シベリウスの「悲しき円舞曲」考
この魅力的な作品は、もちろんのことながら、ウィンナ・ワルツとは全く異なる世界の音楽である。「クオレマ」という劇作品につけた音楽の一つで、1903年に作曲され、翌年に演奏会用に改訂されている。
この曲がホ短調という調性を持ちながら、始まりが嬰ヘ短調の下属和音からはじまるという突飛な開始を、その下属和音(IIの和音)の根音をコンバスのピツィカートだけで開始するのだ。で、メロディーが始まるとII - V7 - I と嬰ヘ短調を確保したと思ったら、ロ短調のIIの和音に進行し、ここからホ短調へと向かい、落ち着くかと思うとその平行調のト長調のカデンツへつなぐ。ここでチェロにもう一つの重要な動機がさりげなく提示される。
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ため息がでるほど美しいこの不思議な進行は、モダン・ジャズの世界で使われたりもした。代表的なベニー・ゴルソンの「ウィスパー・ノット」を例としてあげるにとどめたいが、あれは二度低い調から始まって主調に終止するフレーズで始まるのだった。
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調性を大胆にはぐらかすように作るのは、後期ロマン派の特徴でもあるが、それはシューマンの「幻想小曲集」あたりから発しているようにも思う。もちろん調性を拡大して考えるのであれば、ルネサンスのCarlo Gesualdoあたりからあるわけで、そんな近代音楽だけの専売特許でも何でもないのだが・・・。
シューマンの試みは大胆だった。有名な「飛翔」で、最後まで主和音を基本形で響かせない、(主和音に解決しない)という離れ業を演じたのだ。
これはその強い影響を受けたブラームスに飛び火した。彼の二つのラプソディーの二番目のト短調は、調性を書くことの意味がどこにあるのかと心配になるほど最初から転調が大胆極まるものだった。
こうした試みも、あのワーグナーのトリスタンとイゾルデというとんでもない傑作によって、その成果がはっきり見えなくなってしまっているのもまだ事実である。
ちょっと話が横道にそれてしまったようだ。シベリウスにもどろう。

主調にほとんど落ち着かないまま、平行調に終止した音楽は、その同主調であるト短調へ突然転調してワルツを繰り返す。そして変イ長調に終止するとそのまま第2部へと続く。
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第2部は平行調のト長調で書かれている。ここに来てリズミックな動きが出て来るが、明確なメロディーはまだ出てこない。
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ト長調で始まってロ短調で終止して繰り返すというパターンは、よくある方法であるが、二度目の終止があの第1部の最後のチェロのさりげないト長調へのカデンツで使われた動機であるあたりは洒落ている。
これが前奏となる形で次の一見明るく沸き立つようなリズミックなワルツが浮かび上がってくる。
ここに来てはじめて管楽器が参加する。と言ってもフルートとクラリネットが各一本。そしてホルンが二本である。
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しかし、この音楽のどこかに深い闇が隠されているように思われてならないのは、気のせいだろうか。音楽は盛り上がっていくとすぐにため息につながっていく。
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楽譜を見て頂ければわかるように、クレッシェンドして行くこの数小節で、多くの演奏でアチェレランドを併用してより効果を強めるようにしているが、この頂点はすぐに半音階の下降のため息に変化する。
この半音階の下降は、とてつもない悲劇をイメージさせるものでもあるが、そこまでシベリウスが意識していたかどうかはわからない。ただ、冒頭のこの曲のテーマの始まりの2音を拡大したものであるということにしておこう。
そして8小節だけ、最初のテーマが戻ってくる。
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すぐにト長調のワルツが戻ってくるが、ここでI度の第2転回型の和音が解決しないまま、第1転回型へと進行する。理論よりも効果が優先した瞬間であるが、これが実に効果的である。
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この部分の終わりで音楽は初めてホ短調の主和音に終止する。ここまで一度もホ短調の主和音に終止しないできているのだから、ちょっとシューマンの「飛翔」に似ているが、やっている音楽はどこまでも憂鬱で暗いものだ。
つづいて音楽はエンディングへと入る。
コーダは二つの部分に分かれ、前半は主題の動機の展開に比重が置かれ、後半は主題を果てしなく拡大して永遠へとつなげていく。D音だけのティンパニーもここでようやく参加することになる。

半音階での下降がやたらと出て来る部分である。もちろんテーマがその半音階で出来ているのだから当然であるが、それが大きな悲劇(永遠の別れ・死・絶望・受難)を想起させるものであることは言を待たない。
しかし、音楽はため息から激情の爆発へと大きく舵を切り、ホ短調で一旦終わった音楽はここからト短調へと向かう。コーダで転調を行うことはあり得ないことだ。なぜなら音楽を閉じ、全体をまとめるところで、大きく異なる世界に足を踏み入れることなどあり得ないからだ。もちろん下属調と属調は主調を強調する目的で一時的に使用することはあるが、この曲のように三度上の短調に向かうことはない。
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半音階で下降するメロディーがホ短調で、そしてト短調で繰り返したのち、この音楽は4小節に縮小され、ゼクエンツされる。
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この後、音楽はストレッタ(切迫部)に進む。ここでようやくティンパニーのロールが出て来るが、劇的なこの部分の主役は冒頭のワルツのメロディーを二倍に拡大したものが当てられている。
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この最後の部分でト短調の属音がティンパニなどで保続され、ト短調を強く強調している。そしてふっと静かになるとゲネラル・パウゼを挟んでテンポも元に戻され、チェロにあの動機がまたまたさりげなく再現され、ヴァイオリン四人によるカデンツで曲を静かに閉じる。
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これを書く時に聞いていたのは、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団の演奏であった。いくつか聞き比べて、これが最もシベリウスのスコアに正確であるように思えるのだ。ただ音が正確であるというだけでなく、読みが深い。あの頃のヤルヴィはこういう丁寧な仕事をしていたと思う。今は、ずいぶんサラサラとした感触を感じることが多いが・・・。

楽譜はこちらをクリックすると簡単に手に入れることができる。
by Schweizer_Musik | 2006-02-19 12:40 | 原稿書きの合間に
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