ロージャのヴィオラ協奏曲
作曲者 : RÓZSA, Miklós 1907-1995 ハンガリー→アメリカ
曲名  : ロージャ/ヴィオラ協奏曲 Op.37 (1979) 第3楽章 Adagio
演奏者 : ギラド・カルニ(va), マリウス・スモリジ指揮 ブダペスト交響楽団
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この作曲家の母国であるハンガリー風に書くとロージャ・ミクローシュとなるけれど、アカデミー賞の音楽部門に17回ノミネートし、3回受賞した映画音楽界の巨匠でもあるこの作曲家の、シリアス・ミュージックの傑作である。
1979年にズッカーマンのために書かれたこの作品は、近代モードを使ったエキゾチシズムに溢れた名品である。
聞いていると、あの「ベン・ハー」の作曲家らしいなと思う反面、オーケストレーションが意外なほど大人しいというか、重ねすぎてゴージャスであっても特徴のない響きに成り果てたハリウッド・ミュージックとは全く違う品性を感じるオーケストレーションに心奪われる。
この曲を書いた頃から、ロージャは映画の世界から離れて、こうした器楽作品などに専念するようになっているが、ハイフェッツのために書いたヴァイオリン協奏曲第2番など、純音楽の世界とも密接な関係を続けていた作曲家だけに、自由に書きたい音楽を書きたいという当然の帰結だったのだろうか?と思う。
第2楽章の変拍子も含めて、決してアバンギャルドなものとは違う、地に足をつけた、メロディーの持つ力を信じている強さがある。この曲が書かれた頃は、すでに前衛、実験音楽の時代は終わりに向かっていた。
ダルムシュタット楽派の時代は終わり、新ロマン主義なる反動と、ミニマルなどのポップ・アートの音楽版などの群雄割拠の時代へと突入していた。
そうした中で、こういう音楽も再びその「人権」を認められる存在となっていたのだなぁと、その時代に育った世代としてはつくづく思うところである。
バルトークやコダーイとはまた異なる、民族主義の世界は、変にインターナショナルな、ユニバーサル・デザインの音楽ばかり(そのほとんどはアメリカ製…なんと!!)聞かされているためか、こういう地域性、自らのルーツに根付いた作品には、とても好感が持てる。
特に第3楽章のゆったりとした音楽は、バルトークだったら「夜の音楽」になっているだろうし、コダーイだったら、民謡風の歌になっているだろうが、そのどちらとも違う個性は、どこかアリア風でもあり、彼が長年向かい合った映像世界とも深いところで繋がっているようにも思われる。
演奏は、若干リズムが重いと感じたり、歌い廻しが持って回ったところがないとも言えないものの、なかなか堂に入ったもので、安心感はある。
更に色々な演奏゛て聞いてみたいものである。できればズッカーマンの録音なんてないのかなぁ…。
by Schweizer_Musik | 2009-02-27 10:10 | ナクソスのHPで聞いた録音
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