ヤルヴィの指揮で聞くストラヴィンスキーの3楽章の交響曲他 ***(注目)
3楽章の交響曲 は、ヤルヴィ渾身の名演だ。スイス・ロマンド管弦楽団も良いアンサンブルでこの作品の理想的な演奏を繰り広げている。1993年6月30日から7月2日にかけてジュネーヴ、ヴィクトリア・ホールで録音されたという。
第一楽章の冒頭のトゥッティは、どこかオネゲルの交響曲のニヒリズムにも通じているが、すっとそうした面は消え去り、取り澄ました音楽が洒落た和音にのって続いていく。
それがヤルヴィの指揮のもと、見事にまとめ上げられている。これはなかなかの名演である。実はBISに録音したシベリウスの交響曲以外でこのヤルヴィの演奏はあまり感心も感動もしたことがなかっただけに、このストラヴィンスキーは意外な発見だった。
第2楽章はどこかペトルーシュカの世界にも通じる世界を持っている。新古典主義の時代、ちょうど戦争中の作品であるが、この頃隣人であったラフマニノフと、あまり親しくは交わってはいないものの、同じロシア人ということもあって、近所づきあいはあったようだ。
しかし、ラフマニノフとストラヴィンスキー、なんと違った感性を持っていたのだろう。ラフマニノフはロシアそのものを背負ったままハリウッドに住んでいた。そしてストラヴィンスキーもロシアに対する郷愁は持っていたはずであるが、もっとコスモポリタンであった。
この第2楽章を聞く時、私はラフマニノフの甘いメロディーと響きの向こうにあるロシア正教の重厚な聖歌の響きが聞こえるように思われるのだが、ストラヴィンスキーは、そうした精神的な背景はさっぱりしたものだ。
だからヤルヴィに合っているのかも知れない。
第3楽章はどこか「春の祭典」のこだまが聞こえるところが魅力だが、ヤルヴィはこのあたりはやはり若干平板になってしまう。アンセルメなどの方がずっと聴き応えがあるのは、やはりいつものことか?

続いて、ストラヴィンスキーのスイス時代に作られ、戦後になって改訂されたピアノの管弦楽のためのカプリッチオがジェフリー・トーザーのピアノを迎えて録音されている。
この曲にはニキタ・マガロフのピアノ、アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団の決定盤があるが、この演奏もまたなかなかの名演だと思う。
トーザーの冴えたピアノは大変魅力に溢れている。オケとからむところも実に美しい。ただリズムがアンセルメのように弾まない。こうしたところはアンセルメという人は神業のようなリズム感を持っているが、ヤルヴィは機能的な精密さでそれを乗り切っている。
第2楽章はニキタ・マガロフの演奏に一日の長がある。細かな音にも意味を与えるマガロフに対し、トーザーはどうしても平面的で、音楽に奥行きがないのだ。
終楽章は無窮動な動きが面白い楽章だが、ここでもマガロフの演奏の方が面白い。トーザーの演奏は整理されすぎていて、どうしても平面的に聞こえてしまうのだ。

スイス時代のまだ新古典主義やジャズの影響を深くうける前の作品である交響詩「うぐいすの歌」は、私はアンセルメやライナーの名演を持っているので、聞きくらべの対象とした。
第一部の中国の皇帝の宮殿の祭りから中国の行進曲にかけては、もうライナーの超名演の前に、ほとんどアンセルメもヤルヴィも全く存在感がない。ヤルヴィは静かなうぐいすの歌が聞こえはじめると、もう平板極まりなく、退屈な音楽となっている。
第2部の二羽のうぐいすもヤルヴィはやはりいつもの平板な演奏に陥っている。フレーズに何の意味も感じさせないヤルヴィの後アンセルメを聞くと「ホッ」とするが、それでもライナーの指揮するシカゴ交響楽団の優秀さには、スイス・ロマンド管弦楽団もとてもかなわない。良いアンサンブルではあるが・・・。
第3部はー中国の皇帝の病気と回復となっているが、これまた同様だ。ヤルヴィはフレーズの繰り返しを退屈にやってしまう。もっと集中してほしいものだ。アンセルメなどはなかなかにこの部分を変化をつけて演奏している。このCDはあくまで3楽章の交響曲とピアノの管弦楽のためのカプリッチオを聞くためのCDと言って良いだろう。

CHANDOS/CHAN 9238
by Schweizer_Musik | 2005-02-16 15:19 | CD試聴記
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