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グリーグのオーゼの死について
弦楽合奏のアレンジの授業。例題としてグリーグの「ペール・ギュント」から「オーゼの死」を用いた。
この曲にはグリーグ自身のピアノ用のアレンジがある。冒頭は次のようなものである。
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これを弦楽合奏に編曲したものを二段譜に直してみる。(これが課題だった…)
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ペーター版ではボウイングが細かく指示されている様子がわかって面白い。同じ形を4度くり返している中で、それぞれに異なるボウイングが指示されていて、表情を作っている。
ボウイング(弓の上げ下げ)によって音楽は全く異なることとなるのだが、今日の授業はそれがポイントであった。
あと、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番の原作とルドルフ・バルシャイの室内オケ用の編曲のそれぞれの冒頭部を比べて、コンバスの役割などについて説明した。
現代音楽の授業では、ベルクのピアノ・ソナタを分析した。
極めてロマンチックで、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の正統な息子であるこの作品を20世紀の扉を開いた作品というよりも、19世紀ロマン派への美しい告別であるととらえるのが正しいのではないだろうか?
そんなことを、分析を冷や汗をかきながらしている時、ずっと感じていた次第である。
使った演奏はチェルカスキーのニンバス盤。これ以上の演奏を私は知らない…。
しかし、朝三時から準備をして、授業をして、早めの六時過ぎに帰って一休みしていたところであるが、やはり体力的にかなり厳しい…。ホントに疲れた。コメントを頂きながら、お返事が書けず申し訳ありません。明日にさせて下さい。もう寝ます。
by Schweizer_Musik | 2007-10-31 21:01 | 授業のための覚え書き
秋の夜長に音楽を聞く -07. シューベルトの最後のピアノ・ソナタ
シューベルトがそのあまりに短い生涯の最後の年に立ち至った世界は、壮絶な世界だった。彼の早すぎる晩年に書かれた音楽はいずれも人類の宝とも言うべき珠玉の作品ばかりで、彼がどこからこんな着想を得ていたものか…ロクに神についてなど考えたこともない不信心な私にも、神がここにおられたと思わざるを得ない何かがあることを感じる。
しかし、神も時に大きな試練もお与えになるようで、元気であればもっと多くの名演を聞かせていただろう演奏家に、病を与えてみたりなさることもある。
レオン・フライシャーを私は思っているのだが、ジョージ・セルなどと録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲、あるいはブラームスのピアノ協奏曲のクオリティの高さは驚くほどのものだった。しかしレオン・フライシャーは私たちの前から姿を消した。ジストニアという病で、右手が動かなくなったのだ。以来、彼は時折左手だけのピアニストとして登場することとなった。しかし、ヴィトゲンシュタインのおかげで左手だけのレパートリーはあるものの、それだけではやはりあまりに不十分で、彼の将来に寄せていた期待を大きく下回るもので、もはやフライシャーの演奏を聞くことはないだろうと思っていた。
でも、神はまた彼を救われたのである。ボツリヌス菌を使ったA型ボツリヌス毒素製剤による療養によって症状が和らぎ、彼が両手の演奏家として再び帰ってきたのだった。
そして"2 HANDS"というCDで彼が弾いたのは、シューベルトの晩年の傑作、ピアノ・ソナタ変ロ長調であった。この曲の録音の中で、スヴャトスラフ・リヒテル、マウリツィオ・ポリーニ、ヴィルヘルム・ケンプなどの名演とともに語り継がれるべき名演である。で、その録音がVANGUARDから出ているために、ナクソスでも聞くことができるのだ。ありがたいことである。
秋の夜長にこれほど相応しい音楽があるだろうか!
by Schweizer_Musik | 2007-10-30 05:28 | 秋の夜長に音楽を聞く
秋の夜長に音楽を聞く -06. アッテルベリのピアノ五重奏曲
アッテルベリという作曲家は、自作を色んな編成に編曲し直している作曲家で、ヴァイオリン・ソナタをチェロ・ソナタやホルン・ソナタにしたり、交響曲をピアノ五重奏曲にしたりして、中々興味深いものである。
18世紀終わりから19世紀にかけて、歌劇などの売れた音楽を更に色んな場所で演奏するために、管楽アンサンブルなどに編曲されたのと、事情は多少違うけれど、アッテルベリの場合も一曲で色々と売れるようにしたかったようだ。
この「秋の夜長に…」シリーズの第6弾で取り上げるのは、交響曲第6番をピアノ五重奏曲に直したもの。1928年に米コロンビア・レコードがシューベルト没後100年を記念して行った懸賞コンテストで優勝した作品で、BISからそのCDが出ている。(従ってその音源もナクソスで聞くことができる)
しかし、この交響曲の演奏(広上淳一指揮ノールショッピング響)が今ひとつで、愛聴するに至っておらず、曲の真価が分からなかったように思うが、この五重奏版で聞くと、独特のハーモニー感と伸びやかなメロディー・センスに心奪われる。
私の知る録音はMARCO-POLOレーベルのものだが、CDはすでに廃盤になっているようで、手に入れることはかなわないが、ナクソスで音源を聞くことができる。演奏はかなり荒っぽいもので、録音もデッドな響きで雰囲気に欠けるものの、私にとってこの曲を知る唯一の録音としてがまんせねばなるまい。
この荒っぽい演奏を聞きながら、こうだったらいいのにと修正を想像の中で施しながら聞くのも、秋の夜長に相応しいかも。「チェロよ、美しいメロディーをそんなにぞんざいに扱わないで!」とか、ピアノに「もっとデリカシーのあるピアニシモは出せないの?」とかリハーサルしているような気になってくる…。
私はこの作品が好きなのだ。で、良い演奏に修正してしまえるほど、この一日、聞き込んでしまった…。いや、良い演奏で聞いてみたいものだ…。
by Schweizer_Musik | 2007-10-30 04:58 | 秋の夜長に音楽を聞く
秋の夜長に音楽を聞く -05. ボエルマンのノートルダムへの祈り
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雲一つない、気持ちの良い日である。我が家からも富士山がとてもきれいに見える。
さて、第5弾はこんな美しい秋の日にピッタリの一曲で、ボエルマンのゴシック組曲の第3曲「ノートルダムへの祈り」である。
ボエルマンは、ニーデルメイエールの宗教音楽学校でジグーに師事したフォーレと同門のアルザス出身のオルガニストである。彼はオルガン作品の他、室内楽にいくつかの美しい作品が残されている。
ゴシック組曲はその中でも最も有名な作品で、この「ノートルダムへの祈り」と続く「トッカータ」はよく取り出して演奏される名作だ。
この曲を聞くと、ヨーロッパの教会で聞いたオルガンの響きが懐かしく思い出される。オルガンが大好きな私は、それを聞くためにヨーロッパの町や村を歩いたものだ。最近は行く機会がめっきり減ってしまったけれど、静寂の中に降り注ぐオルガンの音に心打たれ、ただひたすら聞き、キリスト教徒でもないのに、祈りの思いを共有することができたあの瞬間を、懐かしく思い出していた。
オルガンと言えば、バッハのトッカータとフーガニ短調(最近、どうもバッハの作ではないのではという意見が大勢を占めるようではあるが…)とせいぜい小フーガぐらいで、オルガン作品の意外なほどの広がりを、見逃しがちであるのは残念である。
ジグーやヴィエルネやヴィドール、デュリュフレ、デュブレ、そしてこのボエルマンなど、オルガン音楽があまり親しまれていない日本ではマイナーではあるものの、ヨーロッパではよく知られた作曲家たちがたくさんいることをまずは知ってほしいと思う。
そして、私にとってもこの作品は遠い昔、バッハ以外のロマン派以降のオルガン作品を知るきっかけとなった作品として、思い出深い作品としてこのゴシック組曲がある。
一日、とても良い天気で、ちょっと外に出て富士山を眺めていると、この曲が頭の中で何故か鳴り出したのだ。
富士山信仰とボエルマンのこの曲は何の関係もないけれど、秋晴れの日を思いつつ、今日の夜はこの曲を聞きながら良い夢を見たい物だと思う。
ナクソスにハンス・ファジーウスの見事な演奏がある(BIS)。
by Schweizer_Musik | 2007-10-28 12:40 | 秋の夜長に音楽を聞く
秋の夜長に音楽を聞く -04. 白井光子の歌うブラームスの歌曲
白井光子女史が歌うブラームスの子守歌の美しさをご存知だろうか?夫君のヘルムート・ヘルのピアノとともに、この世のものとは思われないほどの美しさ!である。
独カプリッチョ・レーベルのこの名演・名唱は今も手に入ることを祈らずにはいられない。
このCDの白井の歌うブラームスしどれも最高の出来であり、ブラームスが好きな人ならぜひ聞いておいてほしい名唱ばかりだ。伴奏との息もピッタリで、声量のあまり無い白井の歌を絶妙にサポートしている。そして愛しみと親しみ、悲しみと切なさ、孤独と歓喜の全てがこの一枚のCDに込められたのだ。
1884年に書いたH.シュミットの詩になる「サッフォー風頌歌」の美しさはその前に置かれたH.アルメルスの詩になる「野の寂しさ」と絶妙の対照を示していて、選曲、曲順に至るまで、全く隙の無いCDであり、その辺のありあわせの録音をかき集めただけのオムニバス歌曲選集などと比べものにならない完成度の高さだ。
これを買ったのは1988年頃のことだった。そして来る日も来る日もこのCDを聞き続けていたことも懐かしい思い出である。
最後の子守歌の美しさは、その直前で歌われる「ひばりの歌」のしみじみとした歌があってこそ生きてくる。ppのsotto voceで歌われる子守歌の子への無限の愛を聞きながら今夜もそろそろ眠ることにしよう。
願わくば、このCDが今も手に入り、多くの人に聞かれますように!こんな美しい演奏であれば、天国のブラームスもさぞ喜んでいることだろう。私にとってブラームスの歌曲と言えば、今も昔もこの白井光子のCDである。
今、子守歌がはじまった。ああなんて良い歌なのだろう!!
by Schweizer_Musik | 2007-10-28 00:52 | 秋の夜長に音楽を聞く
昔作ったワルツの楽譜…
今を去ること11年前に、知り合いの結婚式に招待されて、そこで演奏するために書いた連弾用のワルツの楽譜が出てきた。
確か、コンピューターのノーテーション・ソフトを使って書いた最初の曲だった。この次、オーケストラのための前奏曲とフーガなどを書いたのだったっけ…。
で、見ていて、懐かしくなりFinaleで書き直してみた。改訂はせず、当時のままにしたけれど、まぁ下手くそなワルツだなぁと思いつつもなかなか可愛いところもあると思ったり…。ヨハン・シュトラウスのワルツを引用してあるのだけれど、わかかなぁ…バレバレだろうなぁ(笑)。
で、後悔…でなくて公開することにした。この時、結婚された方ももうお子さんが大きいはず…。結婚式は1996年11月のことだった。演奏したのは友人のピアニスト松村英臣氏と私。人前でピアノを弾いた最後の機会となった。以来私は人前でピアノを弾くなどという悪い冗談のようなことはしないと心に決めて今日に至っている(笑)。
こちらから音楽が聴けます。楽譜は次のようなものです。著作権フリーではないので、無断での転載、演奏、編曲などはかたく禁じます。演奏してみたいという奇特な方はお知らせ下さい。こんな作品なので別に使用料をとったりしません。とりあえず知らないうちに演奏されているというのはいやなので…。それにこの楽譜は連弾用にしていませんので、連弾用の楽譜をお貸しいたします。
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by Schweizer_Musik | 2007-10-27 23:10 | 日々の出来事
今日もスパゲッティを作った
気分転換に、またまたスパゲッティを作る。
今日は純和風で作る。
材料は三つ葉、もみ海苔、鮭のフレーク(時間のある方はご自分で作って下さい。私は面倒なので買ってきたもので間に合わせました)、シメジ一バック、ショウガ一かけ、酒、味醂、醤油、オリーブオイル。
まず、麺を茹で始めたら、フライパンに酒と味醂を入れ(少しで良いのですよ!)アルコールをとばす。醤油を入れ、おろしたショウガを少し入れて、シメジを炒める。味見をして塩味が足りなければ、塩を一つまみ入れる。で、麺が茹で上がるのを待とう。
麺がゆであがるとザルにあけ、軽く湯切りして(ラーメンのようにする必要はない)フライパンに入れて軽く和える。そして大皿に入れて、鮭のフレーク、三つ葉ともみ海苔をのせて出来上がり。
わさびを添え、緑茶を入れ、そこに昆布茶の粉を入れてだし汁を作り、お茶漬けのようにかけても良い。ちょっと大人の味…。
簡単なわりには意外といける。作ろうと思ったのはこちらで見かけたため。何しろ簡単だし、いつでも冷蔵庫にあるようなものなので…。少しだけ変更して作った。
変わり種のスパゲッティだが、まずまず楽しめた。さあ、仕事をガンバロー!
by Schweizer_Musik | 2007-10-27 13:32 | 今日作った料理
秋の夜長に音楽を聞く -03. ブラームスのクラリネット・トリオ
ブラームスにしては、どこか音が足りないというか、隙間があるような気がして、それほど好きというわけではないのに、この季節がやってくると、不思議と聞きたくなるのがクラリネット三重奏曲イ短調である。
大体、厚ぼったい(というより低音の音の重なりが特徴だと思う)ブラームスのサウンドにしてはすっきりしている方なのだが、それが災いしてか、あまり演奏されないというか、不人気な作品に甘んじているのは、この曲独特の編成故かも知れない。
しかし、冒頭の孤独に立ち上がるチェロのメロディーの切なさは、老境のブラームスが余計な物を全て排して、完全な蒸留を行った結果のエキスのようなもので、味わえばその複雑で深い味わいが身に浸みるという具合である。
第2楽章のAdagioなど、涙無くしては聞けない美しさ!訥々と語るクラリネット。歌はチェロに引き継がれ優しくクラリネットが絡み、ピアノはその残像を演じ続ける…。
今、私が聞いているのは、クリーヴランド管弦楽団の首席奏者のフランクリン・コーエンのクラリネット、スティーヴン・ケバーのチェロ、ウラディーミル・アシュケナージのピアノによるLONDON盤であるが、これが今も手にはいるのかわからない。
この演奏もまずまずなのだけれど、ナクソスに「クラリネットの芸術」NAXOS/8.557232という録音があるし、北欧の名演奏家たちによるBIS盤もあるから、容易に聞くことができるだろう。
しかし何て穏やかで心に染み入るのだろう。こんな良い音楽が書けるようになれれば良いのだが…。
by Schweizer_Musik | 2007-10-27 06:09 | 秋の夜長に音楽を聞く
秋の夜長に音楽を聞く -02. ステンハマルの交響曲第2番
秋の夜長に…の第2弾はステンハマルの交響曲第2番である。
1911年から1915年にかけて作曲されたこの作品は、作曲者の最も脂ののっていた時期の作品(すみません!つい食欲と混同してしまって…)であるが、モードによる親しみやすいテーマが遠くシベリウスの作品などと共通するものを感じさせるものとなっている。
時代としては、ドビュッシーの晩年にあたり、フランス6人組の面々がパリのコンセルヴァトワールで学んでいた時期にあたる。この間にストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演があり、1914年にはサラエボでオーストリア皇太子が暗殺され、第一次世界大戦に突入するということもあった。スウェーデンが密接に関係するロシアでは革命が起き、世界が変革の時代を迎えていた。ひんな時に書かれたこの作品は、時代の狭間で、埋もれてしまっていた。しかし、この作品は、おそらく彼を代表する傑作中の傑作と断言していいのではないだろうか?
その昔、ネーメ・ヤルヴィのBIS盤でこの作品を知った時も、とても面白い作曲家がいるものだと思ったが、その後、スティグ・ヴェステルベリ指揮ストックホルム・フィルによるこの曲の演奏を聞いて、まさにこれは傑作だと気付いた。名作に名演奏は絶対必要だ。そしてこれはその決定盤である。録音は1978年だから、巨匠ヴェステリベリ(1918-1999)は極めて強い緊張感と伸びやかにメロディーを歌わせており、スケールの大きな表現でまことに心地よいものである。
大体、北欧の音楽好きの間ではとても有名なこの指揮者。メジャー・レーベルにはごく一部を除いて(EMIにいくつか録音があったと思うが、ほとんど北欧の作品であった)録音をして来なかったこともあり、一般にはあまり知られていないが、彼は北欧の巨匠だと私は考えている。
ステンハマルなんて誰?って言ってた人も、古いケルトの舞曲のような第1楽章、悲しいメロディーが絶唱を聞かせる第2楽章と進む内に、ステンハマルの魅力の虜になっているに違いない。
ステンハンマルの交響曲第2番は、各楽章にスウェーデンの民謡などをもとにした、モーダルなメロディーが散りばめられ、それぞれに緊密な構成でまとめ上げられ、終楽章でクライマックスを迎える。とても良い感じだ。
知っている人は周知の名盤ではあるが、秋の夜長にこの曲、この演奏はピッタリだ。第1楽章の舞曲調を楽しんだら、第2楽章あたりでホロリとし、第3楽章で血湧き肉躍ると、終楽章で威厳ととてつもないスケールに圧倒されるという仕掛けである。なかなか、大した作品である。
by Schweizer_Musik | 2007-10-25 23:34 | 秋の夜長に音楽を聞く
秋は良いなぁ…
c0042908_13435368.jpg先日注文したウィスキーが昼、届く。ブルックラディック10年、そしてラガヴーリン16年である。ブルックラディックは昔30年物を愛飲していたこともあり、懐かしくて頼んだ。ただ10年なのでかなり違うだろうと思っていたけれど、飲んでみて「やっぱり!」というところ。
アイラ・モルトは大好きで、このラガヴーリンは欠かしたことはないのだが、この所飲むものが日本酒になっていたこともあり、つい切れたままになっていた。先日、この事態に気付いて、ついでにブルックラディック10年を購入したのである。
昼から女房相手に一杯やって良い気分になってこれを書いている。ステンハンマルのピアノ協奏曲第2番を聞きながら、秋は良いなぁなどと全く意味不明のことを話していた。
ハハハ、ちょと酔ってしまった。
by Schweizer_Musik | 2007-10-25 13:44 | 日々の出来事