風邪薬のおかげで
c0042908_7424068.jpg風邪をひいたらしいと書いたが昨日、少し酷くなったので、久しぶりに風邪薬を飲んで寝る。おかげて大変よく眠れた。
金曜日あたりの朝の天気予報では日曜日はものすごく寒いようなことを言っていたが、天気もよく暖かい朝を迎えた。窓から見上げると雲一つなく、これなら富士山もきれいだろうと撮りに行く。フィルムというものを介さないことはこうも写真を軽快にするものだろうか。撮ってきてすぐに加工してアップできる。ほとんどライブ・カメラのようだ。長らく銀塩派だった私も宗旨変えをする時期が来たらしい。
ところで右の写真の左上の点は月である。小さくしてゴミみたいになってしまった。反省・・・(笑)
# by Schweizer_Musik | 2005-01-30 07:42 | 日々の出来事
歴史的名盤カザルスの無伴奏を聞き直してみて
c0042908_14411452.jpgこの歴史的名盤をもう一度聞き直してみようと思った。我が家のCDラックの底から、昔買ってあったEMIの十枚組が「発掘」されたせいだ。確かナクソスの復刻でも持っていたが、あれは実家にある。
この演奏は、いつもこの曲のベストのトップ・スリーに入る名盤だ。定評があるわりには、どういう演奏なのか、あまり批評の対象となっていないようだ。批評することだけでも畏れ多いということか。フルトヴェングラーのバイロイト祝祭ライブの第九のようなものだ。だからこそ、ありがたがって聞くのではなく、どういう演奏なのか、じっくり味わってみたいと思った。
30年代に主にパリで録音されたものだが、ほとんど一気に録音されているところをみると、パブロ・パウ・カザルスはかなり調子が良かったものと思われる。
第一番は平均率クラヴィーア曲集の第一巻第一曲の前奏曲などと同様、分散和音の音型を維持するタイプの前奏曲だ。リズム的な変化の無いこの音楽をカザルスはバロック以前の演奏スタイルの一つである不等速音符のように三連符に近い揺れを伴って演奏する。言い方を変えるとスウィングのようなものだ。
このスタイルは比較的単調な音楽の場合にとられることが多いが、古い巨匠タイプの演奏家に時折聞かれることがある。例えばラフマニノフがそうだった。彼の自作自演の第3番の協奏曲の第一楽章のテーマを、このカザルスのバッハのように微妙な揺れが与えられている。あちらは自作自演であるから、我々は解釈上の規範として理解すべきだろう。
こうしたリズムの微妙な揺れは、彼の拍子感にその根本があるように感じられる。それは、一小節を大きく円運動としてとらえ、そのリズムに起承転結があるということ、そして、動き、運動感を与えていることだ。
この運動感が彼のバッハの太い筆致を演出している。
一方、第4番のサラバンドのようにゆったりと深い思索を感じさせるような音楽では、ものすごい息の長いブレスで、大きな弧を描くように歌い上げる。このあたりにこの演奏の印象の強さがあると言えよう。
第5番のクーラントの躍動感はどうだろう。生き生きとしてこれがたった一本のチェロから繰り出される音楽とは到底思えないスケールである。
聞き返してみて、さすがに世紀の名盤と言われるだけある。ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチの録音が鳴り物入りだったわりには、意外なほどショボイ演奏だったのはどうしたことだろう。カザルスを彼は意識しすぎたのかもしれない。そして、本当にこの音楽に相対する時期を逸したのだろうか。
この録音を行った時、すでに60才になっていた。その後30年以上も元気に生きたカザルスは、この録音を行った時、まだ気力体力共にこの作品に挑むだけのものを維持していたのだろう。そしてその後、この曲の録音は行っていない。
カザルスの他には、ピエール・フルニエの1958年ジュネーヴでの放送録音や、ガスパール・カサドなどの録音に心動きながらも、このカザルスの録音が今後も私にとって一番で在り続けることだろう。

The Art of PABLO CASALS/EMI/TOCE 6701〜10
# by Schweizer_Musik | 2005-01-29 19:52 | CD試聴記
ちょっと用足しに・・・
c0042908_128520.jpg 午後から天気が崩れるというので、朝食をとってすぐ用足しに大船まで散歩がてら出かける。必要なものを買ったついでに駅ビルの六階にある本屋に立ち寄る。ここの本屋は私の好きな本屋だ。学校の近くにある"あおき書店"もよく行く本屋なのだが、品揃えにかなりムラがあって使いにくい。しかしここは、店の大きさはそれほどでもないが、品揃えはまずまずである。
ムジカノーヴァに先日、私がプログラム・ノートを書いた伊藤愛未のピアノ・リサイタルの批評が載っていた。暖かい批評だ。彼女の課題もきちっと指摘しながらも、良い点をあげて今後への期待を抱かせる。確か、リサイタルでは何人かの批評家を見かけたが、この批評は他人事ながら、なんとなくうれしい。伊藤さんには、さらなる精進を期待したい。彼女の弟さんが、私の教えている学校に今度入学するという。お会いする日が楽しみだ。ちなみにサクソフォンを勉強しているそうだ。
ところで、ムジカノーヴァのとなりに「音楽現代」があった。とりあえず立ち読みする。立ち読みに至った原因は、今年ブレイクしてほしい・・・何とかいう企画にラフが挙げられていたからだが、内容の無さにほとほと情けなくなった。この雑誌はコンサート情報といろんな提灯記事で成り立っているに過ぎない。買う必要はない。きっと載せてもらった企業や学校が大量に買っていくのだろう。しかし、本屋にこれが性懲りもなくおいてあるというのは、やっぱり買っていく物好きがいるからだろうか。
帰る道すがら、ピアノのことに触発されて上原彩子のことを思っていた。彼女は私がかかわっていたJOCの卒業生だから、関心も人一倍ある。c0042908_1283822.jpg前にクラシカ・ジャパンでずいぶん放映されていて、私もずいぶん聞いたが(見たが)、あの子はじっと解釈を深める時期をおくべきじゃないかと思う。すごい大器であるだけに、世に出すぎてつぶれないことを祈りたい。
こんなことを考えながら歩いて帰る途中、どちらかの家の庭先のはっさくが朝日に輝いていて、思わず見入ってしまった。
良い散歩であった。帰ってしばらくすると曇って来た。やはり午後からは天気が崩れるらしい。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-29 12:10 | 日々の出来事
ゴホンと言えば・・・
c0042908_3531535.jpg夕べのひれ酒が効いて、早く寝てしまう。こんなことをすると早く目覚めてしまい、ボーッとしばらくすることとなる。確かに昨日はひれ酒を飲んだようだが、いつ寝たのか記憶がすこぶる曖昧だ。惚けてきたのだろうか。
本人が惚けを気にする位ならまだ大丈夫だろう。
しかし、どうも昨日から喉の調子が良くない。風邪をひいてしまったようだ。2〜3日前から次女が「喉がいたい」と言っていたが、昨日は女房が「体調が良くない」と帰ってきてから寝込んでしまい、ついに私だ。
久しぶりに龍角散を取り出して飲む。こいつの場合は飲むと言うよりも喉に塗るというのが近い。ちょっとだけすっきりする。
かなり昔のことだったが、鹿児島で講師研修会にこの龍角散の社長を呼んで話を聞いたことがある。無類の音楽好きということで、なかなか面白い話だった。その時だったか、その次だったか、私の木管三重奏と五重奏のアンサンブルをやったことを、この龍角散でふと思い出した。もう15年以上も昔のことだ。すでに結婚はしていたような気がするが・・・。10年を越えるとどうもこうしたことははっきりしなくなる。風邪のせいではないらしい。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-29 03:53 | 日々の出来事
ひれ酒を少し
c0042908_1958035.jpg夕食が遅いようなので一人で仕事を放りだして、ひれ酒を作って飲む。良い気分だ。本格的とはいかないが、それなりに旨い。最近ワインを買ったので、このところワインばかり飲んでいたが、久しぶりに日本酒で酔っぱらってしまった。一人で飲むと、たった二合ほどで十分に酔ってしまうのは、弱くなったからか?
つまみには、先日実家から送ってきた白菜の漬け物に味ぽんをかけてつまむ。これが日本酒にはとても合うのだが、白菜の漬け方が浅いからいいのだ。但し、この白菜。出しておくとすぐに駄目になる。これがちょっと惜しいところだ。沢庵も来ているので、明日はこれで一杯やろうかと思う。
道化師のエレジーのテーマがやっと出来る。いいかも知れない。ただし、前に作った「道化師の夢」という作品の中の動機を使ってしまった。まぁいいか。今日はこんなところで終わることにしよう。
しかし、blogはまことに具合が良い。写真はひれ酒。ヒック・・・
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 19:57 | 日々の出来事
ズッターマイスター/歌劇「黒い蜘蛛」(1935) ****(推薦)
c0042908_17234342.jpgズッターマイスター(SUTERMEISTER, Heinrich 1910-1995 スイス)の歌劇「黒い蜘蛛」を日本で買って聞いているという人はどれだけいるだろう。この作曲家を知らない人にとって、言葉のわからないドイツ語圏の二十世紀初頭のオペラは二重、三重のハンディがある。歌劇ファンはクラシック・ファンの中でも特殊で、CDよりも実演主義の人が多そうだ。だから、プッチーニの「ラ・ボエーム」やヴェルディの「椿姫」などなら「まあ、買っておこうか」と思うにしても、対訳もない知らない歌劇を買って聞くなんてことをやる人はそうそういないと思われる。
だから、このズッターマイスターの作品が我が国でもよく知られた作品であるとは、まぁ、言えないことだけは確かだ。
しかし、そう難しく考えなくとも、このCDは十分面白いものになっている。1935年の作曲ということで、作曲者25才の時の作品だ。放送を前提として書かれた作品で、ラジオ劇場のオペラ版と考えて頂ければ良い。モティーフとされたのは1842年に出版されたスイスの伝説集である。悪魔と黒い蜘蛛、聖職者とクリスティーネ、そしてその母というキャストによって描かれる素朴な愛の物語である。アリアやアリエッタ、アリオーソといった古典的なオペラの要素が残され、音楽が実に楽しく、そして美しい。
決して難解な音楽ではないし、だからといって平凡な音楽でもない。リリアンネ・チューリヒャーのクリスティーネは素晴らしい。彼女の声は豊かではないものの、表現力が豊かで、聞く者の想像力をかきたてる。ベルン交響楽団の演奏は絶品だ。彼らがベルンでの歌劇上演の際、オケ・ピットに入ることは知られているが、さすがに上手い。指揮をするのはペーター・ミヒャエル・ガルスト。モーツァルテウム音楽院などで学んだドイツの指揮者だそうだ。そういえば、最近まで首席指揮者だったテルミカーノフが退いた後、ロシアのペテルスブルクで学んだアンドレイ・ボレイコという指揮者が首席として振っているようだが、私はまだ聞いたことがない。
ということで、このCD。一般的とは言えないまでも、十分に推薦に値する。私はバークシャーで安く手に入れた。ぜひお聞きになることをおすすめしたい。

MGB/CD 6147
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 17:26 | CD試聴記
おやつ・・・
c0042908_16175827.jpg買い物に行った女房が帰ってきて、おやつ。近くに住む母が作ったぜんざいとイトーヨーカドーで買ってきたおやつパンがいくつか出て、食す。お腹が空いていたのでとても美味しく感じた。お皿に4つあったのだが、一つ食べたところ。もう一つ食べていると、「一人分ではないのよ」と女房から言われてしまう。なら皿に全部盛って持ってくるなよと思う。うーん、もう少し食べたかった・・・。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 16:17 | 日々の出来事
クララ・ハスキルとペーター・リバール ***
c0042908_15422121.jpgクララ・ハスキルとペーター・リバールはアルチュール・グリュミオーとハスキルのコンビ同様、大変成功した組み合わせだったが、今日、リバールとの録音はあまり復刻されることなく、グリュミオーとのコンビばかりが取りざたされるのは残念なことだ。
リバールはヴィンタートゥーアのオーケストラでコンサート・マスターとして活躍するかたわら、弦楽四重奏団を組織したり、ソロ活動をするなどしていたが、やはり室内楽奏者は日本ではかつてかなり軽く見られていた傾向がそのまま残っているようだ。
さて、この録音。ずいぶん前に購入したもの。スイスのレーベル、DORONから出た二枚組だ。ブラームスのピアノ五重奏曲はハスキルとペーター・リバールが第1ヴァイオリンに座るヴィンタートゥーア四重奏団のもの。第2ヴァイオリンのダヒンデンは指揮者としてコンサート・ホールなどに録音している。あのリバールの弾いたヴィオッティのヴァイオリン協奏曲も彼が指揮していた。
この録音は1950年のコンサート・ホールへの録音らしいが、復刻の状態はお世辞にも良いとはいえない。しかし、なんと良い演奏なのだろう。個人的にはゼルキンとブッシュ四重奏団の1938年の録音が好みで、よく聞いていたのだが、それに匹敵するものと言えよう。弦楽の素晴らしさは一流のものだ。そしてハスキルの深い音色。彼女の表現の幅の広さは特別のもののように思う。モーツァルトばかり聞かされて、彼女の音は軽量級に思っていたらとんでもないことだ。ちなみにハスキルのシューベルトの21番のソナタなどリヒテルやポリーニ、ケンプと同じレベルで語られるべきものと思う。
一枚目の続く曲はヴィンタートゥーア・コレギウム・ムジクムの弦楽奏者たちによるブラームスの弦楽六重奏曲第2番である。1949年のコンサート・ホール原盤のこの録音はピアノ五重奏よりもノイズはないが、やはりチリチリと音の状態が安定しない聞きにくいものだ。しかし、ロマンチックでとても良い。アルバン・ベルク四重奏団他の録音やアマデウスのメンバーたちによるものが良いと思うが、この演奏も捨てがたい。私個人はイェックリンのカンマームジカー・チューリッヒによる録音が好きであるが・・・。あまり知られていない団体なのでちょっと気が引けてしまう・・・。
しかし、もう少し復刻状態がよければいいのに・・・。コンサート・ホール原盤のものは、オーケストラ作品は大分復刻したが、こうした室内楽はあまり相手にされなかった。人気の無い曲であり、知られていない演奏家であることが問題だったのか、それとも原盤に問題があったのか。第3楽章の冒頭に大きな雑音が入っていたりもするが、それだけでなくテープの劣化はかなり酷いようだ。状態の良い原盤が見つかり、復刻されることを祈らずにはいられない。
二枚目の最初にはハスキルとリバールによるブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番とモーツァルトの変ロ長調K.454のヴァイオリン・ソナタの2曲が収められている。どちらもライブ録音らしいが、このコンビによる録音は多く残されていないだけに貴重だ。
ブゾーニはシゲティとホルショフスキーの1956年の録音を所持しているが、これは名演だった。リバールとハスキルの演奏はより抒情的で美しい。リバールはシゲティに比肩できるヴァイオリニストだと、この演奏を通じて私は確信した。第一楽章のゆったりとした流れの中から主題が浮かび上がり、第二主題の甘い響きにとけ込んでいく様は、リバールの演奏に一日の長がある。シゲティは全ての部分でつっこみが深く厳しい。のんびり聞くような演奏ではないが、リバールはもう少し聞き手に付け入る隙を見せてくれる。
どの部分でもピアノの共演が見事で、ハスキルの変幻自在のピアノが味わえる。どうして正規録音を残さなかったかと、残念だ。しかし、このブゾーニはこの二枚組の中で1954年12月31日録音と最も新しく、従って状態も良い。これならば全く問題なく音楽に没頭できる。
最後はモーツァルトのK454であるが、1947年10月3日チューリッヒ放送局での録音である。音はブゾーニよりも数段落ちるが、鑑賞に差し障りがあるほどではない。
グリュミオーの1956年のフィリップスへの録音よりもやや活気゛かないというか、今ひとつ乗っていないように思われる。二重奏がどこかよそよそしく響くのは問題だ。これはグリュミオーと比べての話。あの世紀の名演の前に果たしてあれ以上の演奏が可能なのかどうか、私は疑問だ。してこのリバールとハスキル盤も、良い演奏ではあるがグリュミオーに一日の長を聞くのである。
録音の貴重さ故に***の注目盤とするにしても、録音の悪さに一般的に薦められるものではないと結論づける。

DORON/DRC 4007〜8
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 15:41 | CD試聴記
思うに・・・
c0042908_10343062.jpg思うに、スカイAのような行き方は正解なのかどうか。たしかにクラシカは全体としてのポリシーが見えない。全体として何をどう放送するのかという考えがわからない。映像の時代であるからには、それをどう発信するのかをもっと冷静に見据えていけば、方向性は出てくるだろうに。
時間を決めて、この時間帯はドキュメンタリー、この時間帯はいつもオペラ、この時間帯はバレエ、また深夜には海外の放送局などのライブ映像。朝には日本の演奏家たちのライブ、あるいはインタビュー中心のトーク番組など、色々と考えることがあると思うのだが、どうも教育テレビのようでいけない。
教育テレビは地上波であって、これは衛星放送なのだ。もっと思い切ったことができるだろうに。全く素人っぽい番組編成だと思う。
私はそれでもクラシカ・ジャパンをこれからも月3000円という高額な契約料を払い続けると思う。唯一のクラシック音楽の放送局をつぶしてはならないと思うからだ。ぜひがんばってほしいものだ。
なんて思いながら、ニールセンの交響曲第3番を聞く。こちらはショーンヴァント指揮のデンマーク放送交響楽団の演奏。なかなか良い。

暖かい朝の光が差し込んでいる窓際で、ペットのチンチラのムクがケージの中で帽子に潜り込んで寝ている。どうも帽子が好きで、これに潜り込んで寝るのが習慣となっている。穴の中で生活している小動物の習性らしい。尻尾が帽子から出ているあたりがご愛敬だ。日が当たるのできっと暖かいというよりも暑いのではないかと、心配になるのだが、ムクは何も言ってくれない・・・。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 10:35 | 日々の出来事
スカイAでスイス・ロマンド管弦楽団を見る
スカイAは良い放送局だ。特にスイス・ロマンドの映像がよく流れるので、比較的私はよく見ている。クラシカは高いのだが、貴重なアーカイブがあるので、今だに契約を継続しているが、再放送が多く、それもDVDなどで売られているものが多いのが特徴。
スカイAはその点、DVDなどで出てくることがないものばかりで貴重だ。
ロッグのオルガンを見ることも出来たし、リットンが指揮するスイス・ロマンド管弦楽団というのもはじめて。過去に放送されていたのかもしれないが・・・。
他で聞けない組み合わせがうれしい。それにオルガンなんて、リヒターとヴァルヒャ、それにアランくらいしか世界にいないと思っている日本の音楽界で、ロッグの映像を見れるのもうれしい。それも作曲家としてのロッグの作品(オケ物ははじめてだった)はうれしい出来事だった。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 10:10 | 日々の出来事
バーンスタインの指揮でマーラーの巨人 *****(特薦)
実は、マーラーの巨人はワルター指揮コロンビア交響楽団で終わりだと思っていた。小澤征爾、ゲオルク・ショルティ、クラウス・テンシュテットなどを聞いてそう思いこんだ私は、バーンスタインとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のグラモフォン盤をロクに聞きもしないでほったらかしにし、そのままこの曲についての興味を失ってしまった。
それほどワルターの指揮は素晴らしかった。微妙なテンポの変化が全てツボにはまり、自然で思いっきり深呼吸するような爽快感があった。集中力はとぎれず、聞く者を自然にマーラーの世界に誘ってくれた。
中学生の頃、私はラインスドルフ指揮ボストン交響楽団の演奏でこの曲を知ったのだが、ワルターを高校生の時に聞いて感激して以来、もう他の演奏が全て気に入らなくなったのだった。
さて昨日、学校の資料室でふとバーンスタインが若いときにニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したこの曲のCDを見つけて、ついでに三番と六番とともに借りてきた。三番と六番はグラモフォンの新しい方だが、全てニューヨーク・フィルハーモニックだ。
で、「巨人」を今聞いて驚いた。なんて素晴らしいんだ!歌があふれ、自然で、深いブレスのフレージングがとても気持ちが良いのだ。身振りの大きさは後年のバーンスタインのスタイルがすでに確立されていることを思わせるが、一部にあるようにやりすぎることなく、音楽に没入している様が目に浮かぶようだ。
録音もとても良いのに驚いた。米コロンビアの録音は所謂ドンシャリ傾向があり、チリチリして落ち着いて聞けないことが多いのだが、この演奏では多少私はイコライジングをかけているが、本当に気持ちの良い録音である。ただ、ステレオ効果を意識しすぎているようなところがあり、定位がちょっと強調されすぎているように聞こえる。
第1楽章のゆったりとさすらう様が伸びやかに歌われるのは、とても気持ちがよい。第2楽章の冒頭の低弦の力感は見事。ニューヨーク・フィルハーモニックの力量が出ている。トリオのチャーミングな表情、自在のルバートは低俗さすれすれで、ワルターでは味わえない世界を持っている。ショルティ(昔、実演で聞いた第五は腰を抜かすほどの圧倒的な名演だった)などはお行儀が良すぎる。
第3楽章のアイロニーに満ちたTrauermarschは、速めのテンポでよく流れる演奏だ。フランス民謡からとった子供の歌を葬送の音楽にするという発想は、二十世紀の多くの創作の源流ともなるものだった。バーンスタインはそれをよく理解している。そしてそうしたアイロニーに満ちた、矛盾と低俗さを見事にブレンドして聞かせてくれる。
終楽章の闘争と勝利は、実は見せかけに過ぎないのではないかと私は思っている。身振りが大きければ大きいほど、その見せかけの勝利とその裏にある実に苦い悲しみが浮かんでくる。ショスタコーヴィチの第五の勝利のように。ベートーヴェンの第五や第九のように純粋に勝利を祝う音楽を作曲家はもう書けなくなっていたのだ。ブラームスだってそうした傾向が聞こえるが、マーラーでは第一番の「巨人」ですらそうなのだ。
この曲は、実はベートーヴェンの第九が下敷きにある。マーラーでは第一楽章、冒頭が高音に持続音があり、4度下降のモティーフを強調したあげくテーマがそこから生まれてくる。第3楽章に緩徐楽章を持ってくる。第4楽章がトゥッティによる下降する音型の爆発(これは全体をつらぬくイデーから発しているのだが)からはじまり、やがて勝利の音楽に結びつくが、様々な闘争をしながらそこい至るというプログラム性を持っている。
そして、このプログラムがベートーヴェンと一致するのだ。もちろん、ベートーヴェンの習作などではない。成熟した見事な十九世紀末の交響曲だ。ベートーヴェンからおよそ60年。60年でこうも大きく変わったのだ。そしてバーンスタインはその変遷を見事に描いてくれた。マーラーの演奏でこうも素晴らしい演奏を私は聞き逃していた。マーラーが好きな人は必聴だ。

SONY/73DC221〜3
# by Schweizer_Musik | 2005-01-28 08:48 | CD試聴記
結局、一日良い天気・・・
c0042908_19363194.jpg天気が下り坂とか言っていたのに、良い天気のまま日が暮れていく。まあ、良いのだが・・・。
朝、N君がやってきて、先日作ってあげた「道化師の夢」の楽譜を浄書して(もちろんフィナーレで)プリント・アウトして持ってきてくれた。なんだかうれしいような・・・。しかし、自分で作ったものなのに、アーティキュレーションやフレージングを直したくなってきていけない。やはり形になったものを見ると、パソコンの画面を見ているだけの時とは大分違う。
それにしても少し日が長くなってきたのがよくわかる。必修の授業の出席状況を見に行った後、出てくると夕空が高く、美しかった。
資料室でマーラーの交響曲のCDをいくつか借りてくる。全部バーンスタインだが、帰って聞くことにしよう。第2番は持っていたが今は行方不明なので。その他はロクに聞いたことのないものばかりだ。マーラーはゲオルク・ショルティとクラウス・テンシュテットとベルナルト・ハイティンク、小澤征爾とアバド、そしていくつかのワルターで終わりだったので、エリアフ・インバルや若杉弘といった指揮者のものはロクに聞いていない。
大作すぎて、聞きくらべをしようという気にならないのも原因かもしれないが・・・。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 19:36 | 日々の出来事
チャイコフスキーのトリオ、グラズノフのカルテット **
チャイコフスキーのピアノ三重奏曲 イ短調 Op.50「偉大なる芸術家の思い出」とグラズノフの弦楽四重奏曲 第1番 ニ長調 Op.1 (1881-82)を組み合わせたメロディアのCD。チャイコフスキーはレニングラード・フィルハーモニー三重奏団の演奏で、グラズノフの方はショスタコーヴィチ四重奏団による。
チャイコフスキーはおよそロシアらしくないスマートな演奏。冷静で淡々とした演奏は不思議な感じがする。レオニード・コーガンやギレリスなどの演奏の熱くたぎるような情熱のこもった演奏と対極にあるような演奏。冒頭の悲歌的な楽章がどうしても退屈してしまう。2楽章はさらに・・・。私は途中で聞くのをやめてしまった。全曲で50分近い時間を淡々とやられては聞く方はたまったものではない。技術的にどうということもなく、録音もややオフ気味なのも平板な印象を強める結果となった。
グラズノフの方はずっと良い。若いグラズノフが書いたフランス趣味の作品は、ロシア風の主題によるマスネの新発見の曲だよと言われれば、多分だまされるだろう。演奏もしっかりしているし、よく歌う。第1楽章での対位法的な展開など、若いグラズノフの意欲がそのまま出ているようであるが、ロシア色が全面にでるようなことは全くなく、五人組などの作品などと明らかに異なるグラズノフ特有のインターナショナルな作風である。
第2楽章のスケルツォなど、もっとメリハリを効かせてほしかったりもするが、第3楽章Andanteの美しいメロディーには、誰もが心動かされることだろう。終楽章はロシア民謡風のテーマであるが、土俗的では決して無く洗練されたスタイルに昇華されている。しかし、そのためあまり盛り上がらない。彼の交響曲などがあまり人気がないのはこのせいなのかも知れない。何しろ全曲が盛り上がって「わーっ」とくるところがないのだ。品は良いのだが・・・。
しかし、スクリャービンやショスタコーヴィチ、ラフマニノフを育てたのだから名教師だったのだが。一時彼の作品のCDをずいぶん集めていたのだが、どうしたものか・・・。

MELODIA/MCD157
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 09:26 | CD試聴記
(再)マニュエル・ロザンタ−ルの遺産 *****(特)
(旧試聴記より)
マニュエル・ロザンタ−ルが編曲したオッフェンバックの「パリの喜び」 が今日どれだけ聞かれるか知らないが、ロザンタールのあか抜けたアレンジが施されることで、見事なバレエ音楽に生まれ変わったもので、1938年という戦争前夜のパリで書き上げられたものだ。
初演以来、急速に世界中のオーケストラのレパートリーに加えられた名編曲であり、カラヤンや小澤征爾、シャルル・デュトワといった名指揮者たちの名演がひしめき合っていることからも、この編曲が大変優れていることがわかる。
ロザンタール自身はラヴェルに学んだ作曲家であり、指揮者でもあったことから、彼による自演もいくつか出ていたが、このナクソスの録音はなんと1996年、ロザンタール92才の時のものである。テンポはフランス・パテに60年代に録音していて、EMIから今も手に入れることができる。そちらの録音からすれば、万事のんびりしてきている。颯爽とした旧盤の魅力は今も変わらないが、長年親交の厚いモンテ・カルロのオーケストラは万事にわたってロザンタールへの深い尊敬をベースに丁寧に事を運んでおり、ロザンタールもとても気持ちの良いテンポでこの作品を余裕をもって聞かせてくれる。
旧録音とともにこの晩年のロザンタールの美しい録音はナクソスによってなされた。メジャー・レーベルは無視してきたこの才人をナクソスはもう一度私たちに注意を促しただけでなく、かけがえのない録音をこの世に残したのだ。こうした意義ある録音をしないで、ベートーヴェンの交響曲の録音ばかりしていれば、いずれはメジャー・レーベルといえども滅びることだろう。
企画力の無さによる、あまりにも迎合主義によって、メジャー・レーベルの録音にほとんど魅力がなくなっている。また、長く売れるのでなく、流行に迎合しようというスタイルも考え物だ。そんな土壌はすぐに枯れてしまうだろう。音楽業界が不振なのは、CDがパソコンにコピーされるせいではない。コピー程度で十分だと想われる商品のつまらなさ故だ。
この録音を聞きながら、メジャー・レーベルはもういらない時代に入ったことを痛感した。そしてこの録音が1996年に行われていたことに気がつき、その頃から確かに音楽産業は斜陽に移っていったのだ。


オッフェンバック/ロザンタール編曲/バレエ音楽「パリの喜び」他 マニュエル・ロザンタ−ル指揮モンテ・カルロ・フィルハーモニー管弦楽団 NAXOS/8.554005
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 09:11 | CD試聴記
本の出版について
c0042908_117624.jpg朝から寒い。しかし天気はとても良い。六時頃には曇っているのかと思っていたら朝日がさしてまことに良い具合である。ベランダの桜草が朝日に輝いて実に美しい。すずめが来て、散らかした残骸がご愛敬だが・・・。
午後から下り坂だと天気予報は伝えていたが、それはともかく、昨日一日、音楽を聞いて過ごしたことが私を大いにリフレッシュさせてくれたようだ。
今日から執筆をまた再開させよう。音楽についての本を書くのだが、ようやく企画を受け持ってくれる良い出版社に巡り会えたのは良かった。音楽が好きで内容で世に問うことを理解しやろうという人がいてくれることに感謝である。なんとか売れることを念じて・・・。目指せ一万冊・・・である。やるべきことは山のようにあるが、とりあえず原稿を書かないといけない。音楽史だけでなくヨーロッパの中世から近代にかけての様々な歴史をもう一度調べ直さなくてはならないし、音楽家の作品について、演奏家について、様々に調べなくてはならないことがある。ハンガリー田園曲の物悲しいフルート・ソロが有名なドップラーやシューベルトの知られざる作品なども関連があるし、メンデルスゾーンも放っておくわけにはいかない。
更に中世の宗教改革以前のキリスト教の広まっていく過程とゲルマン、ゴール、ケルトなどの民族固有の宗教との兼ね合い、更に様々な権力闘争とローマ・カトリックの関係など、知っていても詳しくないことも背景として理解するようにもう一度調べ直そうと思い始めたところだ。
得意とする宗教改革もルターとツヴィングリ、カルヴァンなどの違いをもっと明確にし、改革がもたらした様々な影響を検証しなくてはならない。でなければ、ヨーロッパ文化を理解することなど、とうていできない相談だ。
ヨーロッパに行きはじめた当初、教会で見る様々な絵画や彫刻のほとんどが理解できず、また、日々そこに祈りに来る善男善女の姿が日本の神社仏閣の日常の姿と大きく異なることを意識させられたが、その意味を理解できなかったことに思いをはせる。
この思想的、精神的な世界を理解することで、ヨーロッパの音楽の神髄に少しは近づくことが出来るのではないだろうか。歴史が様々な出来事の羅列で出来ているのではなく、原因と結果の連続、影響を互いに及ぼしながら様々なことが起こっているのだ。だから何年に何が起きたかでなく、何がどういうところで、どうして起こったのか、そして、誰がそれを起こしたのか、何がそうさせたかまで考察する必要がある。
こうした観点に立った、新しい文化に対する考察として本を、それも専門家でない人たちのために、わかりやすく、そして面白く書くことが目標だ。
大変難しいことだが、大いにはりきってこの春は執筆に全力を傾けよう。秋には出版したい。7月頃のつもりで、かつて音楽之友社でもそう言っていたのだが、出版社が変わったのでちょっと遅れるだろう。でも担当の人はとても良い人のようで、ぜひがんばってみたいと思う。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 09:07 | 原稿書きの合間に
(再録) ロンバールのコシ・ファン・トゥッテ ****
旧試聴記の再録です。

バークシャーで出ていたので速攻で申し込んだもの。予想に違わぬ名演だ。あのカール・ベームとフィルハーモニアとの名盤が古色蒼然たるものに聞こえてしまうほどで、歌手の軽量級を忘れてそのアンサンブルのすばらしさに心奪われてしまった。
ロンバールは昔ストラスブール・フィルハーモニーと来日した時にベルリオーズの幻想交響曲を聞いた記憶があるが、今回はあれから三十年近く経ってのことだ。彼がその間どういう仕事をしていたのか、よく知らないが、スイス・イタリア語放送管弦楽団を見事に率いてのこの音盤は広く薦められる。
1幕終わり間際でフェランドが歌う「いとしい人の愛のそよ風は」など、声量というよりももう少し声そのものの魅力がほしいと思う。ラウラ・チェリッチのデスピーナはチューリッヒ歌劇場の録音でのバルトリ(DVDがあった)には遠く及ばない。声の魅力という点でロンバール盤は素晴らしいとは言えぬ。ベーム盤のエリーザベト・シュヴァルツコップやクリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッダなどの歌の素晴らしさとは比べものにならない。 しかし、不思議なことにオーケストラが入ってきて背景のピントが合ってくると、それなりに聞かせるのだ。ベーム盤はアンサンブルがちょっと重いのだが、この羽のような軽さはどうだ。決して古楽器風の解釈ではなく、伝統的なものなのだが。
フィオルディリージのラングランジェはなかなか良い歌を聴かせる。また合唱はファゾーリスが指揮する放送局の合唱団だ。エドウィン・レーラーが30年代に創設したヨーロッパでも有数の名合唱団は聞く価値がある。
ということで、個々の声の魅力は今ひとつであるものの(コシで歌手の魅力に欠けるのは致命的と思うのだが・・・)アンサンブルで聞かせるコシも良いではないかということで推薦したい。
1999年春、ルガーノでの録音。仏フォルラーヌの盤。CD番号は316809。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 09:01 | CD試聴記
アーノルドの交響曲第7,8,9番,オーボエ協奏曲 ガンバ指揮BBCフィル *****(特薦)
アーノルド・ファンにとっては良いCDを見つけた。シャンドスから出ているシリーズから取り上げる。ナクソスがこうした企画に先鞭をつけたとも言えるが、大手が手を出さないこうした作曲家の作品を積極的に出すのは、こうしたマイナーなメーカーの(シャンドスがマイナーかどうかは別にして)良さだ。
大手なら、またベートーヴェンの交響曲全集だとか、ラフマニノフのピアノ協奏曲などといったものでないと売れないと判断するだろう。それはよくわかる。マスで売らないとと思うからだ。しかし、ケンプやリヒテル、あるいはフルトヴェングラーやバーンスタインはもういないのだ。ティーレマンのベートーヴェンは一度聞いたが、今更聞きたいとは私は思わない。ましてや3000円も払って・・・。
こうした時代に、アーノルドの作品は新しい楽しみを与えてくれる。
第九から聞き始めた。ペニーの録音ではスマートで流線型の演奏だったが、ガンバはもう少し深みのある演奏である。オケもBBCフィルハーモニーで、ナクソスのアイルランド国立交響楽団よりも優れている。BBCフィルハーモニーは有名な交響楽団と違い、確かマンチェスターの団体だったと思う。
ナクソス盤を持っていても買うだけの価値は十分にある。特に第九などは他にまだあまり録音がないだけに貴重だ。
アーノルドの作品としては最も渋い作品になろうが、第3楽章などの力強い楽想は一般受けのするもので、日本でもそろそろ人気が出てきてもいいのではないだろうか。
もともとトランペット吹きだったアーノルドであるだけに、管楽器の扱いは大変優れていて、オーケストレーションが華麗で、イギリスではアーノルド協会があり、多くのファンを持つ人気作曲家であるのだから、当然だろう。
第七はペニーの演奏を聞いていた耳には信じられないほどガンバの演奏のテンポが速い。一部に省略があるのか、使った版が違うのか(いくつかの版があるということ?)はわからない。楽譜を買う必要があると思っているところだ。何しろかなり違った印象を受ける。ペニーの方は作曲者のインタビューが全集についていたから、不正確な演奏などということはないだろうし・・・。不思議だ。第1楽章はペニーは16分あまり。ガンバは13分あまり。3分ほどの演奏時間の差はちょっと説明がつかない。
以後、第2楽章、第3楽章のテンポがガンバの方がずっとキビキビとしていて気持ちが良い。これは買いである。
1978年に書かれた交響曲第8番は深刻なテーマの作品だが、ペニーの演奏でも満足していたのに、ガンバの深く抉るような表現を聞いてしまうと、もう駄目。戻れない。第3楽章の出だしなど、ガンバで聞くとショスタコーヴィチのようにさえ聞こえてくる。曲を知るということで、ペニーに感謝したいが、演奏ではガンバは数段上だ。
余白に入っているオーボエと弦楽のための協奏曲 Op.39は、ARTE NOVAからマルコム・メッシター(ob),ロス・ピーブル指揮ロンドン・フェスティバル管弦楽団出ていてこれを楽しんでいた。メッシターのオーボエは線が細く、響きに余裕がないためやや不満だったが、ジェニファー・ガロウェイのオーボエによるガンバ指揮によるこの録音は全く不満はない。
この二枚組は、みつけたら是非買うべき。
CHANDOS/CHAN 9967(2)
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 08:50 | CD試聴記
シャルル・ミュンシュの芸術/DISQUES-MONTAIGNE/DMS-1001〜2 *****(特薦)
ディスク・モンターニュのライブCDを聞く。実は先日実家に帰った時にCDの山の中から「発見」した一枚。聞いた記憶がなく、買ってそのままになっていたに違いない。オネゲルの交響曲 第1番 (1930)やデュティユーの交響曲 第2番「ル・ドゥーブル」(1956-59) 、更にドビュッシーの「海 〜3つの交響的スケッチ」(1903〜5)、管弦楽のための映像 (1905-12) 第2曲「イベリア」、ピアノと管弦楽のための幻想曲 (1889-90)、そしてルーセルのバレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番 (1930)という内容の二枚組。1962年に行われたパリでのミュンシュのコンサートからの録音だ。オケはフランス国立管弦楽団。ドビュッシーでピアノを弾いているのは、ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー。
大分ミュンシュを集めたがRCAでの正規録音のないものも多く、ステレオでの復刻というのもうれしい。録音状態は当時のものとしては上々である。
DMSというレーベルで日本盤となって出ていたものを買っていたので、解説もあるが、大したことは書いていない。しかし、良い演奏だ。オネゲルの第1番の交響曲には良い演奏が無かっただけにこの録音はその乾きをいやすものである。この作品ではじめて感動を覚えた。シャルル・デュトワなどの演奏はこの演奏に比べれば表層をさらっているに過ぎない。
冒頭から深く抉るような2声の交換にブラスが加わっていくところなど、こうでなきゃと思う。決して若書きでもなんでもない、オネゲルの熟練の作なのだ。このあと4曲の交響曲を書いたため、第1番が軽くみられることが多いのが残念でならない。この曲を書いた時、すでにオネゲルは機関車パシフィック231などをすでに世に問うていたのだ。
第2楽章の深い悲しみを弦のユニゾンに延々と語らせるのは、もうショスタコーヴィチ以外にはオネゲルしかいないだろう。終楽章のスケルツォ風のPrestoが不条理であれば、それがAndante tranquilloにとけ込んで、そして全てが穏やかに終わる。これがどうして聞かれないのか、残念だ。ミュンシュの演奏はいままで色々聞いてきたこの曲の録音の中でも最高の出来だ。もうこれ以上のものは出ないかもしれない。
デュティユーの交響曲第2番もまた名演だ。ミュンシュはこうした同時代のものを数多く手がけたが「ル・ドゥーブル」と題されたこの作品でも力強い演奏を繰り広げている。この作品はダニエル・バレンボイムが指揮した録音を私は愛聴してきたが、そちらはずっとスマートな演奏で聞きやすいが、ミュンシュの録音の方が踏み込みが深いと思う。細かなフレーズをフランス国立管弦楽団の面々は実に自信たっぷりに演奏している。
続くドビュッシー作品のいくつかは、1962年5月8日ドビュッシー祭でのライブ録音である。
ドビュッシーのピアノと管弦楽のための幻想曲は3楽章からなるドビュッシー唯一のピアノ協奏曲のような作品で、私は大学の時の卒業の年、かなり入れ込んでこれを分析したことがある。その時聞いていたのはアルド・チッコリーニのピアノでマルティノン指揮のフランス国立管弦楽団であった。奇しくも同じオケであるが、ニコール・アンリオ=シュヴァイツァーは悪くはないが、タッチが平板でどうも良くない。展開部でもオケの立派さばかりが目立ち、ピアノは霞みがちだ。
ピアニストに人を得ていればと思うが、この曲をレパートリーとしている大ピアニストはそう多くないだろうし、ミュンシュは合わせものがどうも上手くないので、やはりニコール・アンリオ=シュヴァイツァーくらいになるのだろうか。
しかし、第2楽章のファンタジックな入りは本当にきれいだ。もっと人気が出て良い曲だと思う。ドビュッシー初期のベルガマスク組曲などのような甘いハーモニーに満ちていて、メロディーも美しい!
「海」はこのコンビでの正規録音もあるので、無理にこれでなければならないことはない。(解釈は当然同じだ)しかし、こちらの方がずっと表現が積極的でわかりやすい。ただ、録音上のバランスというか、ドビュッシーのもともとのオーケストレーションがデリケート過ぎて、いくつかのフレーズが他の楽器にかぶってしまっている。特に木管のフレーズのいくつかに問題がある。正規録音ではこうしたことはない。どちらを選ぶかは、五十歩百歩といったところか。両方ともとびきりの名演。
「イベリア」は正規盤の方が明らかに上。どうも乗っていない。この演奏は同じ日に行われているはずなのに・・・。それでも第3楽章あたりになって大分持ち直すのだが、第1楽章の「街の道や抜け道を通って」は駄目。
最後にルーセルのバレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番 (1930)が入っている。これも正規盤が何種類かあるが、このライブ盤もなかなか良い。ただ、会場の咳ばらいが盛大で、冒頭のデリケートな部分の雰囲気が大分損なわれている。少々残念ではあるが、それでも購入して聞くだけの価値はある。表現のスケールが大きく、マルティノンなどの名演を聞いていても、このミュンシュの踏み込みの深さは特別だ。
今も手に入れば良いのだが・・・。良い演奏だ。ライブとしては第一級品。

シャルル・ミュンシュの芸術/DISQUES-MONTAIGNE/DMS-1001〜2
# by Schweizer_Musik | 2005-01-27 08:15 | CD試聴記
フルトヴェングラーのモーツァルトK550の聞きくらべ
現在、私が所有するフルトヴェングラーの3種類のト短調交響曲を聞き比べてみる。
1) 非フルトヴェングラー説のある1944年7月2,3日録音のTAHRA/Furt 1014〜1015
2) 1949年6月10日ヴィスバーデン歌劇場録音のANF/ANF-305/FONIT CETRA/CDE 1015
3) 1948年12月7-8日&1949年2月17日ウィーン、ムジークフェラインザール録音のEMI/CC35-3169

正規盤は最後のものだけだが、1944年のものだけが1949年のものとして出たこともあり、その時はフルトヴェングラーの演奏ではないということであったが、TAHRAが1944年盤として出して、またしても議論の的となった演奏である。冒頭の6度跳躍にポルタメントがかかり、それが後のブルーノ・ワルターとウィーン・フィルの演奏と同じだということで、ブルーノ・ワルターの演奏ではないかという説もある。しかし、これはあまりに単純で明らかな間違い。ブルーノ・ワルターは基本的にこの作品に対する解釈を変えていない。しかし、フルトヴェングラーとされる1944年のものというTAHRA盤がワルターだったとしたら、彼の全くことなる解釈の演奏が残っていることになるのだ。第1楽章の再現部での有名なルフトパウゼも1929年の録音ではさすがにしていないが、その他の全ての録音で行われている。確かに1940年代のこの作品の録音はないが、大きな強弱、表情が特徴のワルターの演奏と相容れない、スタイリッシュな解釈に、この意見(1944年盤はワルターであるという説)はあまりに唐突に聞こえる。
1948年のEMIの正規盤は、最もテンポが速く、独特の世界を持っているが、その他のライブとされる演奏は(これらがライブというのに聴衆の存在を全く感じさせないのは何故?)これに比べるとかなり遅いテンポを選んでいることにもよっているようだ。
また、スタジオ録音では第1楽章の提示部を繰り返しているが、ライブとされる1944年の演奏では繰り返していない。しかしヴィスバーデンの録音もまた繰り返しが行われておらず、繰り返しの有無がフルトヴェングラーかどうかということの決定的な証拠にはならないことは自明のことである。
では解釈についてはどうだろう。
さて、1944年の録音は非フルトヴェングラーなのか?第1テーマの提示が強弱をあまりつけず、比較的淡々と演奏され、推移部になるとテンポが大きく動き始める。これは1948/49年の正規盤ではテンポが速すぎて行われていないが、1949年6月のヴィスバーデンの録音では片鱗を聞くことができる。ただ、ヴィスバーデンの録音はオケがベルリン・フィルに変わっている上、かなりおとなしい演奏となっていて、大きなテンポの変化はない。しかし、1944年盤は、フルトヴェングラーらしい、大きなアチェレランドがあり、オケが一部ついて行けてないところがあるのは面白い。
1944年盤では第2楽章でもポルタメントは多用され、濃厚な味わいを聞かせている。メンゲルベルクかと思うほどである。私はこれがメンゲルベルクだと言われれば、簡単に信じていたかも知れない。ヴィスバーデンの演奏は比較的冷静で、あまり盛り上がらないし、EMIの正規盤は借りてきた猫のようにおとなしい。
第3楽章からヴィスバーデン盤はとても面白くなりはじめる。冒頭がずれるのはフルトヴェングラー一流の棒ゆえであろう。しかし、すぐに焦点が合って力強い演奏に立ち戻るのはフルトヴェングラーらしいところだ。ヴィスバーデン盤はここから終楽章にかけてがとても良いのだが、1944年盤はそういうことはなく、やや肩すかしをくらってしまう。
終楽章は1944年盤でははじめすこしゆっくり始まるが、急激にテンポ・アップし、猛烈なスピードで駆け抜けていく。1948/49年の正規盤はちょっと別にしても1944年は凄まじい迫力の演奏だ。1949年のヴィスバーデン盤も白熱した演奏であるが、これに比べれば冷静なものである。
1944年は総合的に聞くと、やはりフルトヴェングラーではないだろうか。即興的で、実によく乗っている。また、解釈もヴィスバーデンのものとほとんど同じで、ウィーン・フィルのポルタメントがあるかないか程度で、ボウイングも共通しており、私は非フルトヴェングラーではなく、本物であると考える。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 23:09 | CD試聴記
マルタンの複合唱のためのミサ曲(聞きくらべ)
この初期のミサ曲は、二十世紀にア・カペラのために書かれた作品の中でも屈指の名作である。しかし、作曲者が信仰を音楽として世に問うことに抵抗を感じ、人の耳に届く前にお蔵入りとなる。
結局、はじめて音になったのは1962年、作曲されてから40年も経ってからのことだった。しかし、音楽の美しさにより、この作品は瞬く間に世界中の合唱団がとりあげるようになっている。
私も意識して集めたわけではないのだが、すでに5種類の演奏が手元にある。

1) ハリー・クリストファー指揮ザ・シックスティーン 1995年9月録音 英Collins/14672
2) ロバート・ショウ指揮ロバート・ショウ・フェスティバル・シンガーズ 1994年7月録音 TELARC/CD-90406
3) イェルク・シュトラウベ指揮北ドイツ・フィグラルコーア 1995年リリース 独THOROFON/CTH 2261
4) ジェームズ・オドンネル指揮ウェストミンスター大聖堂合唱団 1997年7月録音
英hyperion/CDA 67017
5) クラウス・クナル指揮コレギウム・ヴォカーレ・チューリッヒ 2000年9月録音 スイス MGB/CD 6177
以上である。もちろんもっとあると思われるが、とりあえずこれらを聞きくらべてみた。
比較的少人数で歌っているのがハリー・クリストファー指揮ザ・シックスティーン盤とジェームズ・オドンネル指揮ウェストミンスター大聖堂合唱団盤である。
ルネッサンス音楽風の趣はあるが、やや響きの豊かさが私には足りないように感じられる。そのかわり、表現はより直裁で鋭い。
大人数の余裕で歌うのはロバート・ショウ指揮ロバート・ショウ・フェスティバル・シンガーズ盤である。フランスでの録音であるので、フランスのコーラス隊を指揮したのかもしれない。さすが合唱一筋の指揮者になるだけあって、ピッチの正確さは見事としか言いようがない。これを聞くと他の歌のピッチと発声の粗さが気になってしまう。
表現もまた柔軟で、極めてデリケートな歌を聞くことができる。
同様の表現であるが、やや編成の少ないのがイェルク・シュトラウベ指揮北ドイツ・フィグラルコーアである。マルタンとドイツとはちょっとミス・マッチと感じる人がいたらそれは大間違い。この曲は1962年ハンブルクで初演されているし、マルタンはドイツで長く活躍している。そういうことからしても決してミス・マッチなどではなく、このイェルク・シュトラウベの指揮する北ドイツ・フィグラルコーアの歌は実に見事だ。ただ、時折ピッチが揺れる。仕上がりが後一歩と言えようが、これはこれで十分楽しめる。
最近購入したのはクラウス・クナル指揮コレギウム・ヴォカーレ・チューリッヒである。これはフィルアップのブルンナー(同じく二十世紀スイスの代表的な宗教音楽の作曲家)のルカ伝によるクリスマス物語という曲が聴きたくて買った一枚。
発声にやや癖があり、少々抵抗を感じたというのが正直なところだ。しかし、しばらく聞いていくと、その集中力のすごさに惹きつけられてしまい、ついに最後までいってしまうという歌である。
全体として、アベレージの高いのはやはり巨匠ロバート・ショウであった。しかし、それぞれに他のものも魅力があり一概に駄目とは言い切れないものばかりだった。それは、曲自体のもっている魅力故なのかもしれない。
こんなに素晴らしい名作を聴かないで一生を終えるのは悲しい。聞いたことの無い人はぜひ一聴をおすすめしたい名作だ。その時は、ロバート・ショウをぜひ!
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 22:03 | CD試聴記
ボード指揮スイス・イタリア語放送管のベルリオーズ/オラトリオ「キリストの幼時」****(推薦)
c0042908_2082421.jpgベルリオーズのオラトリオ「キリストの幼時」は、キリスト生誕の物語からエジプトへの逃避といった聖書の物語が取り上げられた作品で、クリスマス時期にはもっと演奏されてもいいのではないかと思うのだが、我が国では今ひとつ人気がないのは言葉の問題なのだろうか?
アンドレ・クリュイタンスの録音で長く親しんできたこの作品であったが、スイス・イタリア語放送管弦楽団と合唱団をフランスのベテラン、ボードが振ったフォルラーヌ・レーベルのCDがバークシャーで出ていたので、買ってみた。日本の長田みやぎ(この漢字でいいのだろうか?)というソプラノ歌手が聖母マリア役で出ていたりと、興味深いところではあるが、総じてソリストはクリュイタンス盤には及ばない。ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスと長田さんを比べるのは可哀想だろう。しかし、よく健闘していると思う。
ニコライ・ゲッダの歌うクリュイタンス盤はその輝かしい声で冒頭から聞く者を゛くっと惹きつけるのだが、ボード盤のサーレンは、声量はゲッダほどではなく、ややリリコで、甘い。これは解釈の問題だが、生まれたばかりのキリストを優しくみつめるようで雰囲気がある。ただ、一気に惹きつけるような集中力を期待してはいけない。
ただ、オケは全体にクリュイタンス盤に決して引けをとらない。スイス・イタリア語放送管弦楽団の腕は素晴らしいものだ。響きが全体に甘く、クリュイタンスのような厳しさはないが、これはこれで私は十分に楽しめた。夕方、コーヒーを啜りながら、やがて暮れゆく外の景色に溶け入るように、第2部の羊飼い達の合唱が聞こえてきて、なんだか懐かしいような不思議な気分に浸ってしまった。
この曲を含めて、ベルリオーズは幻想交響曲ばかりで、素晴らしい作品の多くが知られていないのは残念なことだ。

FORLANE/268102
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 20:08 | CD試聴記
臥牛のカップで飲むコーヒー
c0042908_17341550.jpg現川焼きの臥牛のコーヒーカップは4つほど持っているが、久しぶりに鷺の絵の入った臥牛のカップでコーヒーを飲む。当然自分でカリタ式の抽出で煎れたコーヒーである。
いつもこうなのだが、こうして飲むコーヒーは格別か。カップの(値段が)高いと美味しく感じるのかどうか・・・。
いずれにせよ、コーヒーの味はそう変わらないはずだが、飲む方の気持ちが違うのだ。でもいつかリーデルのグラスを取り寄せる時、聞いた話だが、舌には渋み、甘み、苦みなどの感じるポイントがあり、グラスの口の傾斜で例えばワインの味が変わるということを聞いたことがある。
リーデルのグラスと臥牛のコップでは比べられないが、確かにリーデルのリースリング・カビネット用のグラスで飲むそのドイツ・ワインは実に旨かった。
またリーデルのブランデー、VSOP用のチューリップ型のグラスで飲む、シングルモルトは最高だ。これで飲ませてくれるバーは滅多になく、飲ませるところはものすごく高い。私は自分の家でこれを飲むことにしている。写真にわずかに写っているのはそのリーデルのグラスだ。
かつて、広島から東京に転勤になる時に、事務所の人達から餞別として頂いたものだ。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 17:35 | 日々の出来事
カメラータ・ベルン *****(特薦)
c0042908_16294122.jpgカメラータ・ベルンは1970年代から80年代中頃、ずいぶん聞いたものだ。しかし、その後新録音があまり出なくなってしまう。しかし時々、ECキめしたいものだ。
その彼らの2000年の録音となるもので、大手スーパーのミグロが資金を出してできたものらしい。
彼らによるこのCDはスイスの近代から現代の作曲家たちの意欲作が収められている。
シェック、マルタンといった二十世紀中頃までに大活躍した作曲家の作品から、クラウス・フーバー、ルドルフ・ケルターボルン、ハインツ・ホリガーといった作曲家たちの作品だ。
マルタンの弦楽のためのエチュードは1955年から56年にかけてかかれた作品だが、色々な演奏で聞くことのできる名作として名高い。イ・ムジチの録音なども良かったし、アンセルメの決定盤の趣のある演奏もある。それらは今も入手可能であるが、それらの全てをこのカメラータ・ベルンの演奏は大きく凌駕している。この演奏の精緻を極めたアンサンブルの瑞々しさは滅多に聞けない素晴らしさだ。
マルタンのパヴァーヌは珍しい1920年頃のまだ十二音などを取り入れる前のごく初期、フォーレなどの影響を強く残していた時代の作品だが、フランス近代の音楽が好きな人ならきっと夢中になるに違いない。弦楽アンサンブルのための作品として、まさしく隠れた傑作と呼んで良いだろう。
シェックの「夏の夜」と名付けられた田園間奏曲は1945年の作品。シェックが中期の先鋭な作風が影を潜め始めた時代の作品で、ナチス・ドイツがシェックにちやほやしたおかげで、この後、ずいぶんつらい時代をシェックは送るのだが、そうした古い時代への惜別の情ともとれる、ロマンチックな作品だ。以前、バウムガルトナー指揮のルツェルン祝祭合奏団の演奏でこれをよく聞いていたものだが、カメラータ・ベルンの演奏は、次元の違う完成度である。抒情と構成感の均衡が見事にバランスされた名演であると確信する。
ルドルフ・ケルターボルンのオーボエと弦楽のための変奏曲は1960年の作品で、オーボエはハインツ・ホリガーが担当している。
ハインツ・ホリガーのオーボエの音は私はあまり好みではないが、やはり巧いことはとびきりである。ケルターボルンの初期の作品であるこの作品は、ハインツ・ホリガーが21才の時、彼の手によってルツェルン音楽祭で初演された作品だ。まだメロディックな曲を書いていた頃のケルターボルンの出世作の一つである。その初演者でもあるハインツ・ホリガーによる演奏である。バックが調子のすこぶる良いカメラータ・ベルンでは悪いはずがない。
ハインツ・ホリガーの氷の花 "Eisblumen"は作曲者であるホリガーが指揮している。1985年の作品で、このCDでは一番新しい作品だ。すでに実験的な前衛音楽は鳴りを潜め始めていた時代の作品。ネオ・ロマンティシズムなどという言葉が当然となっていた時代にリリシズムに溢れた作品だ。弦の奏法など、十分に現代的で実験的なのだが、それが独特のリリシズムに繋がっているところがこの人の作品の面白さかもしれない。
いずれにせよ、二十世紀スイスの作曲界を俯瞰する内容のCDであり、またどれもがとびきりの演奏とくれば、買うしかないだろう。バークシャーで出ている。早く買わないとなくなりそうだ。当然特薦に値するものだ。

カメラータ・ベルン/MGB/CES-M 69
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 16:29 | CD試聴記
朝は寒く、雨模様だったが
c0042908_1528587.jpg朝は寒く、雨模様だったが、午後になって晴れてくる。ベランダの花も寒そうではあったが、けなげに赤い花を揺らしていた。
美味いウィスキー(先日日本にやってきたフィリックスの土産だ)をチビチビとやりながら午後を過ごした。ハイランド・モルトのマッカランだ。12年ものなので、ちょっと若いのだが、それでもなかなか良い。さすがマッカランだと感心する。
原稿をそろそろやらなくてはと思いつつも、昨日が忙しすぎたためか、今日はblogを乗り換えるという作業をしただけで、後はどうも手につかない。
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 15:31 | 日々の出来事
イスラエル・シンフォニエッタによるプーランク、メンデルスゾーン、バッハ ****(推薦)
c0042908_14511698.jpgプーランクのシンフォニエッタが聞きたくて買った一枚。おかしな事に我が家のプーランクの管弦楽曲のCDはどこへ行ったのか、現在行方不明で、どうしても聞きたくて買った一枚。
プーランクのシンフォニエッタを演奏しているのはメンディ・ロダン指揮イスラエル・シンフォニエッタということなのだが、オリンピア・レーベルとは珍しい。他にクリスチャン・バッハのシンフォニアとメンデルスゾーンの交響曲第一番が収められているが、なかなか良い。もう一つ買ったのだが、その演奏はかなり粗っぽくてここに書くまでもなかった。
ロダンなる指揮者がどういう人物で、イスラエル・シンフォニエッタがどういう団体かさっぱりわからぬ。解説にあるのはイスラエル音楽舞踊大学の学長でイスラエル・フィルなどを指揮した演奏会で成功をおさめ1963年から1972年までイェルサレム交響楽団の首席指揮者を勤めたこと。イェルサレム音楽センターの顧問として長く活躍していたらしい。近年ではアメリカやオーストラリア、ヨーロッパ各地の有名オーケストラに客演しているようだ。またこのイスラエル・シンフォニエッタの音楽監督に1973年に就任して以来、このコンビで活発な演奏活動をしているらしい。
このCDで聞く限りでは、第一級のアンサンブルであることは間違いない。
プーランクの作品はその精緻なアンサンブルと生き生きとした表現に心奪われる。第一楽章の古典作品のような主題が独特の乾いた表情の向こうに瑞々しい歌心が響いてくるのは、正にこの曲の理想の姿だと思う。二楽章はもう少し速いテンポでいけるはずだが、ゆったりとしている分だけよく歌う演奏となっている。私の好みで言えば、もう少しテンポが速くてもと思う。なにしろMolto vivaceなのだから。
第三楽章のアンダンテ・カンタービレは実に美しい。大きすぎず小さすぎない身振りは、実にうまいバランスの上に成り立っている。終楽章の機知に富んだテーマを余すところ無く表現している。これこそ理想の演奏といえるだろう。
聞きたいと思って買ったわけではないけれど、メンデルスゾーンの交響曲第一番も古典的なフォルムの中に清々しいロマンの香りをたたえた、実に良い演奏であった。ためしにカラヤンやアバドといった全集の中の演奏と聞き比べたが、全く遜色なく聞こえる。
だだ、私はこの曲についてはジギスヴァルト・クイケンによるcpo盤を聞いて以来、その清々しい解釈が一番に思える。したがって、このロダンによる見事な演奏も素晴らしいものだと思うのだが、どうもクイケンの演奏の方に手が行ってしまう。
クリスチャン・バッハのシンフォニアも良い演奏だ。

イスラエル・シンフォニエッタ/OLYMPIA/OCD 164
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 14:50 | CD試聴記
リーバーマン Expo Triangle - Friendship EXPOsed *** 注目
c0042908_15362641.jpg1964年に発表されたリーバーマンの「交換」がジャズになるとは面白いことをする人がいるものだ。すでに二種類の演奏を聞いているが、スイスのジャズ・バンドの主催者にして作曲家グルンツによるアレンジは、実に興味深いもので、もともとの事務用機器のテープを様々なパーカッションに置き換えてのもので、4つの楽章に分けられている。
ついでに1964年の録音までおさめられていて、念が入っている。
グルンツ自身の作品も3曲収められていて、コンテンポラリー・ジャズとして、大変優れた出来映えといえよう。
続くリーバーマン作曲グルンツ編曲のジャズ・シンフォニーはジャズ・バンドになっていて、大変面白い。サウンド的にも親しみやすいものだが、さすがにリーバーマンの主題は独特で、決してルーティーンに作られたようなものではない。その意味でこれはこれは立派なジャズ・アルバムであると思う。5楽章からなるそれは、「ジャズバンドと交響管弦楽のための協奏曲 (1954) 」の中からの抜粋で構成されている。もともとは弦も入っていたものだが、グルンツのアレンジでは弦は外れ、標準的なビッグバンドの編成に置き換えられているようだ。
演奏は長年グルンツとやってきているバンドということで、見事なもので、ナクソスで出ているノイホルト盤などのようなちょっと余所余所しい演奏とは大きく異なる、生き生きとした音楽になっている。
これは楽しい。バークシャーでMGBレーベルから出ているので、ジャズとクラシック両方好きな人におすすめである。

Expo Triangle - Friendship EXPOsed/MGB/CD 6170
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 13:56 | CD試聴記
乗り換えました・・・よろしくお願いします
LivedoorのBlogを作ってたった10日。その間にアクセスできないなどという事件が起こった。昨日のことだ。
実は昨年の初秋の頃、OTB(現在はLivedoorに吸収)の掲示板で一ヶ月近くアクセスできないという事故が起こり、私は掲示板を閉鎖するに至った。まぁ、いたずらの書き込みが増えたためでもあるが、つくづくOTBで苦労させられたはずなのに、Blogでまた同じ目に遭った。昨日の朝は怒りでどうしようもなくなってしまった。
アクセスが増えてどうのこうの・・・。情けないと思うが、もう二度とLivedoorとつき合うこともあるまい。ここだけは避けて通ることにしようと思う。
こうした理由で、ExciteのBlogに乗り換える。たった10日の命だったLivedoorは忘れて、新しい気持ちで、色々と書いていくことにしよう。では、よろしく!!
# by Schweizer_Musik | 2005-01-26 11:28 | 日々の出来事