ハイドンの「戦時のミサ」
作曲者 : HAYDN, Franz Joseph 1732-1809 オーストリア
曲名  : ミサ曲 第7番 ハ長調「戦時のミサ」Hob.XXII-9 (1796)
演奏者 : レナード・バーンスタイン指揮 管弦楽団, ノーマン・スクリブナー合唱団, パトリシア・ウェルズ(sop), グヴェンドリン・キルレブルー(m-sop), マイケル・デヴリン(ten), アラン・ティトゥス(br)
CD番号 : SONY-Classical/88697 480452

日本海を挟んだ某独裁国家が、自国民が飢えているというのに、核実験をしたり、ミサイルを発射したりするという言葉にもならない愚かな行為をくり返し、戦争も辞さないという。
あの国が戦争をするとしたら奇襲で核兵器を積んだミサイルを日本や韓国に撃ち込むくらいのことしか出来ないだろう。それも戦争のはじめであって、一ヶ月は絶対にもたず、世界中から攻め込まれて三日天下で国そのものが崩壊するのは目に見えている。あの国の人たちはもっとリアリストでそのぐらいのことはわかっていそうなものだが、一体どうなのだろう。
でも、某国が暴発したら、日本や韓国が受ける被害は甚大であろうと想像できる。だから首相は「敵国の基地を攻撃することは戦争放棄の憲法に違反しない」と言う。この言葉は、平和憲法があって我が国は戦争をしないのだと信じていた私などは「えっ?」と驚いてしまった。この国にもまた徴兵などが復活するとは思いたくないけれど、そうなってしまうのだろうか?そんなことできるわけがないじゃないのと言う人に、できるわけがない軍隊をもう日本はしっかりと持っているではないかと返したい。
まっ、こんな難しい問題を私ごときが論じるなどということは所詮不可能な話であって、これ以上深入りする気は毛頭ないが、戦争に対しては私は常に反対である。どんなことがあっても…である。それのために甚大な被害を受けたとしても、そして私が死んだり、家族が死ぬような目にあったとしても、戦争はしない方が良いと思い極めている。
音楽などという蜘蛛の糸のようにか細いものをたよりに生きている我々は、平和と繁栄があってはじめて存在が許されているようなものである。
戦時ともなれば音楽家などというものは、何の役にも立たない、かえって邪魔ものとなってしまう。せいぜい戦争のプロパガンダとして利用されるのが関の山であろう。こんなことは第二次世界大戦でいやというほど知っているではないか。
そして戦争が終わって、負けた方が徹底的に断罪されるのだ。無差別の大量殺戮は勝った方は英雄的行為
として称えられ、負けた方は裁かれ、たとえ命令によってそれを行ったとしても処罰の対象となる。その戦争のために依頼されて書かれた音楽は、負けた側では書いた人間まで処罰の対象となって楽界から追放されてしまう。あるいは戦争に利用されたことを恥じて筆を折る。
こんな理不尽なことが許されていいはずがないが、戦争はこれを正義としてしまう。正しい戦争なんてないのに…。
何もしなくていいのだなどという気はないし、某国の愚かな挑発を許してあげようなどという気もない。ただ戦争にならないよう、皆で知恵を絞ってほしいと思うばかりだ。
出来ますれば、某国の核ミサイルが発射されるなどということがないように!!

かつて、ベトナム戦争に反対して、レナード・バーンスタインがワシントンで録音したハイドンの「戦時のミサ」を聞いていた。彼は音楽で平和を常に希求していた。あの破天荒な舞台芸術である「ミサ」もそうした流れの中で書かれたものであったが、以前に書いたことがあるので、今回はこのハイドンを取り上げる。
独唱者にそんな有名な歌手はいないが、音楽に何か特別の魂のようなものが宿っているようで、とてつもなく美しい。それはハイドンの音楽にも言えているが、最後の "Dona nobis pacem" を聞きながら、不覚にも涙が出てしまった。
昔、LPで聞いた時はこんなに感動しなかったけれど、今、久しぶりに聞いて魂が揺さぶられてしまった。
12枚組でわずか2,280円で、天地創造やパリ・シンフォニー、ザロモン・セット、この曲を含むミサ曲が4曲入っている。安すぎる…。
このバーンスタインの切実な平和への祈りがその一枚に収められているが、その価格はわずか190円という計算になる。
祈りも安上がりでは平和の思いも届かないのではと心配するのは私だけ?
by Schweizer_Musik | 2009-05-31 10:13 | CD試聴記
<< アメリンクとデムズによるハイド... 作曲中… >>