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追悼!名指揮者アルミン・ジョルダン
アルミン・ジョルダンが亡くなったと、教えて頂いた。急いでネットで検索した。ショックだった。スイス・ロマンド管弦楽団を退いてから9年あまり。ファビオ・ルイジ、ピンカス・スタインバークとあとを継いで、今はマレク・ヤノフスキがそのオケを率いている。
私は、ジョルダンの評価が低いのに不満であった。どうして彼のモーツァルトがあんなに少ないのか!どうしてマーラーの第9などの録音がないのか?ライブで聞かせたベートーヴェンの凄い名演があるのに、何故CDがないのか?私にはわからないことばかりだった。ハイドンで聞かせた颯爽とした演奏は魅力一杯であった。

彼の指揮をはじめて聞いたのは、グッリと共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲だった。グッリのヴァイオリンも素晴らしいものであったが、共演のオケに私は驚いた。何としなやかで快活で、颯爽としているのだろうか!私にとって今もアルチュール・グリュミオーの名盤に唯一匹敵する名演がこれである。マリア・ジョアオ・ピリスと共演したモーツァルトのコンチェルトもあったが、これは借りてきた猫のようで、私は面白くなかった。もっと凄い指揮者なのにと思っていた。
その後、エラートから続々と出されるラヴェルの演奏に心躍らせたことも書いておかなくては…。
私が最も好きなラヴェルのオペラの録音はジョルダンとバーゼル交響楽団によって行われたものだった。全てCDになっているのか知らないけれど、ジョルダンのラヴェルは格別の味わいがあった。軽妙さ!と緻密さ、そしてほどよい情感が高度にバランスしたその解釈は抜群の相性の良さを示していた。
ジョルダンはシューベルトのミサ曲やシューマンの「楽園とペリ」などというちょっとマイナーな作品にも光をあててくれた。ハイドンの「天地創造」も素晴らしい録音だった。あんなに良いハイドンをやっているのだから、ロンドン・セットくらい残して欲しかった。いやあまり名演のないパリ・セットだったら嬉しかったなぁと思ったりする。今となっては無い物ねだりでしかないのだが。
ホルスト・シュタインが退いたスイス・ロマンド管弦楽団のシェフについた時のジョルダンは、アンセルメ時代の栄光を取り戻す旗手として大いに期待された。そしてそれに彼は応えた。少なくとも私はジョルダンとスイス・ロマンド管弦楽団の十年は短かったとは言え、充実した十年だったと考えている。
スイス・ロマンド管弦楽団の指揮者は、誰もがアンセルメと比べられるという運命を持っていた。スイス・ロマンド管弦楽団の海外公演においては、必ずアンセルメのレパートリーが入れられる。それはおそらくはプロモーターの強力な要請によるものだと思う。先般、ファビオ・ルイジと来日した時の評価もそうしたものだった。アンセルメと比べてどうのこうのと言うこと自体が限りなく愚かなことであるのは、言を待たない。そうした評価は根本から間違っている。アンセルメはアンセルメであってジョルダンでもルイジでもないのだ。比べられないから芸術なのに、比べたがる無能な評論家が多くて困ったものだ。プロモーターもまた聴衆も、スイス・ロマンド管弦楽団にアンセルメを求めてはならない。チェコ・フィルにドヴォルザークの完璧な演奏を要求し続けるようなものだ。本場物なんてものは確かにどこかにはあるのかも知れないけれど、そんなものを求めて、本当の輝きを見逃してはならない。

アルミン・ジョルダンは1932年4月にルツェルンで生まれた。ルツェルンはドイツ語圏であり、多くの人たちが勝手に思いこんでいるフランス語圏ではない。また、幅広いレパートリーの中心にあったのはワーグナーの楽劇やイタリア・オペラの数々、あるいはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」などの歌劇だった。
1985年にジュネーヴで行われた「コシ・ファン・トゥッテ」の公演では、あまりに多くの人が押し寄せたために3000人収容のスケートリンクで公演が行われるということまで起こった。
スイスでは、彼はスター指揮者だった。
去る9月15日、ジョルダンとも縁の深いバーゼルの劇場で「3つのオレンジへの恋」の公演の最中に倒れ、病院に運ばれたが、19日に永眠。七十四才だった。
まだ聞かせて欲しいものが一杯あった。でもそれもかなわぬままとなってしまった。合掌…
by Schweizer_Musik | 2006-09-25 10:32 | 音楽時事
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