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ヒコックスの指揮するアーノルドの交響曲、凄い名演だ!
ハード・ディスクの調子は二台を別々にフォーマットし直して、使い始めているが、今度は異様に調子が良い。変だ…。というわけで少し作業がはかどっているので、前から気になっていたリチャード・ヒコックスが指揮したアーノルドの交響曲を聞いていた。おなじみのナクソス・ミュージック・ライブラリーだ。このおかげで私の音楽生活は一変するほど豊かになったと感じている。所有欲もこの歳になるとあまりなくなってしまい、こうして潤沢に音楽をきけるという環境さえあれば充分だと思うのだ。それもはじめて聞く音楽もたくさんある。今までずいぶん聞いてきたつもりだが、それでも聞いていない音楽はあまりにも多く、音楽を聞く時間はあまりに少ない…。

さて、アーノルドは第1番から聞き始めた。今、ちょうど第3番に入ったところだが、驚きと感動!である。これは買わないといけないなと思う。すごい名演だ。ヒコックスは良い指揮者だと思っていたが、バルビローリやボールトと同じ域に達していると私は思った。彼の指揮の特徴はメリハリの良さだ。サラサラと流すところなど全くない。
第3番はペニーの指揮するナクソス盤が今ひとつで、良い演奏が欲しいなぁと思っていたのだが、ヒコックスは私の長い間の乾きをようやく潤してくれた名演だ。
ヒコックスは先日、ウォルトンの歌劇「熊」を聞いてその圧倒的な手腕に驚き、更にブリテンの「戦争レクイエム」を聞いて、この人は大変な指揮者であると認識を新たにしたのだが、ロンドン交響楽団を振ったこのアーノルドのシリーズを聞いてもう脱帽するしかないと考えるに至った次第である。
第3番の第2楽章をペニーの退屈な演奏で慣れていた私は、手に汗握る凄まじい体験をすることになった。凄い!!終楽章の迫力もまた凄まじいものであった。
今、第4番に入った。この曲にはアーノルド自演の「トンデモ」演奏があるのだが、作者の自演ということで無視するのはいけないとは思うが、あまりに凄まじいテンポ設定で、実は私はついていけない部分もあった。ペニーの演奏をその後聞くと、全く別の曲に聞こえたものだ。というよりやっぱり似たメロディーと似たハーモニーと似たオーケストレーションの別の曲だ…。
で、この第4番を聞き始めてはじめて納得がいった。おそらくはアーノルドはこういう演奏がしたかったのではないだろうかと…。
ヴィラ=ロボスが聞いたら「あれ、儂はこんな曲書いたっけ?」と言うに違いない。まるでラテン・パーカッション協奏曲である。それに明らかにどこかの国の歌謡曲らしいメロディーが絡む。この辺りの面白さは絶妙!それにしてもヒコックスは上手い!私は完全に彼の術中にはまってしまい、心地よいこと!
このまま、第6番まで私は心ゆくまで堪能することにする。実に良い演奏、音楽だ!お薦めですよ!でもどうした第7以降もやってくれなかったのだろう!ガンバの演奏で第7以降はあるし、それは以前から持っているし良い演奏なのは認めるが、ヒコックスは格が違う!
by Schweizer_Musik | 2007-03-27 08:55
ちょっと多忙…ああハード・ディスク
しばらく、ハード・ディスクの整理(色々とため込んでしまっているので、面倒なこととなっている)をしていたのだが、新しく買ったコンパイン・モードでの600GBのハード・ディスクが二度にわたってエラーで読み込めなくなるという状態に至ってしまい、実は困り果てていた。で、300GB×2のHDとして使うことに決心し(こんなことなら買わなきゃよかった…)今日から再び整理をはじめた。
一番大変なのはiTuneのデータである。膨大になってきて、普通に使うことが出来なくなってしまっているのだ。全部で500GBほどのデータがあるのだが、実際に使うのはその内の100GB程度。でもそれをちゃんと整理しておかないとわけがわからないことになるので困るのだ。
新たにCDを買って入れておくというのはもうなるべく控えなくては…。
と言いながら、大好きなマルティノンのドビュッシーとラヴェルの管弦楽全集をEMIのBOXシリーズ?で購入。これで4000円しないのだから「どうしたことでしょう」状態である。
私のように貧乏人には助かる話ではあるが…。
ドビュッシーもラヴェルも大学の3年生の時に借金をして買ったものである。あの時に無理して借金をし、スコアとLPをまとめて買ってフランス近代に本格的に目覚めたのだった。とりわけこの2つの全集は私にとって聖書のような存在だった。あの時無理して買って、勉強できたのは本当に良かった。
で、ドビュッシーはCDになった時にすぐに買ったのだったが、ラヴェルはCD化されたことを知らず、今日まで再会を果たしていなかった。(もちろんLPはあまりに思い出がいっぱい詰まっているので、大阪の実家においてある…)
この8枚のセットを聞きながら、あの頃を思い出していた。LPの音よりもずっと解像度の高い状態となっているのだが、演奏は細部に至るまで記憶にある通りだった。スコアを分析し、LPを聞きということをどれだけ繰り返したことだろう。あの頃はよく勉強したなぁと(笑…嘘です)。
ミュンシュとこのマルティノンの録音は私のフランス近代音楽の原点となったものだ。
ラヴェルのスペイン狂詩曲を聞いて、涙が出そうになった。この音なのだと納得した。と同時に当時は聞こえなかった演奏ノイズが意外なほど大きく入っていたことに驚いた。
色々聞いてその演奏に感心し、共感もするが、このマルティノンとミュンシュによってすり込まれたものは計り知れないものであることを痛感した次第である。
ドビュッシーの牧神…の冒頭でのマリオンの美しいソロにも心奪われた。パリ管弦楽団でのデボストも良かったけれど…。
というわけで、このHDの整理が終わらないと来期の授業の準備が出来ないので、ちょっと焦っている次第…。
ナクソス・ミュージック・ライブラリーは色々とかけては楽しんでいるが、最近ではデュティユーの管弦楽全集で大いに感銘を受けた。
また、SAPHIRという魅力的なレーベルのラヴェルやドビュッシーの室内楽は感銘深いものがあった。
全く特色の無くなってしまったエラート・レーベルが復活したみたいで、これは楽しめる。もう晩年になっていたはずのジャン=ピエール・ランパルの矍鑠たる演奏も素晴らしいものだ。これぞドビュッシー!、これぞラヴェル!である。
時代が変わり、エラートは個性を失ってしまったけれど、マイナー・レーベルはこの個性で勝負しているだけあって面白いし、ナクソスのおかげでこうしたレーベルの面白い録音に気軽にチャレンジできるというのはありがたいばかりである。
by Schweizer_Musik | 2007-03-26 10:39 | 日々の出来事
神奈川フィルの音楽堂シリーズに行ってきた
昨日の神奈川フィルの演奏会に出かけ、今日は朝から色々なことに忙殺されてしまい、午後からはいつものように一杯やってしまって、結果的に報告と御礼が遅れてしまったことをまずお詫びしなくては…。どうも申し訳ありませんでした。
とにもかくにも昨日の神奈川フィルのベートーヴェンは良かった。テンポが遅いと言われていたのだが、私にはちょうど良いテンポだった。第1楽章の序奏は若干アンサンブルに乱れというか、合っていないところがあったのが惜しかったけれど、次第に修正されていったというか、皆が乗っていったというか…それにつられて私ものっていけたので、とても印象深い午後となった。
マチネだったこともあり、暖かい陽光に包まれた音楽堂でのコンサートは一際愉しい時間であった。
前半のレスピーギのゆったりとした、深いタメをともなった歌い回しはユニークだった。一曲目からその重心の低い音楽作りは印象的であった。yurikamomeさんはレスピーギだけでお腹いっぱいになったとおっしゃっていたが、「深く」同意!である。
あのテンポ設定は、晩年のチェリビダッケに通じるものがあるが、神奈川フィルの見事な弦の響き(多分にコンマスの素晴らしい仕事のおかげであるが)に誰もが魅了されるに違いない。
2曲目の「クープランの墓」は言うなればオーボエ協奏曲のような大変な作品。神奈川フィルのオーボエがどれだけの演奏をするかにかかっているのだが、残念ながらあまり芳しくなかった。危ないと思っていたところの多くで引っかかってしまい、昨日はイヤーな一日だっただろう。「プロなのだから」という言葉と「演奏家も生身の人間なのだから」という言葉は後に続く言葉は正反対でも実際には表裏一体の言葉だと思う。一つの教訓としてもらいたいものだ。
しかし、私にはラヴェルのオーケストレーションが透けて見えてくるほどで(もう何度この曲のスコアを読んで勉強したことだろう。昨日も飲んでいなければ帰ってもう一度スコアをとりだしていたところだった。(飲んだくれてしまった後だったので当然パスしたが)
休憩後のベートーヴェンは今まで聞いたベートーヴェンの中でベスト3に入る感動を得た。遅めのテンポで重心の低いサウンド(プルトも5-4-3-2-2で自然と低音重視のサウンドとなっていた)は、ドイツの古いワルターやワインガルトナー、フルトヴェングラーなどの伝統につながるもののように感じられた。
第2楽章はどこも無理していない、とても美しいテンポ設定だったし、伸びやかな歌がとてもさわやかだった。3楽章は途中でテンポがぐんと上がったのは遅すぎた出だしを取り戻そうとでもしたのだろうか?あのままでもよかったのにと思ったが、終楽章の活気ある演奏は素晴らしいものであった。コンマスがアンサンブルをとてもよく引き締めていたし、気持ちの良い演奏だった。こんなベートーヴェン、今の日本でどれだけやっているのだろう。水準の高さに驚かされる。
by Schweizer_Musik | 2007-03-22 21:18 | 日々の出来事
デプリーストの指揮するサン=サーンス
ようやく復活…というにはほど遠いが、いつもの生活をはじめた。とは言え、仕事は今少しお休みにして、起きて色々やることにしたが、まだ本調子とは言えぬ。
色々聞いてみている。全くCDは聞かなくなった。買ったものを聞かなくてはと思うのだが、次から次へとナクソスに面白そうなものを発見するものだからそちらに気をとられて…。困ったことになった。これでは私はCDを買うことは無くなりそうだ。まぁCDショップには年に一〜二度しか行かなくなった私だからどうでも良いのだが…。
今日聞いた中ではデプリーストの指揮したサン=サーンスの交響曲第3番がとてもつなく良かった。これ見よがしに感動を迫られている感じであまり好きな曲ではなかったのだが、デプリーストの歯切れの良いテンポと名匠ファジーウスのオルガンの響きによって心まで酔いしれたというか、本当に感動してしまった。
オルガンの入った管弦楽曲は意外と多いのだが、日本で親しまれている作品はこれぐらいだろう。第2部の半ばでフォルテシモで入ってくるオルガンがあざとく感じるか、クライマックスとして素直に感動できるかは紙一重で、下手にタメをここに挟まれるともううんざりしてしまう。
しかし、ピアノも上手いし(クレジットはなかったけれど)この演奏は素晴らしい。ついでに「死と舞踏」を何年ぶりかで聞いたけれど、これも良かった。あまりに良かったので更に「サムソンとデリラ」のバッカナールを聞いて感動!!。こんな良い曲だったんだ…。この曲を聞いてこんなに興奮したのは初めてだった。ついでにサン=サーンスのオルガン作品も入っているが、これまたファゾーリスの名演だと思う。オルガンの音もとてもよく、残響をとりすぎて何がなんだかわからない録音もあったりするが、さすがBISはそんな愚をおかすようなことはない。
素晴らしい。ナクソスのアカウントをお持ちの方はぜひお聞きになることをお薦めします。
by Schweizer_Musik | 2007-03-18 20:18 | ナクソスのHPで聞いた録音
色々考えたこと…混乱…
風邪で伏せっております。こんな時によく考える時間や次にやるべきアイデアなどが出てくるので、病気も私には大事な小休止となっています。
ずっとナクソス・ミュージック・ライブラリーをあれこれとかけていたのですが、昨日は一日ウォルトンと過ごし、今日はマリピエロに付き合ってもらっています。演奏もブライデン・トムソンは今ひとつでしたが、他はどれも私のを満足させてくれました。
で、思ったのですが、名演奏などというのは一体どういう概念であるのかということでした。ご存知のとおり、モーツァルトの時代までは一人前の音楽家として認められた者が他人の作品を演奏するなどということはありませんでした。それは王侯貴族という贅沢を主食とする文化のゆりかごか、あるいは教会という信仰によって育てられていたのが音楽であったからです。教会では古くからの聖歌が歌われていましたが、大きな司教座のある聖堂では教会つきの作曲家がオルガンを弾き、日々のミサに作品を供給していたのでした。それらのほとんどは当時の消費文化の一つだったと考えても良いと思います。
しかし、政治や経済、人々の暮らしが大きな変革を遂げる十九世紀に、音楽でも大きな変革が起こります。演奏を主とする音楽家が一人前の音楽家としてもてはやされるようになったのです。作曲家は表舞台から去り、演奏家の時代となります。リストやパガニーニといった演奏家が時代の寵児となっていきました。彼らは作曲もしていますが、パガニーニは作曲家としては明らかに二流以下であり(あの魅力に富むメロディーは天性の美質なのでしょう…所謂天才なのです!)リストは実際に作曲したのはピアノ曲ばかりで、オーケストレーションは弟子たちにやらせていました。もちろん全てではありませんが。
まだモーツァルト以前を引きずっていたのでしょうか。作曲家たちはワーグナーのような例外を除いて皆、演奏家としても立派な能力を示していました。例えばブラームスなどがその筆頭にあげられるでしょう。
しかし、そのレパートリーの中心は自分の作品(という人もいたでしょうが)他人であるベートーヴェンやモーツァルトでありました。バッハの再発見もこうした中に位置づけられるべきでしょう。過去の偉大な音楽家を発掘するということが19世紀のドイツ語圏での流行だったような気さえしてきます。
そして、こうした音楽を立派に再現できることが、音楽家として一人前であるための第1条件となったのでした。18世紀には優れた作品を作曲し、提供することが音楽家として一人前であることの条件だったことから大きな変化でした。そしてこれが今に続いているように思います。
古い、忘れられた作曲家の作品を復活させることも、聞き慣れた(聞き厭きた)名曲をまたぞろ演奏して聞かせることも、同じ19世紀以降の倣いではないかと考えるようになって迷路へとはまっていったのでした。新しい作品を書くことにどれだけの意義があるのだろうかと。
相も変わらず、ベートーヴェンの第九や五番といった作品が録音されている大手レーベルには、はっきり言って見切りをつけてしまった私ですが(こうした名作を聴かないとかいうのではありません。が、もう良い演奏を充分に持っていますし、楽しんでいるので、実演でない限りわざわざお金を払う気がないだけです)知らない作品をわずかなお金で散策して回れる楽しさは、大変ありがたいことだと思っています。
しかし、もっと新しい作品を聞きたいし、新しい可能性にチャレンジしていきたいし、それを応援もしていきたいと思うのです。
ああ、やっぱりおとなしく寝ていた方が良いみたいです。考え事といってもただ混乱しているだけですね。失礼しました。
by Schweizer_Musik | 2007-03-17 11:00 | 日々の出来事
ユリアン・シトコヴェツキーの芸術1
ユリアン・シトコヴェツキー(1925〜1958)というヴァイオリニストをご存知だろうか。ピアニスト、ベラ・ダヴィドヴィッチの夫で、その息子もまたヴァイオリニストで有名だ。このユリアンしただ者ではない。1945年全ソ連青少年コンクール・ヴァイオリン部門で優勝した逸材であったのだ。この年のソ連青少年コンクールのピアノ部門の優勝者がリヒテルで、チェロ部門の優勝者がロストロポーヴィッチであったということだけでも、ユリアン・シトコヴェツキーがどういうヴァイオリニストであったかがわかるのではないだろうか。
彼がわずか33才という若さで夭逝しなければ、そしてその国がソ連でなければ、もっと知られた存在であったことは間違いない。
1952年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで二位(一位はダヴィド・オイストラフ)、1955年のエリザベト王妃コンクールでも二位に入賞している。
まっ、コンクール受賞歴なんてどうでも良い。この演奏の素晴らしさである。最初にハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲を聞いたのだが(作曲者自身が指揮をしている!)これがあまりに良かったので、改めて第一巻のバッハの無伴奏パルティータ第2番ニ短調から聞き始めた次第である。
テクニックが優れているなんて当たり前のことを書いても仕方がないのだが、敢えて書きたくなるほど見事なテクニックである。そして表現の図太さというか、真っ正面から攻め込んでグイグイ引っ張っていく強さが備わっている。そして全体に少しだけ遅めのテンポをとって余裕のある表現がとてつもないスケールを感じさせる。いや、こんなヴァイオリンを聞いたのは久しぶりだ。シャコンヌの途中で鳥肌がたってきてしまった。
この一曲でお腹が一杯にってしまい、続きは明日の予定。オルフの「カルミナ・ブラーナ」も明日には続きをエントリーする予定です。
by Schweizer_Musik | 2007-03-14 21:14 | ナクソスのHPで聞いた録音
田部京子のドビュッシー作品集、良い!!
昨日は、一年に一度の税務署へのお勤め…というか確定申告に行く。貧乏人故に大分還ってくるのだから、面倒がっていてはいけないとは思うが、やはり面倒だ。来年はインターネットでやることにしたいなぁと思った。
それでも昨日は天気も良かったのでブラブラ鎌倉をして帰った。カップルが多いのは最近の傾向。五月や十月頃になると修学旅行の学生たちで小町通りなんて歩くこともできなくなる…。今日も天気がよく、気持ちの良い一日だった。
鎌倉に住んでもう十年であるが、この生活にも大分慣れて来た。サラリーマンを止める決心をしたのもこの時期だった…。つくづく辞めて良かったと思う今日この頃である。

ところで、今日も朝から酒を飲んで昼寝をし、音楽書を読み(ちなみに現在読んでいるのは沼野勇司氏著「リゲティ、ベリオ、ブーレーズ」という本)、スコアを開いてみたりして、曲をちょっと書いて、音楽を聞いて、テレビを見て(今日はフルトヴェングラーの番組を興味深く見た)過ごした。飲んだくれの割りにはやることが多く、どれもがちょっとずつなので、大した成果は出ていない。
今日聞いたのもナクソスである。田部京子が弾いたドビュッシーのアルバムがあったので聞き始めたらまたしても止められなくなって全部聞いてしまった。上手い!!いつ頃の録音なのだろう。こんな録音が出ていたことも知らなかったが、とてもきれいなタッチで響きが豊かで、素晴らしい演奏だ。節回しに変な癖がなくて、素直にドビュッシーの音楽に入っていける演奏。これが意外と少ないから貴重だと思った。
「喜びの島」以外は2つのアラベスクや「夢」などのサロン風の性格小品が中心で、このあたりの選曲は、「金色の魚」などのテクニカルな曲も聞いてみたかったと思う。
また、「子供の領分」にはミケランジェリの奇跡のような名演があり、あの牙城を突き崩すほどの出来とは言いかねる。
例えば「雪が踊っている」でミケランジェリが示した光と影の絶妙なタッチの変化による描き分けは、田部のピアニズムにはない。だが、無い物ねだりをしても仕方がない。田部さんはミケランジェリではないのだ。彼女のピアノの特徴は響きの柔らかさ、フレージングの自然な呼吸にあると思う。「小さな羊飼い」の歌い回しの優しさは絶妙だ。響きを徹底して磨き上げたというミケランジェリとは全く違う。けれどこれはこれで大変美しいと思った。
彼女のシューベルトやモーツァルトはインスピレーションにあふれた素晴らしいものだったが、その田部京子のドビュッシーがこれほどとは…。噂には「良い」ということを聞いてはいたのだが、この度、ナクソス・ミュージック・ライブラリーではじめて聞いてその噂の正しさを痛感した次第である。
by Schweizer_Musik | 2007-03-13 21:30 | ナクソスのHPで聞いた録音
ヴォルフ=フェラーリの室内交響曲とシェーンベルク編曲の皇帝円舞曲
出かける前に一枚聞いていて、書きたくなった…。
ヴォルフ=フェラーリの室内交響曲とシェーンベルクが編曲したシュトラウスの皇帝円舞曲、そしてブロッホの4つのエピソードなどを収録したマルコポーロ・レーベルの一枚である。
中でも最も興味をひいたのは皇帝円舞曲だった。何度か聞いた作品で、シェーンベルクはこの曲をどう考えていたのかは知らないが、原曲にない装飾をかなり加えていて、それがとても面白いのだ。今まで何を聞いていたのだろう?こうしたアンソロジーは何枚か持っていたはずなのだが、どうしても見あたらない。まぁ、何かをしている時にBGM的に聞いただけであったことだけは確かだ。(私は自慢ではないが、音楽だけは結構記憶力がいいのだ)
木管楽器の扱いは興味深い。私はこうした室内オケというか10人から15人くらいの人数のアンサンブルが最も好きなのだ。無駄な音が書けないだけでなく、量感で説得力を持たせることができない編成で、個々の楽器について精通していなくてはならないから、自分のオーケストレーションの能力を磨く上でもこの編成はとても勉強になる。

ヴォルフ=フェラーリの室内交響曲は、fl/ob/cl/fg/hr/pf/vn2/va/vc/cbという編成のようだが、これは洒落ていてとても魅力的だ。ちょっとしたサロン音楽だが、それではもったいないほどの機知に富んでいて、私には色々と勉強になった。この編成で私も書いてみようかと思い出したが、ちょっと別の曲に今はかかっているので、それが終わってからということになりそうだ。
ブロッホは帰ってから聞くことにしようと思うが、演奏しているMiNensembletというアンサンブルには若干の不満(特に弦の音程など)はあるものの、大体は合格点をあげられそうだ。そうしたことよりも曲の魅力!!
ナクソス・ミュージック・ライブラリーのアカウントを持っている方は必聴ですよ!
by Schweizer_Musik | 2007-03-12 10:49 | ナクソスのHPで聞いた録音
良い季節になった…
暇なわけではないのだが、昨日は一日音楽を聞いて過ごした。バルトーク大全集がナクソス・ミュージック・ライブラリーにあり、とても全部を聞くことは出来なかったが、初期の珍しい作品などを中心に聞いていた。
交響詩「コシュート」や失われた交響曲のスケルツォ楽章やピアノ五重奏など、この作曲家がドビュッシーなどの影響から出発したことを再確認できたことは良かった。民族的な素材であってもハーモニーの配置などに明らかなドビュッシー風の響きを聞いたりしながら、とても親近感をおぼえた。
こうした全集を個人で買ってもなかなか全部を楽しむというわけにもいかず、高額なわりには聞かないままになっていることがある。私もそうした全集をたくさん持っているので、反省の弁として受け取って頂いて結構である。
そうした点でこのナクソスの制度はとてもうれしい話だ。聞きたいものを聞いて勉強できるのだから…。
私も学生たちによく薦めるのだが、学校でも学生たちが自由に使えるパソコンなどでこれが試聴可能となっている。良いことだ。あれを聞いてみなさいと言うと、昔なら買わせることになっていたし、それが廃盤だったらもうどうしようもなかったのだから、教育現場では大変に助かっている。
音楽事典も付いているというのは、まぁ私などには別にどうでも良いことなのだが、学生たちには意外に評判が良い。というのはあいつら辞典も持っていないのかと疑ってしまいそうになるが…(笑)。
ラターのレクイエムの自演盤も入っていて、これが手に入りにくくなっていただけに嬉しい話だし、マルコ・ポーロなど廃盤が目立っていたものも、ここに復活していてありがたいことである。先日キュイを聞きたがっていた学生にも紹介したが、キュイなんて今からそのオーケストラ作品をまとめて出してくれるところなんてあまりなさそうだからありがたい。
昨日しそうしたことで一日過ごした。今日は仕事でちょいと今からでかける。少し寒いが天気が良いので、その辺を歩いてみよう!良い季節になった…。
by Schweizer_Musik | 2007-03-12 10:18 | 日々の出来事
カルミナ・ブラーナ考察 (3)
第1曲について、もう少しだけ書いておきたい。それはテンポについてである。実はこの短い楽章は細かくテンポ設定が成されていることはあまり語られることがないのは不思議なことだ。
最初は二分音符=60で"O Fortuna"と歌うのだが、フェルマータの後ピアニシモに変わって "Semper creacis…"というところから二分音符=120-132という多少アバウトではあるがやく二倍のテンポに変わる。そして56小節のピアニシモの部分が続いた後、いきなりフォルテで "Sors salutis…"と歌い始めるところで二分音符=144となる。32小節これが続き、エンディングで同主長調に変わったところで二分音符=160となり、合唱は延々と最後の音を高音でのばして終わるのだ。
ミニマルのように同じことを散々繰り返し、興奮を誘っているのだが、この背景にはこのテンポの細かな設定があることを指摘しないでおくのは間違いであろう。
これで第1曲については終わり。

続いて第2曲について。
この作品は、ポピュラー音楽におけるヴァースにあたる部分とリフレインにあたる部分がある。ヴァースは"Fortune plango vulnera"と歌う次の部分が男声合唱によって歌われる。
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このメロディーは正確に第1曲の音域だけで出来ていることに留意すべきだ。そして続くリフレインにあたる部分は次のようなメロディーである。
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これは第1曲で散々繰り返したメロディーそのものだということに気が付く。で、この曲が第1曲の変奏であることに思い至るのである。
そう考えると、この第1曲と第2曲がセットで全曲の前奏となっていることがとてもうまくはまっていることが納得できる。
全曲が繰り返される第2曲は、なんともポピュラー音楽に近いものを感じさせるのだが、いかが?
まだまだ続くぞ!!
by Schweizer_Musik | 2007-03-09 06:54 | 日々の出来事