リゲティ/木管五重奏他 *****(特薦)名盤ですよ!!
またしてもリゲティである。二年ほど前に80才の誕生日を祝ったハンガリー出身で、現在オーストリア国籍の大作曲家。
彼はダルムシュタット楽派の音楽の中で、私にとって現存する中では、唯一、好きな作曲家である。
彼の音楽が、かつてキューブリック監督による映画「2001年宇宙への旅」で使われたこともあるほどである。あのサウンドトラックでバイエルン放送交響楽団を指揮していたのは、アメリカ出身でスイスでシェルヘンに学んだフランシス・トラヴィス氏であった。彼は東京芸大でも一時教えていたので、ご存知の方も多いのではないか。
そのリゲティの室内楽作品を集めたものを聞いてみた。面白い。何しろ面白いのだ。着想がどれもユニーク。なるほどそういうやり方があったんだと驚くやら、感心するやら。その内、音楽のエネルギーに圧倒されているという具合。
先日聞いたピアノ曲集も面白かった。(実はそれをもとにした自動演奏装置のための音楽集はもっと面白かった!)
さて、一曲目のヴァイオリン,ホルン,ピアノのためのトリオは全四楽章で20分あまりの大作だ。1982年の作品とのこと。サシュコ・ガヴリロフ(vn),マリー=ルイス・ノイネッカー(hr),ピエール=ローラン・エマール(pf)という面々による演奏だが、これが素晴らしい。サシュコ・ガヴリロフとマリー=ルイス・ノイネッカーは、他にイギリスの作曲家スミス(SMYTH, Ethel 1858-1944)のヴァイオリンとホルンのための協奏曲(KOCH/3-6412-2)で持っているが、曲があまり面白くなかったが、なかなか良い演奏であった。ノイネッカーはケックランの「ホルンとオーケストラのための詩」やシェックのホルン協奏曲、リゲティのこのシリーズでは他にハンブルク協奏曲などを聞いているが、大変上手い女性のホルン奏者だと思う。何しろこの曲は、音律に関心が向けられていて、EだとかDだとか、あるいはEsなどという記号がホルンのパートに書かれているが、これはF管のホルンで演奏してはいても、E管の音律で、あるいはD管の音律で、Es管の音律で吹けという指示なのだ。従って音によってはやや低くとらなくてはならなかっり、高くとらなくてはならなかったりで、大変な難曲となっているのだ。高音への執着も強く、ホルン奏者はE難度の技をどんどんくりださなくてはならないという作品なのだ。それを演奏しているのがこのノイネッカーなのだ。彼女はホルン界ではすでに知られた存在で、新しい世代の巨匠なのだ。
このヴァイオリン,ホルン,ピアノのためのトリオでも、サシュコ・ガヴリロフとマリー=ルイス・ノイネッカーの素晴らしい腕前で名演奏を繰り広げている。ピアノに名手エマールを得たことも幸運だ。彼らは、よく一緒にやっているのだろうか。困難な作品を水も漏らさないアンサンブルで聞かせてくれる。
曲は緩・急・急・緩で一種のシンメトリーを構成されている。全体がポリリズムで書かれ(別の拍子が混在した作品ということ)ゆったりとした楽章では拍子を感じさせないし、速い中間の二つの楽章では、異なる拍子のぶつかり合いがとても面白くできているといった具合だ。そして曲はブラームスへのオマージュとして書かれている。何故ブラームスなのか。それはこの編成で書かれたもう一つの名曲の作者であることに由来する。曲そのものは全くブラームスと無縁のものと思われるが。
いくつかの引用が行われており、ベートーヴェンの告別ソナタが冒頭の楽章にあったりしていて、作曲者自身が「ねじれた引用」として、自身で言っていることだ。終楽章のラメントは、深く心につきささる何かを持っている。1980年代を代表するリゲティの傑作である。
つづいて1968年に書かれた、木管五重奏のための10の小品である。ロンドン・ウィンズの演奏によるが、この団体は初めて聞いた。木管五重奏のための6つのパガテルとともに、すでにリゲティの古典的名作となっている両曲てあるが、これは着想の泉だ。アンサンブル的な作品と協奏的な作品を交互に並べるという発想はユニーク!クラリネットのための第2曲は強烈なバガテルである。フルートのための第4曲は軽快なフルートと響きを作る他のパートと激しく対立している。オーボエのための第6曲は大変な名人芸を要求するパッセージと長いロングトーンと対比し、ホルンのための第8曲は一転、デリケートで柔らかな響きの中からホルンの音が浮かんでくる。ホルン以外は背景を形作るのだが、いつの間にかホルンも背景の一部になっている。ストップ奏などのオンパレードなのは、ご想像通り!だが、これは面白かった。第10曲のファゴットのための作品は、奇怪なファゴットの低音と哀れな高音を対比させ、他の楽器はアクセントをつけていく。
これに対して、アンサンブル小品が5曲あり、この対比がもう一つの軸となって構成されている。第9曲だけはピッコロとオーボエ、クラリネットの三重奏で書かれているが、音色の組み合わせの多彩さは木管五重奏とは絶対に思えないほど豊かで変化に富んでいる。
さて、演奏は私が持っていたウィーンの奏者たちによる演奏(ロンドン原盤)をはるかに凌駕するものだ。この演奏のレベルを超えることはしばらく不可能なのではないだろうか。唖然とする他ない。全く凄い連中だ。
リゲティがまだハンガリーに居た頃に書かれた、木管五重奏のための六つのバガテルも続いて演奏される。すでに二十世紀の木管五重奏の古典となっている作品である。ハンガリー的なものを意識した作品で、彼がバルトーク、ヴェレシュの正統な後継者であることを証明している。この第5曲はバルトークの思い出に捧げられているが、彼の作品の中でも最もよく演奏される作品だけに広くお薦めしたい。
演奏はこれ以上を望んではいけない。ここから先は神の領域である。
そして最後に演奏されているのは無伴奏ヴィオラ・ソナタである。1991年から1994年にかけて書かれたこの作品は、みはや空前絶後の名作と呼ぶべきだ。何ということだ。これをはじめて聞いた日。私は興奮して眠れなかった。タベア・ツィンマーマンのソロもまた空前絶後の名演だ。
古典的な装いからハンガリーの民謡が生まれ出る瞬間に私たちは立ち会うことになる。音程がおかしいと思う瞬間がある。しかし、それは当然ながら意図して作られたものだということもすぐにわかる。ハンガリーの民族に彼は根ざした音楽を書き上げたのだ。特殊な奏法を駆使して書かれたそれは、たった一本のヴィオラから響きだしたものだとは決して思えないほど、豊かで多彩なサウンドを持っている。
重音奏法はもちろん多用されているが、第1楽章など、あえてそれを使わないで、旋律線一本だけで語り尽くしている。これを聞かないで、二十世紀音楽は語れなくなるだろう。傑作である。同時期に書かれたヴァイオリン協奏曲などとの共通性も感じ取れるが、ヴィオラという点がユニークだ。
自ら解説した文章の中に「バッハに比べるのは冒涜だ」と書かれてあるが、私はそう思わない。バッハ以来、無伴奏の作品は数々書かれ、名作も多くあるが、この曲はその「神の領域」に入ることのできた数少ない(ほとんど唯一の)例となろう。
聞き返してみてやはり興奮したし、学ぶことの多さ、自分の未熟さを痛感した。二十世紀音楽に関心がある方は、ぜひ、聞いて欲しいと思う。

SONY Classical/SRCR 2176
by Schweizer_Musik | 2005-06-05 11:11 | CD試聴記
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