シェーンベルク
20世紀の音楽を俯瞰することを第1クォーターの柱に据えることにする。
本科の明日の現代音楽の第一回の授業ではシェーンベルクなどのドデカフォニーをとりあげる予定。クォーター末にはドデカフォニーによる室内楽の小品を課題として提出させることにして、その技法の発展を考察していってみたい。
まずはシェーンベルクだろう。
十二音に行き着くまでのシェーンベルクは様々な試行錯誤を繰り返している。もともとは「淨められた夜」という大変ロマンチックな音楽から出発した彼は、次第に新たな調性の体系を模索しはじめる。
ワーグナーなどの和音の複雑化によって始まったとされる調性の崩壊は、ドビュッシーなどにモードの導入によって細々と生きながらえていたとは言え、20世紀はじめに発表されたストラヴィンスキーの「春の祭典」で最終的に壊滅してしまう。
時は第一次世界大戦が巻き起こり、ロシア革命が世界中を不安に陥れていた時代であるが、一方でアメリカのジャズ(概念は今日のジャズと全く異なる・・・これについては後の授業で触れる)がヨーロッパに少しずつ入ってきて、袋小路に追い込まれていた作曲家達を大いに刺激する。
新しい芸術運動は様々に巻き起こっていた。ドビュッシーたちに反対してサティを盟主とする6人組(作家であるコクトーが中心になっていた)が一瞬であったが輝きを放ったのも、このジャズと結びついた古典主義の人達の間であった。
しかし、十九世紀を貫いてきた形式と語法はすでに混沌としていた。

シェーンベルクはこの十九世紀の語法から出発している。彼の弟子達も同様だった。なかでもシェーンベルクの「淨められた夜」は世紀末芸術の典型の一つと言えよう。
彼はブラームスとワーグナーの伝統の上に生きた。しかしそこはもうすでに枯れかけた土地であった。新しい波の中で彼はこの作品の後、試行錯誤の時代に入る。
「試行錯誤」とは言い過ぎかも知れない。どれもが新しい語法に向けたチャレンジであるが、どれもが完成しているからである。ただ十二音によるシステムに向けてのチャレンジという意味で「試行錯誤」という言い方をしているに過ぎない。
1902年から1903年に書かれた交響詩「ペレアスとメリザンド」でシェーンベルクと最後のロマンチックな作品を書き、以後この世界と決別する。
1906年に書かれた室内交響曲第1番は4度を基本として既成の和声構造を持たない作品として構想された。九つの楽器による単1楽章による交響曲という試みは、ブラームスのバロック音楽からベートーヴェン、シューベルトを意識したスタイルをその根本で受け継いだものと言える。対位法への偏愛ともいうべきスタイルも、以前の「淨められた夜」のスタイルから発展したものだ。しかし、表現されているものの何と違うことか!
枯れた地平から新しい豊かな地平へのチャレンジは大戦前に広まりつつあった表現主義がその大きな推進軸となった。
絵画ではココシュカなどの強烈な作品があるが、1907年に彼が書いた脚本「殺人者、女たちの希望」は1909年にウィーンで上演され、メーテルリンクなどに大きな影響を与えた。そしてこのウィーンでシェーンベルクがこの傾向を取り入れようとして1912年に書いたのが「ピエロ・リュネール」である。
この作品以前にも1909年に書かれたモノドラマ「期待」などの作品があり、そうした地平の上に「ピエロ・リュネール(月に浮かれたピエロ)」がある。
この作品では、レチタティーヴォ技法と語りとの境界がなくなり、音程については目安として書かれてあるだけになっている。今日ではこの程度の無調による歌唱は、技術的には可能であり、当たり前となっているが、当時としてはとんでもなく大変なものだったと想像できる。それで音程はいい加減でも良いという書き方をしたらしい。
このインパクトは大きかった。が、ストラヴィンスキーなどのバレエのスキャンダラスな初演や、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」(1911)などの音楽の出現によってそうした新しい試みは霞んでしまっていた。
この後もシェーンベルクは様々な作品で無調を試み、新しい語法を編み出そうと努力している。「5つの管弦楽のための小品」Op.16は色彩的なオーケストレーションで、彼の弟子のウェーベルンを予感させるものとなっている。また1909年の3つのピアノ曲Op.11で十二音の概念である音列を一部に取り入れてみたりしているが、それが更に推し進められた結果1920年から1923年にかけて書かれた5つのピアノ曲Op.23の第五曲「ワルツ」で十二音音楽が完成したのだった。
続いて組曲Op.25は全曲が十二音で書かれているし、木管五重奏曲はアンサンブルにまでその理論が応用された最初の作品となった。
シェーンベルクは十二の音を一つの重複、繰り返しもなく並べ、それをもとに反行、逆行、反行の逆行という4つの音列を作り上げ、それを半音ずつずらして全部で48の音列を作りあげ、それをもとに書くことで統一感のある音楽が書けることを証明してみせた。
とは言え、以後の全てのシェーンベルク作品が十二音で書かれているわけではないが、オーケストラ作品にもそれは応用され管弦楽のための変奏曲やピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲など大規模な作品にもドデカフォニーは使われ、弟子のベルク、ウェーベルンといった作曲家たちもこれを大いに使って作品を発表していった。
次回はウェーベルンについて。
by Schweizer_Musik | 2005-04-20 01:30 | 授業のための覚え書き
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