夢の名演奏 (18)
意外にもというと失礼だが、ポール・パレーのファンは、フランス近代の作品が好きな人を中心にかなり多くおられるようだ。でも、ポール・パレーをフランス近代、例えばドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」やラヴェルのピアノ協奏曲などを上手くまとめる指揮者と考えるのは早計で、彼が指揮した例えば「新世界」など、なかなかの迫力の演奏で、所謂本場物のチェコ・フィルなどを聞くよりずっと良いと思われる。速めのテンポでグングン引っ張っていく指揮は雄渾そのもので、七十才を超えた老人がこんなに若々しいとは頭が下がるとしか言いようがない。パレーのシンフォニックな作品への相性の良さを感じさせる。

また誰に言っても信じてもらえないのだが、一緒に入っていたシベリウスの交響曲第2番が思いの外良いのだ!。北欧らしい(どんな感じを言うのかさっぱりわからんが…)とかいうシベリウスらしさはどこにもない。というより、古典のような厳しい造形で一気に聞かせる。
ポール・パレーの演奏で思い出すのは、この他、イベールの「寄港地」の超名演だ。私はミュンシュ、マルティノンの録音と並んで、このパレーの「寄港地」の演奏を好んで聞く。デュトワや佐渡の素晴らしい録音もあるのだが、このパレーの弾むようなリズム感と、力強さというか、横溢する生命力はやはり魅力的だ。
彼の録音で、残念なのはただ一つ、デトロイトのホールがデッドで、録音がすべて乾いて聞こえるという点だ。しかし、このホールでこれほどのアンサンブルを聴かせるというのは、並大抵のことではない。

私はパレーが1931年に書いたというミサ曲「ジャンヌ・ダルク没後500年を記念して」という曲をはじめて聞いた時、不明にも彼が作曲をするということで不思議に思った。そう彼はパリ音楽院で、あのローマ大賞をとったほどの作曲家でもあったのだ。
交響曲など、本格的な作品もあるというが、私はこのミサ曲しか知らない。

さて、イベールの名演を聞き、ドビュッシー、ラヴェルなどの素晴らしい録音を聞くにつけて、彼のフランス6人組の録音はどうしてないのだろうと思ってしまう。ルーセルの「蜘蛛の饗宴」などがある程度で、オネゲルやミヨーや、サティの作品は皆無なのだ。
彼は、反6人組だったのだろうか?(なんだか中国の政治事件の解説をしているみたい…笑)これが私には不思議でならないのだ。
前に述べたように、交響作品に対する、素晴らしい適性があるのだから、ミヨーの交響曲やルーセル、それに私の好きなオネゲルの交響曲を一曲でもいいから録音しておいて欲しかった。
こうして私の妄想がはじまる。ポール・パレー指揮フランス国立放送管弦楽団によるルーセルの交響曲第3番と第4番が、グラモフォンのアーカイブから見つかり、ドキュメント・シリーズで発売された。録音時期は1965年。あのモニーク・アースとのラヴェルのピアノ協奏曲が録音された頃のフランスでの録音。
こんなのが発売されたら、まずCDショップへ直行だろう。曲がオネゲルの交響曲第3番と第5番、それに「機関車パシフィック231」だったら一枚1万円でも私は絶対に買う!
by Schweizer_Musik | 2006-06-19 01:31 | 夢の演奏
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