ラフの歌曲集から「ローレライ」の聞き比べ
ラフの歌曲を集めたものを購入した。ずいぶん前にレコ芸の海外盤の紹介で目にして購入したものだ。
フォーゲルなど、詩人としては比較的マイナーな人が多いようで、知らない詩人も多くいたが、ゲーテやアンヒェンドルフ、ハイネのようにシューマンをはじめてするロマン派の大作曲家たちが歌曲にしているものも多くあり、大変面白く聞いた。
最近、スイスの作曲家ヨアヒム・ラフの新譜が出てくるようになった。うれしい限りだ。私もラフの歌曲をまとめて聞ける時代が来ようとは思ってもみなかった。
カヴァティーナだけが有名で、サロン風の小曲を作った作曲家で、音楽院の院長として有名だっただけである。せいぜい第五番の交響曲が稀に取り上げられる程度で、その終楽章の行進曲だけが、またしてもブラス・バンドなどにアレンジされて聞かれる程度であった。
ラフは、ロマン派の中でも特異な位置を占める大作曲家でありながら、メンデルスゾーンやリストの影響下にある二流の作曲家扱いされてきたのだ。それがちょっと変わりつつある。マルコ・ポーロ・レーベルがその口火を切ってくれたのだが、その交響曲全集は画期的だった。おかげでテューダー・レーベルで停滞していた交響曲全集のプロジェクトが動き始め、cpoなどのレーベルでもラフの録音が始まった。もちろん、メジャー・レーベルはそうした危ない橋はわたれないようで、未だにモーツァルトやベートーヴェンを録音しているが・・・(嗤)
話を戻して、そのラフの歌曲を集めた一枚だが、中でもその「ローレライ」(最近同名の映画が有名だが、もちろん何の関係もない)が気に入ったので、その聞き比べをしてみた。

ハイネの詩による「ローレライ」の聞き比べ
まず、クララ・シューマンのローレライはロマンの味わいは濃く、なかなかの聞き物であるものの、やや素朴でスケールが小さい。歌っているのがラン・ラオというソプラノだがアルテ・ノヴァの廉価盤はクララ・シューマンの作品の紹介の域を出ておらず、聞き比べをするとちょっと物足りない。(ARTE NOVA/BVCC-6046)
夫、ロベルト・シューマンのはロマンスとバラードの第3集の第2曲だ。大変短い小曲だが、さすがにロベルトは深い印象を残す。歌曲全集で聞いたのだが、フィッシャー=ディースカウの歌は完璧だ。
リストのローレライはピアノ伴奏のものと管弦楽伴奏のものがある。管弦楽はラフが施したのではないだろうか。詳しくはしらないが、ラフのオーケストレーションに近いものを感じる。
聞き比べでまず、ピアノ伴奏版を聞いた。歌はシューマンに続いてフィッシャー=ディースカウであるが、完璧である。1841年の作品ながら、冒頭がワーグナーのトリスタンを予告するかのような開始で、実に面白い。序奏がそうしたゆったりとした幻想的な楽想で彩られ、やがて大河の流れがゆったりとそれでもある速度をもって動きが加わる。やがて転調を繰り返し、音楽が盛り上がり、ローレライの伝説が語られていく。バラードとして実にスケールが大きい。(Grammophn/POCG-9084〜86)
オーケストラ版は、イロナ・トコディ(sop),アンドラーシュ・コロディ指揮ハンガリー国立管弦楽団で聞いた。(HUNGAROTON/HCD 12105-2)
ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」の第一幕への前奏曲に本当に似ている。あそこまでの調性崩壊はここでは起こしていないが・・・。イロナ・トコディの歌はすばらしい。オケも大変丁寧な仕上がりで、私は最高の演奏の一つと考えている。
フランツ・リストはこの曲を二度にわたってピアノ独奏曲に作り替えているが、1856年の前、1841年に書かれたときには、印象的な助走はなかったことが1843年の編曲でわかる。
そして、ラフの歌曲「ローレライ」である。リスト同様に冒頭はゆったりと始まるが、幻想的というより、重厚で悲壮感にあふれている。とらえているところが違うのだ。そして流れが穏やかに動き始め、水面がきらめき惑わせるほどの美しいメロディーがソプラノによって歌われる。このあたりから音楽はどんどんと盛り上がり、クライマックスに向かっていく。エピローグの穏やかさの中に深い悲しみを忍ばせたところが、いかにもラフらしい。
アンドレア・メラートのメゾ・ソプラノは声にやや癖があり、好悪が分かれるだろうが、スケール感は十分にある。(HUNGAROTON/HCD 32256)
by Schweizer_Musik | 2005-02-05 17:11 | CD試聴記
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