがある。
私はヨーロッパの教会を訪ね歩き、そのオルガンの響きを聞くのが大変好きなのだが、有名な教会などでもこういう傍若無人な観光客を見たことがある。幸い日本人はほとんどいないのだが(よくわからないが中国人がとても多い気がする…と言っても言葉からなんとなくそう感じるだけで、尋ねたわけではない)、そういうのを目撃して、現地の人などは顔をしかめ、あきれたような顔をしているのを見て、またまた恥ずかしくなる。

ベートーヴェンの墓石によじ登っていた若い「元気な」中国人とおぼしき男は、随分お金持ちのようで、ブランド品を身につけていたが、ただの下品な野蛮人にしか見えなかった。(私は中国人が嫌いでもなんでも無い。私の弟子にも中国人や韓国人もいる。彼らはおしなべて知性豊かで、品位の高い者たちだ。中国人みんながそうであるなどと無茶苦茶なことを言っているわけではない!念のため!!)
こんなことを思い出しながら、トミーズの事件の話を聞いていた。お笑いブームで、海外でもそうしたエンターテイメント番組のロケが行われるのだろう。だが…。

ルガーノ郊外のモンタニョーラという村にヘッセが住んだ家がある。それを日本のテレビ局が紹介して、観光客が押し寄せたことがあった。実はその家は代替わりをして別の家族が住んでいるのだが、我が国の観光客はそんなことはおかまいなしで、その家の敷地に入り込み、家の中を見せろとわめきたて、大変な迷惑をかけたことがあったそうだ。博物館と普通の家の区別も付かない愚かな人たちのおかげで、その家に住んでいた人はとんでもない目にあってしまった。
ご先祖様たちが聞いたら、赤面し、子孫の愚かさに嘆くのではないだろうか。節度ある態度と相手を思いやる気持ちはどこへ行ったのだろうと、つまらぬ説教をたれてみたくなった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-01 18:52