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簡単な漬け物…で二合ほど晩酌で…
朝、一仕事した後、先日買った白菜を1/4ほど使って浅漬けを作る。
白菜を切って、ビニールの袋(スーパーでくれるやつ)に入れ塩を少々、酒少々、昆布茶の素を少々、ゆずポン酢を適量、ゆず胡椒を少々入れて、冷蔵庫に15分ほど入れる。今日はここに酢昆布を切って入れたのだけれどこれが大成功で、たくさん作ったつもりだったけれど、一日で無くなってしまった。
夕刻、仕事を終えてこれをつまみにして二合ほど飲んだ。いつもは一合なのだが、今日は二合になってしまったが、これはこのつまみが上手くできたためだった。
簡単すぎるもので、料理などというのはお恥ずかしい限りだが、いや美味かった…。
一杯やって、ちょっと横になっていたらもう11時だった。やれやれである。

明日は横浜シティ・オペラの「愛の妙薬」に出かける予定。代表の柳澤さんが「とても良い舞台なのでぜひ」と言っておられたので、期待大である。少しは応援できたら…と思う。
東京を拠点にやっているオペラ・プロジェクトに続いて、2週続けてオペラを見ることになった。
明日、午前中に少し片付けてしまわないと…。
by Schweizer_Musik | 2009-10-31 23:33 | 今日作った料理
若き巨匠ドゥダメル!
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第7番 イ長調 Op.92 (1811-12)
演奏者 : グスターボ・ドゥダメル指揮 シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
CD番号 : UCCG-1345

今月のはじめに行われたコンサートのライブがもうiTuneで出ていた。マーラーの「巨人」で、オケはロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団である。一昨日、バルビローリの演奏をとりあげたばかりなので、これはまたいつかとりあげることにしようと思うが、ロス・フィルの反応がもどかしくなる場面もあるほどエキサイティングである。
こんな演奏は久しぶりだった。もう聞いてくれとしか言いようがない。
南米のベネズエラのそれもユース・オケとともに現れた新星は、ホンモノであった。こんな凄いライブを聞いたからには、他も聞いてみようと購入したのがデビュー盤(だったと思うが…)ベートーヴェンの交響曲だ。オケは南米のシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ
詳しくはリンクしたWikiの記事を参照していただきたいが、音楽好きならばこの程度のことを知らない人なんてもういないのではないだろうか?
日本の音楽大学の学生などよりずっと粗末な楽器を使っているのだろうが、この熱い音楽への情熱はそうしたハンディを跳ね返してあまりあるものだ。良い楽器を使えば良いというのではない。良い音楽をどうするかという問題なのだと、当たり前のことをこれほどストレートに突きつけられることも滅多にあることではない。
ただのユース・オケだと思って聞き始めたらその凄さに圧倒されてしまうだろう。覚悟して聞かねばならない。
第1楽章の推進力はつい先日ベームの指揮でこれと全く逆の演奏を聞いたばかりなので、もう眩いばかりだった。
第2楽章を聞いて、思わず涙が出てきてしまった。最近涙腺がかなり弛んでしまったようで、歳とったからに違いないと笑われそうだが、こんな思いにさせたのは、はるか昔、フルトヴェングラーの戦時中の演奏を聞いた時とクリュイタンスとベルリン・フィルの録音を聞いた時以来のことだった。
歌い回しはやや個性的というか、西洋の伝統から外れたところがある。でもそうした細々としたことも面白さになっているところがやはり凄いところだ。
第2楽章の終わりなどはもっと余情を感じさせるような演奏も可能だろう。そのあたりはまだまだ若さが出ているのかも知れない。
第3楽章から終楽章は彼らの独壇場である。ここから得られるものは確かにラテン系のよく弾むリズムなどに由来しているのかも知れない。そうした言説はいくつも目にしたけれど、私は単純に民族的なものとしてしまうのはどうかと思う。確かに「フェスタ」と題されたアルバムを聞いた時はそう感じたけれど、このベートーヴェンは本当に本格的なベートーヴェンであり、伝統的な解釈に新鮮な味わいをプラスしている。
大興奮の終楽章は必聴!!だろう。このテンポで来るか!という思いがけないテンポで駆け抜けていく。いや全く…絶句…であった。

もう一度念のために。今やベルリン・フィルなどの団員にもこのユース・オケの出身者がいるのだ。世界のユース・オケの中でもその頂点にいる(と思われる)このベネズエラのオケを決して侮ってはならない。

指揮者のドゥダメルもこのユース・オケで指揮者をやってきた若者。なんとまだ20代。1981年生まれ。私が大学を卒業した年に生まれたそうだ。そして25才の彼が指揮したベートーヴェンを聞いて、今感動を味わっているのである。
南米からこんな凄い奴が出てくるとは思わなかった。
by Schweizer_Musik | 2009-10-31 08:59 | CD試聴記
温故知新 Vol. 12 マーラーの巨人
作曲者 : MAHLER, Gustav 1860-1911 オーストリア
曲名  : 交響曲 第1番 ニ長調「巨人」(1884?-88/93-96改訂)
演奏者 : ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団
ダウンロードはこちらからどうぞ

パブリック・ドメインだからモノラルかと思って聞き始めたら、ステレオ録音だった。ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲でエルネスト・アンセルメの1957年のステレオ録音がアップされていたが、まだわずかであるが、今後増えていくものと思われるので楽しみだ。(そろそろ権利関係が切れる頃だから)
録音は年代を考えればかなり良いもので、私が持っているDUTTON盤が原盤ではないかと思い、CDを探したが出てこず。定位が若干動いてしまったりして安定しないところはあるが、解像度は良く、聞きやすい部類にはいるのではないだろうか。
マーラーのような音楽になると、モノラル録音では少々厳しい。出来れば良い状態のステレオ録音で聞くべきだと思う。
さて、中学の頃に私もこの曲に出会っている。演奏はこれではなく、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団の演奏だった。転調もベートーヴェンなどとは全く違うもので、当時の私には何がどうなっているのか分からず、随分ドキドキしながら聞いていた。
カローの風刺画からイメージを広げて書いたと言われる第3楽章、そして激烈な終楽章は大変好きで、圧倒的にB面ばかり聞いていたけれど、第1楽章の牧歌的な伸びやかな音楽にファンファーレがかぶる第1楽章や野性的なレントラーも気に入っていた。
しかし、やはり圧倒的に終楽章の雪崩落ちる開始部から手に汗握る歓喜へと向かう音楽が気に入っていたが、次第にベートーヴェンの第九に似ているかなと思ったりしたものだ。これはあの中学生の頃に感じたものが歳をとるに従って確信に近づいていった。
これは確か中3の冬に聞いていた音楽だった。こんなのを聞いてばかりいては高校受験に失敗するのも当たり前だろう(笑)。しかしこの頃、私の中で音楽はもう抜き差しならないものになっていて、その方向に進む以外に考えられないものとなってしまっていた。
ラインスドルフの演奏は良かった。その後、ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団のステレオ盤を聞いて、世紀の名演とはこういうものなのだと感動し、名盤・名演を遍歴することとなったのだが、こういう優れた演奏で出会うことの大切さを思う。
by Schweizer_Musik | 2009-10-30 07:14 | パブリック・ドメインの録音より
温故知新 Vol. 11 チャイコフスキーの「悲愴」
作曲者 : TCHAIKOVSKY, Pyotr Il'yich 1840-1893 露
曲名  : 交響曲 第6番 ロ短調「悲愴」Op.74 (1893)
演奏者 : エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
ダウンロードはこちらからどうぞ

実はこの演奏でなく、ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏するパイ盤が、中学一年の時に聞いた最初の「悲愴」であった。バルビローリの録音はCDに復刻されているが、パブリック・ドメインではないので、ここではムラヴィンスキーの1956年の演奏を選んだ。

さて、初めてこの曲を聞いた時、こんなに悲しいことってあるのだろうかと思った。絶望とかまだよくわからなかった頃、それでもこの音楽の尋常でない緊迫感は子供心に理解していたと思う。演奏もバルビローリとハレ管弦楽団の演奏は本当に凄かった。
聞いているこちらが汗をかいてしまうほどで、どこをとっても熱い血が流れているような音楽だった。やはり入門者ほど良い音楽、良い演奏、それも全身全霊で演奏したものを聞くぺきだと思った。中学の頃にこの演奏を聞いて、私はそんなことなどわからないままに、ただただ圧倒されていた(と思う)。
第1楽章の展開部にはいるところでpppppからいきなり大音響のトゥッティが鳴り響くところで、ホントに驚いたことも(いやわかっているはずなのにいつも驚いていたっけ…)懐かしい思い出である。
そして、展開部の終わり近くでの全奏での号泣…。弦楽器が悲嘆の感情を爆発させ、金管楽器の嗚咽がそれに乗っかって壮絶な場面が演じられるのである。これがバルビローリだと熱い熱い演奏となるのだが、ムラヴィンスキーだと鬼火が踊る、鬼気迫るものとなる。
性格の違い、音楽へのスタンスの違いが感じられてとても面白いものである。
その昔、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聞いたことがある。モーツァルトの39番とチャイコフスキーの5番がプログラムだった。実はベートーヴェンの「運命」とチャイコフスキーの「悲愴」と発表されていて、それを聞きたいと思って買ったチケットだったのに、直前に曲目が変更になったのであった。行くのをやめようかと迷ったほど落胆したけれど、行って良かった…。ホントに私の人生の中でもあれほどの演奏会は度々きけるものではない凄いものだった。
私の刷り込みとなっているのはバルビローリであるが、この演奏も大変素晴らしい。

ちなみに、同じパブリック・ドメインの音源を扱っているこちらにも同じ録音があるが、ケンペンの録音(指揮者の表記が間違ってルドルフ・ケンペとなっているが、正しくはパウル・ヴァン・ケンペン)があるが、どうなっているのかわからないけれど、第1楽章が提示部がなんどかくり返され、展開部の途中で切れているのには驚いた…。演奏はとてもまとまっていてシャープな「悲愴」で良いのだけれど…、やはりエフゲニ・ムラヴィンスキーの演奏で楽しむのが正しい姿ではないかと思う。
by Schweizer_Musik | 2009-10-29 21:22 | パブリック・ドメインの録音より
学生諸氏への連絡です
先日の音だしの時の録音の置き場所のリンクが間違っていたようですので、改めて載せておきます。
置き場所はこちらの10/14のファイルに置いてありますので、各自ダウンロードなどしてください。
以上です。

追記

水曜のオーケストレーションの授業でやった弦4のアレンジの課題の作例です。参考までに…。
c0042908_21274319.jpg

by Schweizer_Musik | 2009-10-29 19:40 | 日々の出来事
ベームの最後の来日公演の録音からベートーヴェンの第七番
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : 交響曲 第7番 イ長調 Op.92 (1811-12)
演奏者 : カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : Altus/ALT065

1980年10月6日昭和女子大学人見記念講堂録音というから、亡くなる前年の最後の来日時のライブ録音である。タワーでなんと700円で売っていたので、衝動買いした。
決して悪い演奏とか言う気はないが、第1楽章の序奏のテンポがなかなか決まらず、ちょっと走りかけてはもとへ戻しというあたりはああもうほとんどテンポが出せていないのではという印象であったが、一生懸命になったウィーン・フィルの底力は主部に入ってから示される。おそらく指揮が良くなったのではなく、ベームをもりたててオケが自発的に音楽を進め始めたのではないか?次第に焦点が定まり、ゆったりとしたテンポながら雄大な音楽が流れ始めるのだ。奏でられる音楽の立体感、パートごとの遠近感の付け方はやはり伝統の味というか、素晴らしいものだ。
こういうことであるから、全体にこの曲が要求しているエネルギー感、パワーに不足を感じるものの、あまり聞くことのない抒情性を獲得しているのは面白いことだと思った。
第2楽章などは、彼が若い時に正規録音したものなどと比べると、年取ったなぁと思うが、「腐っても鯛」(失礼!)だと思った。
したがって、第3楽章以下はちょっと不満が多い内容で、整ってはいるが、全体に地味な印象だ。まっ、予想どおりではあったけれど。
by Schweizer_Musik | 2009-10-29 19:25 | CD試聴記
温故知新 Vol. 10 ケンプの弾く「月光ソナタ」
作曲者 : BEETHOVEN, Ludwig van 1770-1827 独
曲名  : ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調「月光」Op.27-2 (1801)
演奏者 : ヴィルヘルム・ケンプ(pf)
ダウンロードはこちらからどうぞ

私がはじめて行ったコンサートは高校一年の時のヴィルヘルム・ケンプのコンサートだった。何度目の来日だったかは知らないが、大阪のフェスティヴァル・ホールで聞いた時は、とても興奮した。何と言ってもレコードでしか知らない、大演奏家が目の前にいてピアノを弾いてくれるのだ。もう出てきただけで涙が出てきてしまった…。
何を弾いたか憶えていない。ただ「月光」があったことだけは間違いない。終楽章のある稲光のようなフォルテを憶えているから…。
ピアノを本格的に習い始めたばかりの頃のことだった。練習嫌いで、好きな曲となるともの凄く一生懸命に練習するのに、ツェルニーやハノンとなると、もうサボってばすりいた私だったから、当然のことながら一門では最も下手くそだった。でもピアノの素敵な音にはとても憧れがあったし、それは今も変わらない。
当時の私の偶像はケンプだった。その後ここにホロヴィッツやルプーが加わるのであるが、高校の頃は本当にたくさんのコンサートに出かけた。そしてそこから得たものは絶大であった。
音楽の事は何も知らない母親も、コンサートに行くお金はなんとか工面してくれた。おかげで私は生きた音楽を楽しむことも身につけることができたのだと思う。月に多いときは10回近く、コンサートに通ったその始めがケンプだった。
月光ソナタを柔らかいタッチで、そして充分な重さを感じながら弾き始める第1楽章から、可憐な第2楽章、そしてドラマチックな終楽章まで、きっと若い私は夢うつつで聞いていたに違いない。
このパブリック・ドメインに置かれている音源は1950年代のもので、私がはじめて聞いた頃からは20年以上も前の壮年期のケンプの演奏である。したがって音に張りがあり(ピアノなんて誰が弾いても同じ音がするなんていうのは、全くの嘘である)表現はずっと若々しいものと思われる。(何しろロクに憶えていないのだ…なんて情けない!)
でも、聞きながら、あの日が、目の前をケンプが歩いてピアノに向かう姿と、そして燦めくようなフォルテが甦ってくるような気がしている。生きた音楽で感動を味わった者だけが得る喜びだと思う。
みんな、コンサートに行こう!!
by Schweizer_Musik | 2009-10-29 01:51 | パブリック・ドメインの録音より
温故知新 Vol. 9 ボッカチオ序曲
作曲者 : SUPPÉ, Franz von 1819-1895 オーストリア
曲名  : 喜歌劇「ボッカチオ "Boccacio"」(1879) 〜 序曲
演奏者 : アルフレート・ワルター指揮 スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団
このアルバムは こちら

先日、スカパー!でウェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団によるカーネギー・ホールでのお披露目公演の録画が放送されていた。1曲目がなんとスッペの「軽騎兵」序曲。よほどのポピュラー・コンサート、ファミリー・コンサートでないと聞けないほどとなっているこの作品が、1曲目にあり、全体にモーツァルトのフィガロからのアリアやモーツァルトのピアノ協奏曲などとともにウェルザー=メストのソロ(?)で演奏されていたのがこの「軽騎兵」序曲やヨハン・シュトラウスⅡ世の「芸術家の生涯」「アンネン・ポルカ」などで、随分軽いプログラムでカーネギー・ホールにやってきたのだなと思ったのだ。ひょっとしたらお披露目公演ではなかったのかも知れないけれど、これはこれで楽しかった。
さて、このスッペ、実は実演で聞いたことが大昔に一度あるだけで、それも「詩人と農夫」だった。「ボッカチオ」なんて更に聞く機会もなく、ただただレコード(記録)で聞いていたに過ぎない。
だが、私が最初に買ったLPがこのスッペだった。ステファン・ラホニ指揮ポーランド放送交響楽団の演奏で、コロンビア・ダイアモンド・シリーズからの一枚であった。
これと一緒に買ったのが何であったのか思い出せない。チャイコフスキーの「白鳥の湖」だったかヴァイオリン協奏曲だったような気もしないではないが、小学6年の時だった。
では何故スッペの序曲集にしたのか…。それは買いに行く前の日だったか、NHK交響楽団の演奏でスッペの「軽騎兵」序曲をテレビで見て(聞いて)いたくそれが気に入ったからだった。お使いで出かけたついでに、町に唯一のレコードを売っている電気屋(レコード屋なんてものがあるなんて知らなかった…)にわずかな小遣いで迷うことなくこれを買ったのだった。

小学生の私の心を奪ったのはやはり「軽騎兵」序曲であった。オーケストラの壮大なファンファーレに続いて悲劇的なフレーズがひとしきり鳴り響いてそれが緊迫感をもって盛り上がっていくと、ふとがらりと世界が変わって軽快なマーチが始まるというあの音楽に夢中になった。
同じLPには「スペードの女王」「ウィーンの朝・昼・晩」「ボッカチオ」「詩人と農夫」「美しきガラテア」などの序曲が入っていて、
これらの曲も私は大好きになった。中でもこの「ボッカチオ」序曲は「軽騎兵」とともに何度も何度も聞いた。ラホニのLPはもう手元になく、その演奏について述べるにはまことに心細いものであるが、何も知らない小学生だった私がこれらのメロディーを口ずさみ、安物のレコード・プレーヤーから流れてくる音楽に胸躍らせ、何度も何度も味わった。それはいつしか私の血となり肉となってしまったようだ。

ある時、ふとヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」のメロディーととても似た主題であることに気がついた。同じ音を使いながら、なんて味わいが違うのだろうと思っていたものである。(その内、同じ形でモーツァルトの39番の交響曲がそうだということに気がつき、じばらく主和音の分散和音でできたテーマを探してはおもしろがったものである。(ああなんて小生意気な中学生だったことか…笑)
和音も、ほんの少しだけ知り始めた和音の知識を総動員して、その甘く、どことなく切ない響きを再現しようとチャレンジするのが小学六年の春の日楽しみだった。(全く自己流でこういうものとただ勝手に思いこんでいただけの頃の話なので、あまり突っ込まれるとお恥ずかしいばかりだけれど…)
しかし、次第に冒頭の和音が循環コードといわれるものに似ていることを発見し、これを真似して曲を書いてみたりしていた。まだ作曲の先生につく前のことであるから、当時作った多くの曲(それこそ何百と作った…)はとても人に聞かせられるようなものではないが、一杯真似して作り、その音楽のエッセンスを自分のものにしていったのだと思う。
ラホニのLPの解説には、浅草オペラでずいぶんヒットした曲だと書いてあったけれど、小学生の私にはどういう意味なのかさっぱりわからないままだった。でも、スッペという人がウィーンで活躍した人で、パリで大流行していたオッフェンバックの喜歌劇をウィーンに最初に持ってきて大活躍したという程度のことはこの解説で学んだことだった。
当時の私はレコードのライナー・ノートですら大切な音楽情報だったのだ。今のように情報が豊富ではなかったし、週に一回のテレビのN響の演奏会の録画などは欠かさず見ていたものだ。

今は何でも手に入れようと思えば手に入れることができるし、聞くこともできる。とても便利な時代になったけれど、昔の私の田舎のように情報が入ってこない分、考えや好みが熟成させていく時間があったように思う。そうした熟成を経てしか得られないものが、今日はすっぱりと消え去っているのではないかと私は危惧する。
「スッペなんて薄っぺらな音楽はもう卒業したよ」と言うのは勝手だが、こういう音楽だって丁寧に聞くとそれなりに面白いし、丁寧に演奏したものなら、やはり素晴らしい世界が味わえると思う。小馬鹿にして「上から目線」では、何も見えてこない。
録音はマリナーのものがとても良かったし(PHILIPS/456 662-2)、ポール・パレーの古い録音も味わい深いものだった(MERCURY/434 309-2)。ただ手にはいるかどうか分からないので、ナクソス・ミュージック・ライブラリーのアルフレート・ワルター指揮 スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団をあげておく。ただこの演奏、ちょっといい加減な感じが今ひとつで、私はCDを持っているが滅多に聞かない。ナクソスには他に良い録音がないのが残念である。
by Schweizer_Musik | 2009-10-29 01:45 | ナクソスのHPで聞いた録音
急ぎの編曲…やれやれ…
昨日は一日たっぷり仕事をして、終わりが20時半だったが、その頃に教え子のM君から電話があり、急ぎの編曲を頼まれる。聞いてみると5分程度の曲でフルート1、クラリネット(B)2、アルト・サックス1という珍妙な編成で、彼が教えに行っている中学生の団体がアンサンブルのコンクールに出るのに必要で、彼も急に言われたということだった。
いつまでと訊ねると11月5日には出さないと(曲名なのか演奏なのかよく聞かなかったのでわからないが…)いけないので、今週中にとのこと。
で、曲は、と言えば「何が良いでしょうか」と言われ、ホントに困った。誰が、そしてどの程度のレベルの人が演奏するのか、全くわからないのに、選曲まで頼まれては困るなぁと思い、断ろうと思ったが、旧知の彼なので引き受けてあげることにした。
どうせお金などロクに出ないのだろうから断っても全くかまわないのだが…。
曲はその場でバッハの「目覚めよと呼ぶ声あり」に決めた。テンポが遅いので小節数が50あまり…(そのわりには全くコピー&ペーストが使えないし1小節の音数が多いので結局手間は全く変わらなかった…)なので。
で、夕べ、帰りの電車の中で半分ほどやり、今朝完成して、プリント・アウトを終えた。授業の準備が…、ああ朝ご飯を食べる時間が無くなってしまった…。やれやれ…である。一度くらい飲み代をおごれよ…。何だか学生時代のようなことになってしまった。もったいつけて今日わたすのをやめようか…。
そろそろ学校にでかけます。
by Schweizer_Musik | 2009-10-28 08:20 | 日々の出来事
今朝も仕事…ちょっとはかどる
一昨日から後少しとなったヘルメスベルガーを離れ、「春の声」の編曲に入っている。この曲は私の考えのトランスクリプションを作りたいと思い、ずっとアイデアを練っていたのだ。大体冒頭をトゥッティで始めるというのも敢えてソロからはじめてみるとどんな感じで続くだろうかとか、ソロとトゥッティを交えたものにできないか?などと考え始めると、もう妄想の世界へと入り、一日音楽を聞いたり、考えをちょっとメモったりして過ごしてしまった。
スコア上では全く進んでいないのだが、今朝、フッとひらめいて考えがまとまる。
というわけで、久しぶりにコンデンスを書き始めて今第1ワルツが終わったところである。
以前、パーカッション・アンサンブルとフルート・ソロという変わった編成のためにアレンジしたことがある。久しぶりにそれを見てみて、編成を置き換えるという写譜に近いところで安穏として、ちょっと脳みそを使っていなかったことにようやく気がついたのである。
脳は使わないと退化する。まさに、この二日間はそれを実感させられた二日間であった。もっと厳しいところで仕事をしている人もいるのだ。自分もしっかりしなくては…。
そろそろ終えて食事をしてから学校に出かけよう。
by Schweizer_Musik | 2009-10-27 08:00 | 日々の出来事