<   2010年 02月 ( 46 )   > この月の画像一覧
アンダとフリッチャイによるブラームスのピアノ協奏曲 第2番
作曲者 : BRAHMS, Johannes 1833-1897 独
曲名  : ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op.83 (1878-81)
演奏者 : ゲザ・アンダ(pf), フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : Grammophon/POCG-3078

ゲザ・アンダによるこの曲はヘルベルト・フォン・カラヤンとのものを先日聞き、あまりの美しさにうっとりとなったものであるが、フリッチャイとのこの名演を失念していたのはうかつであった。1960年の録音というから、フリッチャイ晩年のステレオ録音である。
この録音の後、バルトークのピアノ協奏曲の再録音をはじめ、様々なブランをフリッチャイとアンダは話し合っていたそうだが、それらはフリッチャイの死で永遠に聞くことは出来なくなってしまった。
実際、この演奏を聞くと、失われたものの大きさに呆然となる。もちろん私は他にもこの曲の名演はいくつも知っている。カラヤンとのアンダも美しかった。いや実に美しいものだった…。しかし、この演奏は格が違う…。こうとしか言いようがない。高貴で、全ての弾き方が作曲者への敬意と愛情で満たされていて、その中で聞く者を陶然とさせる。
第1楽章もの冒頭からその素晴らしさは明らかで、深く重心の低い響きは、圧倒的な広がりをももっている。そして軸となる音は決してぼやけたりすることはない。こんな音は誰でも出せるものではない。ピアノって誰でも音はでるが、美しい、こうした響きはそう誰でも出せるものではない!!
第2楽章のピアノの力強さは、だから、暴れ馬のようなものには決してならない。響きの重心が低いので、軸の音がしっかり響いて浮つくことがないのだ。だから悲劇的な響きもバラバラにならずにまとまって心に響く。
第3楽章のチェロは誰だろう。なんて美しいのだろう…。こんな音楽を弾いている横で、ピアニストはじっとチェロの響きに重なっていくヴァイオリンとやがて自分が歌い始めるところへの集中を欠かさない。その瞬間をぜひ聞いて欲しい。アンダがいかに音楽家として偉大だったか、実感する瞬間である。ピアノがオケにとって変わる瞬間の皆の集中はいかばかりか…。聞いていて涙が出てくるほど美しい。
終楽章のキラキラ輝くピアノの音は、彼のピアノのメカニックがいかに優れていたかの証左であろう。きっと天国のブラームスはこの演奏を喜んでいるのではと思う。
世紀の名演とはこのような演奏に対して言うべき言葉だと思う。

写真はワルターの家があったルガーノの町を囲む山の一つブレ山から見たサン・サルヴァトーレ山とルガーノの町である。ワルターやヘッセが住んだのは、ちょっと離れた小さな村だが…。
c0042908_7495747.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-28 08:00 | CD試聴記
フンメルのフルート三重奏曲 イ長調
作曲者 : HUMMEL, Johann Nepomuk 1778-1837 独
曲名  : フルート三重奏曲 イ長調 (美しきミンカによるアダージョ、変奏とロンド) Op.78 (1818)
演奏者 : ブリギッテ・クロンイェーガー(fl), ヨハンネス・デゲン(vc), アンドレ・デスボンズ(pf)
CD番号 : Jecklin/JS 303-2

フンメルは、音楽史では明らかに過小評価され過ぎている一人だと思う。同時代にはベートーヴェンがいて、シューベルトがいて…、なんとも分が悪いけれど、だから二流だというのは聞く耳を持たないことを公言しているのと同じだ。(ちょっと思い切った発言ですが…)
彼のピアノ協奏曲がショパンに似ているからと言って、ロマン派におけるショパンの亜流のような言い方をするとしたら、無知も甚だしい。彼の方がショパンのずっと先輩なのだ。フンメルはショパンよりももっと穏健で古典的な形式美に軸足を置いていたため、個性という点ではショパンに及ばないものの、前ロマン派の作曲家として聞くならば、説得力のある実に良い作品をたくさん残している。
長大な美しい序奏の後、ロシア民謡の「美しいミンカ」(「かわいいミンカ」と訳しているものもある)を主題と変奏が続き、最後に華麗なロンドが続くこの作品は、フルートとチェロとピアノの三重奏で書かれている。この編成そのものはありそうで意外と少ない。
現代作品を除けば、このCDに収められた三重奏作品の他は、ハイドンのピアノ・トリオをこの編成に直したものを知る程度である。ひょっとしたら私が無知なだけかも知れないが、そんなことはともかく、もう少し書かれても悪くはない編成だと思ったのと、フンメルの変奏がとても上手いので(当たり前だ!)大変楽しい聞き物となっている。
クロンイェーガーは特にコンクールなどの入賞歴がなく、スイスのチューリッヒ音楽院で学んだくらいしかわからない。今度スイスに行った時に聞いてみようと思うが、素直な音の良い感じのフルーティストだ。チェロとピアノはまあまあこんなものかなという程度。目覚ましい名演とかいうのではないけれど、あまり知られていない作品を丁寧に演奏していることに好感を持った。

写真は、スイス西部のジュラ山地にあるサンテュルサンヌという中世がそのまま現代に抜け出てきたみたいな村にある教会の内部。オルガンの美しい音色が思い出となっている…。ここも、最近のガイドブックでは滅多に紹介されることはなく、日本人を見かけることはこれまた滅多にない…。うれしいような、悲しいような…。
c0042908_7433227.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-27 18:00 | CD試聴記
不滅の名盤!!コルボによるフォーレのレクイエム
作曲者 : FAURÉ, Gabriel 1845-1924 仏
曲名  : レクイエム Op.48 (1886-87/1893改訂)
演奏者 : ミシェル・コルボ指揮 ベルン交響楽団, 聖ピエール=オーリアン・ド・ビュル聖歌隊, アラン・クレマン(boy-sop), フィリップ・フッテンロッハー(br), フィリップ・コルボ(org)
CD番号 : ERATO(RVC)/RECD-2815

先日作ったソナチネを少しだけ改訂する。一度没頭して書いたものは、少しだけ時をおいて見直すのがとても良い。あまり時間が経ちすぎると今度は忘れているから、ミスを発見するよりも別の曲にしたくなってしまい、大改造が始まってしまう。だから私は旧作にほとんど手をつけない。
ソナチネの改訂はホンの少しだけで終わったけれど、気になっている部分をちょっとだけ直しただけなのに、全体がフッと息を吹き返したように生き生きしてくるから不思議だ。

ところで、こんな名盤について今更書くことはないと思いつつも、今朝はなんとなくこれを聞いてしまい、書かずにはいられない心境となってしまった。私の不動の「無人島へ持っていく…」の一枚である。
聖ピエール=オーリアン教会は行ったことがないが、スイスでは珍しいカトリックの州であるフリブールに生まれたミシェル・コルボのこの不滅の名盤は、あらゆる意味で一期一会の奇跡のような一瞬をとらえたものだった。
ベルン交響楽団は当時はシャルル・デュトワがフランス物を担当し、頻繁にギュンター・ヴァントなどが振っていた。アンサンブルもこの時代が最も良かったのではないかと想像している。(それほど録音が多くないので、想像するしかないのが残念だ!!)
スイスの名バリトンで、録音も多いフッテンロッハーの歌は素晴らしい。特に「リベラ・メ」の歌は曲の核心に迫る名唱だと思う。また少年合唱を使ったことも、そしてそのレベルが大変高いことによって、この名演の価値が更に高められている。そして今はどうしているのかは知らないけれど、ボーイ・ソプラノのクレマン少年!!彼が歌った「ピエ・イエズ」は不滅だ!!はじめて聞いた時(確かこれはLPではB面のあたまだった)、涙が止まらなかった。
「サンクトゥス」だって「アニュス・デイ」だって、そして最後の「イン・パラディスム」だって美しい。でも、彼が歌った「ピエ・イエズ」はあり得ないほど無垢で美しい。おかげでエリー・アメリンクをはじめこの曲の素晴らしい多くの名唱が全部吹っ飛んでしまった。結局、誰の演奏を聞いても満足できないのは、そこにクレマン少年がいないからなのだ。
ミシェル・コルボの甥だったか、弟だったか忘れたけれど、フィリップ・コルボのオルガンにのせて歌うクレマン少年の歌を、聞いたことがない人はぜひ一度!!
これわまとめあげたミシェル・コルボは素晴らしい。けれど、彼もこの後、このレクイエムのイメージがつきまとうこととなり、それが煩わしいものとなっていったのではないかと心配する。
こんな演奏は、彼にも二度とできるものではなかった。再録音はあるが、あれはすべきではなかったと私は思う。ちなみに、公式には発言したことはなかったが、彼の再録音はどれも私の気に入らなかった…。モンテヴェルディもモーツァルトも、そしてフォーレも…。彼は逆だろうが…、難しいものだ。

しかし、フォーレのレクイエムというのは不思議な曲だ。名前の売れた大演奏家とメジャーなオケでやると大体つまらない演奏となる。この曲に最も向いていたはずのジャン・フルネの録音を私は4種類持っているが、何故かどれも良くない。最初のものはデュリュフレがオルガンを弾き、カミーユ・モラーヌが歌うという豪華版だったのに、合唱が駄目。あれはオケもいかにも気乗りがしていない雰囲気で、たった二日でさっさと終わった感じである。いや、早い遅いではないのだけれど、フルネはきっと不満だったのではないか。
で、以後の録音(ちょっと記憶にたよるしかない状況なので頼りないけれど…)も、ライブを含め、全部今ひとつとなっているのは実に残念だ。
世評の高いアンドレ・クリュイタンスのものも、二度目のものなどは、ソリストが豪華版で良い演奏だと思うが、この曲にどこかマッチしていないというか、違和感がある。その点、先日聞いたフレモー盤は少し問題もあるが、とても良い雰囲気で、最後まで聞かせる力をもっていた。
昔、ちょっとだけ仕事を一緒にしたベルナール・トマがFORLANEにミシェル・ピクマルなどと録音したものは、あまり上手い人がいなかったけれど、なかなかに聞かせるものがあった。特に合唱がよかった印象が残っている。でもこれなんてもう手に入らないだろうなぁ…。

写真はミシェル・コルボの生地フリブールのサン・ニコラ大聖堂の中でのスナップ。これはちょっとぶれてしまったのだけれど、当時六歳だった(今はもう成人しているが)私の娘がなんだか天使のように写っていて、大好きな一枚…(親ばかです、ごめんなさい!)
c0042908_7331471.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-27 08:30 | CD試聴記
ストーキーのシェエラザード
作曲者 : RIMSKY-KORSAKOV, Nikolai 1844-1908 露
曲名  : 交響組曲「シェエラザード」Op.35 (1888)
演奏者 : レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団, エリック・グリューエンバーク(vn)
CD番号 : BMG/BVCC-5034

フィギュア・スケートで韓国の何という名前の女の子だったか忘れたが、金メダルとなったとニュースでやっていた。さぞ韓国では大騒ぎをしていることだろう。日本でもそうだが、肩入れし過ぎて、相手を悪し様に貶す人もいるようで、二位となった相手を悪く言いつのる下品な行為は、自らの人品を下げることはあっても、決して尊敬を得られない。そうした報道や「世論」という名のもとに、個人の偏った意見を切り取って垂れ流すマスコミを見るのが嫌で、私はああいうものからは距離を置くことにしている。
競技している人は嬉しかったり、悔しかったり…と人それぞれであろうし、応援する人たちの純粋な声援もまた気持ちが良い。そこまでだったらいいのだけれど…。
オリンピックの場で精一杯やった選手のみなさんには、心から拍手を!!でも、それに見ているこちらまで足をすくわれるような愚をしないよう、私はこの季節を注意深く乗り切りたいと思っている。(大体気が小さいのだとつくづく自分でも呆れるけれど…笑)
結局、テレビをほとんど見ないで過ごせるから、実家はありがたい!!

さて、ストコフスキーのこの曲の録音はデッカにロンドン交響楽団と録音したものと、このロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団との録音に2種類を所持しているが、音は圧倒的にロイヤル・フィルとのものが良い。ロンドン交響楽団とのものは、私の持っているキング盤(K30Y 1023)は明らかに復刻が失敗していて、音はかすれるし、普通に聞けた代物ではなかった。
LPを売るんじゃなかったと随分後悔したものであるが、演奏・解釈の差はあまりなく、ヴァイオリン・ソロはともにグリューエンバークが担当していて、これまた上手いんだなぁ…。
デッカ盤の最近の復刻はキング盤のように酷い手抜きの仕事ではないだろう。あそこまでいい加減な仕事をしていては、あのメーカーのものだったら悪いのではないかと、ついつい手が出にくくなっているのも事実である。
そんな愚痴はともかく、ストーキーの解釈はこうした音楽に対するものとしては極めて真っ当なもので、広くお薦めできる一枚だ。私の中ではコンドラシン盤に次ぐ演奏で、この次がシュミット=イッセルシュテット盤。イッセルシュテット盤はフルトヴェングラーのベルリン・フィルでコンマスをやっていてエーリッヒ・レーンがソロをとっていて、これがまた泣かせるのである。
ただ手に入りにくくなっているだろうから、一般的なところでカラヤンの唯一のこの曲の録音を…。シュヴァルベがソロをとっていて、これがなんともチャーミング。
結局のところ、指揮も大切だけれど、この曲はヴァイオリンの出来不出来が一番大きいように思う…。そんなに出番があるわけではないのだけれど、主役はこのヴァイオリンなのだと思う。
他にはアンドレ・クリュイタンスをはじめ、色々良い演奏はあるけれど、思い入れのあるのはこれだけ。でも実はコンドラシンとストコ盤があればあとはどうでも良いと思っている節もなくはない…(笑)

写真はチューリッヒ近郊のラッパースヴィルの町。チューリッヒ・カードという三日間チューリッヒとその近郊の交通機関乗り放題で37スイス・フラン(多分3000円ちょっと)でここまでチューリッヒ湖を船で周遊して来られる。残念ながら、ここもガイドブックには紹介されることはあまりないけれど、良い町だ!
c0042908_7291512.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-26 18:00 | CD試聴記
グルダ、アーノンクールによる「戴冠式」…ああ美しい!
作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : ピアノ協奏曲 第26番 ニ長調「戴冠式」K.537 (1788)
演奏者 : フリードリヒ・グルダ(pf), ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
CD番号 : TELDEC/8.42970 ZK

現在朝の5時半。いつもの時間に起き出して、気付けに一曲聞いている。年末に帰郷した時は寒くて寒くて…だったが、まだ2月だというのにこの暖かさは一体どうなっているのだろう。ストーブがいらないなんて、ちょっと考えられない暖かさである。
さて今朝の曲は、モーツァルトの「戴冠式」。フリードリヒ・グルダとニコラウス・アーノンクールのあの超名演である。こんなに美しい演奏が記録されたということ自体、何だか夢の中の出来事のような気分になってくる。余裕綽々でオケの部分にもサラリと通奏低音のような即興を紛れ込ませているのが、また素晴らしく音楽的!彼の古いモーツァルトの協奏曲録音でもこんなことやっていたけれど、こんなに音楽的だったかしら?
アーノンクールの指揮はどこをとっても極端なことはないが、奏者の数をピアノと絡んでオブリガートを弾く時はソロ、もしくはファースト・デスク・オンリーにするなど、響きの厚みを細かく調整していて、さすが一筋縄ではいかないしたたかさを感じる。
これが美しく決まるのも天下の銘機ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団だからだろう。1983年の録音とあるから、まだクレバースは在籍していたのでは…。実家ではインターネットに繋がらないのでこまかなことは確認できないが、オロフかクレバースの時代であることは違いなさそうだ。
カデンツァは多分グルダ自身によるものだと思うが、スタイルはちゃんと古典の枠におさまっていて、良い感じだ。下手に現代風にしたり、あの頃、ちょっと流行ったことがあるけれど、そんな愚をグルダほどの人がやるわけがない…。
第2楽章は私もちょっとだけ弾いたことがあるけれど、弾いていてこんなに幸福で美しい音楽ってあるのだろうかと思ったものである。オケを指揮しながら(というよりオケに勝手にやってもらって、思い出した時だけキューを出すというもの…指揮とは言わないな、これは!)やったものだが、ついついピアノのパートに夢中になってしまったものだ。グルダの歌入り。プロデューサーはおいおいやっちゃったよ…なんて思ったのでは?でも夢中にさせる音なんだ。こんな美しい音楽を弾いて、冷静である奴なんて反対にどうかしている。没入しているグルダこそ、モーツァルトを真に理解し歌い上げる弾き手なのだ。
しかし、なんということのないスコアなのに、どうしてこんなにきれいなのだろう!!私のようにゴチャゴチャ書き上げている者には、もう溜息しか出てこない。天才と凡人の差を痛感させられる。そりゃそうだ!
終楽章の軽やかな歌い廻しはもう絶品。久しく聞いていなかったが、やはりこれは名演中の名演だ。昔々、ヘブラーがコリン・デイヴィスと組んで録音したものが廉価盤で出ていて、それを厭きることなく聞いたものだが、ヘブラーのピアノが私には一本調子に聞こえて今ひとつだった。評論家(U野氏である…)の評価は高かったけれど、私はオケが良いと思ったけれど、ピアノは素直な音で良いけれど、そんなに激賞するほどではないなと思っていた。はじめてこの曲を聞いて10年ほど経ってこの演奏に出会って、この曲はこう弾くものとやっと理想の演奏に巡り合えたと思ったものだ。
久しぶりに聞いて、この美しい世界を心から満喫した。皆が知る大名演なので、今更書かなくてもと思ったけれど、やっぱり良いので書いてしまった。これを聞いたことがないなどという方はぜひ一度お聞きになることをお薦めしたい。ああ気分が良い。

写真はヴェーゼンドンク邸の裏にあるワーグナーが住んだ家のあったところに建つそれにしき家…。今はヴェーゼンドンク邸(現在はリトベルク博物館となっている)に働く方の住居(確か社宅だったと思う…)になっているそうだ。ああ一度でいいから住んでみたい…(笑)
c0042908_792113.jpg
この家の前の片隅(ホント目立たないところ!)にワーグナーの鏡像がある。名前が書いてないので、知らない人にはわからないだろうし、何故ここにあるのかもヴェーゼンドンク夫妻との関わりを知らなければわからない。
これが音楽の都として観光に力を入れているウィーンなどでは、精一杯説明書きやら、市内音楽地図みたいなものを出して宣伝しているだろうに、チューリッヒは全く素っ気ないものである。
c0042908_7165877.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-26 08:00 | CD試聴記
ヴァイオリニスト、ボスコフスキーのモーツァルト
作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調 K.207 (1773)
演奏者 : ウィリー・ボスコフスキー(vn)指揮 ウィーン・コンツェルトハウス室内管弦楽団
CD番号 : EMI(WAVE)/WWCC-5009

かつて、六本木にWAVEがあった頃、東京出張がある度に必ず立ち寄り、何か面白いものはないかと見て回ったものである。その頃に手に入れたWAVEの企画盤である。
ウィリー・ボスコフスキーが仲間達とともに演奏した、モーツァルト。彼は1950年代にはずいぶんヴァイオリニストとして活躍していて、リリー・クラウスとのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全集(とまではいかなかったけれど、ほぼ全部)、そしてピアノ・トリオ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタなんてものもあった。
協奏曲録音もいくつかやったのかも知れないが、私が聞いたのはこれ一曲である。オケの実体はおそらくウィーン・フィルではないか?グリュミオーのような格調高い輝きを彼に求めても仕方がないけれど、これはこれでなかなか良い出来映えで、ウィリー・ボスコフスキーという人が、一門のヴァイオリニストだったことを改めて認識させられる結果となった。
そりゃそうだ。あの天下のウィーン・フィルのコンマスにまでなった人なのだ。ニューイヤーで、あってもなくても変わらない、どうでも良い指揮者を務めているだけではなかったのだ。
これでないと…というほどの名盤でなくても、彼は高打率を誇るバッターならぬヴァイオリニストなのである。
そして、このような企画盤ができるほど、あの頃はCDが飛ぶように売れた時代だった。今は昔である…。そしてそのWAVEも時代の流れの中で消えてしまった。全国のCDショップのどれほどがこの数年で消えてしまったことだろう。
確かに私もネットで買うか、置き場所にこまらないダウンロードが中心になっていて、ショップに行くのは年に数回。かりに行っても買うものがなくて困るのだ。欲しいものと必要なものだけがなくて、既に持っているものと、要らないものだけがあるという状況なのである。
それではショップに行く必要がなくなるのも致し方ないだろう。
この演奏を聞きながら、時代は変わったのだなぁと、しみじみ思ってしまった。良い演奏だ!

写真は同じくチューリッヒのヴェーゼンドンク邸である。これの他にもチューリッヒの市内に家があったらしいけれど、全く…凄い。あまりお金がありすぎるというのも、私はどうかと思うが、贅を尽くしたこの家は今では博物館となって、中を見ることもできるが、これまた凄い…。
c0042908_743858.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-25 20:56 | CD試聴記
クーベリック指揮で聞くモーツァルトの交響曲第34番…良い演奏だ!
作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : 交響曲 第34番 ハ長調 K.338 (1780)
演奏者 : ラファエル・クーベリック指揮 シカゴ交響楽団
CD番号 : MERCURY/PHCP-3406

夕べは知り合いと飲んで、タクシーでご帰還と相成った。で、帰ってすぐに寝てしまったので、いつもの時刻よりかなり早く目が覚めてしまい、頭もすっきりせず、何とも中途半端な朝を迎えている。
良い気分で飲みまくったのがいけなかった…、美味しいお酒であったけれど…歳を考えておかないといかんなぁと、飲んだ後のいつもの反省をしてみる。

こんな朝(今は六時になったところ…)は、モーツァルトに限る!というわけで、こんなマイナーな作品を聞いてみたりしている。1953年4月の録音ということで、当然モノラルである。ただ、復刻が良いのか、それとも原盤が良いのかはしらないが、モノラルとしては最高の音質でなかなかに聞かせる。
それにこの時代のクーベリックの生きの良いテンポ感が何とも心地よい。オケも最高のパフォーマンスでこの指揮に応えている。話によれば、当時のシカゴに住んでいた?音楽評論家がこのクーベリックをことあるごとに貶しまくったそうで、彼は早々にシカゴから去ることとなる。その後に座ったのがフリッツ・ライナーだから、結果的には良かったのだろうが、彼を失うシカゴ交響楽団は、ホントにもったいないことをしたものである。音楽史に名高い愚かな評論家として、その人の名前(私は忘れてしまったが…)は永遠に残ることとなる。
思いこみで人の仕事を貶してはならない典型だろう。

写真はチューリッヒの有名なヴェーゼンドンク邸。邸の裏にはワーグナーが住んだ家がある。すでに建て替えられ、当時を偲ぶのは無理だけれど…、ワーグナーの鏡像がある。
c0042908_14018100.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-25 09:34 | CD試聴記
ルプーの弾く子供の情景
作曲者 : SCHUMANN, Robert Alexander 1810-1856 独
曲名  : 子供の情景 Op.15 (1838)
演奏者 : ラドゥ・ルプー(pf)
CD番号 : DECCA/440 496-2

のんびりとは、全く縁遠い日々が続いている。しかし、音楽を聞く楽しみもまた続くし、曲を書く楽しみも続く。こんなに自分だけ幸福で良いのだろうかと、怖くなるぐらいである。物はないけれど、精神的には極めて恵まれているのだから、文句を言うと罰が当たると思う。
朝から、先日試演したタンゲッシモの改訂に取りかかり、20小節ほど出来た。一般的な編成ではなかったので、普通に使えるように書き直しているところだ。我ながらうまく出来ていると思うので、ちょっと売り込もうかなどと…(笑)

さて、何不足無い、幸せとはこのシューマンの「子供の情景」のような世界のことではないだろうか?しみじみとした家庭に子供がいる幸せが、この音楽の中にいっぱい詰まっている。幸運にも二人も子供を授かった我が身としては、とてもよくわかる音楽だと思う。
1992年の録音。
この演奏の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたいものがある。得意としたクララ・ハスキルのいくつかの録音(特にフィリップスへのスタジオ録音は素晴らしいものだった!)をはじめ、名演は数多い。しかし、現在のところ、私にとっての最上の演奏はこのラドゥ・ルプーの演奏である。
この後、ラドゥ・ルプーはホンの少しの録音を残し、レコード産業と完全に袂を分かつこととなる。彼の録音が聞きたいという人は、まだまだたくさんいるはずなのに…残念だ。
シューマンの全集を彼が録音するなんて、もう夢のまた夢の話かも知れない。できればソナタや幻想曲、あるいは幻想小曲集なんて聞いてみたいものだ。
それらがきっと素晴らしいだろうと夢想しながら、今、トロイメライをアンコールしたところだ。感傷に流れず、甘すぎず、辛すぎず…音楽が一杯詰まったこれは、やはり希代の名演と呼ぶべきだろう。

写真は再びミューレン。花々の咲く美しい村は何度行っても厭きない…。ちょっとフレアが出てしまった失敗作てあるけれど、 こんな村…です。
c0042908_1321712.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-24 20:30 | CD試聴記
グリュミオーの弾く協奏交響曲
作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : 協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320b) (1779)
演奏者 : アルチュール・グリュミオー(vn), アッリゴ・ペリッチャ(va), コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
CD番号 : PHILIPS/PHCP-9629

フリッツ・ライナーのハイドンとバルトーク(弦チェレ)、クリュイタンスのベートーヴェンの全集、そしてコンドラシンのシェエラザード、ミシェル・コルボの指揮したフォーレのレクイエム(第一回録音)などとともに、私にとって絶対の名演がこのアルチュール・グリュミオーのモーツァルトの協奏曲集である。二度、フィリップスに録音しているが、圧倒的に二度目を好んで聞く。1度目の録音も悪くはないが、モノラルで音がややジメッと湿っていて重いの今ひとつの印象となっている(単なる私の主観なので、気にしないで下さいませ!)。その点、このステレオの全集はどこをとっても輝きのある音で、水際だった名演揃いなのだ。
協奏交響曲は、その中に入っていない。それはヴィオラのアッリゴ・ペリッチャがグリュミオーに対してやや格が落ちるというか…少し足を引っ張っている感があるからだ。
このヴィオラに気を使った結果なのかどうかは知らないが、ヤッシャ・ハイフェッツがウィリアム・プリムローズとやった録音のような颯爽としたテンポ感が維持出来ていないのが惜しい。音程もやや悪い。いや、グリュミオーをのぞけば、散々なのだ。ヴァイオリンは素晴らしいのに…。
全集にまとめる時、よくこの曲だけが外れて「協奏曲」の5曲だけのセットとなるのも、わかる気がする。収録時間の問題だけではなさそうだ。
久しぶりに聞いてみて地味な印象だった理由を確認してしまった…。
写真はミューレンの同じところを泊まった部屋のベランダから撮ったもの。雨に洗われた緑が目に染みる…。
c0042908_1235563.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-24 08:30 | CD試聴記
ホッターの「冬の旅」
作曲者 : SCHUBERT, Franz Peter 1797-1828 オーストリア
曲名  : 歌曲集「冬の旅」D.911 (1827) (W.ミュラー詩)
演奏者 : ハンス・ホッター(br), エリック・ヴェルバ(pf)
CD番号 : Grammophon/POCG-3037

実家で見つけたCD…。一度聞いただけで、そのまま棚の中で眠っていたもの。自分のこの曲の解釈とあまりにかけ離れたものだったので、つい関心をもてないままにそうなったのだが、今聞き直してみて、これはこれでやはり希代の名歌手の描いたかけがえのない「冬の旅」の世界だと思った。だが、あまりに老齢を連想させるのがやはりバスではこの歌は無理という私の考えを補強することともなった。
ドゥコピルとの東京文化会館でのライブ盤よりも、私はこちらの方が良いと思うが、それでもここにいるのは壮年を過ぎた一人の男(歌っているのが男声なので…)の死を見つめた旅なのである。それはあまりにリアリティがありすぎて、この曲がわずか30才になったばかりの若者の世界観が欠落しているように思われる。
エルンスト・ヘフリガーの若々しい(それでいてさすがにベテランらしい配慮の行き届いた)名唱の、夢見がちな絶望と挫折、そして死への憧れが透徹した抒情の中に歌い上げられるのに対して、ハンス・ホッターの歌は深く、人生の長い旅路への思いが投影した、重く、リアリティのある歌となっている。
バスの声域に合わせるために、当然オリジナルの調性から移調されているが、おかげで重く、暗い響きとなってしまい、冒頭の「お休み」が、「御出棺!」と言われているようで、気色が良くない。
トボトボと歩く方が、良いというより、私はさすらいへの憧れと、死を友とするような無邪気さがこの冒頭の和音の連打にあると思う。その点で、快活である必要はないが、必要以上に重くなるのは考え物だと私は考える。「風見の旗」だって、凍り付いて動かないみたいで、こうした問題を抱えつつも、このホッターの歌が支持されてきたのは、人生の全てを俯瞰するかのような、広大な世界観を感じさせるその声にあるのだと思う。
「春の夢」の優しさと厳しさの厳しい対比は、劇的にしようと思えば簡単だが、そういうあざとさとはホッターは無縁である。この歌と有名過ぎるほど有名な「菩提樹」におけるホッターの格調高い演唱は、他の追随を許さない高みにある。
しかし、一方で最後の「ライヤーまわし」など、冥界から響いてくるようで、やはりリアリティがありすぎる。私は苦しみは続くとか、絶望を…とか言うよりももっと希望と苦しみからのカタルシスのようなものが、どこかに込められていないと…と思う。
以上、私の極めて偏見に満ちた私見による感想の域を出ない、全くの暴言に近いものであるが、この曲についての意見と、ホッターの歌についての感想を述べてみた。もう二時だ。そろそろ寝よう!随分夜更かしをしてしまった…。
写真はミューレンの定宿、ベルビュー・クリスタルの前の風景。雨の日はこんな感じになるけれど、また雨も良しである。
c0042908_117363.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-02-23 23:00 | CD試聴記