2005年 03月 31日 ( 3 )
スイス・ロマンド管弦楽団の誤解と理解
私もずいぶん書いてきたが、スイス・ロマンド管弦楽団について書かれたもののそのほとんどがアンセルメとこのオケについてである。実はこれがこのオケの不幸の全てではないだろうか。
アンセルメがフランス物とロシア物を得意としたと誤解されているところに、更に不幸がある。彼のデビュー・コンサートのプログラムはベートーヴェンなど、ドイツ物一色だった。そして彼が心から心酔していた指揮者は、アルトゥール・ニキシュであったことも、考慮すべきだ。
しかし、彼の本領はそのキャリアの初期でたたき込まれたバレエの指揮にある。その弾力のあるリズム感はユニークにして全く他の追随を許さない。オケの精緻さは考えたほどではないが、その卓越したバランス感にこそ彼の素晴らしい耳とセンスの良さがある。
ロシア物なども、極めて標準的なというか、平凡な出来である。彼のチャイコフスキーの「悲愴」などは明らかにシンフォニーでなくバレエ音楽になっている。そこに彼の限界も魅力もその全てがあった。
だから、精緻な組み立てによるベートーヴェンやブラームスは合うはずなのに、そこにアンセルメは入らざる解釈をして、無理な動きを加えてしまう。「運命」などは明らかに駄演である。しかし、「田園」はすこぶる美しい。このばらつきがアンセルメのドイツものであろう。
私は、彼のベートーヴェンやブラームスを買わない。あまりに解釈と演奏に開離がある。彼の演奏の美質であるリズムが生きていないからだ。

オケがフランス風というか、アンセルメ風にチューニングされていたと言う話がある。確かにボウイングにそうした傾向が60年代は聞けないわけではない。しかしフランス語圏のスイスであるから、フランス風というのは単純であるが、そう簡単な話ではない。
実際にアンセルメの弟子にはペーター・マークなどもいる(彼はドイツ語圏のザンクトガレンの出身)。
そして、彼の後をうけたのはクレツキ(この名指揮者は早くからスイス国籍を取得し、ベルン交響楽団の指揮者として活躍していた)であった。彼をぜひにと自分の後継者に引き抜いて来たのはアンセルメ自身である。クレツキを指名したこと自体、アンセルメは自身が創設し、育て上げたこのオーケストラをドイツ風の物と考えていたことは、おそらく間違いない。
しかし、クレツキは不幸にも身体を病んでいたため、その任を全うすることができなかった。
そしてサヴァリッシュがその後任に選ばれた。サヴァリッシュが好きか嫌いかと言われると、私はあまり好きではない。しかしドイツ語圏を代表する、大変クレバーな指揮者であることは間違いなく、当時このジュネーヴに住んでいたレッグなどが、契約しようと何度も足を運んだことでも知られている。
六十年代にはサヴァリッシュはマゼールなどと共に、時代に寵児だったのだ。その彼が連れてきたのがヴィンタートゥーアの伝統あるオーケストラ(その前身の団体は1600年代にまで遡ることができるほどだ)のコンサートマスターをしていたペーター・リバールであった。彼はドイツ・ヴァイオリン楽派を体現するチェコ出身のヴァイオリニストで、マルティヌーなどの作品をはじめ、数多くの同時代の作品を初演している。
彼はジュネーヴ音楽院の教授としても活躍。1980年に引退するまで、このフランス語を話すスイスの地で大きな影響を与え続けたのだった。
彼の後を受けたのが、北ドイツ風の質実剛健なホルスト・シュタインだった。しかし、彼らは常にアンセルメの時代のドビュッシーやラヴェル、あるいはストラヴィンスキーやチャイコフスキーといったレパートリーを求められた。そしてそれは、彼らの本領とするレパートリーではなかった。
これが、スイス・ロマンド管弦楽団への第2の誤解のはじまりだった。
そしてこの誤解をとくためにスイス人の指揮者アルミン・ジョルダンが満を持して就任する。就任のコンサートは歴史的な大成功だった。人々は歓喜し、道路に溢れた人々が熱狂して彼を迎えたと言う。冷静なジュネーヴ市民がそこまでの行動に駆り立てたのは、おそらくは彼がスイス人でなく、アンセルメのレパートリーを得意としているということもあったのかも知れないが、彼の美質はモーツァルトやシューマン、ブラームスなどにあった。
さて、多くの人が誤解しているのは、彼はドイツ語圏のルツェルンの生まれであり、母国語はドイツ語である。フランス語ではないのだ。確かにエラートの早くから契約していたため、ラヴェルなどのレパートリーも持っていたが、始めの頃の録音はモーツァルトの協奏曲の共演が中心であったし、イタリアのヴァイオリニスト、フランコ・グッリと共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲などはグリュミオーの演奏と並ぶ世紀の名演だった。ただ多くの人にとっては若いピリスと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の方が親しみがあるかも知れない。そしてこれが第3のスイス・ロマンド管弦楽団への誤解であった。

このアルミン・ジョルダンが連れてきたコンサート・マスターはツィマンスキーという優秀な若手であった。彼はアンセルメのレパートリーを要求する人達の期待に応えた。そしてその上でアンセルメが取り上げなかったマーラーの交響曲や、シューマンの大規模な作品をそのレパートリーに組み込んでいった。完成度は今ひとつでありながも、こうしたレパートリーを加えることで、新たな時代と世代に引き継ごうと彼はしたのだった。
彼は一時体調を崩して、このオーケストラから去ることになったが、今も密接な関係を続けているようだ。
さて、こうした中、イタリア人のファビオ・ルイジがシェフに就任した。折しも、ジュネーヴの州当局のオーケストラへの助成金が大きくカットされ、オーケストラは厳しい運営を迫られていた。ルイジはジュネーヴに居を構え、積極的にオーケストラのアンサンブルを鍛え直した。
彼の功績は大きいと私は高く評価している。その最後の頃にルイジとスイス・ロマンド管弦楽団は来日をする。しかし、日本のアホなプロモーターがアンセルメ時代のレパートリーをまたもや要求し、得意とするレパートリーではなく、本領を発揮できないままに日本公演は好評を得るには至らなかった。これはまだアンセルメの怨念がこのスイス・ロマンド管弦楽団を覆っていることを思い知らされたのだった。
そして、ファビオ・ルイジが去った後には、アメリカからドイツ系のピンカス・スタインバークが就任する。スタインバークの時代、全くスイス・ロマンド管弦楽団は世間の注目を得ることはなかった。
そしてドイツ系のヤノフスキーの就任となったのだ。

ヤノフスキーの退任に当たってのフランス放送フィルハーモニーと作った四枚組のアルバムは、まさに彼がオーケストラ・ビルダーとして、類い希な手腕を持っていることを示している。個性的な解釈とか、アレグレッシブな演奏というのは、彼の世界ではない。私は彼の就任がもう五年早かったらと思わざるを得ない。少なくとも、スタインバークでなくヤノフスキーであったら・・・。

さて、スイス・ロマンド管弦楽団はスイスのオーケストラであって、フランスのオーケストラでは決してないのだ。フランス国境の町のオーケストラではあるが・・・。それならば、バーゼル交響楽団もフランス国境の町のオーケストラだ。このヨーロッパの縮図と言ってもよいスイスだからこそ、こうした誤解が数多く存在するのだろう。
あまりに多い誤解を解いて、素直を音楽を聞いて評価していきたいものだ。フランス風とか、アンセルメ風などというよくわからないフィルターを通して見るのではなく、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語という4つの言語を持つ、ヨーロッパの分水嶺に位置する国、それだからこそ永世中立を選ばざるを得なかった不毛の国、スイスの、独特の文化を持つ国の音楽文化として、味わうことが大切だと私は考える。
by Schweizer_Musik | 2005-03-31 23:55 | 音楽時事
コンサート・マスター
c0042908_11521710.jpgコンマスについて、おかかダイヤリーで興味深い記事があった。知り合いのコンマスとしては、名古屋フィルの日比浩一氏や神戸フィルの福富博文氏などが思い浮かぶ。他に矢部達哉さんも少しだけ知っている程度。日本のオケに来ている何人かの外国人コンマスも知ってはいるが、深くつき合ったことはない。今ひとつ上手いという印象がないが、日比さんや福富さん、それに言うまでもないが矢部さんは私の会ったヴァイオリニストの中でもとてもとても上手い奏者たちだった。
よく誤解されていることだが、コンサート・マスターとはそれぞれの楽団によって立場がそれぞれに違うのは言うまでもない。多くの場合、彼らは団員ではなく、指揮者と共にあちこちのオーケストラを渡り歩く。一年契約でそのオケの要である第1ヴァイオリンのトップに座り、アンサンブルの中心となり、演奏を成功に導くための様々な業務を行う。
例えば、指揮者と楽員の間に立って考えなどを取り持つとか、アインザッツの明確でない指揮者をそれと知られずフォローをしたり、落ちてしまった奏者に指示したり(笑)と様々な仕事が彼を待っているものだ。
パート譜にボウイングの指示をしたりするのも、指揮者の意見を尊重しながらも基本的に彼の仕事となることが一般的だ。
したがって、コンマスのギャラは、他の楽員たちとは全く違うのが普通だ。当然、後ろの方に座っているいわゆるトゥッティと言われる奏者たちとは、ギャラも一桁以上違うことがある。ただ、上手い下手というのと違う。トゥッティといわれる奏者と、ソロをとることもあるコンマス、あるいはそれほどではなくともソロが回ってくることがある首席奏者とは、必要とする技量が違っているというのが正しい。ギャラはその対価である。
指揮者によって、このコンマスを連れて回る人もいる位で、良いコンマスとなら、私のようにヘボな指揮しかできない者でも、なんとかボロをださない程度にはなる。まぁ、「春の祭典」みたいな曲を振れと言われれば、どんなコンマスがついてくれてもご遠慮申し上げるしかないが・・・(笑)

先日、チューリッヒ交響楽団のリハーサルとコンサートでコンサート・マスターに座っていたのはツィマンスキーという人で、彼はチューリッヒ音楽院でヴァイオリンを教えながらこのオケのコンサート・マスターとしてレギュラーで出演していると言う。彼はかつてスイス・ロマンド管弦楽団のコンマスで、チューリッヒ音楽院の先生になるというので、スイス・ロマンド管弦楽団を辞め、チューリッヒに引っ越してきたところでこのオーケストラのコンマスになったという。
彼は派手な音ではないが、実に上手かった。リハーサルはメンデルスゾーンの交響曲第1番だった。通しのリハだったので、そう細かく聞いていたわけでも無い(写真を一生懸命撮っていたので)が、アンサンブルの要として大きな身振りをするわけでもなく、全く完璧な仕事をしていたのはさすがだと思ったものだ。
彼は、アルミン・ジョルダン時代のスイス・ロマンド管弦楽団のコンマスとして数々の録音に名を連ねている。すぐに手に入るものとしてはマーラーの第4番(アルミン・ジョルダン指揮ERATO)があるので興味のある方はどうぞ。
室内楽なども彼は上手いのだろう。日比さんや福富さん、あるいは矢部さんも室内楽がとても上手い。ソリストとしても完璧だ。
こうした仕事をするコンマスが、オケと指揮者にかみついている。彼らの演奏としてはバルトークのオケコンなどを持っている。そう悪い演奏ではなかったと思うが、今日、聞き返してみることとしよう。
上の写真は、チューリッヒ郊外のゲマインデ・ハウス(日本語に無理矢理訳すとしたら地域の公民館)で行われたシュヴァイツァーの指揮するチューリッヒ交響楽団のリハーサル。指揮者の右側に名コンマスのツィマンスキー氏が写っている。
by Schweizer_Musik | 2005-03-31 11:42 | 音楽時事
春の便り
c0042908_9252954.jpg散歩に出たら、春の便りがあちらこちらにあった。三月はじめ、私が講師をしている学校の近くの公園で、早咲きの寒桜が見頃だった。
スイスに出かけた日、スイスは吹雪だった。降り続く雪の中、車の中からチューリッヒの駅を見たとき、何だか涙が出そうになってしまった。懐かしさのあまりである。
その後、シュヴァイツァー氏のお宅について、私のささやかなスイス滞在が始まったのだが、その翌日からスイスに春が来たのだった。
私の今回の滞在は最初の日が冬で、翌日が春だった。
その後、春のスイスは劇的な変化を遂げていった。雪が溶けて地面が見えてくると雪割草が一面に咲き誇り、雪一面だった斜面に緑が一気に広がっていく。コートを着て歩いていた前日の冬の日から、次第に軽装となっていく町歩きは、一層愉しいものとなっていたが、何しろコートを着て歩いていた女性が、いきなりノースリーブになるのだからその劇的変化がわかっていただけるのではないだろうか。
毎日の列車から見る車窓に、凍結していた池があったのだが、それがスイスを去る日には氷も融けて、緑の水面を映していた。
帰って来るともう桜の便りが聞けると思っていたが、どうも今年は遅いようだ。今日やっと横浜で桜が咲いたと言うので、近くの桜はまだ咲いていない。最もちょっと日陰になっているので、その我が家の「桜の名所」は他よりも遅いのだが。
でも、紅梅はもう終わり、梅はもう桜にその花の季節を譲ろうとしている。暖かいよく晴れた朝。桜の便りが待ち遠しいばかりだ。
by Schweizer_Musik | 2005-03-31 09:23 | 日々の出来事