渡辺浦人の交響組曲「野人」を聞く
作曲者 : WATANABE, Urato (渡辺浦人) 1909-1994 日本
曲名  : 交響組曲「野人」(1941)
演奏者 : 岩城宏之指揮 NHK交響楽団
CD番号 : KING-RECORDS/NKCD-6569



この曲については芥川也寸志先生の指揮された録音もあるが(fontec/FOCD3265)、やはりこの岩城宏之指揮NHK交響楽団による1961年の録音をまず最初に聞いておくべきだろう。この演奏はLPでももちろん持っていた(KING/GT-9323)が、CD時代になって出た時に買い直している。今回、このCDで買い直したのは、吉田雅夫が吹いた尾高尚忠のフルート協奏曲が聞きたかったからであるが、その前に入っていた渡辺浦人の代表作とも言える交響組曲「野人」を聞きながら、色々と考えた。1942年度の毎日音楽コンクール1位と文部大臣賞を受賞した作品である。

作曲者渡辺浦人の言葉が解説に載ってあったので引用する。
「芸術は民族の原始性から出発することによって世界化する。これが私の作曲に対する態度である。野人とは、近代人の心の底にある野性を表そうとしたものである。野性とは、野蛮を指すものではなく、古代から今に至るまで、人びとの心の奥底に流れ続けているすぐれた行動の精神を指すものである。」

この曲は大戦中から、大変な演奏回数を誇る日本交響音楽の黎明期における、大きな成果であった。今日の尺度でこれを批判したりするのは簡単だろう。だが、これが大戦後も海外でも大いに演奏され、高く評価されたことを忘れてはならない。
私はマンフレート・グルリット指揮 東京交響楽団の演奏で聞いたことがあるが、初演直後かどうかは知らないが、1941年の録音で、大戦中にこうした音楽が録音されていたことだけでも、この音楽が当時どれだけ高く評価されていたかを知ることができる。
様々な作曲家の影響を聞くことも出来なくはないが、それだけではこの曲を語ったことにはならない。
西洋の音楽の情報が今日のように無かった時代に、彼はモード技法を扱い、拡大された調性の上で、親しみやすい音楽を書き上げたのである。
第1楽章は「集まり」(Allegro non troppo e leggiero)はボロディンの「中央アジアの広原にて」がベースになっているようであるが、テイストはずいぶん違う。この曲は単一主題によっていて、その繰り返しと展開によって構成されているからだが、曲中延々と繰り返されるリズムが今日ではちょっと安っぽく聞こえてしまうのは惜しいと思う。ただそれがある雰囲気を作り出しているので、致し方ないところであっただろう。
第2楽章「祭り」(Andante con tristezza)は葬礼の音楽なのだそうだ。「人々の幸福のために死んでいった人たちに祈りを捧げ、ここに生まれた喜びを述べる」(作曲者)とあるが、これはやはりさすがに時代を感じさせるが、確かにそうした時代に沿って作られた音楽でもあったのだ。
ただ、拡大された調性の上に荘重な音楽が響き、これは当時としては最先端の書法であり、彼がこれに精通していたとは驚き以外の何者でもない。
第3楽章「踊り」(Allegro ben marcato)はまたペンタトニックの世界へと舞い戻るが、つけられているハーモニーは全く一筋縄ではいかないもので、多調性の響きも一部に聞こえる。スコアを見ているわけではないので、詳しく語ることはできないが、祈祷を終えて踊りに踊るという対比で、この音楽が一層鮮やかに聞こえることは間違いない。
古い日本の時代劇に似た感じがするのは、彼自身、戦中に持てはやされた反動で、戦後、活動が制限されてしまったことによって、映画や、更に後にはテレビの音楽を手がけていたからである。その中には映画「赤胴鈴之助」やテレビの「おそ松くん」などがあるそうだ。
この曲が、戦後も世界中で演奏されていることを考えれば、この私たちにとっては古めかしいところもある音楽が、ある意味で原点とも言えるのではないだろうか?

写真はベルニナ線のオープン・ループ。下に通ってきた線路が見えているところ。
渡辺浦人の交響組曲「野人」を聞く_c0042908_785418.jpg

by Schweizer_Musik | 2011-08-25 07:09 | CD試聴記
<< 朝から仕事 武満 徹のテクスチュアズを森 ... >>