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ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第1番を聞く!良いぞ!
ドヴォルザークのスターバト・マーテルでは若干私の気に入らなかったものだから、どうしようかと思い、ピアノ・トリオにボロディン・トリオの録音があることに気付いたので、これを聞いてみることにした。とりあえず第1番から。何故かと言われれば、これが私はドヴォルザークの作品の中でも特に好きだからだ。これと共に好きなのは交響曲第8番とピアノ五重奏曲(2つ目の方)なのだ。(これはこの曲が優れているからではない。私の好みということでお許しを…)
このトリオの音楽的で丁寧な演奏は、私の気に入った。第1番(これがどうして有名でないのか全く理解に苦しむ!ドヴォルザーク初期の傑作だと私は確信している)はこうしたしみじみと歌い上げる演奏で聞きたいものだ。リズムの歯切れが若干悪いのは、このトリオの癖のようなものだ。そのかわりロマンチックな表現には長けている。
昔からずいぶん色々とこのトリオで聞いてきたが、このドヴォルザークはついつい聞きそびれていたので、ナクソス・ミュージック・ライブラリーはとても良い機会となった。
飲んだくれて良い気分でこれを聞いているのだが、なんて気持ちが良いのだろう。ドヴォルザークはホントに良いメロディー・メーカーだった。嘘だと思うなら、この第1番のトリオの第3楽章のスケルツォの冒頭を聞いてみると良い!出来れば民族主義とか国民楽派なんていう枠組みというか先入観で聞かないで、虚心坦懐に聞いて欲しい。すると人なつっこい(大阪弁のようです…うまく変換してくれません)性格が、人見知りする純朴な青年のまじめくさった顔の向こうから見えてくる…。
そうすれば、終楽章の歌い回しがとてもやさしく聞こえてくるから不思議だ。ボロディン・トリオは言い過ぎず、かといって控えめすぎず、ほどよいカンタービレと性格づけをより印象的にする細やかなテンポ設定で見事なほどこの曲に合った演奏で聞かせてくれる。
ああ気持ちが良い!!ドヴォルザークと言えば交響曲だけではないのだ。時には「ルサルカ」なんてのも聞いてみようかなぁ。
by Schweizer_Musik | 2007-04-30 22:17 | ナクソスのHPで聞いた録音
ドヴォルザークのスターバト・マーテルを聞く
初めて聞く曲や、聞き馴染んだ曲でないものを、延々と聞くのはやはり疲れる。というか、初めての出会いをあまり続けると集中力がどうしても途切れてしまい、うまくいかないようなので、ちょっと聞き馴染んだ音楽をと思い、ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」を聞いてみた。
演奏はビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団他で、手堅い演奏だと思った。何よりも私がよく知っている曲というだけで、次々出てくるメロディーを全部ではないにしても一緒に歌えるようなところが、この所聞いていた音楽と違う点だ。
しかし、オケは悪くないのだが、肝心のソリストが魅力に欠けるのはいただけないものだった。
「御身とともに熱き涙を流し」でのテノール・ソロは音程が決まらず、更にコーラスも若干音程が甘いのは、残念だった。私はこの部分が結構好きなのだ。他はそれほどでもないが、テノールは足を引っ張っている。あとソプラノの縮緬ヴィブラートも好きではないが…。
この他は大体においてよく出来ていると思うが、終曲のクライマックスで合唱が大甘の音程で、雑な歌い回しをしているところなど、もっと精緻な仕上がりを望みたいところだ。最後の最も感動的な部分でちょっとムカッと来てしまった。おいいい加減に歌うなよ!と…ドヴォルザークが墓の中から出てきそうだ。
ソリストが出てくると時折耳障りな音程やヴィブラートに苦しめられるものの、悲しみの聖母の祈りがかくも苦しかったのだと思うことにして鑑賞を終えた。
たしか、この録音の前にもビエロフラーヴェクはこの曲を録音していたような記憶があり、そちらはもっと良かったような記憶があるような…。詩篇149番は聞かなかった。
by Schweizer_Musik | 2007-04-30 21:14 | ナクソスのHPで聞いた録音
クーラのピアノ・トリオを聞く
クーラのピアノトリオを聞く。
どうも北欧づいていて、ちょっとこの辺りで違った国、異なる時代の作品をと思うのだが、ある作品を聞いてそこから連想してこれという感じで流離っているので、なかなかフィンランド、ノルウェーあたりから出られないでいる(笑)。
さて、クーラという作曲家をどれだけの方がご存知だろう。病気で倒れる前の舘野泉氏がよく取り上げられていたこともあって、氏のファンなら可愛い小品を知っておられるだろうが、彼には本格的な管弦楽作品はなく、若くして不幸な出来事で亡くなっているために、本格的に世に問うべき作品が少ないことも、彼がローカルな作曲家でありつづける原因である。
不幸な出来事とは、フィンランド内戦の頃の1918年、酔った白軍の狙撃兵に口論を仕掛けられて、頭を撃たれたことである。悲しい出来事であるが、ロシアと国境を接し、常にこの大国に利用され続けてきたフィンランドの歴史と、ロシア革命という政治的動乱がこうした不幸を引き起こしたとも言えるが、人類にとってかけがえのない才能が花開く直前に手折られた無念さを禁じ得ない。
最近、銃による事件がニュースを騒がしているが、こうした愚かな出来事を見るにつけ、多くの宝を光り輝く前に失った、あるいはもっと光り輝くはずだったものを無くしてしまった悲しさを感じる。人殺しの道具がこの世から無くなれば…それは無理な話なのだろうか?

この音楽を聞いていると、モードなどを使ってはおらず、まだ後期ロマン派の範疇にあるのだが、半音階への傾斜は聞かれず、ヘキサトニックなどへの親近感をクーラが抱いていたことは明らかである。
ストラヴィンスキーのポリコードやラヴェルなどのモードへの傾斜をフランスに留学したクーラはどう聞いたのだろう。そしてそれを自らの語法へ、どう方法論を形成していったのだろう。
若書きの、まだ確立されていない彼のやや舌足らずとも思われる音楽ではあるものの、伸びやかなメロディーとデリケートな楽器の扱いとサウンドに私は彼の才能の大きさを強く感じる。
この作品はまだ形式と音楽のバランス未熟だと思う。こんなに長くなくても良いだろう。(50分もかかる三重奏曲である!)もっと簡潔に、そして効果的に語ることができた筈だ。1907年にヘルシンキ音楽院に在学していた頃の作品なのだそうだ。だが、習作の域をはるかに脱しているこの作品は前途洋々たる才能の輝きに満ちている。伸びやかなメロディー(第3楽章を聞き給え!)、明らかに新しい響きを聞いていたその耳(終楽章の冒頭のユニークな出だしを聞き給え!)はそのきらめきである。

演奏しているのはトリオ・ポヒョラ。ポヒョラ一家というか兄弟姉妹によるもの。フレージングが硬く、やや興ざめな部分もあり、もっと良い演奏で聞けたならと思わないでもないが、この古い録音しか私は知らないので、とりあえず満足しておこう。
by Schweizer_Musik | 2007-04-30 10:45 | ナクソスのHPで聞いた録音
クラミのヴァイオリン協奏曲他を聞いた。
ウーノ・クラミはロシアに近いヴィロラハティという寒村で生まれ、音楽的な環境で育ったとは到底言えないものであったにも関わらず、15才にして現在のシベリウス・アカデミー(当時はヘルシンキ音楽院と言ったそうだ)に入学してメラルティンに師事し、その後フランスに留学し、ラヴェルなどに師事している。従って、彼はシベリウスの様式を受け継ぐというより、ストラヴィンスキーやラヴェルなどの影響下にあると言ってよい。
彼のヴァイオリン協奏曲は、ストラヴィンスキーの初期のスタイルに近いものを感じさせる。多調性、ポリ・コードなどにリズムの処理も面白いものを感じさせる上、オーケストレーションは大変効果的でよく響く。
また独奏ヴァイオリンがとても技巧的で、この時代、オケの1パートのような地味なヴァイオリン協奏曲が多い中で、際だったものがあることも特筆されよう。

更にヴァンスカの指揮するラハティ交響楽団とジェニファー・コーのソロは大変精緻な演奏で聞かせてくれるので、この音楽を初めて聞くという人には安心してお薦めできる。
このCDには、バレエ音楽「渦巻」(あるいは「回転」と訳すべきか?)の第1幕をカレヴィ・アホが編曲?したものも収められている。ヴァンスカはバレエ組曲の方も録音しているが、こちらがどうも第2幕らしい…。
それにしても、この「渦巻」もなかなかに面白い作品で、クラミ最後の大作であるが、ストラヴィンスキーやラヴェルへのオマージュとも受け取れるところがあって興味をそそられる。所々に「春の祭典」に似たフレーズ、オーケストレーションがあったりして「にやっ」としたりしながら聞いていると、第1幕30分ほどがあっという間に経ってしまった。
アホがどの程度手を入れたのかは不明であるが、これはひれで面白い作品だと思うし、ヴァンスカの指揮するラハティ交響楽団は大変良いアンサンブルで、この作品に当たっている。

あと一曲、スオメンリンナ序曲が入っているが、私はこれは気に入らなかったので、コメントはしないでおきたい。演奏は良いのだが、曲が私好みではないということでご理解を!パヌラの指揮するCDを所持しているが、それでも私は気に入らなかったことを今思い出した…。

しかし、クラミは近代的なサウンドを書くかと思えば、もの凄く平凡な調性で、普通の3和音でベタッと塗りつぶしてしまったりと、とらえどころのないところがあり、その落差が逆に彼の作品の特徴となっているのかも知れない。
by Schweizer_Musik | 2007-04-29 14:50 | ナクソスのHPで聞いた録音
シベリウスの「大洋の女神」を聞く
シベリウスの「大洋の女神」という曲は、昔から好きな曲の一つで、色々と聞いてきたものの、これと言った録音はベルグルンドの古い録音ぐらいで(ユージン・オーマンディの録音は聞きそびれたままになっているため)、それもレコードで持っていたものなので、今は手放してしまったため聞くことが出来ず、ヤルヴィの録音くらいしか手元にないという状態だった。(なんと情けない状態だったのだろう!それでも時々ヤルヴィの録音を取りだしては聞いていた…これしかないのだから仕方がない!)
ナクソスで、ヴァンスカの録音を発見し、今朝、それを聞いた。この曲にいくつかの版があることをそれで知ったのだが、聞き始めてこの曲を書いた頃、シベリウスは創作力がとてつもない充実を見せていたことを知った。
詳しくはRakastavaさんの記述をお読み下さい。勉強になりました。深く感謝!!
しかし、ヴァンスカとラハティ交響楽団の充実ぶりはどうだろう!カレヴィ・アホのCDでもその素晴らしさに心奪われたのだが、シベリウスでも見事だ。実は昨日から彼らのシベリウスの交響曲全集から第5番の初版と決定稿の録音を聞いていたのだが、いずれもあまりに見事な演奏に、心から脱帽した次第である。ついでに第3番も聞いたが、これもかつての多くの名演に比する素晴らしい演奏であった。これならと思い、色々とシベリウスの録音を彷徨い、この「大洋の女神」に行き着いたという次第である。
実は、交響詩集というBIS-CD-1225で完成版を聞き、聞き馴染んだヤルヴィの録音とは比べものにならない次元の演奏に驚き、この曲が私の大好きな第5番と同じ頃の傑作であることを再確認するに至った。

しかし、そうしたことはともかく、この作品での最初の完成版であるイェール版と、改訂され、決定稿となった版が比べられることは嬉しい。シベリウスはイェール版を破棄したのかどうかはわからないが、結果としてベートーヴェンのレオノーレ序曲のようなこととなった。事情についてはRakastavaさんの記述を参照されたし。
イェール版を聞いて最初、私はもの凄く驚いた。響きが全く違うのだ。オーケストレーションも違う。更に出てくるメロディーも異なるものが多く、親しんできたこの音楽が全く別の世界から改訂され生み出されたことに驚いたのだ。
これは彼の第5番の交響曲でもそうだった。最初の版は4楽章制であったのを、最終的に3楽章制にしているだけでなく、もう全く別の作品となっている点に驚かされた。シベリウスは改訂に際して、新たに作曲し直しているのだ。楽想もどんどん入れ替えるし…。何という創造力なのだ!信じられない!
の冒頭の何とも言えない響きは弦とハープによって作られているのだが、この詩的で極めて美しい部分を、シベリウスは思いきって書き直しているのも凄いなぁと思う。私なら残すだろう。でもシベリウスは曲のスムーズな展開の方に関心があったのだと思う。
更に大きなことがある。このイェール版は変ニ長調で書かれているのだ。幻想的な響きはこの調性の選択にあった。しかし、決定稿はニ長調である。たった半音であるが、この差はもの凄いもので、オーケストラの響きそのものが全く異なる次元のものになってしまうものだ。
シベリウスは、変ニ長調からニ長調にすることで、オケの鳴りを良くしたかったのではないだろうか。一抹の幻想性を犠牲にしてもそこから得られる演奏の勢いのようなものを期待したのではないかと思われる。
また、主題展開を更に入念に行うことで、作品は長くなっているが、そのことに気付かないほどの充実ぶりである。
シベリウスがこのイェール版を破棄せず残してくれたのはどういう理由だったのかわからない。但し、イェール版が演奏されることはシベリウス生前はなく、2002年になってヴァンスカとラハティ交響楽団が初演したのだった。
シベリウスが好きな方はぜひ両方聞いてみてほしいものだ。シベリウスという作曲家がただ者でなかったことがよくわかる。
by Schweizer_Musik | 2007-04-29 12:14 | ナクソスのHPで聞いた録音
福島和夫の「冥」について (1)
1961年頃、福島和夫はドイツで国際音楽祭の講師を務めていたのだが、その音楽祭の中心で活躍していたウォルフガング・シュタイネッケ博士の突然の交通事故によるという訃報に接した福島和夫が、シュタイネッケに捧げるこの作品を書き上げたのだった。
作品についての作曲者の言葉は次のようなものである。
弔笛(しのびぶえ)。笛の音は比世と彼世
         ふたつ世ながらに響くという。
「冥」   くらい。ふかい。遠い。
      とおざかる。黙して思う。
      宇宙的意識。
今や、無伴奏フルートのための古典的名作として、多くのフルーティストによって演奏されるこの作品は、典型的な三部形式で出来ており、遠く武満徹の弦楽のためのレクイエムを想起させるものである。
前作で12音による作曲を試みた福島和夫であるが、この曲ではそれは放棄され、東洋的な音楽とシェーンベルクばりの極端な半音階主義を融合させている。
E音、ただ1音だけの前奏につづいて、第1部のテーマが提示される。
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半音階を行ったり来たりしながら、D音から少しずつ上がっていき、最後に短三度跳んでH音にたどり着くというテーマである。
この後、B音から下降するフレーズが対置されるのだが、言うなれば上がって下がってというだけなのに、絶妙な「間」が織りなす瞑想する空間は、フルートの音色があってのことだろう。篠笛の響きが福島和夫の脳裏にはあったのだろうか?
これが、福島和夫の言う「笛の音は比世と彼世/ふたつ世ながらに響く…」という音楽なのだろうか?
注意してほしいのは、ディナーミクの振幅の大きさである。PPからfffまでの大きな振幅と、フルートで使い古されたとは思うが、半音の半分の微分音的な音を挟む(ちょっとポルタメント、あるいはグリッサンドを思わせる技術が使われていることだ。
とは言え、武満徹などのように重音奏法などはこの作品とは無縁であることは、時代背景からしても当然のことであろう。
この稿、続く。
by Schweizer_Musik | 2007-04-28 19:47 | 授業のための覚え書き
福島和夫のフルート作品
ナクソス・ミュージック・ライブラリーばかり徘徊していたが、学校で八村義夫のCDを二枚、それに福島和夫の楽譜を4冊をほど借りてきた。八村義夫のCDは室内楽と独奏曲が中心で、知ってる曲が多くあったのだが(もともと寡作家で作品が少ない上に夭逝してしまった…)彼岸花の幻想を高橋アキさんが演奏しているとかで、その布陣の魅力で借りてきてしまった。確か、レコード・アカデミー賞をとってのではなかっただろうか?
ロストロポーヴィッチの死という悲しい知らせで始まったゴールデン・ウィークであるが、結構充実した日々となりそうである。
福島和夫という作曲家・音楽学者は1930年に生まれた。作曲を正式に学んだという経歴はなく、独学で作曲を習得したとのことである。考えてみると武満徹などと同世代であり、実験工房で活動したというのも同じ…。不思議な縁を感じるたりもする。
福島和夫の作曲活動は1953年のヴァイオリン独奏のための「途絶えない詩」という曲なのだそうだが、私は聞いたことがない。1956年のフルートとピアノのたるのレクイエムが最初と長く思っていた。この曲の楽譜も借りてきたのだが、12音によっているようであるが、それ以上にそのリズムの東洋的な感性に貫かれた態度が印象的だ。楽譜を見ながら、かなり自由なセリーを扱っていることが確認できた。(楽譜を見る前からそんなことはわかっていたが…)
たった2ページの作品であるが、世界を震撼させた福島和夫ワールドがこの曲にもしっかり描かれている。
彼の代表作は何かと問われれば、「冥」と答えるにはやぶさかではないが、「エカーグラ」「中有」や「春讃」といった作品にも心ひかれる。それらは明らかに東洋思想をフルート一本に託した福島和夫ならではの世界観があるのだと思う。

「冥」の楽譜を眺めながら、色々と考えていたら、ふと1時間ほどが経っていてびっくりしてしまった。
作曲者のこの曲についての言葉…

弔笛(しのびぶえ)。笛の音は比世と彼世
         ふたつ世ながらに響くという。
「冥」      くらい。ふかい。遠い。
         とおざかる。黙して思う。
         宇宙的意識。

彼の名前を作曲の世界で聞かなくなって久しい。どうしたのかと思い、検索をかけたら1970年頃以降は作曲から離れ、音楽学の研究をしており、上野学園の教授となられていた。畑違い故に私は全く存じ上げなかったが、その福島和夫氏の作品をこのゴールデン・ウィークで勉強することに不思議な幸福感を得ている私である。
by Schweizer_Musik | 2007-04-28 10:15 | 日々の出来事
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ逝去!
何という日だろうか。帰りの電車の車内で忙殺された一日を反芻しつつ、今日のニュースを携帯でチェックしていたらムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ死去のニュースが配信されていた。
もう二十年近く前のこととなったが、ヤマハの顧問であった氏の話を伺うことがあった。素晴らしい体験だった。その話を懐かしく思い出しながら、ソ連時代の彼がゲンナジ・ロジェストヴェンスキーと共演したチャイコフスキーのロココ変奏曲を聞きながら、在りし日のロストロポーヴィッチ氏を偲ぶこととしよう。
彼が関わっていた時代のヤマハは、本当に素晴らしい体験を私に与えてくれた。そのことに深く感謝しつつ、もうそういう時代は二度と来ないことを極めて残念なことと思うが、それは…仕方がない話だ。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ逝去…。あの時代がどんどん遠くなっていくなぁ…。
by Schweizer_Musik | 2007-04-27 21:56 | 音楽時事
夭逝の作曲家リンデのヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲
クリーゲルのシューマンは良いチェロであったが、オケが生真面目で丁寧なのは良いのだが、音楽のふくらみというか歌をあまり感じることが出来ず、1楽章途中で興味を失い、他に無いのかと検索すると、北欧の夭逝の作曲家でボー・リンデのチェロ協奏曲があることを知り、そのページをあけるとヴァイオリン協奏曲も入っていて、それが、近年時折耳にする日系フランス人の五明カレンであったので、まずそれから聞き始めた。
これは素晴らしい。こうした出会いがあるから、音楽遍歴が止められないのだ。ああ、私好みの音楽。37才で亡くなったというリンデの音楽は、以前何かの機会にヴァイオリン・ソナタを聞いたことがあったのだが、こうしたオケ物は初めてであった。なかなか良いオケを書くし、前衛真っ盛りの時代の作曲家でありながら、それと距離を置いてこういう音楽を書いていたとは…。当時はロクに評価をされなかっただろうなと、一抹の反省と自戒をこめながら思った次第である。
五明カレンは聞きしにまさる素晴らしさである。切れ味のあるフレージングで、この青白い抒情を伸び伸びの演奏している。ペッテル・スンドクヴィスト指揮イェヴレ交響楽団も大変よい演奏である。このオケは100年近い歴史があるのだそうだが、この録音で初めて聞いた。良いオケだと思った。ちなみにイェヴレはこの作曲家リンデの生地でもあるそうだ。
続くクリーゲルの演奏するチェロ協奏曲には感動した。何という音楽なのだ。これを今まで知らなかったとは!!20世紀に書かれた音楽の中でも最上級のクォリティである。瞑想から激情までの幅広い感情の振幅を、精緻なテクスチュアの中に表現しつくしている。終楽章の幸せな響きはショスタコーヴィチなどでは絶対に味わえない質のものである。
私は基本的に調性を捨てていない。調性によってまだまだ語るべきものがあると信じているのだが、このような作品を聞くと勇気百倍である。ああ良い音楽である。近代の音楽がお好きな方はぜひ一聴されることをお薦めしたい。
by Schweizer_Musik | 2007-04-26 20:11 | ナクソスのHPで聞いた録音
ヴィトとクリーゲルによるショスタコ!
先ほどから、クリーゲルの弾くショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番を聞いているが、凄く良い演奏だと思う。これほどの名手に対して音程が良いなどと言うのは失礼かもしれないが、高音での音程の正確さはやはり凄いものだ。また極めて強い集中力で演奏にあたっているのだが、入り込み過ぎず、冷静さを欠かないその姿勢は、ショスタコーヴィチの最高の再現者として高く評価できると思う。
長い長いカデンツァを一気に聞かせる力はとてつもないものだと思う。それにオケが良い。ポーランド国立放送交響楽団を指揮するのは巨匠アントニ・ヴィトである。この指揮者のアベレージの高さは驚異的だ。ベンデレツキ、ルトスワフスキ、キラールをはじめチャイコフスキーやシューマンといったロマン派の作曲家の作品に至まで、どれもが満足できる水準にあるのだから大したものである。
このショスタコーヴィチでの見事な共演ぶりに、出来たらショスタコーヴィチの交響曲全集とまではいわないから、せめて第8番や第10番、あるいは第13番などを録音しておいてほしいと思うが…。
筋肉質の第1番を聞き終えると、もう第2番が聞きたくて仕方がなくなってしまった。なんてことだ!朝、疲れたなんて言ってた奴がもうこんなことになるのだから、あきれたものである。しかし、良い音楽を聞くともっと聞きたくなってしまうのだから仕方がない…。ペッタションはしばらくお預けである。
第1番に対して幻想的でより死を身近に感じる作品である第2番は、あまり人気がなさそうだ。第2番だけ収録したCDを私は持っていない。第1楽章がラルゴで、瞑想的でチェロとオケの長大なダイアローグの末に中間部で、ようやく協奏曲らしいやりとりが出てくるのだから、若干とらえどころがないように感じられるのかも知れない。
劇的な部分もわずかにあるものの、全体には瞑想するかのような音楽。それもおそらくは静謐な死の瞑想だろうと思ったりするのがこの音楽だ。人気が出ないのも仕方がないのかもしれない。
しかし、クリーゲルの演奏で聞くこの音楽は、どこまでも深い心の闇を見せつけられるようなものを持っていると思った。いや凄い女性がいるものである。2楽章を聞く前に15分ほど休んでしまった。第1楽章で疲労困憊…であった。しかし、ペッタションよりもずっと充実感はある。どこかに救いというか、冷静さがあるからで、怒りや憎しみといった感情はここにはいささかも紛れ込んでいない。
なんだか、仙人みたいな音楽…かな。間奏のような第2楽章に続いて、ファンファーレにつられて出てくるチェロのカデンツァには打楽器の耳障りな音がまとわりつく。そして平安な音楽。
死とその後の天国の生活といった趣きである。でも最後は…。結構良い音楽なのだけれど、第1楽章のラルゴをどう集中力をもって対するかがこの曲のネックとなっているのだろう。
クリーゲルのチェロ、もっと他にも色々と聞いてみようと思う。ブラームスのドッペル協奏曲、シューマンのチェロ協奏曲あたりが次の標的になりそうだ。クリーゲルのおかげで一日が良い気分で暮れていく。

追記
女性を「奴」呼ばわりは確かに不躾で、更に変ですので、書き直しました。不愉快な思いをされた方がおられましたら、心よりお詫び申し上げます。sergei様、ご指摘ありがとうございました。
聞いていて、あまりに良かったもので、ちょっと頭がしびれていたようです…。
by Schweizer_Musik | 2007-04-26 18:11 | ナクソスのHPで聞いた録音