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明日からしばらく留守をします。次の更新は8月10日頃の予定です。
ちょっと仕事をこもってすることとなりましたので、メール、携帯を含め、一切の連絡がとれない状態となりますので、よろしくお願いします。
by Schweizer_Musik | 2007-07-29 15:58 | 日々の出来事
涼を求めて (11) ピツェッティのピアノ協奏曲「真夏の歌」
イタリアは猛暑を通り越して酷暑であるそうだ。鎌倉でもなかなか明けない梅雨にイライラしつつも、蝉の鳴き声に夏の到来を身近に感じている次第である。
ピツェッティはイタリア近代の作曲家の中でも、無調などに対して毛嫌いし、古典的な調性を守り、バロックや古典への回帰を目指した作曲家として名高いが、そのあまりの保守性のために国際的にあまり高い評価を受けることはなかった作曲家の一人だ。
オペラ一辺倒だった十九世紀に生を受けた彼は、器楽隆盛を目指したイタリア近代の作曲家の一人として捉えなくてはならない。
もちろん、オペラも作曲しているが、彼の重要作の多くが器楽作品にあることは言うまでもない。
彼はミラノ音楽院で長年教えていたこともあり、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ、フランコ・ドナトーニ、オルガ・ルジェなどの作曲家を輩出してもいるし、あの皇紀二千六百年記念で世界中に新作を委嘱された時、イタリア代表として時の日本政府の委嘱を受けて作品を書いている。(よく誤解されるのだが、第二次世界大戦ははじまっていたが、まだ日本は欧米との戦争をしていなかった…ただし中国などで戦線を拡大し、欧米列強から強烈に批判されていた頃のことである)
また彼の評価が低い、あるいは評価が分かれるのは、1940年代にムッソリーニと親しかったということにもよる。ファシスト政権と親しかったことで、戦後、厳しい批判にさらされたことが、彼の作品に対する評価にも繋がっているように思われる。
我が国でも同じことが起こったことを見てみれば、極端なイデオロギーによる批判は是正されるべきだと思われるので、代表作のレクイエムやこの作品など、彼の作品を虚心坦懐に聞き、評価していく作業はこれからの世代に委ねられているとも言えよう。
1930年に書かれたというこのピアノ協奏曲はラフマニノフもびっくりのロマンチックな協奏曲である。ただ、ラフマニノフのようにピアニスティックな聞かせどころは少なく、むしろピアノ付きの管弦楽のための組曲という感じである。
全編を悲しげなメロディーと、ドリアを中心とした古典的な旋法で占めているその音楽は、性格上の対比をまるで拒絶しているかのように聞こえる点が面白い。第1楽章、第2楽章と感傷的な節回しで(まるでイタリア・バロックの緩徐楽章を2つ続けて聞いているみたいだ)終楽章に来て、ミクソリディアを中心とした活気あふれる音楽で締めている。だが、すぐに抒情にそれは分解される運命にある。
どこか儚げで、蜉蝣のような音楽に私は聞こえた。ナクソス・ミュージック・ライブラリーにある録音はスザンナ・ステファーニというピアニストと最近よく聞くオレグ・カエターニの指揮するロベルト・シューマン・フィルハーモニーの演奏である。ステファーニというピアニストはこの演奏のみでしか知らないが、手堅いものの音色などにあまり魅力を感じなかった。オケはやや雑なアンサンブルで、弦もあまり美しくない。
もっと良い演奏で聞いてみたいと痛切に思った。
ピツェッティがロータなどのように再評価される中で、そうした更に優れた演奏で聞くことができる日もそのうちに来るだろう。
「真夏の歌」というタイトルは、物憂げな夏の日の昼下がりの心地よい風に吹かれて見る午睡の夢であろうか?
by Schweizer_Musik | 2007-07-29 10:21 | ナクソスのHPで聞いた録音
肥薩線のテレビを見た
テレビで肥薩線をやっていた。最近こうした鐵道番組がやたらと増えてきた。鐵道ファンと言えば、昔から「オタク」の変質者みたいに見られていて、鐵道ファンであることを隠している人もいた…(笑)。
でも色々なメディアでこうした鐵道オタクの番組が作られるということは、ようやく普通の人と扱ってもらえるようになったみたいで、何とも嬉しい。
肥薩線は、出張と称して前日入りする時にルートとして何度か使った。もう二十年も前の話だが、車窓の風景がとても懐かしく思い出された。九州の鐵道路線の中でも久大線とこの肥薩線は特別好きな路線だった。
肥薩線はループとスイッチバックが両方ある路線であり、標高差も500メートル以上ある鐵道路線としては難所であったことだろう。今でも廃線にならずに残っていることがなんとも嬉しい。良い路線だったのに廃線になってしまったところが多いから。
スイスのように赤字でも必要だからと国が積極的に路線を維持していくようなことが、我が国ではできなかったのは残念なことだ。政治のことは私にはよくわからないし、労働組合の問題もあったりしたのだろう。しかし、私のような鐵道ファン(と言ってもマニアと呼ばれる人たちのような知識はない…けれど)にとっては残して欲しかったなぁと、しみじみ思うことがある。
しかし、良いものを見た…。人吉からの山の風景…ああ懐かしい!!
by Schweizer_Musik | 2007-07-29 02:55 | 日々の出来事
涼を求めて (10) オネゲルの夏の牧歌
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夏と言えば、やはりオネゲルのこの「夏の牧歌」をとりあげないわけにはいかない。今まで何度も取り上げているので、今回は外そうと思うのだが、やはり素通りはできない。
ミクソリディアによるテーマは心地よいエキゾチシズムをたたえ、アルプスを越えてきた冷たい風を思い起こさせる。ざわめく木の葉の音が昼下がりの静かなアルプ(牧草地)に優しく響く。雲雀の歌がそこにアクセントをつけていく。
中間では人々の明るい話し声が加わるようでもある。ヨーロッパの人々にとってごく当たり前の夏の風景を描いたこの作品は、初演の時の聴衆の人気投票で一位となった曲である。人の心に残るメロディー、そして響きだと思う。しかしそれ以上に場面を思い描きやすい題材であったことが、人々の支持を得た理由ではないかと思う。
オネゲルがこの曲を書いたのは、写真のユングフラウを間近に望むヴェンゲンの村だった。斜面一面が牧草地で、夏ならば放牧されている高地で、あちらこちらにハイキング・コースがある。登山列車はいつも満員だが、ハイキング・コースは人影もまばらで、お弁当を持ってピクニックに出かける幸福な家族連れの姿を幾組も見られることだろう。
懐かしい写真とともに、このシリーズの10回記念に…。
古いシェルヘン指揮ロイヤル・フィルのCD(Westminster/MVCW 14032〜33)は今も手にはいるのだろうか?ライブで音は多少問題ありのステレオ録音であるが、シャルル・ミュンシュ指揮フランス国立放送管のCD(DISQUES MONTAIGNE/WM 328)も手に入りにくいらしい。となれば、マルティノン指揮フランス国立放送管のCD(EMI/TOCE-8205)がいいだろう。ナクソスには湯浅卓雄指揮ニュージーランド管弦楽団の演奏がある。ややカンタービレが効いていないのか、一本調子でサラサラ流れてしまうところが少し不満。クレッシェンドしていくところももっとタメというか、深いブレスで盛り上げていってほしいのだけれど、ちょっと腰が軽い。中間部などなかなか良いのだけれど、冒頭と再現での単調さは、私の好きなところが今ひとつである。CDを買ってすぐに聞いて不満をもってそのままになっていた。久しぶりにとりだして聞いてみて、発売当初の感想を思い出した…。
by Schweizer_Musik | 2007-07-28 13:03 | CD試聴記
涼を求めて (9) ルガーノの思い出
このシリーズに似つかわしくないかも知れないけれど、ブルーノ・ワルターの指揮するモーツァルトのアイネ・クライネをとりあげよう。

もう十年ほど前のことだけれど、ルガーノに一週間ほど滞在したことがあった。ブレ山とサン・サルヴァトーレ山という1000メートルほどの山に囲まれた静かな湖水の町で、スイスでもアルプスの南側に出た地域でイタリア語を話すエリアである。
ルガーノから1時間も列車に揺られればイタリアのミラノに着く。そういう案配なので、ミラノにも何度かルガーノから通ったこともある。
もともとはミラノの支配下にあった町ではあるし、イタリア風の建物にスイスのドイツ語圏やアルプス地方にはない風物がこのエリアの最大の魅力だと思う。

このルガーノにはブルーノ・ワルターのお墓がある。えっ、彼ってアメリカで亡くなったのではなかったの?と言われる向きもあるが、確かにアメリカで亡くなったものの、この地に埋葬されているのだ。そのいきさつについては戦争中の悲しい出来事をいくつか語らなくてはならない。
ナチスのオーストリア併合がルツェルン音楽祭誕生のきっかけとなったことは、すでに述べたが、それによってオーストリアから命からがら逃れて来たのがブルーノ・ワルター一家であった。それ以前からスイスに頻繁に訪れていたワルターが、娘の薦めでこのルガーノに家を購入していたことで、なんとか住むことだけは可能となったが、パスポートもなく、活動は限定されたものでしかなかった。それに最大の財産たる蔵書、楽譜などが全て失われた状態で、極めて厳しい状況に追い込まれたことは否めない。
フランスなどからの招聘はあってもパスポートがないために断らざるを得なかったのだ。
そんな時にルツェルン音楽祭の話が降って湧いたように出てきたので、ブルーノ・ワルターも盟友のトスカニーニとともに出演をする。そして事件はルツェルン音楽祭が始まって2年目となる1939年に起こった。
ドイツの映画監督と結婚していた娘のグレーテルが、チューリッヒで離婚の話し合いをしていた最中、激昂した夫に射殺されるという悲劇がワルターを襲う。茫然自失の彼をかばってトスカニーニが代わって演奏会の指揮を務めたが、ワルターの憔悴ぶりは目を覆うばかりだったという。
グレーテルはルガーノの聖アボンディオ教会の墓地に葬られることとなり、その年、第二次世界大戦が勃発して一ヶ月ほど後、ワルターはイタリアのジェノヴァからアメリカへ向けて船上の人となったのだった。
再び、ルガーノに戻ってきたのは戦後1946年のこと。心労がたたってアメリカで亡くなった妻エルザの遺骨とともにルガーノへの帰還であったのです。
妻エルザをグレーテルと同じところに葬った彼は、ヨーロッパでの和解と再会の日々を送るのであった。
このスイスで演奏した回数は少ないが、1955年に親友のトーマス・マンの八十才の誕生日を記念してチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団を振ってモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏している。
その後、ビヴァリー・ヒルズで八十五年の生涯を閉じたブルーノ・ワルターは愛妻のエルザと娘のグレーテルが眠る、苦難の日々を過ごしたルガーノに葬られたのである。
かつての反ナチの闘士であったマンの誕生日にと指揮した曲が、得意の「アイネ・クライネ…」であったことを思い出しながら、私がそのお墓に詣でたのは今から十年あまり前のことだった。日本ではオウム真理教の教祖が逮捕された年のこと。ルガーノで船に乗る時、その船の船員に「アサハラはドウシタ?」と言われて驚いたことを思い出す。
まさに日本の恥と思った瞬間であったが、そんな下らないことと、ブルーノ・ワルターのお墓に詣でたことが一緒になっているのは…情けない。
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ワルター一家のお墓は、この地に長く暮らした文豪ヘッセのお墓の近く、聖アボンディオ教会の墓地にある。墓地というと暗く、ジメジメしたところという印象はちょっとホラー映画の見過ぎと言われそうだが、そんなイメージと正反対の明るく開放的な墓地の一角にある。
夏になると、このお墓に詣でたことを思い出す…。決して「涼」ではないのだけれど…。
チューリッヒでのブルーノ・ワルターのアイネ・クライネの録音は存在しないようだが、ウィーン・フィルを指揮した戦前の美演やニューヨーク・フィル時代のモノ録音、そしてロスアンゼルスでステレオ録音したものの3種類が有名だが、一般にはこのステレオ録音を薦めるべきだろう。
モノでもよければ、うーん、やっぱりウィーン・フィルかなぁ。ちょっと宇野Kの影響が残っているのかもしれない…。
by Schweizer_Musik | 2007-07-27 15:08 | CD試聴記
涼を求めて (8) ディーリアスの狂詩曲「夏の庭園にて」
ディーリアスの狂詩曲「夏の庭園にて」は、ちょっと胸が締め付けられるような懐旧の思いが重なる音楽とでもいおうか…。ペンタトニックによるテーマがドビュッシーの初期の作品のように聞こえなくもないが、それはもっと感傷的でスコットランドなどの民謡に近い何かを持っているように思われる。
不思議にも、ディーリアスには「夏」のタイトルを持つ曲が多く、彼は夏が好きだったのかも知れないななどと思いながら、この優しげな世界に浸っていると、暑さもすっかり忘れて心が浄化されていくみたいに思われる。
演奏は、とりあえずジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の美演で。冒頭の木管のピッチが怪しかったりするのだけれど、その後のフレージングの美しいこと!冒頭のちょっとたるんだ木管も次第に焦点が合っていく様はライブ録音みたいである。

EMI_TOCE-3173

追記 (2007年7月27日)
神戸阪神地域芸術文化情報のtetsuwancoさんによる詳しい記述がありますので、そちらをぜひご参照下さい。
ディーリアス(2)グレ・シュル・ロワンについて
ディーリアス(4)ディーリアスの夏
なるほどです!!ああそろそろヨーロッパに行きたいなぁ…。
by Schweizer_Musik | 2007-07-26 21:04 | CD試聴記
涼を求めて (7) ヴィクルンドの「夏の夜と夜明け」
ヴィクルンドが1918年に作曲した交響詩「夏の夜と夜明け」Op.19を聞いて涼んでみようか。白夜の国の夜のこんなに静寂に包まれていて、優しい風が吹いているのだ。なんと羨ましいことだろう。暑く湿度の高い部屋にいると、そんな夏の日の朝に心から憧れてしまう。
北欧の印象主義とも評される彼の音楽は、演奏活動に忙しかったこともあり、あまり多くない。しかし、この交響詩「夏の夜と夜明け」はその中でも代表作として名高いもので、静かな夜の静寂をじっくりと描いた後、次第に管弦楽の拡がりのある響きがあたりが少しずつ明るく、そして少しずつ賑やかさを増していく後半は、ラヴェルの「ダフニス…」の第2組曲のように天才のおこした奇跡と比べるのはどうかと思うが、グリーグのペール・ギュント以上に成功していると思う。
名匠パヌラの指揮するエーテボリ交響楽団の演奏(1981年)がスウェーデンのカプリース・レーベルにあり、これはナクソス・ミュージック・ライブラリーで公開されているので、会員の方は是非聞いてみられることをお薦めしたい。
多少、冗長に感じられるもその冗長さ加減が、いかにも北欧という印象である。スウェーデンの王国としての品格を感じさせる作品というのは、ちょっと持ち上げすぎ?
でも涼しげでなかなかいい感じである。
by Schweizer_Musik | 2007-07-26 17:45 | ナクソスのHPで聞いた録音
涼を求めて (6) シェックの「夏の夜」
1945年、終戦の年にオトマール・シェックが弦楽合奏のために書いた「夏の夜」を聞いてみよう。ナクソス・ミュージック・ライブラリーには先頃惜しくも急死したジョルダンの晩年の演奏があるので、その美しい演奏を聞いてみられてはいかがだろうか?
1930年代に表現主義的傾向を強め、ワーグナー的膨大な管弦楽を駆使した歌劇などで風靡したシェックは、ナチスに持ち上げられたおかげで、戦争が終わると立場が一転する。
彼の名誉のために一言書いておかなくてはならないのだが、シェックはスイス人であり、ナチスに同調していたわけでもない。ただ、ドイツ語をしゃべる「優れたアーリア人」のリート作家としてナチスのお眼鏡にかなってしまっただけである。でなければ、ナチス嫌いのヘッセなどとのあれほどの親密な交際が続けられたはずはない…。スイスは中立の国だった。正義をふりかざしてどちらかにつくということはなく、常に大人の対応を連合国にも枢軸国にも行っていた。このあたりの事情を、白か黒かでしか判断できない単純な人たちには理解できないみたいで、長い戦いの歴史の中で得られた国是を他国の人があれこれ言うのはどうかと思う。
シェックについてもそうしたスイスの人々の状況を理解した上でなければ、ナチスとの関係を適切に評価できないのではないだろうか?

さて、彼の状況を一変させた終戦は、若い世代の実験的なまでの前衛音楽の隆盛であった。シェックを取り巻いていた後期ロマン主義の生き残りは淘汰され、彼は戦後ひとりぼっちとなってしまう。
その中で、孤塁を守ろうとシェックはロマン主義に戻っていく。その岐路にある曲がこの作品だと思う。
実はジョルダンの演奏よりも手に入るなら、アナ・チュマチェンコが率いるカメラータ・ベルンによる演奏を聞かれると良いのだが… (MGB/CES-M 69)
by Schweizer_Musik | 2007-07-26 10:16 | CD試聴記
涼を求めて (5) ジークフリート牧歌
昨日はちょっと多忙につき、ブログを書いている時間がとれなかった。それに夜になってサッカーなどを見てしまったので、今朝はストレスがとれないままに寝坊をしてしまった。
しかし、ヨーロッパの熱波は気の毒である。ドイツやスイス、北欧はそれほどでもなさそうだが、ハンガリーやルーマニア、イタリアは厳しい暑さのようで、大変だろうなと想像している。
ヨーロッパもアルプスの北側はそう暑くないので、スイスであるが、アルプスの南側であるルガーノやロカルノに行った時はそのモーレツ暑さに辟易としたものである。
日本のように高温多湿の国では、列車の冷房なんて当たり前だけれど、スイスでは有名な氷河急行でも最近まで冷房はなかった。冷房のついた列車でも基本的に弱冷房で、いろんな場所で冷房が入っていて涼しいなどということはないのだから、気温が30度以上に上がると、とんでもないことになる。
だから、こんな暑い日々が続くのでは、もう少し涼を求めてというシリーズを続けた方が、気分だけでも涼しくなるのではないだろうか?

夏と言えば、ヨーロッパでは音楽祭のシーズンである。中でもザルツブルクやルツェルン音楽祭は人気が高い音楽祭である。ウィーン・フィルやベルリン・フィルといった人気楽団が来るし、ポリーニなどの人気の高い演奏家たちがやって来るのだから、当然人気がでるのだ。
ルツェルン音楽祭は、ナチスのオーストリア併合のおかげで出来た音楽祭だった。1938年4月にナチスがオーストリア政府を恫喝して併合した結果、オーストリアのユダヤ系の音楽家たちは一斉に職を失い、中には命まで失うという悲劇に見舞われた。
その中には、ブルーノ・ワルターもいたのだが、ナチスが政権をとったことで、ライプツィヒの職を失ったワルターは、こんどはウィーン・フィルの職を失い、貴重な蔵書、全ての財産も失い、スイスのルガーノの家に滞在せざるを得ない状況となってしまうのだった。
この話はいつかまた…。
でもこういう状況に追い込まれた多くの音楽家たちが一斉にドイツ、オーストリアから脱出してスイスやフランスに出て行ったのだった。そしてそこからイタリアなどを経由してアメリカを目指した者も多かった。まだ戦争は始まっていない。
この事態を受けてザルツブルク音楽祭には、トスカニーニやワルター、あるいはブッシュなどが出演しないことが決まり、行き場を失った音楽家たちを集めて、ルツェルン音楽祭が始まったのだった。
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ルツェルンの町にはワーグナーが長く住んでいた。ここで多くの作品が書かれたのであるが、その中の一曲に「ジークフリート牧歌」がある。この町でようやく長年の不倫状態を解消して結婚したワーグナーが、愛妻コジマの誕生日に贈った作品で、たった17名で演奏されるように書かれてある。
これは、ルツェルンの彼の家の階段に並ぶことの出来る楽員の人数である。そしてその誕生日(12月25日!)の朝、チューリッヒの歌劇場のメンバーからなる演奏家たちをワーグナーが指揮してこの曲が、ワーグナー邸の一階と二階の間の階段に陣取った17名の演奏家(中には後にリングの初演の指揮をしたハンス・リヒターも居た)によってこの作品は初演されたのだった。
時ならぬ調べに目覚めたコジマと子供たちの喜びようは、ここに書くまでもないだろう。
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写真はワーグナーが指揮したと言われる二階の踊り場である。
さて、何故、こんな話を持ち出したのかというと、この曲がその初演から六十八年を経て、このルツェルンの旧ワーグナー邸で演奏したのが、ザルツブルクに出演することを拒否した、名指揮者トスカニーニであったからである。そしてこの曲の演奏でもってルツェルン音楽祭がはじまるのだった。
四森林州湖(別名ルツェルン湖)の岬にある白亜の旧ワーグナー邸を、私は数度訪れている。ここからの風景は、おそらくワーグナーが見ていた風景とほとんど変わっていないに違いない。そして夏の昼下がりの、ちょうど今頃の季節、ルツェルンは音楽祭目当ての多くの国からの賓客で賑わうのである。
意外にも、このジークフリート牧歌を初演の時と同じ小編成で演奏したものは少ない。オットー・クレンペラーが指揮したものとゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルをあげておこう。良い演奏としては他にもカール・シューリヒト指揮バイエルン放送交響楽団によるコンサート・ホール録音のものやハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による1974年の録音などがあるが、これらは悉く大編成のもので、ちょっと重厚過ぎるようにも思う。
ナクソスにはヒコックスがノーザン・シンフォニアを指揮した小編成の録音があり、若干音楽の運びが硬い印象はあるものの、雰囲気は出ているので、小編成が見つからない場合はお薦めだ。
by Schweizer_Musik | 2007-07-26 10:16 | CD試聴記
涼を求めて (4) 夏の日の…
マクシミリアン・ラオウル・ヴァルター・シュタイナーという作曲家はご存知?(笑)
1888年にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場(ベートーヴェンなどの伝記に必ず出てくる名門中の名門劇場)の支配人の家に生まれた。父はヨハン・シュトラウスⅡ世やオッフェンバックと交友がある名士である。その一人息子である彼は裕福な家庭をバックに音楽界にデビューするが、1906年に父が破産し、幸福な青年時代を終え、食うために仕事をすることとなり、ロンドンで劇場の作曲家・編曲家・指揮者として活動をはじめたのだったが、第一次世界大戦でイギリスに居づらくなり(彼はイギリスの敵国であったオーストリア国籍のユダヤ人であった)アメリカに渡る。
そして無一文の彼が何とかアメリカでありついた写譜屋の仕事をきっかけに、ブロードウェイの作曲家、指揮者になっていったのだった。
さて、アメリカでの彼の名前は、マックス・スタイナー。
ブロードウェイのミュージカルで名を売った彼が、トーキー時代を迎え、ミュージカル映画「リオ・リタ」の音楽担当としてハリウッドに進出し、その後はハリウッドで売れっ子作曲家として大活躍をした。
1933年に制作された映画「キングコング」の音楽をはじめ、数々の映画音楽を書いて、アカデミー賞などを受賞した作曲家、マックス・スタイナーなら、みんな知っていることだろう。
映画そのものは大した話題とならなかったようだが、1959年に制作された映画「避暑地での出来事」の音楽は、「夏の日の恋」というタイトルで、バーシー・フェイス・オーケストラが演奏して大ヒットをとばした。全米ヒット・チャートの一位をとったこの曲は、私にとっても思い出の一曲となった。

今もあるそうだが千趣会(調べてみたら株式会社なのだそうだ…知らなかった)から出ていた月一枚の通信販売のレコードが我が家に1年分あり、それを飽きることなく聞いたのが、ポップス音楽を聞き始めた最初となった。その初めて我が家に届いた一枚が8月号で、そのはじめに入っていたのがこの曲だった。編曲は石丸寛氏で、氏が指揮して演奏されていた。
彼の指揮したこの曲を親しんだ後、パーシーフェイスの演奏を聞き、それもまた大好きとなった。おかげで、夏になるとこの曲を聞きたくなる。
後にディスコ・ブームに乗って、ディスコ調の「夏の日の恋」もバーシー・フェイスが演奏していたけれど、私にとっては石丸寛の演奏と最初の録音が全てだった。
6/8拍子で書かれたロッカ・バラードのアレンジが、ゆったりとしたバカンスの昼下がりを思い起こさせる。恋はもう卒業したけれど、なかなか胸キュンの音楽で良いと思う。
by Schweizer_Musik | 2007-07-24 22:14 | CD試聴記