シュタドルマイヤー指揮によるラフの交響曲第2番
作曲者 : RAFF, Joachim 1822-1882 瑞西→独
曲名  : 交響曲 第2番 ハ長調 Op.140 (1869)
演奏者 : ハンス・シュタドルマイアー指揮 バンベルク交響楽団
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ヨアヒム・ラフを好きな私は、人にこの名前を言ってもなかなか分かってもらえないのに、ちょっと悲しく思っている。
リストの「秘書」として働き、リストのオーケストレーションをかなりやっているのだけれど、そうしたことに忙殺されながらも、膨大な作品を残したこの作曲家は、某音楽人名辞典ではドイツの「ラーヘン」で生まれたドイツの作曲家と書かれているほどである。ラーヘンはスイスのチューリッヒ湖畔の町で、私は2005年にこの町に出かけたことがあるが、ドイツではなかった(笑)。
彼が恩人でもあるリストの元を離れて独り立ちしたのは1856年のことで、すでに34才になっていた。それは彼の能力の問題でなく、中産階級の家に生まれ、堅実な生き方を指向していたヨアヒム・ラフならではのことと理解する方が良いだろう。
リストの演奏会を聞くためにチューリッヒからバーゼルまで歩いて行ったほどの彼が、偶然からリストの知遇を得て、何とかこの世界に入って一歩ずつ階段をあがっていったのである。その堅実さこそが彼の真骨頂である。
リストの交響詩や協奏曲の卓越したオーケストレーションは、その音楽からも聞かれるが、音楽の性格ははるかにメンデルスゾーンなどに近いものがある。
彼の最大の成功作はカヴァティーナかも知れないが、それだからサロン用の小品の作曲家と誤解した紹介のされ方もしてしまった。

この交響曲第2番が書かれたのはリストのもとを離れて11年目のことだった。
交響曲第1番は1863年に書かれていて、ウィーン楽友協会が主催するコンクールで第1位をとったものであるが、第1番の作曲当時、ラフはすでに41才となっていた。
第2番はそれから6年後。ラフは第1番の後も交響曲の作曲に対して慎重だったようだが、この曲で自信を得たのか10年ほどの間に10曲もの交響曲を書き上げている。1877年にはホッホ音楽院の院長に迎えられ、アメリカからの留学生マクダウェルを育てたりもしている。
クララ・シューマンを音楽院の教授に迎えたのもラフであった。
ちょっと脱線…。
ラフの代表作はおそらくは交響曲第5番「レノーレ」であろうが、11曲ある交響曲はラフの最良の遺産であると私は信じる。協奏作品やピアノの独奏曲、あるいはヴァイオリン・ソナタや弦楽四重奏などの室内楽から序曲などの管弦楽作品、歌劇も含めて膨大な作品群の中でも特にラフの特長を表しているのが交響曲である。
そしてその傑作群を生み出す自信を得た作品としてこの第2番は充実した内容を誇っている。彼の他の多くの交響作品が標題を持つが、この作品は標題を持たない。しかし、その音楽は充分にロマンチックで交響詩的だ。
もちろん、それは散文的であるとか、形式的に弱いということとは全く異なる。むしろ極めて堅牢な作りで見事な交響作品に仕上がっている。
リストとともに恩人の一人でもあるメンデルスゾーンに近いものを感じさせるその音楽は、伸びやかなメロディーと控えめながら極めて色彩的なオーケストレーションによっている。
演奏のシュタドルマイヤーとバンベルク交響楽団は彼らの全集の中でも白眉と言って良い仕事ぶりである。いや、これほどの演奏でラフのこの作品が聞けるようになるとは…。
私はこの曲をメンデルスゾーンの交響曲第6番などと勝手に思っている。ブラームスがベートーヴェンの第10番と呼ばれたように…。
ナクソスにこの名演があることを、心から感謝せずにはいられない。ぜひラフをもっと聞いてほしいと思うのである。
by Schweizer_Musik | 2008-12-22 08:07 | ナクソスのHPで聞いた録音
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