横浜ゾリステンの第2回のコンサート ブラームス・プロ
昨日はyurikamomeさんのお誘いで横浜ゾリステン(シンフォニエッタと昨日だったか書いてしまった。ゾリステンの間違いでした。ごめんなさい!!)のコンサートに行ってきた。
指揮者なしで行うブラームスの第1番やハンガリー舞曲はそれなりの完成度を示していた。若い彼らのテクニックはとてもよくわかった。
全体に弦の音はきつめであったが、よくまとまっていたけれど、木管の一部の音程がちょっと…であった。テンポは速めに設定され、指揮者なしでのバランスのとれた演奏だったが、果たしてブラームスを聴いたという感慨は湧いてこなかったのはどうだろう。
交響曲第1番第1楽章冒頭。半音階で上昇する弦を中心としたオケの中で、ティンパニーが八分音符でブレーキをかけて重みを与え、上昇する弦との対比に主題の重要な要素を鮮やかに提示する部分が、極めてあっさりとした響きに交通整理されてしまい、重さも上昇していく飛翔しようとする思いもそこからすっかり抜け落ちてしまった。
前進力のある演奏ではあったが、その音楽は残念ながら一本調子で、快調に突き進むばかりに聞こえてしまい、結果的に薄っぺらいブラームスを延々と聞かされたという感想しか残らなかった。
何故、指揮者なしであれをやるのか?この疑問に答えなくては、彼らの今後は無いのではないか。少なくともプロフェッショナルな仕事は難しいのではないかという気がしてならなかった。
前半は面白いことにピアノ五重奏曲が全員でのハンガリー舞曲第1番の後に演奏された。ちょっと変わったプログラミングであったが、演奏はともかく、これが一番聴き応えがあった。ピアノが軽量すぎることと、一昨年、トーンハレでスイスの主要なオケの首席奏者として活躍し始めている若い演奏家たちと津田さんのピアノで聞いたそれには遠く及ばない。響きが薄いのだ。というかその音楽の何を聞かせたいのかが、イマイチ不明だった。
それでも、ああいう編成、演奏を想定してブラームス書いているのだから、聞いているこちらは無理なくブラームスの世界に浸れたのである。
しかし、第1番は最後までブラームスを聴いているという実感が無かった。編成を拡大して指揮者なしでできるということを証明して何があるのか?苦言を呈する形になって心苦しいが、これに答えない限り、クラブ活動の延長でしかないと思う。
今回で二度目だったが、今回はオケの配置も変わっていて、オペラでも聞いているようだったが(笑)、そのおかげでオーケストレーションの面白さはいくつか聞くことができなくなっていた。弦はステージの左にまとまっていて、音もまとまっているがパート間のかけ合いなどに空間的な演出を施しているブラームスの意図は完全に無視される結果となっていた。
ホルンとトロンボーンが上手と下手に離れて座っていたので、その面白さはあったけれど、中・低音の倍音成分の多い楽器の音は、ホールと共鳴しすぎてその面白さも半減していた。
終楽章の冒頭はとても難しい瞬間だろうと予想していたが、見事にずれてしまい、管楽器のピッチも大きくずれていてドキッとした。ああいう箇所はピューローのような指揮者がいることを前提としているだけに、誰かが振ってあげないといけなかったのではと思う。
テンポアップしていけばすっとまとまってくるのだけれど、遅いテンポでゆるゆると入る時は実に難しいものである。
若い人たちが良くやっていることはわかるが、ソロソロ最初のコンサートから感じている「何故指揮者をおかないのか?」に答えてほしい。「ぼくたちはこんなにできるんです」とアピールするのであれば、もっと他の方法があろう。クラブ活動の延長であれば、アマ・オケとしてがんばればよいと思う。
コンセプトがちょっと私にはまだ納得がいかない。
コンサート後は、いつものビアガーデンで、yurikamomeさんと一杯やって、深夜の帰宅。飲んでる時もあまりコンサートの話は出なかった…。それが昨日のコンサートを象徴していると思う。
苦言を呈してしまって誠に申し訳ないが、思ったことを正直に書かせて頂いた。

写真はブラームスが第1番の交響曲を書いていたチューリッヒ湖畔のリュシリコン。
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by Schweizer_Musik | 2010-05-12 07:26 | 音楽時事
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