覚え書き 3
スイス、中央部にザンクト・ゴットハルトという名の峠がある。峠はルツェルンからラインへと流れるロイス川の源流域であり、現在のアンデルマットの町からシェレーネン渓谷をロイス川は流れ下り、四森林州湖へと注ぐ。
シェレーネン渓谷がこの峠の最大の難所でもあった。険しい崖が聳え、急な傾斜を流れ下る流れる渓谷の底は狭く、人が行き交うのは無理なことだった。このため、サン・ベルナルディーノ峠やシンプロン峠など、スイスの多くの峠がローマ時代に開削されたのに対して、このザンクト・ゴットハルト峠が開削されたのは十三世紀になってからのことである。
峠には伝説が残っている。どうしても越えられないところがシェレーネン渓谷であった。ここに橋を架けることは出来ないと信じられていた。その橋を悪魔が架けたというのだ。その代金として悪魔は最初にその橋を渡った者を差し出せということで、橋が出来てから峠の民は最初に羊を渡らせたそうだ。悪魔は怒ったもののどうにもならない。こうして、身の毛もよだつ急峻な渓谷に橋が架かり、ゴットハルト峠に人が通れるようになったというのだ。橋はこの伝説によっていつしか悪魔の橋と呼ばれるようになった。
ルツェルン湖畔から登り、ゲッシェネンからの厳しい渓谷を遡り、悪魔の橋を渡り、アンデルマットから雪を頂くゴットハルト峠を越えるルートは、それでも簡単な話ではない。今日でも冬季にここを越えることは無理だ。一年の半分近くが雪のために不通となる峠。しかし、この峠はこの後ロンバルディアの野に向かってひたすら下っていくだけなのだ。
ただ一度だけ登り、下るだけの峠は、アルプスの他の多くの峠道と異なり、大きな軍事的、政治的意味を持つ。
これが、ハプスブルクがこの峠に注目し、峠の麓を何としてでも支配したいと考えた理由である。そして峠の民はその前に帝国から領主による支配から独立し、自由と自治を得ていた。そしてこの自由と自治を守るためにスイスの峠の民は、ハプスブルクと戦ったのであった。
スイスは、犬養道子氏がその著書が語っているように、峠の颪の正統な息子であったのだ。
by Schweizer_Musik | 2005-12-15 13:27 | 原稿書きの合間に
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