2005年 04月 07日 ( 3 )
ちょっと出かけて帰ったところ
c0042908_23395499.jpg少し出ていたので、用事が片づかず帰ってからもバタバタしている。
夕食はそれでもラクレット。この所三日に一回くらいラクレットをしている。以前に購入したチーズは終わってしまったが、この前スイスから輸入したチーズが残っているため、それを夕食にというわけだ。
ボージョレー・ヌーボーもそろそろ飲んでしまわないとというところだが、近くの酒屋で安く出ていたのでまたしても買ってきてしまった。ハーフ・サイズだがなんと350円。これでは安すぎる・・・。かつてのあの2000円などの強気の値段は一体何だったんだ?かなり強気で輸入したが、あまり売れなかったとも聞くので、そのせいか?まぁ、我々のような低所得者にとっては、安いに越したことはないので、ありがたい話だが。
c0042908_23402511.jpgかける時にカメラを持ってでる。デジカメの手軽さはありがたい。現像してそれをスキャナーで取り込んで・・・なんていうのは、考えても面倒くさいが、よくやっていたものだ。それにかかるお金が全く違う。まぁ、クォリティにはまだまだ言いたいことがあるし、私のようにコンパクトのカメラ一台で全てをやってしまうような輩には、もっとクォリティが高いといいのにと思うが、それならば一眼レフを買えばよろしいと、突っ込みが入ることは必定だろう。
しかし、出歩いていて、色々と春を見つけてパチパチと撮って来た。途中の自動車学校で見かけた桜の木はもう満開だった。このところの暖かさが原因か?しかし日陰にあたる丘の斜面では、まだまだ桜のつぼみはほころんでいなかった。あそこは毎年北海道の中頃まで桜前線が進んでやっと咲くのだから、当然と言えば当然なのだが。
c0042908_23411194.jpg今、テレビでシェルヘンのリハーサルがやっていた。曲はなんとベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」。実務的なリハーサルかと想像していたものとは違い、色々としゃべりまくるリハーサルだった。もっと短くできるだろうにと思った。きっとテレビのカメラを意識していたのでは?
ラクレットと一緒に飲んだワインが効いてきたので、そろそろ寝よう。明日は色々と連絡をしなくては・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-04-07 23:41 | 日々の出来事
アダムス作品集 ****(推薦)
c0042908_1511474.jpgミニマル・ミュージックは、現代の音楽に大きな影響を与えた。小さなフレーズを延々と繰り返すことで得られる効果は絶大で、1960年代にテリー・ライリーやフィリップ・グラス、あるいは名高いスティーヴ・ライヒによって始められ、私が大学で作曲を学んでいた1970年代にやや袋小路に迷い込んでいた前衛音楽に対して大きなインパクトを与えた。
マンフレッド・アイヒャーというECMの名プロデューサーによって世に出されたスティーヴ・ライヒの18人の音楽家のための音楽は、強烈な印象を与えた。私はこのレコードを買ってから一年ほど、このミニマル・ミュージックにのめり込んだ。
18人の音楽家のための音楽は、すでに古典となり、他にもいくつか録音が出てきているし、実演でも比較的よくやられるようだ。こんな時代が来るとは信じられないが、80年代になって現れたアメリカのジョン・アダムスなどのミニマル第2世代の活躍によって、今日があるのではないだろうか。
このCDはそうしたアダムスの1980年代の作品を中心にマリン・オールソップ指揮ボーンマス交響楽団が演奏したものである。ナクソスから出た、極めて興味深い一枚だ。
心惹かれるのは「包帯係 "The Wound Dresser" (1988)」だ。ネイサン・ガンのバリトン独唱によるこの声楽作品は、ミニマル的手法を使いながら、古典的なサウンドをもたらしている。詩人ホイットマンが自らの戦争における看護体験を綴ったという詩をアダムスは静かな哀しみをもって表現している。ガンの独唱は、作品の核心に迫るというほどのものではないが、うまくまとめている。オーケストラは見事。マリン・オールソップという指揮者は大変有能だと思われる。最近、彼女のバーバーの管弦楽作品のCDを買ったが、それも良かった。
続いて「悲歌的子守歌 "Berceuse elegiaque" (1991)」に心奪われた。こうしたゆったりしたミニマルな作品というのは少ない。実は私がかつて作った電子音楽でのミニマル・ミュージックもまたAllegroだった。ゆったりとした曲が少ないから、それを作りたいと思い、いくつかテーマとなるフレーズを作ったものの、やっているうちに空中分解してしまったものだ。
さて、アダムスのこの作品は、学生時代の私が夢見ていたものだ。ああなんて上手いのだろう。そうか!切々とした哀しみというよりも、静的でそれでいて大きな感情の起伏がよく表現されている。退屈な作品などと心配する必要はない。
この2曲、アダムスらしくない2曲だったが、他はよく知られた彼の特徴を体現した作品だ。アルバムの一曲目の「ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシン "Short Ride in a Fast Machine" (1986)」はたった四分あまりのミニマルな作品としては短いが、効果的なフレーズの組み合わせで面白いし、「シェイカー・ループス "Shaker Loops" (1978/1983改訂) 」はまだスティーヴ・ライヒなどの影響下にあったアダムスの出発点を知ることのできる初期の傑作だ。
マリン・オールソップ指揮ボーンマス交響楽団の演奏には、全く不満を感じない。素晴らしい集中力と精密なアンサンブルでこの困難な作品をよく音化している。普通のメロディーやハーモニーを演奏するのとは全く違う、困難がこれらの録音ではあったはずであるが、よくそれらを克服している。見事だ。
こうした第2世代の中にエストニアの作曲家アルヴォ・ペルトの「カントゥス(ブリテンを追憶に)」などの名曲があるのだろう。この曲は最近ポケット・スコアが出ている。

アダムス作品集/NAXOS/8.559031
by Schweizer_Musik | 2005-04-07 15:11 | CD試聴記
マーラー/交響曲 第9番 他/ツェンダー指揮 *****(特薦)
c0042908_13582689.jpg色々授業で使う音源を探していて、この録音を引っ張り出して聞いてみて、驚いた。こんなに衝撃的なマーラーの第9の演奏さて果たしてあったかしら・・・。
こういうスコアの読み方があるのだと知る。冒頭から響きを磨こうなんて考えていない。スコアに書かれた音をそのまま音にして「何か文句あるか」と言われているようだ。説得力は抜群だ。このスコアに記された二十世紀が息づいている。不協和は不協和に提起されたそれは、現代の音楽そのものだ。
第1楽章はブルーノ・ワルターのウィーン・フィル盤やバルビローリとベルリン・フィル盤と同じ、速めのテンポで進めるのだが、彼らの情緒的な解釈に比べるとツェンダーは情け容赦がない。感情がないとかそういう問題ではない。不条理を不条理のままに提示してくる強さこそがツェンダーの演奏の特徴ではないだろうか。
1977年の2月の録音。どうもレコーディング・セッションのようだが、 たった二日間で録音されている。バーンスタインの全集は当時あった。私も大阪の今はなくなってしまったが、ワルツ堂の中古でバーンスタインのマーラーをせっせと買って、聞き込んでいったものだ。そのバーンスタインがヨーロッパでもマーラーを頻繁にとりあげ、マーラーがブームとなっていった時代のツェンダーの録音だ。バーンスタインなどの録音と解釈の基本がこれほど違うのは珍しい。想像するにブーレーズあたりが近いかと思ったが、全く違う。ブーレーズとシカゴ交響楽団のグラモフォン盤は、バーンスタインなどの録音から情緒を取り除いただけの、空虚な演奏にしか私には聞こえなかった。どうもブーレーズと私は相性が悪いらしいので、お好きな方、気になさらないで・・・。本当は絶対に相性がいいはずで、彼のような指揮者が一番になるはずなのに・・・である。どれを聞いても好きになれないのだが、この理由についてはいつかまた考えてみたい。
このツェンダー盤を聞き、つい聞き返したのはそのブーレーズだったが、彼はとびきり上手いオケをとびきりの指揮で演奏していたが、ツェンダーの解釈とは土台が全く違うのだ。時々よく似たバランスは聞くのだが、アーティキュレーションはツェンダーの方がはるかに挑発的で、フレーズのまとめ方は明らかに聞く者の精神を逆なでするところがある。しかし私にはこの演奏がものすごく魅力的だ。スコアを見ながら、じっくり聞いてみた。

第1楽章。冒頭のアーティキュレーションをこれほど正確に演奏されたことはなかった。確かにテヌートとスタッカートがついている。初演者のワルターも実はこれを正確に演奏することを要求している。ショルティ盤はピアニッシモを意識するあまりこのアーティキュレーションを際だたせていない。名演とされるバルビローリ盤はこの冒頭はやや不明確で、更に続くホルンのゲシュトップが効いていない。彼によればロマン派後期の音楽なのだ。それは決して間違っていないが、私は二十世紀の音楽としてマーラーのこの第九と未完成の第10をとらえている。第10番は明確にシェーンベルクなどが背景に透けて見えている。ワルターはその意味でこの音楽をロマン派の音楽でなく、あるがままに受け止めていると思う。彼は全てを不明確に演奏したりしていない。
しかし、ツェンダーは更に過激だ。第一主題の歌わせ方を聞いて、その冷徹な演奏に驚かない人はいないだろう。これではショスタコーヴィチではないかと私は最初思った。しかし、その後聞き進む内に、この演奏に縛られ離れられなくなっていった。なんという凄い演奏なんだ!
感傷というものを徹底的に排除し、厳しいカンタービレを持ち込むのがツェンダーの意図ではないのか。そしてそれによってマーラーのこの音楽に込めた深い厭世観や絶望感、あるいは生きようという生への渇望が浮き彫りになっていく。極めて逆説的な演奏。したがって交響的な意味で、音楽は大変充実した響きに満ちている。ザール・ブリュッケン放送交響楽団の全力での演奏は実に心地よい。
今日、朝から三度この演奏を聞いてわかったことはこのことだった。
ソリスティックな部分では、奏者の音にもう少し魅力があればと思うところもあった。

第2楽章。この音楽は公園であちこちから別の音楽が流れてきて、それらが不思議な調和を聞かせるような面白さがあるが、ツェンダーの演奏はそのことを思い出させてくれる。刺激的でこの音楽を書くマーラーって後期ロマン派として考えるのはかなり無理があるのではないだろうか。調性もすでにかなり拡大解釈されている。その先進性を蘇らせたのがツェンダーだ。
私の知っている録音の中で最も速いテンポで飛ばしている。彼は次ぎの楽章がブルレスケでスケルツァンドな楽章はそちらにという考えは全くなく、中間の2つの楽章を速い楽章として両端の楽章を緩徐楽章として解釈している。だからレントラー風の田舎風の楽想をまとった音楽はこれほどまでにグロテスクにデフォルメされ、強烈なインパクトを得るに至ったのだ。

第3楽章。ホルンのアンサンブルがとても上手い。トランペットはもう少しがんばってもらいたいものだが、この楽章の面白さをこれほど明らかにした演奏も今までなかったのではないだろうか?ポリフォニックで主題が入り乱れて掛け合う複雑な作りを、あえてわかりやすくしようとは考えず、そのまま全部、しっかりと鳴らして聞かせることで、作曲者がスコアを書いていた時に意図していたであろう先鋭な響きをツェンダーは見事に再現して聞かせている。これは凄い!!何しろソロとトゥッティの入れ替えも激しく、意図はわかるが本当にこのスコアがうまくバランスよく鳴るのか、不安になってくるようなスコアから、これほど見事な響きを導き出したのはツェンダーが巨匠中の巨匠の一人だということの証に他ならない。ショルティやハイティンクのライブなど私にとってごく少ないこの楽章の名演の一つだ。

終楽章。予想通り、ザッハリッヒな演奏。これだけはバルビローリの情緒連綿たる演奏が懐かしくなってしまう。この楽章だけは私は何故か冷静に聞けないほど入れ込んでしまっている。しかしツェンダーの演奏は極めて説得力がある。歌い方が何度か効いているうちにトスカニーニのヴェルディを思い出していた。あの絶大なカンタービレ。ツェンダーのマーラーはこれなのだ。正確にスコアを音にしながら<、決して平板な演奏に陥らない。それは極めて強力な歌への志向ゆえであることに気付いた。
細かな表情をつけることに腐心するくらいなら、サッサッと通り過ぎて大きなフレーズで聞かせるというようなところが彼の演奏にはある。別に細部をいい加減にしているわけではない。スコアでチェックを入れながら、ツェンダーの読みの深さと仕上げの丁寧さに舌を巻いていた。
不満と言えば、自分の脳に刷り込まれたバーンスタインやカラヤン、バルビローリ、あるいは初演者のワルターの演奏と違うということくらいだ。それは不満ではなく、無い物ねだりをしているに過ぎない。ツェンダーは全く彼独特の解釈でこの類い希なる名作に対峙しているのだから。
脱帽である。ツェンダーは現代音楽の旗手という印象だけだった。せいぜいシューベルトの「冬の旅」を現代音楽風にアレンジした「変な」作品などで知っているに過ぎなかった。彼は巨匠だ。

このCDには歌曲集「子供の不思議な角笛」が二枚目に入っている。フィッシャー=ディースカウとブリギッテ・ファスベンダーが歌っているのだが、曲目の並びがとても面白く、一曲目が「死んだ鼓手」で続いてラインの伝説 - 少年鼓手 - 誰がこの歌を作ったのだろう - 歩哨の夜の歌 - 高い知性への賛美 - 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス - うき世の暮らし - 不幸なときの慰め - 美しいトランペットの鳴り渡るところ - 塔の中の囚人の歌という曲順でフィッシャー=ディースカウから始まってファスベンファーと交互に歌う。1979年4月23日の録音ということだが、歌はどれも素晴らしい。フィッシャー=ディースカウはジョージ・セルとの名盤を凌ぐのではないか?ファスベンダーはとりわけ美しい声というわけではない。特に低いところにはちょつとくせがあり、好き嫌いがあるかも知れないが、絶妙な表現で強い説得力を持っている。
マーラーが好きな方は一度聞いてみられては?とんでもない演奏か、のめり込むか、どちらかだろう。私はのめり込んでしまった。

cpo/999 479-2
by Schweizer_Musik | 2005-04-07 13:58 | CD試聴記