楽譜を眺めながらしみじみ思ったこと
今年はじめての学校、授業の一日であった。朝9時半からはじまり、結局19時半まで息つく暇もなく授業である。そんな多忙な一日ではあったが、朝出がけにちょっとスコアをチェックしていて思ったことを書いてみたい。

昔、チェコのヴァイオリニストに弾いてもらった時のことである。彼は、初めての合わせでミスを繰り返し、明らかに練習不足で来てしまっていた。私はどう言うこともできず、楽譜のミスを見つけて直す程度の合わせになった。
その時の楽曲は、もともと子供の書いた作品のアレンジ譜で、子供自身がパート譜もおこしたこともあり、ミスが多かったし、私もボウイングについて書き足しただけで、あとは合わせでと思っていた。私の判断としては、それで充分わかってもらえる程度の簡単な作品だった。
しかし、彼は合わせにきちんとした譜読みをしてこなかっただけでなく、悲しいほど初見がきかなかった。(ホント、情けない話だが、こんな演奏家って結構いるのだ)
弾けていないダブル・ストップなど、楽譜にあるのだから本番までに当然仕上げてくると思い、何も言わなかった。(私も若かった…、まだ人を信じていたのだ)
しかし、本番の前のゲネプロでも彼は弾けていなかった。書いてあった表情記号もいくつかすっ飛ばしてしまったし、当然やるであろう音楽表現(楽譜にはないが、フレーズを作る上でだれもが当然やるもの(と私はその時まで信じていた)もなく、譜読みをようようした程度の演奏で、作った子供に申し訳のない酷い演奏をしたのだった。で、私は彼にちゃんと演奏するよう要求したのだが「合わせで何も言わなかったではないか」とやり返されてしまった。そんな…。まさに絶句!
この人は、プロの某交響楽団のコンサート・マスターなのだ。私の知る福富氏などのコンマスとはえらい違いである。
やっつけ仕事で人の音楽にあたるこの大馬鹿野郎を私は許すことが出来なかったが、ともかく信じた私が馬鹿だった。生徒には誠に申し訳ないことをしてしまったが、私には良い勉強だった。
それ以来、私はリハで弾けてなかったら、弾けてないことを言うことにしている。それだけでなく、楽譜を読み違えの出来ないものを目指して書くようにした。
以前、N島くんに「書きすぎた私の楽譜は読みにくいばかりで、あれでは誰も買わない…」みたいに言われてしまった。丁寧に作品に当たってくれる彼のような誠実な人間ばかりならいいのだが、残念ながらそうではない。そのことを身をもって知っている私としては、やはり間違えようのない楽譜を書くことしかないのだろう。

昔、現代音楽の記譜法というタイトルだったか、そういう本があったが、その中でいくつかの新しい記譜法の試みが紹介されていた。何とか楽譜を完全なものにしようという執念のようなものに思われた。その「楽譜」を1音たりとも読めなかった私は、五線がこれだけ普及してしまった現代において、新しい記譜法の開発などというのは、世界言語としてエスペラント語を普及しようとすることと同じ試みのように思えてくる。それに邁進することは、悲しい道化と化してしまうことと同義に思われるのだが…。

ともかく、不完全な五線で、更に実際書いてない表現をお願いするのは、(私が立ち会えない場合など)楽譜だけでその音楽を知る人たちに間違いがおこる元となるのではないだろうか。
楽譜はあまりに不完全で伝達能力に乏しいものだ。だから、書けるものはなるべく書くことも必要なのではないぶろうか。バッハは出版され、自分の音楽が見ず知らずの他人によって演奏されるなんて思っていなかったから、表情記号などの表現に関わる楽譜があんなにいい加減だったのだと聞いたことがある。ベートーヴェン以降の時代の作曲家たちは、後の人たちが自作を演奏する、あるいは自分を知らない人が自作を演奏することを知っていた。だからここに大きな差が出来たと言って良い。
ベートーヴェンの書いた楽譜でアクセントを無視したり、スタッカートを無視したりすることは、当然厳禁であろう。必ず意図したものがあるのだ。それをすっ飛ばすような輩はベートーヴェンを演奏してはならない。

意図しない表現が一人歩きすることを防止するのも作曲家の務めである。
私はこの程度の表現など書かなくてもわかってくれるはずという、人を信じることができない。無能な演奏家はそれでも私の書いた表情記号を読み飛ばし、アクセントを忘れ、スタッカートを見落としてくれる。酷い時にはテンポ記号も(あれを見落とすのは意図的としか私には思えない)見落として、「弾けない」と喚き散らされる。やんわり、こんテンポなのですけどと恐る恐る言うと「ああ見てなかったわ、ごめんな」と言われたこともある。
ここまで酷いのは、まぁ滅多にないのだが、それでもこれは全て私が体験したことなのだ。

書きすぎであろうがなかろうが、私はやっぱり間違えようの無い楽譜を書き続けるしかなさそうだ。そんな私の曲など読みにくいから演奏したくないと言われるならば仕方がない。誤解されるよりも演奏されない方がずっとましだ。私は演奏家から誤解されることは畏れてはいない、聴衆から誤解されることの方がずっと怖いのだ…。演奏家はミスをすれば恥をかく。でも作曲家は誤解されるのだ。
みなさんはどちらが良いですか?

今朝、自分の書いたスコアを眺めながらしみじみ思ったことである。
by Schweizer_Musik | 2007-01-12 21:39 | 日々の出来事
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