B級?否!A級!名演奏家列伝 -14- バイロン・ジャニス
アメリカのピアニスト、バイロン・ジャニスはLP初期にマーキュリー・レーベルにいくつもの名盤を残した人気ピアニストだった。1960年代はじめ、彼は、ヴァン・クライバーンと並ぶアメリカのスターだった。1960年と1962年の二度にわたるモスクワ公演では驚異的なまでの成功をおさめ、その時の録音もベストセラーとなった。

バイロン・ジャニスは1928年3月24日アメリカのペンシルバニア州マッキースポートに生まれた。本名はヤンキヴィチ・ヤンクスと言うが、宣伝用にこの魅力的な名前となったそうだ。
神童として有名で、八歳の時に初めてのリサイタルを行い、それをロシア出身の名ピアニストのヨーゼフ・レヴィンと夫人ロジーナ・レヴィンの知るところとなり、夫妻のもとで2年間にわたってレッスンを受け、その後レヴィンの助手をしていたアナディール・マーカスに師事し、ジュリアード音楽院に進む。
ジュリアード音楽院ではセッションズについて音楽理論と作曲を学び、ピアノは引き続きアナディール・マーカスに師事した。
1944年、ジャニスが16才の時にピッツバーグで幼いときからの友人であったロリン・マゼールの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏した。マーカスは語る。「このとき、すでにジャニスはロマン派の音楽に対する豊かな想像力と卓抜な解釈を持っていた」と。すでに若い有望なピアニストであったジャニスに大きな幸運がこの時訪れている。
コンサートを聞いていたウラディミール・ホロヴィッツが楽屋のジャニスを訪ね、「君のピアノには閃きがある」と語り、「ニューヨークに来たら、電話をしてくれ。是非レッスンをしてあげたい。」と申し出たのだ。そして四年にわたってジャニスはホロヴィッツのレッスンを受けることとなった。

ホロヴィッツのレッスンが彼のピアノにどういう影響を与えたのかは、その演奏からはわからない。ただ、ロシア楽派の豊かな音色を持つ、非常によく響く素晴らしいタッチのピアニズムが彼の特徴であると言えよう。そして1950年代はアメリカの有望なピアニストとして、カッチェンとともに活躍したが、彼の名前が全世界に鳴り響き、強い印象を与えたのは、やはり前述のモスクワ公演であろう。
時同じくして、第一回のチャイコフスキー・コンクールで、ヴァン・クライバーンが一位をかっさらい、リヒテルやギレリス、ゴールデンヴァイザーなどの名ピアニスト、名教師たちが絶賛している。丁度そのセンセーショナルな成功と重なって、このジャニスのロシア公演はあったようだ。
リストのピアノ協奏曲第1番をキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニーと共演し、第2番をゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団とマーキュリー・レーベルに録音しているが、リヒテルのような壮大なファンタジーは無いが、十分なスケールで完璧なテクニックから繰り出されるその豊かなファンタジーの世界は十分に魅力的だ。
ラフマニノフの3曲の録音(私は第1番から第3番を所持している)今もって最高の名演であることは間違いない。中でもキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルハーモニーと録音した第1番は、最近聞いたツィメルマンと小澤征爾による録音以前には、これが私の知るこの曲の最高の演奏だった。
モスクワ・フィルを掌握したコンドラシンの確信に満ちた解釈で、冒頭から勢いのあるテンポで聞く者を心を鷲づかみにするような演奏を聞くと、ちょっと他の演奏の印象は薄いものとなるのは仕方ないのではあるまいか。
プロコフィエフの第3番でもアルゲリッチとアバドの名演とともに、この作品の最も精彩のある演奏としていつまでも残すべき一枚となっている。
これらのモスクワでの録音は、アメリカのマーキュリー・レーベルが、録音機材をモスクワに運んで、わざわざ録音したものであった。後にこのレーベルはその素晴らしい音源とともにフィリップスに売却され、何度かフィリップス・レーベルの廉価盤のシリーズで売られていたが、優秀な録音を堪能するには、CD時代に原テープから復刻されるまで待たなくてはならなかった。それらの中には、ジャニスによるチャイコフスキーやラフマニノフの第2、第3、あるいはシューマンなどから、リストやシューマンなどのソロ作品の録音があった。
また、共演している当時のマーキュリー・レーベルと契約していた素晴らしい演奏家たち、アンタル・ドラティやミスターSことスタニスラフ・スクロヴァチェフスキーの指揮するミネアポリス交響楽団やロンドン交響楽団は、コンドラシンほどではないにしても、素晴らしい共演ぶりを聞かせている。

1966年にフランスのパリ郊外のトワリー城に招かれたジャニスが、偶然ではあったろうが、ショパンの自筆の楽譜を発見している。ワルツ第11番変ト長調Op.70の1などであるが、これは1996年、なんでも鑑定団に出てきてテレビで放映された。偶然見ていて、「あれっ」と思ったことを憶えている。私の所持している演奏家辞典のジャニスのところにこの事が書かれてあったのをうっすらと憶えていたからだ。
しかし、彼はこの後、病気のために活動を休止。1970年代に入って限定的に復帰しているが、マンハッタン音楽院で教鞭をとっていて、そちらの方にシフトしていったようだ。
1980年代も終わりになって、EMIから彼の新譜が出たのには驚かされた。しかし、その演奏からは、かつてのあの輝きは無くなっていた。今も手にはいるのだろうか?
結局、1960年代はじめに、彼がマーキュリーに録音したいくつかの録音で彼は永遠に生き続けているのだ。ヴァン・クライバーンもそうだったが、1960年代にアメリカから出てきたチャイコフスキーやラフマニノフで世界を制覇した二人のピアニストは、急速に輝きを失い、消え去っていった。どうしてだろう。あれほどの才能が・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-09-04 23:18 | 過去の演奏家
<< B級?否!A級!名演奏家列伝 ... チャイコフスキー&コルンゴルド... >>