作曲者 : LISZT, Franz 1811-1886 ハンガリー
曲名 : 巡礼の年 第1年「スイス "Première Année: Suisse"」S.160 (1848-54) 演奏者 : 津田理子(pf) CD番号 : Cypres/CYP 5616 この曲のおかげで、このスイスの片田舎の湖畔が有名になった。湖畔のどこかにリストのことが書いてあったような気がするが、それはともかく、ダグー夫人がリストの子をご懐妊して、パリに居られなくなったがためである。 それについて、以前私が書いた一文をここにあげておこう。タイトルは「ヴァーレンシュタットのリストとダグー夫人」である。 ============================================================= チューリッヒからエンガディン地方(スイス南東部のロマンシュ語とイタリア語を話す地方)に向かう列車に揺られてしばらく行くと、山塊を分けて列車はすすみ、やがて左側の車窓に断崖絶壁が屏風のようにならび、その前面に鏡のように美しい深い碧色の湖水が広がる幻想的な風景に息を呑むこととなります。 ここがヴァーレン湖です。湖水の途切れたところにヴァーレンシュタットの町があります。音楽好きの方ならここまで言えば、フランツ・リストの名前が浮かんで来たことでしょう。 一八三二年の年末。リストはパリの社交界を持ち前の超絶的なピアノの演奏によって席巻した、マリー・ダグー夫人と出会い、互いに惹かれ合うようになっていったのでした。 マリーは当時のパリの「三美人」と言われていたほどで、当時の社交界の花形でありました。フランスの子爵令嬢として社交界に登場し、一八二八年にフランス騎兵隊士官ダグー伯爵と結婚し、当時二人の娘の母親でもありました。 一八三四年にマリーの最初の娘であるルイーズがわずか六歳で早世したことが、リストとマリーをより深く繋ぐ契機となったとも言われていますが、いずれにせよこの不倫の関係は、最初は伏せられていたとしても、早晩、社交界の人々の口にのぼるようになるのは当然の成り行きでありました。 現代のそれも我が国の道徳観からすれば、「けしからん」ことであっても、当時の上流階級ではよくあった話で、結婚後に夫が高級娼婦を愛人にしたり、妻が若い士官を愛人にするなどということはそれこそ「掃いて捨てるほど」あったことでした。歌劇「椿姫」や「薔薇の騎士」を思い出して下さい。オペレッタの題材においては「こうもり」をはじめこうした場面はたくさん出てきますね。 ですから、若いピアニストとして社交界のアイドルだったリストを、美人のダグー夫人が愛人にしたとしても、多少のスキャンダラスな話題として受け止められたとしても、これで社会的地位を失うような事態にはならなかったと思われます。 一八三五年のこと。度々の逢瀬を楽しんできたこの二人でしたが、マリーが妊娠をし、新たな展開にはいります。そしておそらくはマリーが提案して二人してパリを出奔することとなったのでした。五月の中頃、まずマリー・ダグー夫人がパリを後にします。そして追いかけるようにリストもパリから姿を消します。 二人はまず、スイス、フランス、ドイツの三国の国境の町バーゼルを目指します。マリーはライン川にかかる橋のたもとのドライケーニゲ・ホテルに滞在してリストを待ちました。数日後、ドライケーニゲ・ホテルのとなりの「コウノトリ」というホテルに宿をとってリストは彼女と落ち合います。 聖マルゲリーテ教会に詣でたり、出版社の「クノップ」に会ったりした後、二人はライン川を上り、シャフハウゼンを経てボーデン湖に出、まずザンクトガレンに滞在。この古い修道院の町の近くには、アッペンツェルなどののどかな村や町が近く、ここでリストは後に「牧歌」としてまとめられるメロディーを聞いたのではないでしょうか。 こうしたことは、一八三五年の五月二十八日から始まるリストの日記(パリ国立図書館蔵)に詳しく書かれており、二人はザンクトガレンからボーデン湖を南下して山間に入り、ヴァーレンシュタットにやってきたのです。 ヴァーレンシュタットの町は湖の端に広がるのどかな町です。駅は町の中心からはいささか離れたところにありますが、湖畔は更に離れています。それでも真っ直ぐ歩いて市街地に入ってから左折して更に真っ直ぐ行くと、二十分ほどで湖畔にたどり着くことができます。静かな湖畔は恐らくリストの時代とそう替わりはないものと思われます。気持ちの良さそうなレストランとテラスのあるホテルがあります。 ここにこうした施設があるのもリストの「ヴァーレンシュタットの湖畔にて」というピアノ曲のおかげではないでしょうか。 現在、巡礼の年、第1年「スイス」として知られる曲集に、この「ヴァーレンシュタットの湖畔にで」という作品は収められていますが、もともとは「旅人のアルバム」に収められていた作品で、一八四一年にバーゼルの音楽出版社「クノップ」から出版されました。 そして、一八五五年に「雷雨」「ノスタルジア」を書き加え、更に「牧歌」(一八三六年の作曲と言われる)を加えて全九曲からなる曲集として改めて出版され、これが決定稿となりました。 では、巡礼の年第一年「スイス」を簡単に紹介しておきましょう。 第一曲は「ウィリアム・テルの礼拝堂」という曲です。 ヴァーレンシュタットを出てルツェルンに着いたリストとマリーは、リギ山に登っています。今では登山列車おロープウェイで簡単に登ることのできるこのリギ観光ですが、当時は驢馬の背にまたがり、のんびりと登っていったものでありました。 ここからルツェルン湖を船で行くと、リュトリやブルンネン、そして湖の端のフリュエレンへと行けますが、テルの礼拝堂とされる小さなチャペルはフリュエレンからジシコンに向かう、四森林州湖畔にあります。スイス誕生の「史跡」を巡ったリストでしたが、この旅行は多くのインスピレーションをリストに与えたようで、この「ウィリアム・テルの礼拝堂」の他にも歌曲でシラーの「ウィリアム・テル」による3つの歌曲もこの後、十年ほど経ってから作曲しています。 第二曲は「ヴァーレンシュタットの湖」。 静かな湖畔の向こうに屏風を立てたような切り立った尾根が続く、不思議な風景は、人目を忍ぶ旅の途中であった二人の孤独感をかき立てたことでしょう。左手の伴奏が舟の魯の動きを表わし、ゆったりと続くちょっとアルペンホルンの節に似た素朴な味わいを持つメロディーが、何度となく繰り返され、湖に広がる波紋のように響いていきます。 後に、マリーは「涙なくしてこの曲を聞けなかった」と語っていますが、リストのスイス時代を代表する名曲ではないでしょうか。 続いて、素朴な語り口の短い第三曲「牧歌 パストラーレ」。そして、第四曲「泉のほとり」と続く。後の「エステ荘の噴水」につながる作品とも言われる「泉のほとり」に続いて、第五曲「嵐」です。 この「嵐」は前述のように後に書き加えられた作品で、一八五五年になってから作られたと言われています。この頃にはすでにダグー夫人とも別れ、リストはドイツのワイマールで宮廷楽長としてオーケストラや歌劇の上演に活躍していた頃のことです。弟子のラフなどもそこにはいましたし、すでにピアノの巨匠としてだけでなく指揮者、作曲家としての方に活動の重心が置かれていました。 イギリスの詩人バイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼」の第三集に収められたスイスにおける嵐の情景をうたった詩に基づく描写性の高いこの作品は、そうした時代に書かれた一曲です。 続いて第六曲「オーベルマンの谷」。 セナンクールという十九世紀の作家が書いた「オーベルマン」(一八〇四年刊)という小説のタイトルがそのまま曲名となっている作品です。無神論者であり、ストア主義者だった著者の心情を反映し、当時大いに売れた人気小説だと言われます。「私は何を望むのか? 私は何者なのか? 自然に何をたずねうるか?」と心迷うままにさすらい歩いたオーベルマンの心を描いた作品であります。時々「『オーベルマンの谷』は、スイスのどこでしょう?」というお尋ねのメールをいただきますが、「地名ではありません」と答えるしかありません。悪しからず…。 第七曲は、アッペンツェル地方の羊飼いの歌をもとに作られた「牧歌」です。アッペンツェルしボーデン湖から少し山間に入った古い伝統の息づく州(カントン)です。農民の素朴な味わいの絵があり、この羊飼いの歌もそうした人々の歌うメロディーをもとに書かれたものだと言われています。 続いて「自分の唯一の死に場所こそアルプスである」とパリから友人に書き送ったオーベルマンのアルプスへの郷愁を曲にしたと言われている第八曲「ノスタルジア」。そして最後は、一八三五年のクリスマスの少し前にダグー夫人との間に生まれた最初の娘ブランディーヌの幸福を祈る「ジュネーヴの鐘」です。 リストとマリーの旅はテルの礼拝堂に詣でた後、ゲッシェネンからアンデルマットに登り(もちろんあの悪魔の橋を渡っています)、ゲーテも泊まったドライケーニゲ・ウント・ポストに泊まった彼らはこの後、フルカ峠を越えて、ローヌの谷を下り、やがてレマン湖からジュネーヴに至るのです。 この旅は、マリーの妊娠が引き金となり、身重の彼女がこんな大変な旅(ほとんどの行程を馬車で移動している)をした後に、元気な子供を産み落とすとは、甚だおどろくばかりでありますが、このジュネーヴ時代については、スイス・ロマンドの章の中で触れたいと思います。 二十代の若い感性とスイスの美しい風景が出会って紡ぎ出されたこれらの作品に込められたその瑞々しい響きは、かけがえのないものです。だからこそまだ未熟なところが残っているとは言え、この作品はリストの作品の中でも屈指の人気を博しているのではないでしょうか。 私が尊敬してやまないスイスのピアニスト津田理子さんの演奏は、もう何度このCDを聞いたか知れないし、実演でもなんども聞いた。私がこの曲、特に「ウァーレンシュタットの湖畔にて」を好きなことを知ってかどうかは知らないけれど、よくアンコールでこの曲を弾いて下さるからだ。 全部自分のためと思いこんで喜ぶ私はただの馬鹿だけれど、それでも充分に満足している…。 リストが見た景色はこんな感じだったのでは…。
by Schweizer_Musik
| 2010-03-19 19:06
| CD試聴記
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