B級?否!A級!名演奏家列伝 -11- スデーニェク・コシュラー
今から30年近く前のこと。私は大フィル友の会の会員で、毎月2〜3回は大フィルのコンサートに出かけていたが、その中で二度、とてつもない素晴らしい演奏会を体験した。それは大フィルがヨーロッパ公演を終えて帰ってきた記念演奏会で聞いた朝比奈隆指揮の「英雄」。そしてスデーニェク・コシュラーが指揮台に立ったコンサートだった。
特にコシュラーのコンサートでは腰を抜かしてしまうほど音が違っていた。大フィルってこんな音を出せるのかと驚き、そして感動した。オーケストラ・コンサートで涙が出そうになったのはこの時が最初で最後である。

まだまだこれからという1995年にコシュラーは癌を患い突然に亡くなった。彼が西側に生まれていたら、ヨーロッパの音楽界は全く違ったものになっていたに違いない。そしてその可能性が東西の壁が崩壊してようやく生まれたのだった。新しく組織されたチェコ国立交響楽団の初代の音楽監督に就任し、これからという時だった。訃報を聞いた時には本当かと何度も教えてくれた人に聞き返したものだ。
彼を高く評価する人は、我が国では音楽ファンと共に音楽家にも数多くいる。私は(あの口の悪い人ことでは定評のある)大フィルのメンバーが信じられないほどコシュラーを褒めちぎるのを聞いたことがある。また、コシュラーが度々指揮をした都響のメンバーも同様だ。
彼が指揮すると、オケの鳴りが変わってしまうのだ。その仕事はもう奇蹟に近いレベルに属している。彼が指揮した時にだけ、私は「悪いオーケストラなどない。悪い指揮者がいるだけだ」という言葉に賛成したくなる。

コシュラーは1928年3月25日にプラハに生まれた。生地の音楽アカデミーで学んだ。アンチェルやターリッヒに師事したチェコの期待の星だった。1951年にプラハ国立劇場でデビューした。彼にはいくつかの歌劇の録音があるが、彼もまた劇場で育った指揮者であった。そしてそれに加えて1956年にはブザンソン・コンクールで優勝(1959年に小澤征爾が優勝している)し、1963年にはミトロプーロス・コンクールでも優勝。しばらくレナード・バーンスタインのアシスタントもつとめていた。1962年にはオストラヴァ・オペラの指揮者となり、1966年からプラハ交響楽団の首席指揮者、ベルリン・コミーシュオーパーの音楽監督に就任し、1971年にはオーストリアとの国境にも近いブラティスラヴァの歌劇場の音楽監督、1976年からは名門チェコ・フィルの常任指揮者となっている。
私がはじめて聞いたのは1970年代だった。いつだったか、もうはっきりしていないし、ブッフビンダーというピアニストの共演してベートーヴェンの「皇帝」で感動したのだ。ブッフビンダーのピアノには全く感心しなかったけれど、コシュラーは凄かった。
この頃から、コシュラーはよく日本にやってくるようになった。1983年からは都響の首席客演指揮者として毎年のように来日して、その素晴らしい演奏を聞かせてくれた。その頃、私は九州は博多に住んでいたので、彼の演奏を聞くことはほとんどかなわなかったが、やがて出回り始めたCDで彼の名演を聞くようになっていった。中でもスロヴァキア・フィルハーモニーとのドヴォルザークは素晴らしいもので、決して一流とは呼べないオーケストラから素晴らしい響きを導き出している。今でも手にはいるのだろうか・・・。確か交響詩集も二枚、ビクターから出ていた。オーパス・レーベルだったが、今でも出ているのかはわからない。
彼が得意とした歌劇からは、スメタナの祝典劇「リブシェ」をあげておきたい。彼の声楽の扱いの見事さ!ブレスの自然さ、音楽が自然と呼吸しているかのような演奏である。
また、スロヴァキア・フィルと録音したドヴォルザークのレクイエムは、ブリリアントなどのレーベルからも出ていて、手に入りやすいかも知れない。ラクリモーザの細やかな伴奏は、息をのむばかりだ。ソリストもまずまずで、この曲の演奏としては最高のものだと私は考えている。
スロヴァーク・フィルもナクソスから出ているマーラーの交響曲第1番「巨人」くらいになると、木管のソロやホルンの吹奏での音色に魅力がほしいと思うが、バランスの見事さはやはり素晴らしく、この曲を初めて聞くという人にも安心して薦められる名演だと言えよう。
ベートーヴェンやシューベルトの交響曲などの録音も廉価盤レーベルなどで見かけるし、大変数多くの録音が残っているものと思われる。そうしたチェコものでないレパートリーとして私が高く評価しているのは、ビゼーの交響曲や「子どもの遊び」やショーソンの交響曲、ルーセルの「くもの饗宴」などである。
これらの演奏は、フランスの音楽はフランス人でないとという根強い偏見から、真価が理解されていないのは、返す返すも残念なことだ。チェコの音楽家はチェコのドヴォルザークの交響曲やスメタナだけやっていればよいという発想では、コシュラーの素晴らしさはわからないままになってしまうのではないだろうか。

1990年代に入って、東欧は大きく様変わりをした。東西冷戦の一方の雄であったソ連が「民主化」したため、西側と対立させられてきたワルシャワ機構が雪崩を打って自由化し、西側へと移って行ったのだ。コシュラーの祖国チェコ・スロヴァキアはチェコとスロヴァキアという二つの国に分裂し、新しい出発をし、新生チェコは、チェコ・ナショナル交響楽団という新しいオーケストラをたちあげ、その指揮者としてコシュラーを迎えた。
しかし、彼に時はそう長くは残されていなかった。新しいオーケストラを育てるとともに、ドヴォルザークの交響曲第5番、第7番から第9番「新世界」やスメタナの「わが祖国」を録音したところで、彼は癌のために1995年7月2日死去。
彼らの演奏は、私はリハーサル風景が入っていた「新世界」だけは買ったが、チェコだからチェコの音楽をという発想についていけず、他はとうとう買わずに(聞かずに)なってしまった。
スプラフォン・レーベルからコシュラー追悼としていくつかのライブ録音が出て、コシュラーを聞いたことがなかった多くの人は驚いたのではないだろうか。「アルプス交響曲」のライブ録音はその中でも凄かった。あんなレベルの演奏がチェコで行われていたのだ。なんと羨ましいことだろう。ライブとは思えない仕上がりの見事さ!!
by Schweizer_Musik | 2005-08-25 10:56 | 過去の演奏家
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