コンドラシンの「革命」
コンドラシンのショスタコーヴィチの交響曲全集から、第5番を聞く。昔LPで聞いた時、こんな演奏だったかと、一生懸命に思い出そうとしていたのだが、どうも記憶にない。冒頭からかなりシャリシャリした高音にバランスが偏ったミキシングで驚いた。生々しいことは間違いない。潤いには欠けるので、ムラヴィンスキーのウィーン・ムジークフェラインでの1973年のライブ録音のような広がり感は感じられない。しかし、アルトゥール・ロジンスキーの古い演奏から聞いた直裁で激しい音楽に思われる。
アンサンブルは実に鋭さを感じるほど完璧である。この曲を演奏するのに、大変入念な準備をして臨んだことが想像できる。なるほどこんな響きがするのかと、この演奏を聞いて教えられた部分もあるほどで、今まで何を聞いていたのだろうと、少々情けなくなった。

この曲を私はそうたくさんの演奏で聞き比べてきたわけではないが、それでも記憶に残る名演はいくつもある。情緒満点の演奏なら1939年4月20日にフィラデルフィア管弦楽団と録音したもの(DUTTON LABORATORIES/CDAX 8017)など、ここまでするかというほどの大きな身振りで聞かせてくれるし、冒頭から凄く速いテンポで一気呵成に聞かせるアルトゥール・ロジンスキー指揮ロイヤル・フィルハーモニックによる1954年10月2-14日録音のウェストミンスター盤(Westminster/MVCW-18008)も忘れてはならないだろう。
ただ、音楽のタメがないので、どうしてもスケールは小さく感じられる点が惜しまれる。こんなに走らなくてもと私は思うのだが(終楽章は明らかにやりすぎ、全速力で駆け抜けていく)評論家の受けは良いようだ。
ムラヴィンスキーのモノラル録音もこの頃の演奏だったと思うが、CD化されたものを私は聞いていないし、LPも処分してしまったので、どんなものかちょっと確かめる手だてがない。しかし、3種類ものステレオでのライブ録音を持っているのでそれを聞いて思うのは、ロジンスキーのバタバタと急ぎ足で進むのとよく似たテンポでも受ける感じは随分に違うものだということである。この辺りが格の違いと言うべきなのかもしれない。
ザンデルリンクの録音は終楽章だけがもの凄いテンポではじめから飛ばしていて、他は遅め、あるいは遅いテンポでじっくりやっている。響きの重心が低く、いかにもロシアのオケ作品という感じでそれでいて下品にならない点が良いのだが、テンポの設定のバランスが悪いように思う。(それでいて終楽章は次第に失速してしまうのだから…)
バーンスタインの新旧2つの録音も評論家の意見と違つて、私には今ひとつである。第3楽章はあざといほどに遅く、連綿たる嘆き節でいくのだが、私はこの楽章、もっとカラッとした抒情で聞かせて欲しいと思っている。テンポを遅くとれば、それだけ情緒が濃く感じられるし、細かな表情も付けやすいのはわかる。しかし、そうしすぎると音楽は停滞し、気品、あるいは格調が損なわれる。これもまた紙一重の部分で、最近はそうした遅いテンポでやるのが一般的になっているようにも思う(ゲルギエフなど)。
またババーンスタインの演奏では終楽章がどうしても納得できないテンポだ。なんでこんなに急ぐ必要があるのだろう。彼は(ザンデルリンクのように)失速しないでそのまま駆け抜ける。それがエネルギッシュでかっこいいと感じるか、ただ急いでいるだけと感じるかは紙一重だろう。

バランスのとれた演奏としてはハイティンクの全集録音が最も良かった。もう一枚あげよと言われれば、1964年9月17日、ロイヤル・アルバート・ホールで録音されたストコフスキー指揮ロンドン交響楽団による録音をあげておきたい。(CARLTON/15656 91542)
彼が若い頃に録音したものと比べてもこの演奏の持つスケールにはかなわない。オケも実に素晴らしいものである。但し、終楽章のテンポが不安定(というより恣意的に動かしている)なのはまたしても問題点となるのだが、この楽章はハイティンク以外に満足するものがないのだ。
他にも十種類ほどの革命を聞いてきたのだが、まぁこんな程度でいいだろう。で、このコンドラシンははじめてハイティンク盤と同等の水準の演奏を聞かせたものと評価できる。サウンドについてはミキシングがはじめに述べたように私の好きな音でないのだが、演奏については間違いなくこの曲の最高水準の名演であることだけは間違いがない。
終楽章のテンポがはまっていることは最高である。この曲の終楽章のテンポについては内容についてかなり問題があると言われているが、ヴォルコフの「証言」の中で言及されていて、それが大変説得力があったため、私は未だにそれに影響されて聞くことが多い。確かにこのコンドラシンの演奏を聞くとそれが真実味をもって聞こえてくる。
第3楽章の哀切極まりない響きはどうだろう!!この楽章の最高の演奏は先に挙げたストコフスキーのライブ録音である。ストコフスキーというと恣意的な編曲が話題になることがあるが、それは一部のことで、大半はそんなことはない。ロクに聞きもしないで、思いこみだけで書くからそんな風評をたててしまうのだ。
この超名演に比べるとコンドラシンの指揮はやや平面的に聞こえるが、これは経験の差なのだろうか?
しかし、前後して申し訳ないが、第2楽章の素晴らしいコントロールの効いた音楽の運びは超一流だ!タメが深く、効いていて興奮を禁じ得ない!ソロの受け答えで出来ているトリオの部分も品位が維持され、見事である。
更に終楽章の素晴らしいまとめぶりではもう説得力抜群だ。この楽章は第2楽章とともに最高の演奏にあげられるだろう。だからと言ってハイティンクがこれでいらないなんていうことはない。でもコンドラシンでないと得られない何かがあると思う。
ストコフスキーの録音とハイティンク、コンドラシンの三枚が、私の「革命」のリファレンスとなった。
こんな凄い録音が入っているのだ。買わないのはもったいないですよ!!
by Schweizer_Musik | 2006-07-26 16:03 | CD試聴記
<< ショスタコーヴィチの交響曲第15番 終戦の日を前にして >>