ウィリアム・テル序曲を巡って
作曲者 : ROSSINI, Gioacchino 1792-1868 伊
曲名  : 歌劇「ウィリアム・テル "Guillaume Tell"」(1829) 〜 序曲
演奏者 : ペーター・マーク指揮 パリ音楽院管弦楽団
CD番号 : DECCA/UCCD-7118

随分前に執筆し、そのままになっている「スイス音楽歴史探訪」の原稿から抜粋させてもらう。下の写真はそのウィリアム・テルの伝説の地であるアルトドルフの村の広場に立つテルの像である。
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 ウィリアム・テルの話は多くの人が知っていることだろう。あの息子の頭のリンゴをテルが矢で射ぬく場面で有名な話は、ハプスブルクの圧制に抗してテルをはじめとするスイスの民衆が立ち上がるというものだ。もちろんこの話はあくまでフィクションであり、ウィリアム・テルは実在の人物ではないのだが、つい百年ほど前まで、ウィリアム・テルはスイス建国の英雄として、大変尊敬を集めていたという。ある時、調べてみるとその存在を実証する物が何も見つからなかった時のスイスの人々のショックは、ずいぶん大きかったそうだが、フィクションであったとしても。スイス独立に向けた苦難の歴史を後の世の人たちに伝えるテルの物語における精神は、あくまで真実である。そしてその舞台はウリ、シュヴィーツ、ウンター・ヴァルデンの原三州と呼ばれる中央スイスの、ルツェルン湖をめぐる地域であった。
 一九九一年、スイスは建国七百年を祝った。それは一二九一年八月一日、フィーアヴァルトシュテッター湖(ルツェルン湖)の畔のリュトリで原三州と呼ばれる三つの地方の代表が集い、ハプスプルクの加重な要求に対しての自由・独立・相互扶助の盟約が交わされたことに由来するとされている。この盟約によるリーグには、やがてルツェルンやチューリッヒ、ベルンという商人、貴族、軍人の地域が加わり、様々な紆余曲折を経て、今日のスイスに発展していったのであるから、リュトリの誓いの日がスイス建国の日とされたことも頷けるが、実はこれ以前にもこうした盟約は数々あり、更に言えば、スイスだけでなくヨーロッパ中でこうした盟約が結ばれたと言う。しかし多くの盟約は破られ、忘れられて行く中で、スイスだけが本当に「永久に」盟約として生き続け、これが国へと発展したわけで、これこそが世に言う「スイスの奇跡」であった。そしてその物語が「テル」だったのだ。
 「ウィリアム・テル」の物語は、スイスを旅行したゲーテが聞いてドイツに戻り、シラーがその話を戯曲にまとめたとされるが、音楽好きにとっては、ロッシーニが歌劇にしたものの方が、ずっと親しいだろう。しかしそのあまりのスケールの大きさゆえに、今日の歌劇場であまり上演されないのは残念なことだ。実際この作品はロッシーニが心血注いだもので、当時のパリの聴衆を意識し、溢れんばかりの娯楽性をもたせた傑作なのだ。今日ではもっぱら序曲とバレエ音楽ばかりが演奏されるその音楽を知らない人はいないだろう。序曲に使われた郵便馬車の角笛のフレーズは、今もスイスのポストバスの警笛として健在だ。それと知っていると、「ああ、あのウィリアムテルで使われたメロディー」と皆、思うことだろう。
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 テルの話を、戯曲にまとめて世界に知らせたドイツの詩人シラーの碑文が、ルツェルン湖にある。スイス建国の地として名高いリュトリの丘にほど近い、ルツェルン湖の岸辺近く、湖から直接突き出て聳える自然石に刻まれたそれは、それだけで実に力強いモニュメントとなっている。

(拙文「スイス音楽歴史探訪」より)

さて、このスイスに関わる名作を、何年か前、来日直前に惜しくも亡くなったスイスの指揮者ペーター・マークとパリ音楽院管弦楽団による演奏でいかが?
by Schweizer_Musik | 2009-02-06 12:13 | CD試聴記
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