諸井三郎の交響曲第3番
諸井三郎の交響曲第3番を聞く。湯浅卓雄が指揮するアイルランド国立交響楽団の演奏(NAXOS/8.557162J)である。
まもなく広島、長崎にアメリカが原爆を落とした日が訪れ、終戦の日が来る。昭和天皇の靖国神社についてのお言葉が波紋を呼ぶ中、私は政治的な発言は常に控えたいと思っている。
無党派層のどうでも良い派であるので、意見は右にも左にも時々でぶれるのだが、一つだけ、常に揺るがないものがある。それは「反戦・平和」である。
私は、過激な意見かも知れないが、日本海の「竹島」を韓国にとられるくらいなら戦争してでもという「おっかないこと」を言うくらいなら、負けてでも戦争を回避した方が良いという「戦争大嫌い」の人間である。国を守るために重く危険な任務にあたる自衛隊の人たちには敬意をはらうが、私は戦争はどんなことがあっても嫌なのだ。
右翼の方々からは非難されるだろうし、自国の領土が削り取られるというのは「悔しい」が、それで人殺しを正当化するのは嫌だ。相手が攻めてくるならば…?難しいことは訊かないでほしい。わからないとしか言えない。でもそういう理不尽なことで死ぬのなら「悔しい」が、それでも不戦を貫きたいと思う。人殺しは嫌だからだ。

さて、そんなことを何故思ったのかというと、この諸井三郎の交響曲第3番が書かれたのは1944年であり、作品は、敗色濃厚となってきた太平洋戦争の激化から、諸井三郎自身が死を覚悟して書き上げた、おそらくは彼の「遺書」であるからだ。
第1楽章が「静かなる序曲」とあり、第2楽章が「諧謔について」とタイトルがつけられている。そして終楽章には「死についての諸観念」とある。第1楽章と第3楽章(終楽章)が14〜15分かかるのに対して、スケルツォ風の第2楽章がたった5分足らずというのは、ショスタコーヴィチの第4番を思い出さないでもない。(但し長さはそれぞれにこの諸井三郎の作品の倍であるから、規模がちょっと違う)だが、あちらの作品はすでに書かれてはいたが、音にならないまま作曲者が当局の迫害を恐れたためか、封印してしまったので、諸井三郎がショスタコーヴィチに習ったわけではない。しかし、第2楽章にはショスタコーヴィチに感じるアイロニーが響いており、諸井三郎がプロコフィエフやショスタコーヴィチといった20世紀のロシアの作曲家たちの音楽を知らなかったわけではなさそうであるが。
私にはオネゲルの交響曲第3番「典礼風」と同質の重さを感じる。作曲法的には、当時の先端を行く合成音階を効果的に使った新古典主義的手法による作品と言えようが、山田耕筰のロマン主義がスクリャービンなどのロマン主義を内包する形で形成されて行ったのに対して、諸井三郎は古典派の音楽の緻密な構成法を志向しつつ、新しい響きを生み出していったのだ。
第2楽章の「諧謔について」が突きつけているものは鋭く深い。これはまるでオネゲルである。いや、諸井三郎かず真似をしたわけではない。こうした作曲法であればこうせざるを得なかったのだろう。そしてその表現しているものは終楽章で聞く者を深い祈りと救いへの願いへと収斂する。これは凄い作品だ。
湯浅卓雄の指揮は、私にとってこの未知の作品との出会いを幸福なものにしてくれたと言っておきたい。だが、この曲の突きつけるものに対して、あまりに表面的に聞こえてしまう。ミュンシュだったらどうだったろうか?などと思わせてしまうところが、限界か。大変良い演奏ではあるのだが、曲のすばらしさにもっと良い演奏を望みたい。
小澤征爾が、こうした作品を演奏してくれたらどれだけいいだろうか?今となってはもう望むべくもないが。

このCDには他にも、どこかプロコフィエフの交響作品を思わせる「こどものための小交響曲 変ロ調」とやや民族的な要素への接近を思わせる「交響的二楽章」も収録されていて、こちらは中々の好演である。(もちろん交響曲第3番も決して凡庸な演奏では決してないのだが)

彼が戦後、あまり作品を発表しないままに終わったのは、この第3番で燃え尽きたからだとも言われている。果たしてどうだったのかはわからないが、教育者としても戦前から戦後、多くの作曲家を育てたことでも知られ、柴田南雄、團伊玖麿、木下忠司、入野義朗、矢代秋雄といった戦後活躍した作曲家たちは彼の弟子であり、それぞれに個性的であるのも凄いことだと思う。
晩年になって12音を取り入れたピアノ協奏曲第2番を発表しているが、私はこれは未聴である。

私の祖父も叔父も戦死しているのだが、昨年、祖父が戦地に向かう時に残した「遺書」が出てきて、我が家ではちょっとした話題となったことがある。死を覚悟した精神がどういうものか、私は諸井三郎の作品に、祖父の遺した遺書と同じ何かを感じるのだが、それが何か、うまく言えないでいる。
しかし、この夏の終戦の日に向けて、戦争もできることにしようなんていう人たちにぜひ聞かせたいものだ。決意と団結、精神力でアメリカもやっつけられるなんていう、とんでもなく愚かな北朝鮮なんていう国もあるが、あの国などまるで日本の戦前を見る思いだ。好戦的で、自国の軍隊が一番というところが特に・・・。しかし、軍備で戦闘機は複葉プロペラだから、セスナで勝てそうなレベルだ。だからミサイルになるのだろうな。本格的に戦争したらどこにもかなわないから、あんなに吠えるのだ。
それでも、あんな愚かな独裁者の国に負けるのは悔しいが、私は反戦・平和で良いと思っている。

(すみませんが、私は政治的には全く中道で、左派でも右派でもありません。また、そんなに難しいことはわかりませんので、政治的な議論は遠慮させていただきます。何卒ご了承下さいますようお願い致します。)
by Schweizer_Musik | 2006-07-21 22:54 | CD試聴記
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