アントニオ・サイオテ氏と津田理子さんのリサイタル
アントニオ・サイオテ氏と津田理子さんのリサイタルに行ってきた。
東京の東陽町にあるビュッフェ・クランポンのショールームでのコンサートで、50名程度のキャパの大きめの部屋という感じ。ベーゼンドルファーの少し小さめのピアノが置かれていた。
当然ではあるが、満席。教え子でクラリネットを専攻しているSさんとやや狭い椅子に小さくなって聞いていた。が、演奏はもう何と言って良いのか…絶品だった。サイオテ氏のあの表現力の大きさ、津田さんの敏感で暖かな響きは、古典から現代に至る幅広い作品の全てを見事に表現し尽くしていた。




今年聞いたコンサートでは最高の感動を味わった。先日の神奈川フィルの矢代秋雄の交響曲とともに今年聞いたものの中でもベストの演奏会だったと私は思う。
中でも最後のプーランクのクラリネット・ソナタは名演だった。もちろんブラームスもシューマンも吉松 隆も良かったけれど、あのプーランクはCDでもあんな凄い演奏は聞いたことがない。ピアニシモからフォルテシモまでの幅が極めて大きく、そのダイナミックな表現から繰り出されるプーランクの精緻な世界は、どんな演奏家からも聞けない水準に達していた。
終楽章の動と静の対比の鮮やかなことと言ったらもう…言葉がない。無理は承知で一度聞いてみてくれと言うしかない。吉松 隆もCDでの演奏の数倍素晴らしいものだった。あれほどの演奏ができるなんて…。ああライブ録音をしておいてほしかった。
他ではブラームスのクラリネット・ソナタ第1番ヘ短調がさすがに聴き応えのあるものだった。全4楽章があんなに深く、大きなスケールで歌い上げられたのだ。津田さんのピアノは絶大である。あの大きな表現を支えるには、並のピアニストでは不可能だ。彼女の木質の豊かな響きは、どこまでも柔らかくサイオテ氏の幾分硬質の厳しい響きを包み込んでいた。
あの小さなグランド・ピアノからどうしてこんなに見事な響きを紡ぎ出せたのだろう。まさにミラクル!!
津田さんが居なければ、あのサイオテ氏の大きな表現の演奏は不可能だったに違いない。そしてあのような音楽、演奏はCDに入りきらない類のものなのである。こればっかりは実演で聞いていただくしか方法はなさそうだ。サイオテ氏と津田さんのCDもとても良い出来映えだったけれど、今日のコンサートの感銘には及ばない。
一緒に聞いたクラリネットを専攻している我が校でもトップクラスの優秀な学生も、コンサートの素晴らしさに興奮していた。終わってからサイオテ氏に紹介した際、その感動が尋常でなかったようで、誘ってあげて良かったと思った。誰か行くだろうと二枚、予約してあったもので、最終的に彼女が行きたいと言ったので予約券をさしあげたのだが、ソールド・アウトのコンサートで、今日のは更にプラチナ・チケットとなったと思う。
yurikamomeさんや写譜屋のN君とだったら、確実に一杯やって、アフター・コンサートを楽しんでいたことだろうが、まっ、今日は一人列車に乗ってこれを書きながら、ひたすら素晴らしかった演奏を反芻して悦に入っている。ああ今日は本当に良い演奏会だった…。感動!!

行きの列車の中では作曲。少し先に進めるのを止めて、今まで書いたところの推敲に時間をかけることとする。今日は、先日書いた新しい部分のヴァイオリン・パートを一部書き直し、オケ・パートの一部を整理。更にカデンツァを書き直した。まだ書き直し途中であるが、これを数日続ける予定。先を進めると一気に出来そうだが、粗い出来映えで終止線を書くのを急いでしまいそうだから。
もうちょっと落ち着いて、やりたいものにどっぷり浸かって、磨きをかけていかないと、最後の最後で書き損じてしまうことになりかねないからだ。オーケストレーションはこれか全て出来上がってから始めないと、多彩な音色に振り回されることになる。今回は管楽オケとヴァイオリンのコンチェルティーノであるから、音色は弦楽部があるよりも多彩である。更にバランスはもっと難しいことになるが…。
それでも、一歩ずつ完成への道を歩んでいる実感はある。

写真はフィンデルンのチャペルとマッターホルン。絵はがきで散々見た構図そのものの一枚。誰が撮っても良い被写体は素晴らしい。良い曲は誰が弾いても…とならないから音楽は面白い!
アントニオ・サイオテ氏と津田理子さんのリサイタル_c0042908_222526.jpg

by Schweizer_Musik | 2010-05-15 22:03 | コンサートの感想
<< ゴセックの交響曲変ロ長調Op.... カーゾンとブリテンによるモーツ... >>