TOTOが便座にmp3・・・
いゃーとうとうここまでというのが正直なところ。TOTOがmp3プレーヤーを便座に仕込んでしまったのだ。関連ページ
トイレで用足しが長い人に朗報となるのだろうか?よくわからないが、何が何でもこれを聞けと言われるのはいやだなと思う。SDカードスロットを備えているので、自分でmp3に変換したデータを入れることも可能なので、嫌でもこれを聞けと言われるのと違うので良いかなと思う。
しかし、音楽が溢れている日本。別にヨーロッパが全て優れているわけではないと思うが、向こうから帰ってきて景観ととも音に対しての感覚がヨーロッパと日本と違うとつくづく思う。
新田次郎の本の中で、チューリッヒ空港の駅を列車は「音なしの構えで走り始めた」とあるが、(記憶にたよって書いているのでちょっと違うかも知れない。ご容赦!)実際駅で「列車が来るから気をつけろ」とか、「次はどこそこ行きの列車が来るぞ」とか、「黄色いラインの内側を歩け」とか言われ、「発車するから、飛び乗りするな」までアナウンスされるというのは、日本人の社会生活は人に注意されないと出来ない馬鹿ばかりなのかと思ってしまう。発車にあたってベルも鳴る。ヨーロッパではこうしたことは一切ない。大人は自分でそうしたことができるということが基本なのだ。日本は注意しないと誰かの責任問題になるのだろうか?
「次はどこそこである」という車内アナウンスや「どこそこ行きの列車が入りますよ」というアナウンスは視覚障害者に対して必要なものなので、私は確かに必要を認めるし、それを騒音という気はもちろんない。しかし、飛び乗るなとか、一列に並べまで言われないと出来ないとしたら、一般社会に出て生活してはいけない人である。
しかし、こんなことはたいしたことではない。
町中での音楽の騒音はどうだろう。新宿や渋谷、池袋などの町を歩いていて、自動車などの騒音を別にして、普通に聞こえてくる音の多さに辟易とする。音を巡る環境というのは、何デシベルの騒音があったとかないとかいう問題ではないのだ。
後楽園、東京ドームシティの絶叫マシンが出す騒音。音量としてそれほどでもなくても、響き渡る人の叫びは一体何なのだろうと思う。住んでいるわけではないので、私は別に何か言わなくてはならないというわけではないが、音に対するデリケートさは、日本人はなくしてしまったのだろうか。
便座にまで音楽をつけてしまった日本のメーカー。それ自体が悪いことではないが、そうしたアイデアを生み出す環境が、私にはちょっとおかしなものに思えるのだ。
by Schweizer_Musik | 2005-10-27 22:15 | 音楽時事
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