ブルックナーの思い出
眠くって、一日ダラダラしていた。おかげで何も書くこともなく、呆然とテレビを見て過ごしていたので、みなさんごめんなさい・・・。
さてさて、カラヤンのブルックナーの八番についてのエントリがあり、TBを戴いてつい書き始めたら止まらなくなってしまったので、自分のブログでエントリすることにした。
ブルックナーの第八番はウィーンのシュテファン寺院で聞いたことがある。録音もされていたので、ひょっとしたらCDがでているのかも知れないが、演奏家のことやオケのことはすっかり忘れてしまった。
今から10年ほど前のことだ。
それまでブルックナーは全く自分の理解を超えた存在だった。フェスティバル・ホールで朝比奈隆の指揮する大阪フィルのコンサートで聞いて、熟睡したことがあるが、あれは高校生の頃だった。あの名指揮者のコンサートで唯一寝てしまったコンサートだ。全くわからなかった。今にして思えば、何と自分は馬鹿だったのかと思うが、それがトラウマとなってしまい、色々なブルックナー・ファンの人に講釈を聞くほどに敬遠していった。
何がブルックナーをつまらないと思わせるかと言うと、あの無限とも思われるゼクエンツだ。同じリズム、音程が延々と繰り返されることに、私は音楽的な意味をほとんど理解していなかったのだ。
また、途中でドカッと入るゲネラル・パウゼ・・・。気を失いそうになるのは当然だと思っていた。
で、話をシュテファン寺院に戻す。
あそこで聞いた時、ふとブルックナーは教会のオルガニストであったことを思い出した。いや、色んな本を読んでそのことは知っていた。しかし、彼がオルガニストでその教会でのサウンドを想定して作曲していたことを痛感したのだ。
第8の冒頭。ハ短調という主調から大きく隔たった調性から次第にゼクエンツをもって転調を繰り返し、テーマが提示されていく。その過程は恐ろしく息の長いものなのだが、それはオルガン音楽そのものということを思った。
第3楽章でハープが入り天国の響きのような転調が弦のアンサンブルに出てくる。もちろんブルックナーだから何度も出てくる。その美しさ!それは深い残響を伴い、天上に昇っていく魂のようなイメージを持つ。
終楽章のテーマはオルガン以外では出てこない音楽であろう。ロマン派オルガン音楽と言われても、信じてしまいそうだ。

ブルックナーのような作曲家は他にも数多くいる。フォーレもそうだしフランクもそうだ。フランクの交響曲もブルックナーのようなオルガン作品の肌触りを持っていて、実際にオルガンの編曲されてCDにもなっている。
ブルックナーの交響曲もオルガンで演奏するチャレンジは数多く存在している。しかし、これらのオーケストラ作品をオルガンで演奏したいくつかを聞いてもさっぱりである。やはり、オルガンで発想していても、オルガンを想定して作っていないから、モノクロームなサウンドにされてしまうと、とても持たないようだ。

今は、ブルックナーの音楽を心から愛せるようになったが、シュテファン寺院での体験は(そう立派な演奏ではなかったものの)私には得難い体験であった。
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 18:02 | 原稿書きの合間に
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