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ブルンの交響曲第8番
作曲者 : BRUN, Fritz 1878-1959 瑞西
曲名  : 交響曲 第8番 イ長調 (1942)
演奏者 : フリッツ・ブルン指揮 チューリッヒ・ベロミュンスター管弦楽団
CD番号 : Guild/GHCD 2351

フリッツ・ブルンの交響曲の自作自演のCDが海外から今日届いた。ひたすらスコアを書いていたのだけれど、ちょっと休憩…。
大体ブルンなんて作曲家をご存知の方の方が少ないだろう。
ルツェルンに1878年に生まれた作曲家・ピアニスト兼指揮者で、10曲ある交響曲をはじめとして協奏曲(ピアノ、チェロ、バイオリンなど編成も様々ながら数多くの協奏作品がある)や室内楽、声楽作品など、多くの分野で作品を残している。
指揮者としてはベルン交響楽団の音楽監督を長く務めたが、このオーケストラがフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュなどから高く評価され、定期的に客演で訪れるまでに育て上げたことは特筆される。
彼の指揮したものはあるはずと思っていたものの、実際に聞くことができるとは思っていなかっただけに、このCDをGuild・レーベルのホームページで見つけた時は、ホント、小躍りしたいほど嬉しかったものである。
スイスは戦争に参戦しなかったものの、ドイツとイタリアに挟まれ、難しい時期を戦争中過ごしたことには変わりなかった。
その戦争中に書かれたこの作品が、長調とついているものの、複雑な響きを有していることは、誰の耳にも明らかだ。一国だけ平和を維持し、戦後の繁栄の礎を築いたことへの周辺国のやっかみもずいぶんあったろうが、この国が平和を維持したからこそ、ワルターがなんとか逃れることが出来たわけだし、ベルリン・フィルのコンマスになったシュヴァルベもペーター・リバールも、ディヌ・リパッティもクララ・ハスキルもなんとか生き延びることが出来たのである。
その中にはゲオルク・ショルティの名前も入れておかなくてはならないだろう。
戦争が終わって、あるいは終わりに近づいた頃、フルトヴェングラーやメンゲルベルクがやって来ることとなる。
地理的にもヨーロッパの中央に位置し、アルプスという特殊なエリアを、言い換えれば交通の要衝にスイスは位置している。だからウィリアム・テルの物語も生まれるのだが、この第二次世界大戦でもこの多くの人々の運命の交差点にスイスが位置していたのは興味深い出来事だと私は思う。
この音楽はそうしたスイスにあって、時代の混乱と様々な悲劇を見つめた、有能な作曲家の時代の証言のように思われてならない。
ブルンは、シェックなどと比べても、更に保守的な作風の作曲家であった。しかし、それが彼の評価の重要な部分ではない。作曲家の評価とは、どういう技術で書いたかではなく、何を書いたかであるはずだからだ。
このCDは、ヘッセやシェックなどとの交友でも有名なブルンの才能の一端をそれでも味わうには充分な、価値ある一枚だった。絶望と希望がこの音楽の中から私には圧倒的な響きとして聞こえてきて、言葉もない。
ベルンの民謡によるという長大な第2楽章を聞きつつ、平易なメロディーであるはずなのに、響きに複雑な感情が織り込まれ、じわじわと心を掴んで話さない…。
1946年、戦争が終わった年の録音である。クラランのサナトリウムにフルトヴェングラーが一切の公的な発言を禁じられて入院していた頃のスイスで放送のために録音された一つである。
by Schweizer_Musik | 2009-02-28 16:40 | CD試聴記
あのメンゲルベルクのマタイ受難曲…
作曲者 : BACH, Johann Sebastian 1685-1750 独
曲名  : マタイ受難曲 BWV.244 (1728-29)
演奏者 : ウィレム・メンゲルベルク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団,アムステルダム・トーンクンスト合唱団,ザンハルスト少年合唱団,(合唱指揮:ウィレム・ヘスペ),カルル・エルプ(福音史家/ten),ウィレム・ラヴェッリ(イエス/bs),ジョー・ヴィンセント(sop),イローナ・ドゥリゴ(alt),ルイ・ファン・トゥルダー(ten),ヘルマン・シャイ(bs)
CD番号 : PHILIPS/462 871-2(ナクソスの復刻はこちら)

ちょっと敬遠してきたメンゲルベルクのマタイを聞く。いや、正確にはこれを聞きながら夕べは寝た…。あまり良い夢は見られなかった(笑)。
この曲を最初に聞いたのは、ご多分にもれず、リヒターの1958年録音盤なのだが、今ではこれもちょっと敬遠気味で、アーノンクールの新盤や鈴木雅明氏のこちら、あるいはミシェル・コルボの古い録音かガーディナー盤を聞くことが多い。
大きな編成でやると、どうしても声部の風通しが悪くなる。クレンペラー(歌手がなんとも豪華!!)やカラヤンは次第に敬遠するようになり、永遠にエバーグリーンであり続けると信じていたリヒター盤ですら色あせてしまった。
しかし、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団をちょっとまとめて聞いてきて、あれはどうだったかと思い始めて、寝る前にiTuneで流しながら寝てしまった。
小編成による演奏が一般的となった今、こうした大編成でベタベタのロマンチックな演奏は、さすがに私のような者にも時代遅れに感じるようになったが、これはバッハではないなんて言われると、それはどうかなと思ったりしていた。
それは、音楽への向き合い方によると思うのだ。何種類この曲の演奏を持っているのか分からないけれど、そのどれもが私を感動に誘う。いやどんな演奏ですら私はこの曲を聞くと感動してしまう。キリストの受難の物語につけられた迫真の音楽はあちらこちらに仕掛けがあり、私のインスピレーションを刺激する。
今一番気に入っているのは鈴木雅明盤だが、別にそれでなくても良い。この音楽の持つ力は果てしがないのだ…。
実はメンゲルベルクの録音を聞いて途中、うたた寝状態だったりしたが、結局最後まで聞いて寝た。いや眠れるような物ではないのだ、この曲は。
書き始めたらもの凄い長文になりそうだ。仕事もあるのでこれ以上は止めておく。しかし、敬遠してきたメンゲルベルクのマタイから、私は大きな感動を得た。ところどころあるカットは残念だが、それを今指摘したところで何の意味があろうか?
この演奏はキリストの死の物語を自ら追体験し、それを古典演劇のように演じているのだろう。それを聞く人間もその追体験に参加させられる…。朗読を聞くかのような昨今の演奏とは土台違う土俵にいるのだと思う。
今朝、仕事をはじめる前に、鈴木雅明のを聞いて頭をすっきりさせようとしてみた。
私はこの演奏が好きなのだけれど、冷静さと物語の強いドラマ性とのバランスが良いと思う。メンゲルベルクのように徹底的にのめり込んで演じられると、さすがにちょっと引いてしまう…のかも知れない。
マウエルスベルガーの録音がナクソスにアップされないかなと、心待ちにしているところである。抜粋盤だけでは何とかの生殺しである…。この作品は抜粋ではちょっと…。
さて仕事仕事!!。
by Schweizer_Musik | 2009-02-28 08:49 | CD試聴記
シューベルトのミサ曲第2番をケーゲルの指揮で聞く
作曲者 : SCHUBERT, Franz Peter 1797-1828 オーストリア
曲名  : ミサ曲 第2番 ト長調 D.167 (1814)
演奏者 : ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団,合唱団(ゲルハルト・リヒター合唱指揮),マグダレーナ・ハヨショヴァ(sop),エバーハルト・ビュヒナー(ten),ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(bs),ヴァルター・ハインツ・ベルシュタイン(org)
CD番号 : DS/TKCC-15080
ナクソスにもある。(こちらからどうぞ!)

いつもお世話になっているyurikamomeさんのブログで取り上げられていて、久しぶりに取り出して聞いて、今はまっているところである。
メロディーはとても平易で、なんということもないのだけれど、シューベルトが書くとどうしてこんなに胸にしみるのだろう?
ケーゲルの指揮するライプツィヒ放送交響楽団のアンサンブルも最高だ。ソリスト陣も全く素晴らしい出来で、さすが旧東ドイツを代表する歌手達である。
ポルスターとビュヒナーは、高校生の時に生で聞いた歌手だが、とても良い歌手だと思う。ソプラノは若干音程が怪しいのが難点で、もっと良い歌手がいたろうに…と思ったけれど。
合唱はとてもよく仕上げている。ゲルハルト・リヒターという指導者が良いのだろう。
このCDには、シューベルトの「スターバト・マーテル」も収められている。実は、買う時にそれが聞いてみたくて買ったのだが、これまたシューベルトの作品の中でも決してメジャーではないけれど、心にずっしりとくる名作。聖母の嘆きは多くの作曲家たちに創造のインスピレーションを与えたけれど、シューベルトも例外ではなかった。
ずいぶん昔に購入した一枚だけれど、宝物のような一枚でもある。久しぶりに聞いてみて、しみじみと良かった。大仰ではない、楚々としたシューベルトも良いものだ。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 22:14 | CD試聴記
疲れた…でも充実した1日だった
何やかやと多忙な1日だった。ブログに逃げ込んでばかり居られないほど色々と忙殺されていた。
でもとてもとても充実していた。大量にたまったアレンジにも、ようやく取りかかれるようになったが、色々とその傍らで舞い込むことがあり、忙しさに拍車をかけてくれたけれど、それがまた楽しく思えるようで、寒い1日、ほとんど暖かな部屋を出ることなく、終わった。
後、数日がんばったら、大阪にちょっと帰って、ご先祖様のお墓参りをしたりして、落ち着いた日を過ごしたいと思っている。
この何週間か、あまりに忙しかったから。
津田さんのコンサートもかなり良い感じで進んでいる。私の力ではなく、多くの人達が動いてくれるからで、こんなに良い思いをしていて良いのだろうかと、心配になるほどである。ただただ、感謝!!
ひたすら感謝しつつ、ホントに良いコンサート、横浜にとって良いイベントになるように頑張らなくてはと思う。
津田さんから、嬉しいメールも頂き、頑張るエネルギーがまたまた出てきた。
だけれども、今日はかなり頑張ったので、お終い。明日また頑ることにしよう。あまり深追いしても良い仕事はできないだろう…。でも良いことが色々あった1日だった。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 19:55 | 日々の出来事
クリュイタンスのもう一つの「田園」
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第6番 ヘ長調「田園」Op.68 (1807-08)
演奏者 : アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : TESTAMENT/SBT 1182

今ではDISKYなどでバジェット・ボックスで購入できるクリュイタンスとベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集であるが、この録音は1955年に録音されたモノラル盤で、フルトヴェングラーが亡くなった翌年のものである。
実はクリュイタンスの全集は「田園」が最も評判が良いのだけれど、私はこの「田園」が一番良くない(比較しての話である)ので、この録音が出た時は嬉しかった。モノラルでなければこれが決定盤になるところだったが…こればかりは仕方がない。
ステレオ盤が残響でデティールが暈けてしまい、プロポーションの良い演奏が台無しになってしまっているのだけれど、このモノラル盤はそういうことが全くない。
ベルリン・フィルはさすがに1960年代から70年代のコンセルトヘボウ管とは比べものにならない位、弦の音色などに魅力がない。これはやむを得なかった事情もあるが、スイスに逃れていたシュヴァルベを口説き落としてコンマスにしたカラヤンなどの努力の末、ベルリン・フィルも良くなって来たわけである。フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルはかなり酷い状態であったと言えよう。
でも音は、あきらかにあのフルトヴェングラーのオケなのだ。変わってしまう直前の何かがまだ残っていたのだ。それは第2楽章の冒頭を聞いて強く思った。
オケの伝統だとか色々言う人がいる。確かにそれはある。ティンパニの皮の音や伝統的なオケが持っている楽器を使わせるなどによって音を守っている例もあるが、指揮者やコンマス、パート・リーダーが代わっていく中で、音もアンサンブルもどんどん替わっていくのだ。
これを残念とかいうのも間違っているのだろう。確かに良いものが失われていくのは残念だが、世代交代、人が入れ替わっていくことで、新しい活力も生まれていくのであるから。またそうでないと、若い音楽家たちは永遠に職場を得ることなんてないはずだ。
新しい世代に残さなくてはならないこと、あるいは新しい世代が作り上げていかなくてはならないことをゴッチャにして議論できないのだろう。
この演奏は、サヴァリッシュの演奏で満足できず、ちょっとストレス解消のために聞き始めたのだけれど、2つの有名オケが変わる時代に録音されたものであることを思い、ちょっと面白く感じた次第である。
しかし、この古ぼけた録音(第2楽章のクラリネットなんて私に言わせれば下手!だ。よくこんな演奏でOKを出したものだ…)からも、あの美しい「田園」が聞こえてきて、クリュイタンスの運びの素晴らしさを堪能した。
でも「田園」のサヴァリッシュ…。ちょっとおかしかった。どうしたのだろう?
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 12:05 | CD試聴記
サヴァリッシュで聞くベートーヴェンの交響曲第2番
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第2番 ハ長調 Op.36 (1801-02)
演奏者 : ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
CD番号 : EMI/TOCE-9041〜45

「田園」で満足出来なかったので、もう一つ、第2番を選んで聞き始めた。録音は1991年とのことなので、田園の2年後であるが、これはなかなか良い。いや実に良い演奏である。
yurikamomeさんが、私に良いですよとおっしゃったのはこの曲のことだったのだろうか?そんなことを思いながら、なんとも反応のよいオケの気持ちの良い演奏を聞いていた。
第1楽章の序奏からとても深いブレスで「田園」のようなセカセカした印象は全くない。私の知っているサヴァリッシュがそこに居た。
主部に入っても落ち着いた運びで、全く危なげがない。曲が「田園」より落ちるからだろうという意見は全くあたらない。何と言ってもベートーヴェンなのだ。若書きとかで軽い曲なんていうことはあり得ないのだ。
いや、なんて凄い作曲家なのだろう。
ただ、弦は(この弦については、長年のクレバース、オロフ、マヒューラ体制の素晴らしい弦セクションの音わ聞きつけているので、点は辛くなってしまうので、ご容赦を!!)どうも状態のよくないウィーン・フィル程度で、かつての輝きは失っている。こればかりは仕方がないことなのだろうが…。
それはちょっとした刻みをメロディーの影でやっている時の、気の抜けたような音になって現れる。勢いよく歌い上げている時はそんなことはないのだけれど、ちょっとした所で音が荒れてしまう。こうしたことが、昔なかったことで、ヨッフムなどの録音からは絶対に聞こえてこなかったことである。
客演の厳しさなのだろうか。オケを掌握できていない、甘さはホントに細かなところで出ていることは事実だ。それが「田園」のように顕在化していないので、この演奏はサヴァリッシュの録音としても目覚ましい成果となったのだろう。
第2楽章などは、今までぼろくそに書いたことが申し訳なくなるほど弦セクションが美しい響きを奏でていて、なかなかに聞かせる。彼らはまだまだ出来る連中なのだ。いや惚れ惚れとする美しい演奏である。
第3楽章はもう少しパンチがほしいと思った。またテンポがかなり緩めなのにほんの少しだけだけれどリズムが崩れる。指揮のせいもあるのかも知れない。
終楽章は美しい演奏でなかなかに聞かせる。テンポのとても良いし、アクセントも適度に入っていて実に楽しい。これは名演である。
ミスをしているとか、そんなレベルではないし、これを聞いて、ちょっとだけショルティやバーンスタインを聞いてみたが、遙かにこの演奏の方が魅力的だった。世評とは、特に昔読んだ評論などは当てにならないものだと、最近つくづく思う。
何年ぶりかで買ってみたレコ芸も、つまらなかったので、以後また買うのを止めている。あまり読むところが無いのだから仕方がない。これも時代なのかな?
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 11:39 | CD試聴記
サヴァリッシュ指揮で聞くベートーヴェンの「田園」
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第6番 ヘ長調「田園」Op.68 (1807-08)
演奏者 : ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
CD番号 : EMI/TOCE-9041〜45

これもyurikamomeさんにお借りして聞かせて頂いたもの。良い演奏だ。私はまず「嵐」の場面を聞いてサヴァリッシュの正確無比な指揮とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の実力を再認識した。
1991年の録音である。ハイティンクがこのオケを退いたのが1988年だから、まだそれほど時は経っていない。でも、弦の響きに昔日の栄光はすでに陰りを帯びているようで、第5楽章のヴァイオリン・セクションの響きが荒れて聞こえるのは残念だ。
深い残響の中で聞こえてくるのは確かにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の音だけれど、録音スタッフが変わったからか、残響が少し多めで、デティールがフワッとしている。暈けているわけではないけれど…。
しかし、この終楽章が一番よくない。テンポが走りすぎていて(速いのではなく、ちょっとだけつんのめっている感じなのだ)サヴァリッシュらしくないと思った。
ヴァイオリンも響きが痩せているなと思ったけれど、チェロなどの低弦は更に魅力が失われているのはどうしたことだろう。マヒューラはもう退団していたとは思うが(未確認…)。
トップ奏者が変わって、曲がり角を大きく曲がっりはじめた時代の演奏であった。私はこの曲を聞く時はまずこの2つの楽章の演奏(録音)を確認してから全曲を聞き始めるのだ。
こうして第1楽章を聞き始めた私は、かつての素晴らしかったロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と違うオケなのだと思うことにして、ようやく落ち着いて聞き始めた。そうすれば、良い演奏だし、下手に重ねていないので、奏者の音色がよくわかるし…とても良い録音だと思う。
ただ、サヴァリッシュの指揮が今ひとつ本来の調子でないように思ったのは、テンポが少しだけ落ち着かないところで、第1主題の提示はそれなりに納得ができるのだけれど、少しセカセカしているなと思っていたら、第2主題にはいるところで、伝統的に少しテンポを落とす場所もサッサと入ってゆくとそのままのテンポで走る。
イン・テンポなのかというとその後、いきなりテンポが遅くなったり速くなったり…で、うーん、落ち着かないなあ…。確かに「田舎に着いた楽しい気分」の曲なのだけれど、牧歌的広がりと落ち着きに欠けるようだ。
第2楽章はそれでも好調な滑り出しでなかなかに聞かせる。この楽章の魅力は木管なのだけれど、ちょっと遠すぎる。ライブならこうなるというのはよく分かるのだけれど…。
テンポの違和感はあまりなく、聞きやすい演奏だと思う。木管(かなり良い奏者が残っていたはずなのだが)の魅力がもう少しフィーチャー出来ていれば名演となっただろう。
第3楽章のスケルツォはここまでの感じでは、かなりのテンポで飛ばすのではと思っていたら、当たり前のテンポであった。それでもホルンの連打を強調してみたりという細部での面白さ、オケの管楽器奏者の優秀ぶりが伝わってきて、この楽章はとても楽しかった。いや、なかなか良い演奏である。さすがスーパー・オーケストラだ。第4楽章へはちょっとだけテンポをあげて入るが、私はこれは間違っていると思う。アチェレランドの指示はないのだ。サヴァリッシュ氏はどうしたのだろう?
嵐の場面もクリアな低音でスコアがとてもよく音化されている。この楽章を聞くだけでも大いに価値があったと思う。ただ、終楽章への移行部がもう少し落ち着いて、たっぷりとやって欲しいと思った。
終楽章は、やはり弦の出来が今ひとつで、細かなアーティキュレーションもかなりアバウトになっていて、良い評価は出せない。
この後、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団はシャイーの下で凋落する…(とまで言い切れないけれど、私が好きだったコンセルトヘボウ管では無くなっていた)。シャイーが悪いというよりも、主だった奏者が交代し、新しい時代に突入したと言った方が良いだろう。
ヤンソンスのものもいくつか聞いたが、私にはあまり…。ということで、1980年代までで、私にとってこのオケは終わっていることを、再確認してしまった。
普通には決して悪い演奏とは言えないが(こんだけこき下ろしておいてよく言うな…)、このオケのベートーヴェンなら、ハイティンクかヨッフムの旧盤を選ぶべしである。
yurikamomeさん、お借りして聞かせて頂いておいて、こんな書き方をして申し訳ありません。第2番を今から聞いてみようかと思っているところです。またレポートいたします。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 11:06 | CD試聴記
ロージャのヴィオラ協奏曲
作曲者 : RÓZSA, Miklós 1907-1995 ハンガリー→アメリカ
曲名  : ロージャ/ヴィオラ協奏曲 Op.37 (1979) 第3楽章 Adagio
演奏者 : ギラド・カルニ(va), マリウス・スモリジ指揮 ブダペスト交響楽団
このアルバムは こちら

この作曲家の母国であるハンガリー風に書くとロージャ・ミクローシュとなるけれど、アカデミー賞の音楽部門に17回ノミネートし、3回受賞した映画音楽界の巨匠でもあるこの作曲家の、シリアス・ミュージックの傑作である。
1979年にズッカーマンのために書かれたこの作品は、近代モードを使ったエキゾチシズムに溢れた名品である。
聞いていると、あの「ベン・ハー」の作曲家らしいなと思う反面、オーケストレーションが意外なほど大人しいというか、重ねすぎてゴージャスであっても特徴のない響きに成り果てたハリウッド・ミュージックとは全く違う品性を感じるオーケストレーションに心奪われる。
この曲を書いた頃から、ロージャは映画の世界から離れて、こうした器楽作品などに専念するようになっているが、ハイフェッツのために書いたヴァイオリン協奏曲第2番など、純音楽の世界とも密接な関係を続けていた作曲家だけに、自由に書きたい音楽を書きたいという当然の帰結だったのだろうか?と思う。
第2楽章の変拍子も含めて、決してアバンギャルドなものとは違う、地に足をつけた、メロディーの持つ力を信じている強さがある。この曲が書かれた頃は、すでに前衛、実験音楽の時代は終わりに向かっていた。
ダルムシュタット楽派の時代は終わり、新ロマン主義なる反動と、ミニマルなどのポップ・アートの音楽版などの群雄割拠の時代へと突入していた。
そうした中で、こういう音楽も再びその「人権」を認められる存在となっていたのだなぁと、その時代に育った世代としてはつくづく思うところである。
バルトークやコダーイとはまた異なる、民族主義の世界は、変にインターナショナルな、ユニバーサル・デザインの音楽ばかり(そのほとんどはアメリカ製…なんと!!)聞かされているためか、こういう地域性、自らのルーツに根付いた作品には、とても好感が持てる。
特に第3楽章のゆったりとした音楽は、バルトークだったら「夜の音楽」になっているだろうし、コダーイだったら、民謡風の歌になっているだろうが、そのどちらとも違う個性は、どこかアリア風でもあり、彼が長年向かい合った映像世界とも深いところで繋がっているようにも思われる。
演奏は、若干リズムが重いと感じたり、歌い廻しが持って回ったところがないとも言えないものの、なかなか堂に入ったもので、安心感はある。
更に色々な演奏゛て聞いてみたいものである。できればズッカーマンの録音なんてないのかなぁ…。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 10:10 | ナクソスのHPで聞いた録音
コチシュの弾くリストのピアノ協奏曲 第1番
作曲者 : LISZT, Franz 1811-1886 ハンガリー
曲名  : ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124 (1849)
演奏者 : ゾルターン・コチシュ(pf), イヴァン・フィッシャー指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団
このアルバムは こちら

フンガロトンということで、ナクソスにアップされているものであるが、確か、フィリップス・レーベルで出ていたものだったと思う。
その経緯についてはよく分からない。同様のものが他にあったのかどうかも知らないけれど、イヴァン・フィッシャーが設立したブダペスト祝祭管弦楽団の評判が良くて、つい購入したことを憶えている。
そのCDが今どこにあるのか分からないけれど…(泣)。
で、本当にその録音とこれが同じかは、未確認だけれど、記憶の彼方にある印象では間違いなくこれだったと思う。コチシュの幾分走り気味のピアノが20年ほど前に聞いた印象としっかりとダブっているからだ。
私はこのリストのピアノ協奏曲を何度もとりあげている。2曲とも大好きなのだ。それは最初に聞いたコロンビア・ダイヤモンド・シリーズという廉価盤でのブレンデルとギーレンの演奏のせい…ではなく、そのジャケットのアルプスの写真のおかげだ。
その写真はフランス・アルプスのモンブランに近い、ラック・ブランという山の泉というか湖の夕暮れの写真で、湖水の向こうにある山小屋は日が陰り、すでに暗くなっているのだけれど、その向こうにあるドリュや針峰群、そしてグランド・ジョラスはアーベント・ロートに朱く輝いていて、その鮮やかなコントラストに魅せられ、そしてそれを見ながら聞いたこの音楽が刷り込みとなってしまったからなのだ。
特にお好みは第2番なのだが、あまりにそれを書きすぎたので、今日は第1番の方を。
第1番は変ホ長調とあるけれど、私にはとても長調に思えず、なぜこれが長調なのか、中学生の音楽をはじめたばかりで、まだバイエルくらいを辿々しくしか弾けない程度の私にはとうてい理解できるはずもなかったけれど、その不思議さというか、独特のエキゾチシズムが私にとってのこの作品の魅力となっていたことは事実である。
第2番の冒頭の和音の斬新さは時代を考えれば奇蹟のようなものだと思うが、第1番の半音階への傾斜は、トリスタンを準備したものと言えるのではないだろうか?
コチシュのせかせかした演奏では、第2番の幻想的な色合いが台無しで、ちょっと好みではないのだけれど、第1番は反対にそれが鮮やかに感じ、とても好きだ。

ところで、この曲の他によく「死と舞踏」がフィルアップされるのだけれど、この録音ではエルネ・ドホナーニの「童謡の主題による変奏曲」Op.25 (1913)が入っているが、これが決定盤と言えるほどの魅力的な演奏。コチシュも良いのだけれど、オケが何とも魅力的で良い。
童謡の主題はあの「キラキラ星」で有名なメロディーで、それをハンガリーの作曲家ドホナーニがどう料理しているか、ぜひ聞いてみてほしい。
良い作品、演奏が続々アップされているので、聞く時間がなくて困っている…。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 09:36 | ナクソスのHPで聞いた録音
スウィトナーで聞くシュトラウスの交響的幻想曲「影のない女」
作曲者 : STRAUSS, Richard 1864-1949 独
曲名  : 交響的幻想曲「影のない女 "Die Frau ohne Schatten"」Op.65, TrV 234 (1914-17歌劇作曲/1946編曲)
演奏者 : オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン・シュターツカペレ
このアルバムは こちら
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セガンティーニ作「日陰の憩い」(1892)

シュトラウスのファンタジー(幻想曲)である。歌劇は筋立てが舞台を霊界としてやたらとわからにくい(やたら分かりやすいのもどうかと思うけれど)ものだけれど、これは管弦楽作品に編曲されたもので、1946年に作られた。
晩年のシュトラウスの音楽ではあるが、元々が若い頃の作品だし、名人の手すさびとしてはなかなか…。
歌劇の方が良いとは思うが、これほどの名演であれば、ちょっと歌劇の印象が薄れてしまう…。
このスウィトナーという指揮者をあれほど身近にあったため、その偉大さが見えなくなっていたのではと、ちょっと自分でも反省している。
オケもまだ東ドイツは健在だった頃の録音ということで、上手いし録音も良い。それにオトマール・スウィトナーの音楽の運びの良さ!!
歌劇を知らない人が聞いても充分に満足できるのではないだろうか。彼の聞く者をうんざりさせる自己顕示欲の塊のような「英雄の生涯」などのようなバカバカしさはこの音楽は無縁だ。
更に、歌劇から作っているからか、音楽の密度が途中でさがらない。この人の音楽は最初が良くて(所謂「つかみ」)途中がつまらないことが多いのだけれど(ティルや死と変容などはむしろ例外)この曲ではそういうこともない。いや、良い曲である。20分ほどがとても充実していた。
ナクソスにこれほどの名作・名演が入っているのだ。恐るべしである。お薦めですよ!!
セガンティーニの絵は、なんとなく、この音楽にあっているなぁ…などと思う。変かなぁ〜。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 08:27 | ナクソスのHPで聞いた録音