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新作を公開します。
以前ここで後悔…じゃなかった公開した楽曲を手直しし、新たな楽章を加えてソナチネとしてまとめました。大体うまく出来たと思っています。
今年の夏、チューリッヒのトーンハレで敬愛するピアニスト、津田理子さんが演奏会で弾いて下さることとなり、私としては心から感謝!しているところです。
コンピューターで出してみた音をこちらに置いてありますので、よろしければダウンロードしてご試聴下さい。
(画面上のiDisk Public フォルダというところをクリックすると作品のmp3ファイルの倉庫?に入れます)
sonatineとフランス語のタイトルをファイル名にしてあるので、わかると思います。

曲名は「ピアノのためのソナチネ」としました。
各楽章には副題をつけています。

  第1楽章 戯れ "Jeux"
  第2楽章 綾なす夢 “Réverie”
  第3楽章 トッカータ「起きろ!」Toccata "Réveillez-vous!"

以上です。
第1楽章の「戯れ」は親が子供のかわいいイタズラを見つめるようなイメージで書きました。少しイレギュラーなソナタ形式で出来ています。
第2楽章と第3楽章は密接な関係にある表裏一体の続きものとして作っています。
実は第2楽章の冒頭の音がそのまま分散和音となり第3楽章の冒頭のフレーズとなるのですが、11の和音、13の和音の響きへのエチュードのようなものです。
この和音の垂直の響きと水平の広がりがこの2つの楽章の狙い。
以前ここで分析したラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」へのひそやかなオマージュと考えています。


どうしても弾いてみたいという方はお申し出下さればさしあげます。ただし、8月末までは演奏はご遠慮いただきます。津田さんの初演の後であれば…ということにさせて頂きますので、差し上げるのも九月以降にさせていただきます。
音源の複製、頒布などは禁止です。もし、そうしたことが発見されれば、法的措置をとらせていただきます。
諸般の事情により、作品の公開は2月10日までの限定とさせていただきます。
by Schweizer_Musik | 2008-01-31 18:28 | 日々の出来事
バラキレフのピアノ・ソナタを聞いて
バラキレフのピアノ曲と言えば「イズメライ」だろうが、ナクソスを徘徊していてハンガリー出身の出身のピアニスト、ルイス・ケントナーによるピアノ・ソナタが出ていた。
イズメライ以外のバラキレフのピアノ曲ってどんなのだろうと興味がわき、聞き始めた。
第1楽章はフーガ風の4声部の入りで主題が提示され、やがて転調し、ストレッタ風の展開がはじまる。
主題はなかなか魅力的で、その展開のポリフォニックな展開も面白く、それがショパン風の装いで歌い進められるのだ。第二主題も魅力的で、この作品があまり演奏されない理由が私にはよくわからない。
第2楽章はマズルカで書かれているが、ショパンのようにポーランドの音律、平たく言えば旋法を用いることはなく、よりインターナショナルなマズルカとなっているが、ちょっと平凡な感じはしないでもない。
それでもピアノの書法は洗練されていて、全く素晴らしいものである。私にはとてもこんな音楽は書けそうもない…。
第3楽章は緩徐楽章で間奏曲とあるが、ショパン風のノクターンと言っても良いだろう。で、作曲された年をふと調べてみて驚いた。1905年なのだ。なるほど、これでは1830年代から1840年代の音楽だ。当時でもちょっと古くさいと感じられてのではないだろうか?
終楽章を聞き始めてあたりで、この「遅れてきた名作」が忘れられている理由がなんとなく分かってきたような気がしていた。
でも、終楽章は国民楽派としてのバラキレフの面目が示されている。でもこのセンスもムソルグスキーのとんでもない才能の前には色あせてしまいそうだ。やはりバラキレフは忘れられるべき存在なのだろうか。
でも、ここで演奏しているケントナーのような良いピアニストの手にかかると、なんとも良い作品に聞こえてくる。少々時代遅れでも良い音楽なら良いじゃないか。この後、ロシアからはラフマニノフが出て来るのだから…。
ナクソス・ミュージック・ライブラリーで聞けますよ…。ついでに他にリストやショパンも復刻されていて、これも録音が少々古いけれど、良い演奏なので聞いてみられてはいかが?リストの「ダンテを読んで」は管弦楽とピアノのために編曲されたもの。あまり面白いアレンジではなかったけれど…(笑)。
by Schweizer_Musik | 2008-01-31 15:42 | ナクソスのHPで聞いた録音
昨日の授業 - 武満 徹の地平線上のドーリア、イベールの小協奏曲…
昨日は授業で使う現代音楽の音源を入れたハード・ディスクを忘れて出かけてしまい、焦りに焦ってしまった。
昨日はオーケストレーションの授業でイベールのアルト・サックスと管弦楽のための室内協奏曲を、そして現代音楽の授業で武満徹の「地平線上のドーリア」をとりあげる予定で、準備していた。裏返せばこれ以外の準備をしていなかったので、聞かせるべき音源がないというのは何もできない状態であるので、レッスンにやってきた学生に謝って待たせて、その間に資料室に行って武満のCDを借りてきた。イベールは資料室に残念ながら無かったので、ネットにアクセスしてダウンロードして間に合わせた。
20年前だったら、完全にアウトだっただろう。良い時代に生きているものだ。

武満 徹の「地平線上のドーリア」は1966年に書かれた作品。私の持っている音楽之友社刊のスコアは600円で、大学の二回生の時に買ったもの。だからかなり年期が入っているものだが、学生時代に座右のスコア(笑)だったこともある曲で、若杉弘指揮読売日本交響楽団の録音は耳にタコができるほど(なんて言い古された慣用句…創造性の枯渇…)である。

武満の「地平線上のドーリア」は、弦楽アンサンブルのための作品でありながら、様々な奏法を使って極めて多様なサウンドを作り出している。
そして何よりも、ハーモニクス・ピッチと作曲者が呼ぶ馬蹄形に並んだ前列のアンサンブル(8人)に対して、離れてステージ奥に一列に並ぶエコーと呼ばれるアンサンブル(9人)の2つのアンサンブルのために書かれていて、弦楽オーケストラでありながら遠近感というか、音の空間への指向が強く出ている作品となっている。
また、聞いた感じでは無調性の作品にも聞こえなくはないが、タイトルが示すように旋法を基礎としていて、当時の音楽界で流行っていた?セリエルで技巧的な音楽に対する、武満独特の抵抗の意味も込められていると言われる。
いずれにせよ、一般的な意味でのドリア旋法ではないにせよ(ジャズの理論書にあるリディアン・ディミニッシュなどの音階を応用していると言われている)、この音楽には「弦楽のためのレクイエム」から続く世界観が底流にあると思われる。

曲の構造は意外なほど単純な三部形式で、省略された再現がある点も「弦楽のためのレクイエム」と共通している。
しかし、あの作品以上にこの曲は東洋的というか、日本の伝統的な音楽に向かう姿勢が聞かれるのは実に興味深い。
武満はこの作品において、弦のハーモニクスを多く使っている。その量は半端ではない。そしてそのハーモニクスにユニゾンとテンション・ノート(二度などでぶつかった音)によるピチカートを添えている。ピチカートは鼓の音である。ハーモニクスは笙の和音だと言われるが、その響きの独特な有り様は聞く者に強い印象を与えずにはおかない。
また中間部に動きのある部分を持ってきて(バルトーク風のカノンまで用意されている。というより、私にはストラヴィンスキーの「火の鳥」を思い出させるものだが…)いる点も「弦楽のためのレクイエム」の構成方法と酷似している。語法はかなりの深化をとけでいるが…。
冒頭の全音符の連続も印象的だ。メロディーなどの水平方向のラインを捨て去ったその音楽は、明らかに垂直方向の響きの世界に向いている。
この曲をどれだけ聞き、スコアを読んだことだろう。この曲を聞く度に当時のことが思い出され、ちょっと胸キュンの音楽なのだが、武満の音楽が私の「懐メロ」であるなんて話したら、以前、学生達から変な顔されてしまった。
やっぱり変かなぁ…。

イベールの小協奏曲は先週に続いて第2楽章をとりあげる。オケの書き方としてこれほど洗練された書き方があるだろうか?
ちょっと専門的な部分も多いのでこの位にしておくが、第2楽章冒頭の弦の和音など、明らかにブルー・ノートで使う7thのコードのつかみ方であり、ヨーロッパにジャズが入ってきて20年近く経って、すでにその使用方法は洗練の域に達したことを示している。
こんなことを昨日の授業では行った。
by Schweizer_Musik | 2008-01-31 08:57 | 授業のための覚え書き
冬の夜の慰めに (29) 「冬の日や馬上に氷る影法師」
「冬の日や馬上に氷る影法師」
これは芭蕉の俳句で、この小さな詩からイメージして湯浅譲二氏が書いた音楽をとりあげようと思う。
私のような世代にはNHKのドラマ(だったと思う)の「藍より青く」の主題歌の作曲者として彼の名前を最初にインプットしている人も多いのではないだろうか?
しかし、彼は1970年代以降、日本の現代音楽の世界では大きな位置を占める存在であり、今年は確か78才か19才になられるはずである。
もともとは武満徹などと一緒に実験工房で新しい音楽を模索し続け、1960年代、電子音楽の先駆けとして数々の作品を作っている。
その彼が1980年に作曲した「シーンズ・フロム・バショウ 〜 芭蕉の句による音楽」は彼の管弦楽作品として、私の好きな作品のひとつとなっているが、この作品をなぜとりあげようと思ったかというと、前衛の旗手(だと私は思っていた)湯浅譲二氏が、ロマンチックで思索的な音楽を書いたことへの驚きが、その昔の私の強い印象として残っているからだ。
1980年代、極端な前衛は影を潜め、再び調性の世界に戻ろうとしていた。世界の潮流がそうであった時期、湯浅譲二や武満 徹は大きな転換点に自ら立っていることを強く意識していたに違いない。
私には、湯浅譲二のこの作品は一種の答えだったように思われてならない。

この「シーンズ・フロム・バショウ 〜 芭蕉の句による音楽」は3楽章あり、第1楽章が冒頭にあげた句によっており、第2楽章は「あかあかと日は難面も秋の風」という句、第3楽章が「名月や門に指し来る潮頭」という句にインスピレーションを受けて書かれている。
いや、私はそうしたことによるよりも、全3楽章の全てをゆったりとしたテンポで書いたことが面白く感じられる。思索するかのように寡黙な音楽は、意外なほど私には親しみやすいものに感じられる。
1981年5月30日東京文化会館大ホールにて尾高忠明指揮 東京フィルハーモニー交響楽団によって演奏されたそれは、民音音楽祭のシリーズとしてかつて出ていた名盤?であった。
CD化された時に喜んで買ったものだが、とても高かった…。
今も手にはいるのかわからないけれど、こうした重要な記録となるCDは、図書館などにも常備しているところも多いのではないだろうか。ちなみに私が勤務する専門学校の資料室にもこのCDがある。
次第に遠のく20世紀、昭和の時代の大切な1ページを聞きながら、寒い夜を過ごし、芭蕉が描いた冬の世界を、透徹した湯浅譲二の音楽で楽しんでみられてはいかがだろう?
by Schweizer_Musik | 2008-01-31 01:10 | (新)冬の夜の慰めに…
冬の夜の慰めに (28) ランゴーの交響曲 第3番「若さの奔流 (ラ・メロディア)」
近代デンマークの巨匠、ランゴーの作品から、ほとんどピアノ協奏曲と言ってよい交響曲 第3番「若さの奔流 (ラ・メロディア)」を取り上げよう。
第2番は「春の目覚め」なので、こちらにしようかなとも思ったのだが、いくらなんでも早い気がしたもので…(笑)。
しかし、ナクソスにあるダウスゴーの全集は以前から持っているイルヤ・ストゥペルの全集を上回る出来映えで、これがいつでも聞けるのなら、イルヤ・ストゥペルの録音は捨てても良いかなと思うようになった。

彼はとても不思議な作風の変遷をした人物で、後期ロマン派の作曲家として出発し、1920年代はじめにはヒンデミットばりの無調的で表現主義に走ったのだが、その後古典的な作風へと戻り、これによってヨーロッパの楽壇から孤立してしまうのだが、田舎町のオルガニストとして何とか職を得て、宗教的な題材による作品など、広範なジャンルに作品を残している。
また、様々に作品を改訂しているのも特徴の一つだろう。
この交響曲第3番は1916年に完成したのちも1925年以降、何度か手を加えられている。
ピアノ協奏曲風で、ピアノ独奏が重要な役割を果たすのだが、これが後期ロマン派風で、新古典主義などの乾燥した作風が主流だった時代に、ちょっと時代錯誤のように受け取られたのはもっともな気がする。
しかし、この作品に溢れる情感の熱さは、まさに本物。ダウスゴーによるこのちょっととらえどころのない音楽を丁寧に描き分けていく手腕に、私はもう脱帽である。
ペル・サロのピアノは実に美しい。
寒い夜は、このような熱い音楽で心を温めよう!

ナクソス・ミュージック・ライブラリーのお薦めの音源
MARCO POLO/6.220516
by Schweizer_Musik | 2008-01-30 22:10 | (新)冬の夜の慰めに…
ルクーのヴァイオリン・ソナタ
午後、少し時間ができたので、カワイから送られてきた第二次校正の楽譜と、私の書いた文章の校正をしていた。
お昼を食べるときにつけたテレビがそのままになっていたのが不幸の始まりだった、
見ても居なかったのだが、いつの間にかニュースからバラエティになっていて、そこでスイスの紙幣に描かれているオネゲルの肖像がイケメンだ、などと実に下らないことを言うのが耳に入ってきた。
オネゲル?…つい気になって見てしまったが、それを言ういかにも教養の無さそうな女子アナらしき者達に、オネゲルを聞いたことがないのは致し方ないとしても、その内容のお粗末さに、見てしまったことを深〜く後悔することになった。
まぁ、オネゲルについての紹介は当然なく、ただイケメン(本当か?)ということだけで、その話もあっという間に別のイケメン?に行ってしまい、ただ内容の低俗さにあきれるばかり…。番組名も局も未確認のまま、消して聞き始めたのはルクーのヴァイオリン・ソナタだった。
最初から、下らないことをしているテレビを消して、こちらを見ていれば良かったのだ。
ルクーの音楽は私の苛つく心を穏やかに治めてくれた。演奏はアルチュール・グリュミオーとヴァルシによるもので、とても美しい。こんな音楽を聞くことで、少しイライラが治まり、静かな冬の夜が更けていく…。
早世した作曲家だが、結構作品を残しているのだが、私はイザイに捧げたということの作品しか知らない。でもこれとフランク、そしてブラームスの第1番、モーツァルトのト長調の4曲は確実に私の癒しの音楽となっている。
by Schweizer_Musik | 2008-01-27 22:12 | CD試聴記
冬の夜の慰めに (27) リストのピアノ協奏曲第1番
昨日は一日寝た…。自分でもよくこんなに眠っていられたものだと感心している(笑)。
ところで、マルタ・アルゲリッチの悪口をよく言う私であるが、昔はひときわ彼女の演奏を愛していた。なんという才能だろう。反応の良い響き、あのタッチは他の誰からも聞けないものである。
しかし、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番を録音したあたりから彼女の極端なテンポについていけなくなってしまった。1980年代半ばだっただろうか?以来、私はマルタ・アルゲリッチから遠ざかっていたけれど、昨年、ルガーノ音楽祭のライブをいくつか聞いて、感心もし、若い人達をもり立てて行こうという姿に、ちょっと良い印象を持った。そう言えば大分などでもそうした音楽祭をやっていたことも思い出す。
少しずつ人間は歳を取り、角が取れていくものであるようだ。

マルタ・アルゲリッチがショパン・コンクールで一位になったのは確か1965年だった。ライブ録音も持っていたはずだが、どこかに行ってしまった…。けれど1960年代から1970年代にかけてのアルゲリッチのピアノ演奏は、使いたくない言葉だが「天才」と言う他ないようなものだった。
リストのピアノ協奏曲を録音したのは1968年。共演はクラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団であった。ロンドン交響楽団はその数年前にリヒテルとキリル・コンドラシンと共に同じリストの協奏曲を録音している。歴史的名盤の名を欲しいままにしているこの演奏に続いて、またアルゲリッチと同じリストを録音したのだ。
私はこの作品との出会いはブレンデルとギーレンのヴォックス盤だった。その話は以前に書いた(リストのピアノ協奏曲とアルプスの思い出)
その後、リヒテルの録音が廉価盤で出て、それが私のリファレンスとなった。しかし、何年か経って、レギュラー盤を買えるようになって手にしたアルゲリッチのこの演奏は強烈だった。響きがキラキラとして、力強いだけでなく、軽いというか反応が良いというか、音楽の表情にピタリと合わせて来る…。
アバドの指揮するロンドン交響楽団も凄い演奏だった。協奏曲でオケについて書く人は少ない。確かに花形はソリストだと思うけれど、このオケのアンサンブルの良さはどうだ!

かつて、2曲ある(正確にはもっとあるのだが…)リストのピアノ協奏曲で、私は第2番の方が好きだった。でもこのアルゲリッチの演奏だけは別だ。
この第1番を聞きながら、再びアルプスの峰を遠く眺めたことを思い出していた。美しいというだけでなく、それは荘厳な趣を持っていた。
山岳信仰というものがあるのもわかるし、その神秘性が、バイロンのマンフレッドの劇詩を生んだのであろう。
そんなことを連想しつつゴルナーグラートからマッターホルンのライブ・カメラの映像を見ていた。
どうも今年は雪が少ないように思う。これだけで温暖化がどうのという議論をしていては、Nステ程度のレベルになるので、止めておくけれど、確かにグリンデルワルドなどの氷河の後退は劇的なレベルで、これは確かに心配したくなる。

アルゲリッチの話からずいぶん離れてしまった…。
by Schweizer_Musik | 2008-01-27 09:04 | (新)冬の夜の慰めに…
自分への覚え書き
怒濤のような一週間だった。別に新たに何かあったわけではないのだけれど…。
火曜日は約束のスコアとパート譜を作って納品。ついで授業があったけれど、休みもいて、欠講まったりと過ごす。
水曜日は現代音楽の授業で、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」をとりあげて分析する。オーケストレーションの授業ではイベールのサクソフォンと11の楽器のための小協奏曲の第1楽章を分析。来週は第2楽章と第3楽章(実際には続けて演奏されるが)を取り上げる予定。
お昼には、先日私が頼まれて編曲したシュトラウスの「春の声」と「トリッチ・トラッチ…」の本番があったので聞きに行く。寒い日で、雪の中文京シビックに向かい、その演奏を教え子たちと聞いた。多少不満もあったけれど、考えた通りの音がしていたので、気分をよくして授業にもどった。
木曜は一日作曲と編曲の仕事。金曜日は授業。帰り際に来期のシラバスの依頼が来たので、昨年出した物と同じファイルを担当の方にわたす。
報告書や、音だしの依頼や申請書を出してから帰るともう完全にグロッキー。疲れ果ててしまい、今日は一日ぐっすりと寝た。
出版譜の第二次校訂が届く。明日にでも送り返す予定。
by Schweizer_Musik | 2008-01-26 21:31 | 日々の出来事
なんとかスコアとパート譜を納める…ああ疲れた…
昨日は、あれからひたすらパート譜作りであった。楽譜作成ソフトだから、パート譜は簡単だろうと言われるし、そう思われている。確かに手書きの時代に比べれば、信じられないほど楽である。スコアさえ、きちんとしていれば、音符を入れ直すことは必要ないのだから。
でもサックスのように移調楽器を実音で表示して書いている場合、スコアを移調譜に直すとトリプルフラットやダブルシャープのオンパレードになったりして、それを全てチェックして直していかなくてはならないし、譜めくりを考えてレイアウトを1ページずつ直さなくてはならない。
更に、ディヴィジでパートを更に分けている場合はそれぞれのパート譜を作り直さなくてはならない。
これが30パート。それぞれ6ページ程度のバート譜で整理してプリントしていかなくてはならない。
これが昨日の夜というか深夜まで必死になってやったが、ソプラニーノ、ソプラノ・サックス6パート、アルト・サックス7パート、テナー・サックス7パート、バリトン・サックス5パートを作るがここでたまらず就寝。
朝、四時半から起きてバリトンの残りとバス、パーカスなどを作るが、ティンパニ2パート、ハープ二台とチェレスタはやり残してしまった。
明日までにはそれも作って渡さなくては…。
スコアが36ページあり二部作ったので、これだけで大きい電話帳一冊分であった。

今朝は、結局朝食を摂る時間もなく、飛び出していく。結局授業の準備が全くできず、ラヴェルのボレロの分析などをして、お茶を濁して終わってしまった。それでも朝の九時半から夜の八時過ぎまで、休みはほとんどない状態であった。まぁ、授業そりものが「まったり」としていたので、くたくたということではないのだが、その前の疲労の蓄積が今はとんでもない状態である。明日の授業もなんだかお茶を濁して終わりそうな気がしてきた…。いかんなぁと思いつつ、今日は寝ることにする。
明日、帰ってから、コメント、頂いているメールへのお返事を書く予定。
皆様、遅くなって申し訳ありません。今少しお待ち下さい。
by Schweizer_Musik | 2008-01-22 23:11 | 日々の出来事
アレンジが終わった
ようやくサロメの編曲を終える。30段のスコアで349小節を書き終えた。やれやれである。最後まで通して初めて音を出してみたが(Finaleの貧弱な音で…)まぁなんとかなりそうである。
しかし、難しい曲だった…。とてもとても難しい曲だった。気がつけば、ほとんど一ヶ月これにかかり切りであった。勉強になったが、疲れた…。
学生たちのサックス・オーケストラで、どれほどの演奏ができるか、期待とともにちょっとばかり心配もする。
とてつもなく難しい曲だからで、アンサンブルも緻密でなくてはならない。ビデオのジュゼッペ・シノーポリの指揮のようにアバウトなアンサンブルは困るのである。それでも舞台があればビデオのようになんとか持つけれど、ただ演奏だけでは余程良いアンサンブルでないとダメだろう。
それぞれのパートはフラジオはほとんど使わなかったけれど、高音域を積極的に使っている。従って成層圏での演奏となるパートもある。10分弱の成層圏での苦しい演奏は大変だろうと思いつつも、散々考えてこうしてみたのだ。これしかないとか言う自信もないが、対案があるなら示せと言い切るほどの思いもスコアに対してある。
これからパート譜作りに入る。これまた大変な作業で、夜までかかるだろう。でも一応これで落ち着いたかな?と思う。
8月にはチューリッヒで敬愛する津田理子さんが主催するトーンハレの連続演奏会で、私の小品を演奏して頂けるかも知れず、その作品を急いで仕上げたいと思っているし、やりたいことは山のようにある。
今年で50才。やりたいことは山のようにある。なかなか枯れるわけにはいかないのだが、少しずつ体が言うことをきかなくなっている。
そんなことはともかく、先日もらったバレンタインで、一人「お疲れさん…会」をやっておこう。ともかく疲れた。
by Schweizer_Musik | 2008-01-21 16:23 | 日々の出来事