佐藤聡明作品集III *****(特薦)
佐藤聡明氏の作品集IIIを聞く。この人は独特の世界を持っている。それが私はとても好きだ。最近の作品をまとめたこの第三集はオーケストラのための作品、バリトンとオーケストラのための作品、そしてヴァイオリン協奏曲と大作が三曲収められている。全て2002年10月7日のサントリー・ホールでのライブ録音であるが、録音については完璧だ。カメラータのスタッフは万全を期して録音にあたったようだ。
ノイズも全く気にならなかった。佐藤聡明氏の音楽はピアニッシモが大切で、聞く前は、会場ノイズが不安だったが、これは杞憂であった。
1999年、オーケストラのために書かれた「季節」 を聞くが、あまりに美しいその世界に魅了される。寡黙でゆったりとした流れの10分弱は永遠に繋がっているかのようだった。本名徹次が指揮する東京都交響楽団は、素晴らしい成果を聞かせている。弦の美しさはさすがと言う他ない。
ミニマル・ミュージックなどに代わる新しい流れの源流の一つである彼の音楽は、世界の音楽家たちに大きな影響を与えている。アカデミズムと全くと言って良いほど無縁の彼が、五線にはじめて書いた作品はリタニアという作品であったことはよく知られているが、それが1973年のことだ。26才でそうした音楽を書くほどに彼は遅咲きだったと言える。それは、独学で音楽を学ぶという大変な困難を乗り越えていった結果だったと私は思う。
しかし、その為に彼は自己の独特の世界を、音楽の世界の合わせて変質させることなく育てあげることに成功した。
「季節」はそんな彼が、「ミレニアムへのメッセージ」としてニューヨーク・フィルハーモニーから委嘱された作品で、他にカンチェリ、ヘンツェなどの著名な六人の作曲家たちにも委嘱され、1999年11月に連続演奏会がもたれ、そこでこの「季節」も初演されたという。そして、耳の肥えたニューヨーカーと専門家たちの話題を独占したのだという。
寡黙と静寂が彼の音楽の特徴だ。そんな彼が書いた歌曲。「峡谷」は全く彼の世界を体現したユニークな歌曲だった。「老子」をテキストとしたそれは、ニューヨークで2001年の11月に初演された。「季節」と全く語法で(いや、これを佐藤聡明氏が変えることなど考えられない!)書かれ、抒情的なまでの世界を感じさせる。
河野克典氏のバリトンはやや存在感が薄いのではないかと前半感じないわけでは無かったが、次第にそんなことはなくなり、この21分あまりに及ぶ時間を、東洋の神秘主義の作曲家の世界を表現することに集中している。オーケストラには過大なまでの集中力を要求する(演奏の困難なところなどない。逆に演奏に集中し続けることが困難なのだ)スコアに必死に食らいついていく東京都交響楽団には敬服する他ない。
最後はアン・アキコ・マイヤースをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲である。彼女からの依頼によって書かれたこの作品は2002年のこのライブ録音のコンサートで初演されたものだ。そう、この録音がその初演の記録なのである。
こういう作品は佐藤聡明氏でしか書けないものだろう。予想通りヴァイオリンの長い音符で始まるが、アン・アキコ・マイヤースの説得力はとてつもないものだ。演奏力にものを言わせてゴチャゴチャやってしまうのとは対極にある、全く独特の世界。一種の宗教的儀式に近い深みがこの音楽にはある。私は最近のヴァイオリン協奏曲の中で最も深い感銘を受けた。この作曲家の中にはアレグロの音楽はないのだ。気持ちの良い25分。静寂から立ち上り、ゆらぐようなオーケストラの響きが背景から浮かび上がってくる。そしてモノローグ。技巧的なカデンツァではない。モノローグなのだ。
良いCDである。ただの「癒しの音楽」などと聞くのも良いだろう。しかし、作曲者はもっと深いところを聞いているように私は思える。ヴァイオリン協奏曲を聞いていて、そのことを強く感じた。

佐藤聡明作品集III/CAMERATA/CMCD-28032
by Schweizer_Musik | 2005-06-22 08:49 | CD試聴記
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