フィッシャー=ディースカウの歌う「さすらう若人の歌」
作曲者 : MAHLER, Gustav 1860-1911 オーストリア
曲名  : 歌曲集「さすらう若人の歌」(1883)
演奏者 : ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(br), ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団
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五十年以上もの間、この曲の決定盤として君臨してきたこの名盤がナクソス・ミュージック・ライブラリーで発見。CDは来週の発売ということなので、一足先にマーク・オーバート=ソーンの復刻した音を堪能できるのは、ナクソス・ミュージック・ライブラリーを試聴できる者に許された楽しみだと思い、早速試聴してみた。
この演奏なら、EMI/CE33-5114ですでに持っているし、録音も正規のスタジオ録音であるので、フルトヴェングラーのライブ録音のような酷い音を我慢して聞くこともないわけで、CDなら別に手に取らなかっただろうが、ナクソスのヒストリカルでの復刻はマーク・オーバート=ソーンということで期待したわけだが、本家のEMIのものよりずっと良い音で聞けるのには驚かされた。
少し音量を大きめに復刻しているようであるが、第2曲の「露しげき朝の野辺に」の冒頭のハープがちゃんと分離して聞こえるし、第3曲の「灼熱した刃」の管弦楽がEMIの録音がちょっと鼻が詰まった風邪気味の音なのに対して、ナクソスのはモノラルながらオケの金管などがよく分離して聞こえ、別の録音のようにも感じられた。
で、最後の「君の碧き二つの瞳」を聞いている時にはもうEMIの復刻盤は売ってしまい、このナクソスを手元におくことを決意(そんな大したものではないけれど…笑)していたのである。
この曲の他の復刻を漁ったことがないので、どういうものがあるか知らないけれど、このナクソス盤は「買い」である。
EMI盤との違いの大きな点はこの他にノイズがのっている点だ。持続的なテープ・ノイズらしきものがある。(EMI盤はこれがほとんどない…かなりノイズ・リダクションをかけているようだ…わからないけれど)
ナクソス盤はノイズが乗っているけれど、それは曲がはじまる直前やppの時にふっと気がつく程度で、音楽が進むとそう気にならない。音の実在感とでも言うものがあるからだと思う。EMI盤だけ聞いていた時は滅多に手を出さなくなっていたこの演奏であるが、ナクソス盤が出たおかげで、時々聞くソースに加えようと思う。
しかしこれが1000円ほどなのだから時代は変わったなぁ…。昔と大きく変わったのは音楽ソフトの値段である。ソースそのものはもうパブリック・ドメインとなっているのだから当然と言えば当然なのだけれど、昔はフルトヴェングラーと言えばいつまで経ってもレギュラー盤であったのだが…。
この演奏を初めて聞いたのは確か大学一年生の時であったが、大阪日本橋にあったワルツ堂の中古盤の棚から見つけ出して購入したものだった。(当時、フルトヴェングラーを手放す人は少なく、なかなか手に入らなかったものだった…)それでも1200円ほどしたものである。
買ってから、マーラーの第1番の交響曲に流用されたメロディーのオン・パレードで随分楽しんだけれど、音の古くささに閉口したものだ。

ところで、この盤にはルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演した「亡き子をしのぶ歌」も入っているが、これもEMI盤よりもずっと良い音のモノラル録音で入っている。フルトヴェングラーのものよりも3年後の録音で、この間に録音技術がずいぶん進んだのだなぁと思わざるを得ない。
フルトヴェングラーの録音はロンドンのキングスウェイ・ホールだが、ルドルフ・ケンペのものはベルリンのイエス・キリスト教会での録音である。そうした事情もあるのかも知れないけれど、随分分離の良いオーケストラ録音で、モノラルとしては最高のものであろう。これがステレオならばと思わざるを得ないが…。
他に1954年録音のシューマンのリーダークライスOp.39がジェラルド・ムーアとの共演で入っている。これまた若々しいフィッシャー=ディースカウの歌と相まってまことに美しいものであった。
今、このシューマンを聴きながらこれを書いていたのだが、つい聞くのに夢中になって文章がわけがわからなくなってしまうことが度々あった…。
EMIの盤ではバレンボイムのピアノで1978年録音のマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」が入っていた。これはまだパブリック・ドメインではないので、要求するのは止めよう。
by Schweizer_Musik | 2008-11-09 02:02 | ナクソスのHPで聞いた録音
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