9.11テロの日に…オネゲルの「典礼風」を聞く
今日は同時多発テロが起きた日である。なんと愚かなことを人類はしてしまったのだろう。そして憎しみの連鎖は悪魔的に繋がり始めた…。全くこれは…。
イスラムがあの後、人々の憎しみの対象となってしまった。彼らがやったわけでもコーランにテロを行えなどと書いてあるわけでもないのに、憎しみが行き場を失って、暗い感情が牙をむいたのだ。北朝鮮出身の人を全て拉致実行犯のように見るようなものだ。
かつて、関東大震災の時にも、朝鮮出身の人がリンチの対象となったことがあるが、こうした憎しみを再生産せず、それを許すことがどれだけ大きな自制心と、深い愛情が必要なことか!そしてそれが今最も必要とされていると思う。
私は、政治や宗教間の対立など、難しいことはわからないが、ただただ平和で心豊かに暮らしたいと思う。人を傷つけたり、殺したりすることは、絶対にいやだ。
アメリカは本土がはじめて攻撃されてショックだったのだろう。それはよくわかる。パール・ハーバー以来、アメリカ本土が攻撃されて被害を受けたということがないのだから…。

さて、私はオネゲルの交響曲第3番をテロの被害者と、この度の戦争で亡くなった人たちを思い、聞いている。Dies iraeなど、典礼の言葉が楽章につけられた、異色の作品である。オネゲルはこれを第二次世界大戦の終わった年に書き始め、その翌年に完成した。終楽章には 'Dona Nobis Pacem'(われらに平和を)とつけられた。
オネゲルの心はどこに向かっていたのだろう。彼のその後の厭世的で将来に対する悲観的な言葉の数々は、戦争によって傷つけられた心から発していたと思う。そしてこの 'Dona Nobis Pacem' が悲劇的で、行き場のない悲しみで満たされているのは一体何なのだろう。一切の感傷を排したその音楽からは、厳しさとともに深い絶望感が存在している。しかし、突然音楽は安らかに平和の到来を歌い始める。この部分の不思議な違和感を、私はショスタコーヴィチばりの皮肉に思えてならないのだが、これは考えすぎだろうか。
しかし、私はオネゲルが「クリスマス・カンタータ」において永遠の救いを最後に歌い上げたことを知っている。でもその音楽が書かれるまでに10年あまりを要したことも知っている。

この交響曲第3番「典礼風」は、つい最近、クリュイタンス指揮トリノ放送交響楽団による録音を手に入れた。素晴らしい演奏だ。カラヤンやミュンシュ、ムラヴィンスキーなど名演は多い。中でもこのライブ録音は、私にとって最高の一枚である。(ARTS ARCHIVES_43059-2)

さて、命が奪われなくてはならない理由がないままに、多くの人々が命を落とした日である今日は、この数年のアメリカの暴走の始まった日でもある。憎しみを再生産し続けてはならない。
我らに平和を!
by Schweizer_Musik | 2006-09-11 22:28 | 日々の出来事
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