三枝成彰氏によるシェックの一文に寄せて
三枝成彰氏が昨年、モストリー・クラシックで、極めてアホなことを書いていることを知った。作曲家・三枝成彰の知られざる銘曲
曰く「スイス人の作曲家と言えば、フランク・マルタン(1890−1974)、アルテュール・オネゲル(1892ー1955)くらいしか、有名な人はいません。スイスというのは、古くから多くの音楽家が住み、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団やスイス・ロマンド管弦楽団といういいオーケストラはあるのに、人口が少ないせいもあって、作曲家の少ない国なんです。」と言うが、それに続いて、シェックを“遅れて来た作曲家”だと言い、彼のチェロ協奏曲をとりあげて良い曲ではあるが、「時代を背負えなかった」作曲家の作品は生き残れないと言い放つ。
昨年末の岩城宏之氏のベートーヴェン交響曲全曲マラソン・コンサートで言わずもがなの解説をしていたこの「作曲家」の意見に私は同意できない。
彼が、どれほどシェックを聞いたのか知らない。彼が最後のリート作家とまで言うならば、何故、シェックの歌曲を取り上げないのだろう。チェロ協奏曲が悪いというわけではないが、歌劇「ペンテレジア」の強烈な音楽をどう考えているのだろう。「時代を背負う」大作曲家の作品以外は生き残れないというのでは、音楽は狭いレパートリーをとっかえひっかえするだけのものとなろう。こんなジャッジを私はとてもする気にはならない。この音楽は古いから消え去るだろうとか言うのは、いかにも不遜であり、多くのその音楽に魅了される人々を愚弄するだけであろう。
スイスの作曲家と言えば・・・の下りは、私に言わせれば笑止千万であり、彼がものを知らないということを示している。
セクエンツァの作曲家ノトケル修道士の話まで時代を下ることはないが、ゼンフルはスイス人であった。彼がいたことでドイツにシュッツやブクステフーデが生まれ、やがてバッハに繋がっていったのだ。
スイスはヨーロッパの中でも宮廷文化という贅沢という文化のゆりかごを持たなかった。そのことによって、音楽文化も市民の生活に密着した形で進化していった。その多くは宗教的でプロテスタント的であったのは当然であるにしても、その中から合唱をはじめとする文化が生まれたことも理解しておかなくてはならない。
スイスはこうした事情から、器楽の進歩についていけていなかった。ヴァイオリン、ピアノなどのヴィルトゥーゾの時代にスイスは取り残されていた。リストが来て住んでいたが、その影響はわずかだった。
結局、ドイツから来たキルヒナーやゲッツなどがドイツ語圏を中心に活躍したことが露払いとなり、ブラームスがスイスに度々滞在して、深い影響を与えた。三枝氏も指摘するように、スイスはブラームスの影響を強く受けて発展した。
しかし、三枝氏によれば有名でないヨアヒム・ラフという作曲家や、確かにあまり有名ではないフーバーのようなロマン主義の作曲家たち、更にダルクローズやモーリスといったフランスの影響を強く受けた作曲家たち、そして三枝氏によれば有名でないブロッホはどうなのだろう。
「人口が少ないせいもあって、作曲家の少ない国」というあたりは、フランドルの作曲家ばかりだった時代のフランドルがどれだけの人口だったのか?という質問で返させて頂こう。
シェックを「遅れてきた」作曲家であるとか言う前に、多くの人達に高く評価された膨大な歌曲についてまず評価を定めるべきだ。また彼を今日も有名にしている歌劇について論を展開するべきだった。「19世紀の影を引きずっているということで、20世紀の半ばという時代の中で、アカデミックな意味では何の評価も与えられなかった人です。」と言われれば、「ラフマニノフ」みたいと言って、前衛音楽から距離を置いていた作曲家を罵倒した、あの時代の空しい実験の数々を思い起こさせる。この誤りは、今日的にすでに判りきっていることだと思うが、如何だろう。
三枝成彰氏のこの記事は、あまりに思慮を欠くものであり、私は理解できない。
by Schweizer_Musik | 2005-03-27 00:48 | 原稿書きの合間に
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