ラフの交響曲第7番「アルプスにて」 シュタドルマイヤー指揮 *****(特薦)
ハンス・シュタドルマイヤー指揮バンベルク交響楽団によるラフの交響曲 第7番 変ロ長調「アルプスにて」Op.123 (1878)の録音は2001年12月に行われている。比較的最近である。実は、80年代にすでに途中までこのラフの交響曲全集のプロジェクトは進んでいたが、90年代になって中断していた。
これが再開したのはマルコ・ポーロ・レーベルが先に全集を出して、売れ行きが好調でナクソスに移して廉価販売をするに至り、チューダーでもいけると判断したためであろう。これほどの大作曲家を無視しすぎだったのではないだろうか。80年代はじめにマティアス・バーメルトの指揮する第5番の交響曲「レノーレむが出ただけで、長く「カヴァティーナ」以外は録音すらされなかったのだから。
苦学して登り詰めた作曲家に対する偏見ではないだろうか。やはりみんなモーツァルトみたいな天才がお好みなのだろうか?
サロン音楽になった「カヴァティーナ」が売れすぎたことも災いした。シリアスな作品を書いている作曲家というより、サロン音楽の作曲家という間違った印象を持つに至ったせいだ。
我が国ではこの偏見が大変根強いため、ラフは全く二流扱いをうけてしまった。だから、11曲ある交響曲や、史上はじめてシンフォニエッタというジャンルで管楽器のよる小さな交響曲を書いたラフ、あるいはピアノ協奏曲のジャンルで「春へのオード」というリストの形式を借りて、メンデルスゾーンやシューマンの様式を発展させ、古典のバッハなどのスタイルを取り入れていったラフをあまりに過小評価しすぎてしまったことだろう。
交響曲第7番は1878年に書かれている。実際にラフはリストのもとを飛び出して独立した1856年から亡くなる1882年までの25年あまりがその活動期間だった。すでに30代半ばに達していたラフは、その初期の作品からすでに円熟した手腕を発揮していた。ただ第1番の交響曲だけが、力が入りすぎてどうも冗長になってしまっているが、それも演奏でカバーできないことはないはずだ。
第7番は晩年のスタイルを持っていて、対位法的な書法に傾いている。第1楽章「高い山を歩く」の主部ではバッハかと思うほど、ポリフォニックな発展が聞かれる。もちろん、こうした展開例はベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンにもあるし、ブラームスも大変得意としていたが・・・。第2楽章「山小屋にて」とあるが、緩徐楽章というより比較的動きのある楽想が多く、スケルツォ的な役割を持っている。Andante Quasi Allegroという標語を持つ。木管楽器の扱いがとても面白く、メンデルスゾーンの影響を完全に抜け出して独自の世界を持っていると言えよう。第3楽章はLarghettoで、「湖にて」というタイトルを持つ。
スイスは湖水が多い。氷河が削り取った後に出来た湖で、スイスの湖水のほとんどがそれである。その悉くが美しい水をたたえ、幽玄な風景を醸し出している。こうした風景を幻想的に描いたこの楽章は、聞く者に深い感銘を残す。
第4楽章は「スイスの祭の日」というタイトルを持ちAllegroのキビキビとした楽想が印象的だ。木管だけで開始し、控えめに弦がピチカートで伴奏をつけていくあたりは、以前には無かったスタイルだ。もちろん近代の音楽ならざらにあるが。チャイコフスキーのように民族的な舞曲になることなく、あくまでラフは絶対音楽としての範囲にあるが、この頃すでにスイスではハンス・フーバーなどのスイス国民楽派の流れの前触れが出始めていたのだ。
ハンス・シュタドルマイヤー指揮バンベルク交響楽団の演奏は、マルコ・ポーロのウルス・シュナイダー指揮スロヴァキア国立フィルハーモニー管弦楽団とは比べ物にならないほど素晴らしい。やっと、聞ける演奏になったというべきか。ウルス・シュナイダーの演奏は、元気があり、生き生きとしている点は高く評価できるが、何と言ってもオーケストラが上手くない。バンベルク交響楽団と比べると、大きな差があるのは否めない。主部に入ってからのテンポが流れず、それぞれの性格を描き分けることもできない。(これは指揮のせいだ)
シュタドルマイヤーはリズムの弾みがあり、よく歌う。流れが良いのでテンポの変化で重くなったりしない。シュナイダーはトゥッティになると重くなってしまい、聞いていて疲れる。なじみのない作品を丁寧に紹介してくれたことに感謝するが、良い演奏とは言えない。
余白には狂詩曲「夕暮れ」Op.163b (1871年ピアノ組曲第6番の第5曲/1874年作曲者編曲)と、ラフが編曲したJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV.1004 〜 シャコンヌが入っている。
狂詩曲「夕暮れ」は、私はフランチェスコ・ダヴァロス指揮フィルハーモニア管の演奏(右下のライフログでリンクしている)を持っているが、どちらも素晴らしい演奏である。ダヴァロスのロマンチックでありながら脂っこくないサラリと歌い上げる演奏に対して、シュタドルマイヤーはより北国育ちらしい長いブレスで幻想的に夕暮れを描いて行く。これはアルプスの峰を紅く染めていくアーベント・ロートの風景だと思わせる。シュタドルマイヤーの方に一日の長があると私は思う。
バッハのシャコンヌは、あの有名作品を管楽器も使っての編曲。冒頭が木管群によって軽く軽く演奏される様は、無伴奏のヴァイオリンがその限りを尽くして、劇的に始まるそれと全く違うので、驚く人もいよう。斎藤秀雄の編曲(小澤征爾指揮サイトウキネンで名演がある)などの弦を中心としたアレンジとは全く違うものであるが、この時代にバッハのこのような曲をオーケストラにアレンジしていたという事実だけでも、驚かされる。
シュタドルマイヤーの指揮するバンベルク交響楽団の演奏は、全く持って素晴らしいの一言である。このように素晴らしい演奏があるというだけで、ヨアヒム・ラフの復活の日は近いのではないだろうか。亡くなって120年あまり経って、やっとこの作曲家が正当に評価されようとしている。良いことだと思う。

TUDOR/7117
by Schweizer_Musik | 2005-02-06 10:35 | CD試聴記
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