コルボのモーツァルトのレクイエム(旧盤)
作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : レクイエム ニ短調 K.626 (1791)
演奏者 : ミシェル・コルボ指揮 リスボン・グルベンキアン管弦楽団, 合唱団, エリー・アメリンク(sop), バーバラ・シェーラー(alt), ルイ・デヴォー(ten), ロジェ・ソワイエ(bs)
CD番号 : ERATO/B15D-39059

昨日、激しいベルティーニのモツレクを聞いて圧倒されたのだけれど、やっぱりこの古いコルボ盤に戻って聞き直したくなってしまった。
1975年4月の録音である。彼はこの後1995年9月24日スイスの古都フリブールで行ったコンサートのライブ録音があるが、全く別人の演奏で、1980年代に隆盛を極めた古楽器のスタイルを取り込んだ演奏様式へと転換してしまった。
だから1970年代のコルボを知る人にとって、その後のコルボを聞く度に、スタイルの変化に驚かされることとなるのだ。
この旧盤のモーツァルトのレクイエムは、演奏スタイルを変えていく前のコルボの録音である。
ソリストにアメリンクがいる他は、そう有名どころが並んでいるわけではない。でもこの録音から受ける強い印象は何物にも代え難い。
なよなよと寝ぼけた演奏ではない。実に力強い演奏を聞かせるけれど、そのいずれもが絶望や怒りに満ちているのではなく、平安を求め思う心の表れとして私には聞こえる。
セクエンツァの最初の「怒りの日」は充分に激烈な表現であるが、刺激的ではない。
声楽の安定した歌、特に合唱はそれほど技術的に高いものとは思えないが、実に上手くまとめている。合唱に定評のある人ならではのものだ。
独唱陣では、テノールに若干不満が残るが、他はアメリンクが当然図抜けているけれど、特に問題はない。テノールは声量があまりに不足していると思う。

しかし、そうした問題はともかく、コルボのこの演奏は魅力的だ。Lacrimosaの優し気な表現、クレッシェンドして行く中でも響きに怒りや絶望が混ざらない。死者の平安を祈ることで首尾一貫しているそれは、この作品に最も相応しいと思う。

今日も筑紫哲也氏の葬儀や有名人のコメントがテレビで流されている。彼は滝廉太郎の子孫の一人だったそうで、大分の湯布院にある玉ノ湯によく通われていたらしい。
私も新婚の頃、何度か行ったことがある。
私はジャーナリズムと全く関係の無い人間だけれど、音楽・芸術を心から愛し、オペラやコンサートによく出かけていたという彼の冥福を祈りたい気持ちになった。
この演奏を筑紫氏が喜んでくれるかは分からないけれど、演奏を聞きつつ、ニュース23の訥々とした彼の優しい語りを思い出していた。
by Schweizer_Musik | 2008-11-10 09:11 | CD試聴記
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