ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団の「未完成」
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作曲者 : SCHUBERT, Franz Peter 1797-1828 オーストリア
曲名  : 交響曲 第7(8)番 ロ短調「未完成」D.759 (1822)
演奏者 : カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団
CD番号 : Grammophon/POCG-6008

仕事に入る前にもう一曲。聞いてしまったからには書かなくては!
私は頭が固いのか、悪いのか…どちらもだろうと思うけれど、未だにこの曲は第8番と言われる方がすっきりする。7番は欠番じゃないかと…。これは7番と思われていた曲が、第9番にナンバリングされていた「グレイト」の異名を持つ作品であることがわかり、すでに間違っていることは分かっているのだけれど、やはり長年慣れ親しんだ「名前」と言うのはなかなか変えられるものではない。
この作品をちょっと前にシュナイト指揮神奈川フィルで聞いたけれど、あれは想像を絶する演奏で、私もちょっとついて行きかねるところもあったけれど、スケールのとてつもなく大きな演奏だったことは間違いない。
それはともかく、この作品には数多くの名演がある。古くはブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルのステレオ盤から、アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィル、カール・ベーム指揮ベルリン・フィルのスタジオ録音やヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ、カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルなど枚挙に暇がない。
このカルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団による1978年の録音もそうした名盤の一つとして長く聞かれるべき演奏だと思う。

聞いて印象的なのは、ゆったりと響くバスとよく歌うヴァイオリン・セクションである。テンポも全体として速すぎず遅すぎずというものだが、やはりゆったりとした印象を受ける。フレージングが窮屈でないためにゆったりと聞こえるのだ。
そして時に大きくテンポを落として劇性を高めたり、歌い込みを深くしたり(ブレスを深くとるという意味)する。ドヴォルザークよりもずっと劇的であるのだけれど、奇異に感じたり、作曲家不在の恣意的な演奏に聞こえるところは全くない。
こんなにやっているのに、上辺はいかにも何気ない風で、さざ波程度で静かに音楽は進むのだ。それでいて立体的で深い…。
オケのパートの受け渡しなど実に見事で、第2楽章がこんなに美しい音楽だとは!!知っていたつもりなのに改めて感動してしまった。
ここでも私のリファレンスはクリュイタンスからジュリーニに入れ替わることとなった。クリュイタンスも良かったけれど、円熟と気力と体力の充実したジュリーニは圧倒的だ。
途中でやめることなく、この曲を最後まで聞き、第2楽章をアンコールしてしまった。ああ良い朝である。ホント、そろそろ仕事をしないと…お酒が飲めなくなる…。

写真は郷里の八幡神社のお社と大銀杏の梢である。これが「風の記憶」のインスピレーションのもと。但し、秋の風景で、黄色くなった銀杏が渓谷の反対側を通る道から見上げたものがそれなのだけれど。
大銀杏は銀杏をつけ、秋は私は滅多に近づくことはなかった。何故なら、とても臭う…からだ。
by Schweizer_Musik | 2008-08-05 08:30 | CD試聴記
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