モーツァルトの交響曲第40番を小澤征爾の指揮で聞く
c0042908_1062646.jpg作曲者 : MOZART, Wolfgang Amadeus 1756-1791 オーストリア
曲名  : 交響曲 第40番 ト短調 K.550 (第1版) (1788)
演奏者 : 小澤征爾指揮 水戸室内管弦楽団
CD番号 : SONY-Classical/SICC-10046



今朝は少し涼しくなった。昨日が温かすぎただけで、いつもはこんなものだったように思うが、紅葉もそろそろ見頃となって来ているのではないだろうか?
冬が近づくとこの曲を聞きたくなる。中学2年(だったと思う…)の冬、寒い中、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニーのLPを飽きることなくずっと聞き続けていたことが頭をよぎり、この曲を聞きたくなってしまうのである。
クラリネット入りの版ではないが、あまりシャープな感じはなく、小澤征爾らしく柔軟なフレージングで、実に美しい。テンポも速すぎず、遅すぎず、かつ適度な情感をたたえて誠によろしい。
やたらと速すぎたり、やたらとテンポが動いたりと、近年の古楽器系の演奏の騒々しさは、新鮮ではあっても、モーツァルトその人から離れすぎた気がしてならない。それを学術的と言って憚らないのが居るのだから、呆れてものが言えない。モーツァルトが演奏したのがそういうものだったと、証明できない現代において、勝手な解釈をモーツァルトその人のものと言わんばかりの横暴がまかり通るとしたら、それは演奏芸術の死を意味する。
そんなものをもて囃す気には全くなれず、こうした本物の音楽家たちの、心のこもったモーツァルトに私はやはり心動かされる。
第2楽章はちょっとあっさり味だけれど、細やかな心配りがどのフレーズにも感じられ、演奏家たちの音楽性の高さ、志の高さを痛感する。これぞ音楽!なのである。
第3楽章のメヌエットは私にはちょっと流れすぎる気がしないでもないが、それはこの特徴的な3小節構造のテーマのリズム的特徴を重んじて感じている自分の解釈にもよる。舞曲的というより、はるかに純音楽的な小澤征爾の解釈もまた見事だ。トリオのカンタービレもまた美しい。この何気ないメロディーに万感を込める小澤征爾と水戸室内管弦楽団の演奏は最高のパフォーマンスだと思う。
終楽章も歌えないほど速くもなく、かつ快速感にも欠けておらず、これこそモーツァルトのAllegro assaiだと思った。展開部の入りの気迫も素晴らしく、かつ流れをそこなうこともない。
とてもとても良い演奏である。今もって、最初に聞き込んだブルーノ・ワルターの旧盤を忘れ得ない私ではあるが、それとともにネヴィル・マリナーの全集などを私は高く評価している。そしてこの小澤征爾の録音はこれらのCDと共に、私の大切なモーツァルトの40番の演奏となっているのである。

写真は郷里の八幡神社の大楠。
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by Schweizer_Musik | 2011-11-21 10:26 | CD試聴記
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