モレの「夢の中へ」を聞く
c0042908_2340673.jpg作曲者 : MORET, Norbert 1921-1998 スイス
曲名  : 夢の中へ "En rêve" (1988)
演奏者 : アンネ=ゾフィー・ムター(vn), 小澤征爾指揮 ボストン交響楽団
CD番号 : Grammophon/POCG1479



寡作家であったモレのこの作品のCDの再発はなかなか行われないままになっている。ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが委嘱・録音したチェロ協奏曲もERATOから出た後、まもなく廃盤となっていたが、スイスのMGBがどうも原盤を購入したかして、出してくれているので、(多分)今でも購入が可能なはずだ。
この「夢の中へ」も中古で探せばあるが、classicjapanにアップされたので、容易に聞くことができるようになった。慶賀すべきことと思う。
しかしまだモレの名は一般的ではないと思うので、彼について以前書いた一文を掲載する。

フリブールの孤高の作曲家モレ

 一九二一年一一月二〇日にフリブール州メニエルに生まれたノイベール・モレは、二〇世紀後半のスイスを代表する作曲家の一人として、リーバーマンやケルターボーン、そしてオーボエ奏者としても高名なホリガー等とともに大変重要な位置を占めています。
 一七歳の時にバッハの音楽を知って、音楽家を志したというから、ずいぶん晩学であったようですが、地元の聖ミカエル・カレッジとフリブール音楽院でオルガンを学んだモレは、パリに赴きオリヴィエ・メシアンに師事。そして更にレイボヴィッツに十二音技法を学び、ウィーンで同国人であるオネゲルに師事。更にここで後にスイス国籍を取得することになるパウル・クレツキに指揮法を学びました。
 こうしてウィーンにとどまりモレは、戦後復帰したフルトヴェングラーやクラウスがウィーン・フィルで指揮する時のアシスタントをして、時代の最先端の音楽を身につけていったのです。まさにエリート中のエリートであったと言うべきでしょう。
 しかしモレは、三〇歳になった一九五一年に故郷のフリブールに戻ります。そして国際的なキャリアには一切背を向け、教会でオルガンを弾く静かな生活に入るのでした。
 その静かな生活を十五年続けた後、フリブールのエコール・ノルマルで作曲、音楽理論などを教えるようになったモレですが、作曲活動はせいぜい地元のアマチュア合唱団や吹奏楽団のために書く程度の、地味な音楽生活であったのです。

 スイスの中にあっては独特のカトリックの州であり、神学でも有名なフリブール大学のある坂の町フリブール。ここはヨーロッパでも最も広い旧市街が残っている町でもあります。この極めて保守的な町から逃げ出すことなくモレは、二〇年にわたって実質的に沈黙を続けるのでした。ブーレーズやケージ、シュトックハウゼンといった人たちが、戦後の自由を謳歌し、新しい語法、未踏の地を探索する活動に、モレはあまり関心を持っていなかったようです。
 しかし、一九六六年、前衛音楽というものが次第に行き場を失い、混沌としていく中で、モレは作曲活動を再開します。そしてそのことごとくが傑作の名に値する、極めて説得力の強い作品を次々と発表していったのです。そして、音楽界はこのいわば忘れられていた作曲家への評価を急速に高めていくのでした。七〇年代はモレにとってまさしく躍進の時代でした。
 アンネ・ゾフィー・ムターのヴァイオリンによって初演されたヴァイオリン協奏曲「夢の中に」は、メジャー・レーベルからレコード化され、モレという作曲家を世界に知らしめることとなった記念碑的なレコードでした。
 また、ロストロポーヴィッチが一九八〇年から何年にもわたって懇願し、五年も待った後、完成したチェロ協奏曲は、深い沈黙と祈りが渾然一体となった傑作であります。第一楽章には、半音階での細かな動きが、そして第二楽章では三度の響きの柔らかな響きが、そして第三楽章の無窮動に疾駆する中に曲の重要なモチーフが埋め込まれ、チェロとオーケストラの超絶技巧が炸裂するクライマックスが、強い説得力を持っています。
 自身がオルガニストであったということもあり、オルガンのための作品もいくつかあります。リーガル、ポジティヴ、グローセという三種類のオルガンと三人の歌手、四人の打楽器奏者のための「ヴィジテーションズ」は、このチェロ協奏曲の前に書かれた大作ですが、オルガニストとしてまず音楽教育を受けたモレが、オルガンという楽器からいまだ知られていない新たな表現の可能性を引き出したものとして大変印象的です。
 一九九六年に完成した「オルガンと室内管弦楽のための協奏曲」は、この楽器への新たな表現への試みを、七十歳を超えて尚、チャレンジする強靱な精神が生きていることを、証明してみせたものと考えられましょう。
 モレの音楽は、決して耳当たりの良い楽しい音楽とは言えませんが、年齢を重ねて深い思索の彼方から傑作を次々と世に問うこの大作曲家を思うと、一九世紀のセザール・フランクのイメージと重なってくるのは不思議でもなんでもないのかも知れません。フランクは神童としてパリのサロンを駆け抜けた後、オルガニストとしての活動を長く行った後に、年取ってからようやく立派な作曲家として認められたのでした。
 坂の町フリブールの生んだ才能を多くの人に聞いてほしいと心から思います。


以上。

1966年以降の作品はこちらから参照していただきたいが、録音が少ないのもあって、なかなか聞かれる機会が少ないのが残念でならない。
この作品が、ダウンロード・サイトにあることは一つの救いですらある。またiTune-Storeにもこの録音があった。他にもいくつかあるので、関心のある方、特に現代音楽ファンの方にはお薦めの作曲家!である。
ムターと小澤征爾による献身的とも言える録音の価値は、計り知れない。まだモレが健在だった1991年の録音で、きっとモレもこの録音を喜んだに違いない。

写真はフリブールの風景。まだモレが住んでいた1992年に撮ったもの。とは言え、今も全く変わらない風景がここにあるに違いないのだが…。
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by Schweizer_Musik | 2012-01-31 23:39 | CD試聴記
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