伊福部昭・逝去の報に接して
伊福部昭氏の逝去の報に接し、昭和が遠くなっていくことを実感せざるを得ない気分になっている。1914年5月31日 に生まれたというので、享年91歳だった。私は伊福部昭氏は百歳を越えているのではと思い込んでいたので、ちょっと意外だったが、それでも平均寿命を大きく越えての大往生だったようだ。
彼の略歴については、wikipediaでどうぞ!
私の伊福部昭初体験は映画「ゴジラ」だった。あのシリーズのいくつかで伊福部昭の名前があったことは、子どもだった私の記憶にない。しかし、テーマ音楽の強烈な印象だけは不思議と色あせず、今も聞くと心がワクワクしてくる。ラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章の動機に似ているという指摘もあるが、似て非なる物の典型であるように私は思う。あと「空の大怪獣ラドン」なんていうのも面白かったし、音楽も良かった。「ビルマの竪琴」や座頭市シリーズの音楽も担当しておられた。映画やテレビでも活躍された作曲家であった。
しかし、彼の本領はやはり見事な管弦楽法による演奏会用のオーケストラ作品にある。個人的に愛着を感じるのは前述のゴジラ・シリーズの音楽からモティーフをとってきて再構成した「SF交響ファンタジー 第1番」(1983)であるが、これはちょっと際物で、やはり「交響譚詩」(1943)、「シンフォニア・タプカーラ」(1954) や「リトミカ・オスティナータ」(1961)といった代表作をあげるべきかと思う。またチェレプレン賞をとって彼の出世作となった「日本狂詩曲」(1935)も一度は聞いておいてほしい作品である。
しかし、私は昨日から何度と無く聞き返しているのは1997年にリリースされた「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」(1941)である。この作品は戦争で失われたと思われていたのが、戦後大分たってNHKの資料室で発見されたのだった。伊福部氏はとうに戦争で焼失したと連絡を受けていたので、その音楽の素材をもとに「リトミカ・オスティナータ」や「シンフォニア・タプカーラ」を作曲していたのだ。したがってこの発見された作品(パート譜のみだったそうだが)はお蔵入りにしようとしたそうだ。しかし、周囲の強い説得で承知してこの作品がようやく再演されることになる。
1997年の再演は舘野 泉氏がピアノを担当し、大友直人指揮日本フィルハーモニー交響楽団が演奏した。「リトミカ・オスティナータ」や「シンフォニア・タプカーラ」を知っている私たちにとって、作曲者が一つの素材を別のものに作り替えるという大変珍しい出来事の目撃者となるのだ。
全ての部分が興味深いが、初演の時の批評で、当時の音楽批評の大御所であった園部三郎氏の「顔はストラヴィンスキー、手はファリャ、脚はコルサコフで体はラヴェル、しかもそれがお会式の太鼓を叩いていると思へばいい」と書いている。なるほど上手いことを言う。大ハズレでなく、私は結構当たっていると思う。
1941年という戦争の真っ只中で、こうした作品を書いたのだ。モダンな音楽である。彼は「血液の審美と現代のダイナミズムの結合がこの作品の主体である」と初演のプログラムに記していると言う。確かに、日本の五音音階を使って、我々日本人の血液の中に厳然と存在するものを表現しようとしていると思う。
しかし、変拍子やクラスター風の音など、結構面白い技法がちりばめられていて、彼が当時の最先端の音楽をとてもよく知っていたことがうかがわれて、興味深い。私にはプロコフィエフやモソロフなどのメカニカルな音楽の影響も大きいと思う。
舘野泉のピアノは本当に素晴らしい!昔、パルムグレンなどのピアノ協奏曲でこうした作品を実にうまく表現していたことを聞きながら思い出していた。
徳永二男氏が独奏を担当したヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲 (1948/1971改訂)も入っているが、これは別の演奏会の録音らしく、指揮者が広上淳一氏になっている。この曲でゴジラのテーマが出て来るのだが、これもとても面白い。こちらの方が先で、この6年後に映画「ゴジラ」にこのテーマが結実するのだ。
私は徳永二男の演奏でハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲を聞いたことがある。もう20年以上も前のことなのに、あの演奏会は忘れられない。私はこの演奏はその時の感動を思い出させてくれるものだった。
多くの名作を残した伊福部昭氏に深い感謝を捧げつつ、冥福を祈る。
by Schweizer_Musik | 2006-02-09 19:42 | 音楽時事
<< フランクの交響曲ニ短調、聞きくらべ 昨日の授業 >>