出会い…スイスと音楽、そして津田理子さん -04
プログラムの原稿です。


ショパン・プログラム

 後半のプログラムは今年没後百六十年、そして来年は生誕二百年を迎えるショパンの作品です。
 まず、27才の時に作曲した 即興曲 第1番 変イ長調から。
 即興曲とは、即興演奏風の小品という意味で、即興演奏の名手でもあったというショパンらしい傑作として知られています。(もちろん、即興演奏をあとで楽譜にしたものではありませんが)
 「水の精が泡とともにあらわれる」と表現される流れるような三連符の細かく動く部分と、悲しげなソステヌートとの鮮やかな対照が印象的です。
 続いて、30才から31才にかけて書かれたバラード第3番変イ長調です。
 バラードという曲名をピアノ作品にはじめて用いたのもショパンでしたが、古い歴史物語を詠んだ詩に基づいていることを暗示した曲名と言われています。
 このバラード第3番も、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチのバラッドにインスピレーションを得たと言われていますが、ミツキェヴィチのどの詩であったかは諸説あるものの、よくわかっていません。
 輝かしい、スケールの大きな作品で、残された4曲のバラードの中でも特に幻想的な趣がある作品として知られています。

 ここで、ショパンの24曲あるエチュードから特によく知られた「別れの曲」、そして超がつくほど難曲として知られる三度のエチュードが演奏されます。
 「別れの曲」というタイトルはショパンの初恋の人コンスタンツェとの別れを描いたという古いフランス映画の邦題に由来するもので、ショパン自身がつけたものではありません。
 でもこのタイトルが合っていたののでしょう。我が国では「別れの曲」というタイトルがもっぱら使われ続けています。ショパン自身が「生涯でこれほど美しい旋律を書いたことはない」と語ったと伝えられる名曲です。
 「三度のエチュード」は右手が全部三度の重音で書かれているのですが、これでレガートの速いスケールやアルペジオばりの跳躍が書かれています。しっかりとしたテクニックを身につけた人だけが演奏できる、難曲中の難曲ですが、聞くとそんなことが嘘のように軽やかでわずかな哀愁を秘めた音楽となっています。このあたりがショパンらしいところなのでしょうね。
 津田理子さんは、この曲を含むエチュード全曲をCDにしていて、吹きすぎる風のように軽やかなタッチで鮮やかに聞かせてくれます。

 続けてショパンがポーランドを出て、パリに落ち着いて最初に書いた作品である作品番号17の4つのマズルカから、中でも屈指の傑作としてしられるマズルカOp.17-4 イ短調が演奏されます。
 「小さなユダヤ人」と呼ばれることもあるようですが、この曲に込められた憂愁の思いは、燃え上がるような懐郷の思いだったのではないでしょうか?
 そして本日のショパン・プログラムの最後はスケルツォ第3番嬰ハ短調です。1839年に書かれたこの作品は、序奏での調性感がかなり曖昧に出来ていて、調性の崩壊(無調の音楽)へとむかう時代の先駆けとして音楽史上重要な作品としても知られています。
 ソナタ形式で書かれたスケールの大きな作品で、序奏に続いて嬰ハ短調の軽快な第1主題と、ホ長調のアルペジオで彩られたゆったりとした第2主題が厳しく対立する、ユニークな、そしてショパン円熟期の傑作です。
by Schweizer_Musik | 2009-03-10 16:20 | 音楽時事
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