花は舞う
火曜の朝は大体暇で、私の作曲タイムとなる。今日も時間つぶしに一曲書いてみた。昔から日本風のペンタトニックの分散和音で一曲書いてみたいと思っていたのを、今日叶えたというか。
曲名は「花は舞う」である。桜の季節が待ち遠しい冬。 今日の冷たい雨の景色を見ながら、幻想の中で花見をしてみた気分である。
置き場所はいつものこちらのNEWというフォルダに flower danceという名前で置いてある。たった1分の短い、そして簡単な曲で、構えて聞くと肩すかしだ。でも私はこれが結構気に入っている。

さて、書き終わってからこれがある作曲家の大名曲に似ていることに気がついた。着想の仕方であるが、おわかりになるだろうか?私は作っている時は全くそのことに気がつかなかった。書き終えて、出来に満足したところで気がついた。似ていると言ってもモードを使っているので、気がつきにくいとも言えるだろう。
昔、淀川長治さんにある台本作家が「駅馬車」と「グランドホテル」の設定が似ているという話をしたところ、「そんなことを言い立てて偉くなった気になっていては駄目。あなたは良い本(脚本)を書くのが仕事です」とたしなめたというか、諭したというか、そんな話を聞いたことがある。伝聞なので、不正確な話で申し訳ないが、さすがだなぁと思ったことは事実である。
大体、音楽で良いものかどうかよりも何かに似ているということを言い立てることがあまりに多すぎるように思うのだ。もちろん著作権を侵して良いというのではない。が、少し似ている、似通った表現をしていることを大きく言い立てることで、何か良いことがあるのだろうか?
学生が書いた作品を、同じ学生が何かに似ていると言って「パクリ」呼ばわりをするのは悪しき習わしであるように思う。
オリジナリティだけを追求するのだったら、皆、調性音楽など書いてはならない。どう書いても似た音楽があるからだ。似てないものと信じて書いても、それは当人が似た曲を知らなかっただけのことが多い。似ていることを指摘された方はその曲を作るのを、あるいは公開するのを断念すべきと言わんばかりで、指摘する方は裁判官か何かになったみたいに権威をふるう。
この構図から何が生まれるのか?
私は、作為的に盗用して作品をごまかしてでっち上げるなどというのは論外だが、もっと社会がオリジナリティというものにまじめに向き合ってほしいと願うばかりだ。でなければ、前衛音楽ばかりで世の中は埋め尽くされることに(そんなまさか…)。似ていることを指摘して威張るのは、大変下品なことだと私は思う。
さて、そんなどうでも良いことをくだくだ書き立てたけれど、この曲、誰の曲に似ているでしょうか?聞いてみてくださいな…。
by Schweizer_Musik | 2009-11-17 22:26 | 新曲出来ました
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