2005年 04月 09日 ( 2 )
ニーノ・ロータ/作品集 ****(推薦)
ニーノ・ロータの作品を集めたリッカルド・ムーティの一枚。実はムーティの中で一番好きなCDなのだ。他は?それは止めておこう。
ロータはイタリアの作曲家で映画「ロメオとジュリエット」の音楽をはじめとして「ジェルソミーナ」で有名な「道」などの映画音楽の作曲家として有名だが、オラトリオなどの声楽作品をはじめとして幅広い作品を残している。中でも「弦楽のための協奏曲」などは、スタンダードなレパートリーとしてよく取り上げられているし、録音も多い。
魅力は何と言っても、現代音楽さっぽくないのに、独特のサウンドを持っていて更にメロディアスで親しみやすいところであろう。時にはストラヴィンスキーばりの変拍子も登場するが、
このCDでも映画「道」の中から作られたバレエ組曲が最初に収められているが、トランペットのソロが使われていてそれが大変効果的。特に有名なジェルソミーナのメロディーが無伴奏のトランペットで出てくる終楽章は独特で、感傷的な音楽ではないとわかる。意外と聴き応えがあるし、リッカルド・ムーティの指揮するスカラ座フィルハーモニーはなかなか優秀だ。ヴァイオリン・ソロをとっているステファノ・パグリアーノもスタイルによく順応して美しい演奏を聞かせている。
弦楽のための協奏曲は最近、チューリッヒ交響楽団のライブ録音を聞いたばかりで、それがいずれ購入可能になることを祈りつつも、この弦楽のためのムーティの録音を聞いて、改めてこの作品が傑作であることを確信した。
第1楽章はテンポはもう少しだけ速いほうが良いのだが、ムーティのは落ちすぎていてまとまりすぎた印象がある。Allegro
に入ってのユニゾンの力感も物足りないということはないものの、彼ならばもっとやれるのではと思ってしまう。これはそのチューリッヒ交響楽団の演奏が鮮やかであったために、どうもムーティの演奏が平板に聞こえてしまうのだ。(逆に言えば、シュヴァイツァーの指揮するチューリッヒ交響楽団のこの作品の演奏はそれほど良かったということになる)
第2楽章はスケルツォとあるが、決して速くないテンポが指示されている。ムーティもそれは意識しているようである。ダニエル・シュヴァイツァーの指揮が活力溢れる即興性に重点をおいたものとすれば、ムーティはまとまりを意識したもので、オケはわずかにスカラ座のオケの方が上か。しかし、こちらはスタジオ録音であり、その点を考慮すれば決して差は感じない。
歌に溢れているのは、意外にもシュヴァイツァーの方。ムーティはちょっと安全運転しすぎ。しかし、多くの演奏で受ける強引な感じはなく、安心して聞ける良さはある。
第3楽章のエアはムーティの演奏が上。弦の安定感はこちらがはるかに良い。ヴァイオリン・ソロはチューリッヒの方はツィマンスキーであるが、こちらの方が魅力的である。パグリアーノのソロは大変美しいのだが、やや線が細すぎて、弦楽アンサンブルの中では印象が薄い。
終楽章はかなり快速にとばしているが、これはこれでなかなか良い。もう少し落ち着いたテンポの方が私は好きだが、この活力あふれる演奏もまたムーティらしくて良い。
弦楽のための協奏曲ではチューリッヒ交響楽団のライブの聞きくらべてしまったが、彼らのライブ録音がネットで購入できるようになれば、私の感じていることがわかってもらえるのだが・・・。
さて最後には映画「山猫」の音楽から舞踊音楽を集めた組曲が演奏されている。サロン音楽風の作品群で、この作品でロータの芸術をどうこう言うことは出来ないが、ポピュラリティ溢れるロータの音楽の魅力が存分に楽しめる作品と言えよう。第一曲などシュトラウス風のメロディー作りのワルツで、作曲者をふせて「誰の曲か?」と当てさせて正解を言える人が、果たして何人いることだろう。
というわけで、ムーティの演奏はこの作品については万全である。まぁ難しいところもほとんどないこともある。

ムーティとスカラ座がまだ今日のように険悪でなかった時代の話だ。しかし、この音楽家たちがデモまでしてムーティを追い出したのだ。果たしてその重いツケをスカラ座の音楽家たちはどうやって払うのだろう。私は今後はスカラ座の録音は買わない。ムーティに義理立てする気はないが、だからと言ってこういう傷を負ってしまった以上、音楽は死んでしまったも同然に思われるからだ。
ロータの「道」の終曲での悲しい音楽はこのことを暗示しているかのようだ。

SONY-Classics/SK 66279
by Schweizer_Musik | 2005-04-09 13:35 | CD試聴記
トーマス・ザンデルリンクのブラームスの交響曲全集 *****(超名盤!!)
もう何年前だったか、横浜のタワー・レコードで4枚組で千円ちょっとの価格で売られていたのて、何かのついでに買って、そのままになっていたセットである。トーマス・ザンデルリンクは私も何度か大阪シンフォニカで聞いているので、それで興味を持ったことも買った原因だったと思うが、そのままになっていた。
オケはフィルハーモニアで1996年の録音だそうだ。フィルハーモニア管弦楽団のブラームスと言えば私にはクレンペラーの演奏や古くはトスカニーニのイギリス公演でのライブ録音が思い出されるが、このザンデルリンク盤もなかなかの演奏で、つい夢中になって聞いてしまった。以下はそのレポート。次第に夢中になり、4番ではやや入れ込んでしまっているのがわかると思う。


【交響曲第1番】

第1番はテンポが大変良い。第1楽章の冒頭から重さを感じさせるティンパニーのリズムの上に、芯のある太い、でも柔らかな質感のあるカンタービレで長いフレーズをのびのびと歌っていく様は、巨匠の味わいである。第2楽章がやや起伏が平坦でテンポが間延びしてしまうが、 丁寧に音楽を構築していく様はさすがである。うねるような大きな表情を期待すると肩すかしに会ってしまうが、ザンデルリンクの音楽はよく歌う。トスカニーニのようなカンタービレとは全く違うが、表情が平面的で冗長になるところは皆無だ。コンマスのウォーレン=グリーンのヴァイオリンは、カラヤンのシュヴァルベやボスコフスキーなどのような震いつきたくなるような美音ではないのは惜しい。ヴィブラートが少しうるさく感じてしまった。
第3楽章でのテンポも絶妙だと思った。速すぎると素っ気ないし、かといって遅すぎると盛り上がったところがだれてしまう。そうこのテンポが良いと私は思う。中間部でも深刻になりすぎず、カンタービレが効いている。テンポの変化も絶妙で、それによって音楽の性格が鮮やかに印象付けられている。
終楽章の気宇の大きさは格別で、この演奏家が父の七光りで音楽活動をしているなどという陰口を完全にだまらせるだけの名演だ。入れ込みすぎることなく、チマチマ表情をつけて名演だろうとエラソーにしている二流の指揮者の演奏など、さっさと売り払うかゴミ箱に直行するのだが、これは永久保存だ。カラヤンの最後の演奏を聞いて以来の名演だと思った。ホルンが掛け合いながらアルプスの雰囲気を作り、それがフルートなどに代わると音楽は牧歌的な世界へと入っていく。そして再びホルンのテーマがストレッタで切迫し盛り上がると有名な「ブラームスの歓喜の歌」が出てくる。この辺りの呼吸は見事というべき。
最後に向けての盛り上がりも情熱に我を忘れてというのではなく、大きく音楽をとらえている安定の上にひたすらスケール・アップしていくのだ。表面的なだけの演奏家には絶対できないこと・・・だ。
第1番は文句なしの*****。


【交響曲第2番】

第2番は私のブラームスの曲の中で一番好きな曲。(この一番はドッペル・コンチェルトになったり、ドイツ・レクイエムになったりするからあまり信用できないが・・・)この曲の演奏でザンデルリンクはゆっくり目のテンポをほぼ守る。その為音楽が前進性を時に失い、流れが悪くなっているのが惜しい。遅めのテンポで第1楽章は少々分解しそうだ。それでも展開部くらいまでいくとそうした不満もなくなってきて、曲の構造が逆によく透けて見えてくる演奏だなと思い始めているから、私の印象も結構いい加減なものだ。大変ポリフォニックに書かれた作品で、その辺りがこの演奏で大変よく判る。録音もとても良い。作為的なバランスでないのが何より想像力をかきたてる。
第2楽章の冒頭の息の長いメロディーの歌わせ方はさすがだ。ほとんどテンポを動かさないで歌いきる。それでいて平板にならないのは、やってみればわかるが、至難の業だ。そのおかげでこの楽章のリズム的な組み合わせの妙がとてもうまく伝わってくる。ロマンチックにテンポを動かしていくのも良いが、そうすると曲の構造がわかりにくくなる典型だろう。中間に入ると指定どおりテンポが速くなるが、自然で私は大変気に入った。トーマス・ザンデルリンクはとてもテンポが良いのだ。
第3楽章もまた適正なテンポでよく歌う演奏だ。木管がテーマを演奏し、オブリガートも木管で背景を弦のピツィカートだけというのは古典の時代では考えられなかったオーケストレーションであり、ロマン派の時代、オケが拡大し現在のようになっていく中で、新しい技法として定着したもので、ザンデルリンクの作為的でない、そして何もしていないように聞こえながら全体像を全く見失うことなく細部にまで気を配った演奏によって私たちはブラームスのオーケストレーションの最高の面白さを体験できるのだ。
終楽章は活力のかる演奏で前楽章と対比しているのだが、我を忘れんばかりの熱狂はない。ザンデルリンクは常に冷静だ。ブルーノ・ワルター指揮のニューヨーク・フィルハーモニーの演奏が今持って私のファースト・チョイスなのだが、あの演奏の終楽章の集中した活力溢れる演奏は、ワルターの録音の中でシンフォニー・オブ・ジ・エアを指揮した「エロイカ」とともに最も興奮したものだ。
ザンデルリンクはあそこまでの熱狂は聞かれない。しかし不満はない。そうワルターもああいった演奏はそうそう出来なかったのだから。ということでこの曲も*****でいいだろう。


【交響曲第3番】

小細工のないザンデルリンクの名演の一つ。オケに自由にやらせているようで実はしっかりと手綱をにぎって放さないというものだ。フルトヴェングラーのように個性的でないが、この曲のステレオで録音された中では最高の部類に入るのではないか。
第1楽章の冒頭の独特の動機が管楽器でやられたあとをうけて弦による幅の広い、いかにもブラームスらしい跳躍による下降音型が演奏されるところで、すでにこの演奏がただ者でないことを表している。フレーズが繋がっていくのだ。楽員がそれぞれのフレーズをよく聞きあい、反応し合っているからに他ならない。ザンデルリンクはここでごくわずかにテンポを動かすがほとんど気がつかない範囲にとどまっている。大きくリタルダンドするということはないが、それでもほどよくフレーズをまとめていて、決して物足りないということはない。そしてそのことにより、この作品のポリフォニックな面白さが浮き彫りになる。彼の意図は明確だ。それはブラームスのスコアを正確に音にすることだ。これもまたやさしいことのようで実際は難しいことだ。
提示部が繰り返された後、その続きを拡大させていつしか展開部に入るのだが、ほとんどテンポを前後に動かしたりすることなく、何と雄弁にことを進めていることか・・・。冒頭のフレーズが拡大されて再現部に入ってもそれは変わらない。フルトヴェングラーと最も遠いところにありながら、こうした名演が可能だとは・・・。
第2楽章のやさしい音楽の、そこかしこに隠された第1楽章冒頭の動機の破片が、この音楽の面白さだ。
しかし良い録音だ。適度な広がりと集中したトゥッティ。特にソロの多い楽章だけにこの録音の良さが説得力の鍵となっている。終わりの所の木管・弦のパートがメロディーを次々と受け渡していくところの美しいことと言ったら・・・。
第3楽章は有名であるのだが、私はちょっと苦手だ。これ見よがしの演奏が多すぎるため。有名なチェロのメロディーはもっと歌って感傷的な気分を強調してみせる「悪趣味」な演奏は掃いて捨てるほどだが、ザンデルリンクのは格調を保ったもので、納得。様々な音がよく聞こえてくる演奏。もともとのバランスがとても良いためだろう。ただ演奏ノイズが少し多い。それもマイクのそばのちょっとした音ばかりなのだが、比較的高い音であるため気に掛かる。良い演奏なのに・・・。
終楽章は遅めにはじめて次第にテンポアップする古典的な解釈。オケがとてもよく鳴っているので迫力満点で終楽章は進んでいく。この楽章はフィルハーモニアの楽員の技量、特に弦セクションの力は最高だ。微妙なルバートは用いているが、大きな揺れはなく、極めて自然でオケの力量にものを言わせたザンデルリンクの勝利だ。全くすごい演奏。*****は当然だろう。


【交響曲第4番】

デリケートな出だしはフルトヴェングラー以来か。こんな古風な歌わせ方を今もする人がいるとは・・・。バレンボイムやアーノンクールの酷い録音を聞いて、もう二度とブラームスの交響曲全集は買うまいと決心したのは何年前だったか忘れたが、少なくともこのザンデルリンクの後で良かった。
この第4番はステレオで聞くこの曲の録音の中で最も優れた演奏であると確信する。これほどの録音がレコード店で投げ売り状態だったのだ。レコード店はというかこのような優れた録音をちゃんと売ろうという気概を持たない(持てない)からクラシックのCD業界が駄目なのだろうと思う。まぁ、このCDについてネットで検索しても一部のマニアが自身のHPで書いているだけで、ロクにレビューも書かれていない。というか評論家の先生方もみんな無視されていたような・・・。残念だ。
第1楽章はこれ以上ないほどの絶妙のテンポ。人によってはかなり遅めと感じるかも知れない。しかしあくまで Allegro ma non troppoなのだ。そして解像度も素晴らしい。何しろよく聞けばブラームスのスコアが浮き出てくるような録音である。弦に重ねられたフルートがよくわかるし、弦も幅広い響きを聞かせているのだから文句のつけようがないではないか。
第2楽章。これは凄い名演だ。1943年のフルトヴェングラーの壮絶な名演に匹敵する。(私はメロディアのCDで聞いているが、あれは半音の半分くらいピッチが低い。本当のテンポはもう少し速かったのかもしれないが・・・何しろよくテンポの動く演奏だった。)しかしフルトヴェングラーほどのテンポの変化はない。バランスは独特であるが、スコアをよく見れば全て納得。なるほどこういう音がするのだと勉強になった。しかし、私は今まで何を聞いてきたのだろう。
つらつら思い出すに、フルトヴェングラーの戦中の録音以外には戦後まもなくのEMI盤(ほかにもいくつかあるが、あまり好きになれなかった。1950年のザルツブルク盤などはどうもよくない)以外にこの楽章の演奏で納得したことはないように思う。ジョージ・セルはゴツゴツしているし、トスカニーニの強引なカンタービレはこの曲のデリケートな味わいを潰しているように思えたし、ボールトは平凡だし・・・で、せいぜいクレンペラー の演奏とカラヤンの最後の録音がなんとか良いと思えただけだった。
しかしこの演奏はカラヤンの指揮するベルリン・フィルの演奏をはるかに凌駕する技量と音楽性で、ブラームスのスコアを最高に結晶化している。
標準的なテンポはほとんど動かさない。微妙なほとんどわからないほどの範囲で動かしているだけ。フレーズは大きく作り上げ、リタルダンドも使われるし、アチェレランドもあるが、その揺れは音楽の呼吸の範囲で行われるので風通しをよくしているほどだ。これによりブラームスの意図は明確になり、指揮者のスコアの読みの深さが実感させられる。
第3楽章はブラームス流のスケルツォだと思うが、子供がきらきら星などで聞かせるしゃっくり弾きそのもののアーティキュレーションを持つ冒頭の主題を、激烈にそして活力溢れる演奏で聞かせ、これを主題としてポリフォニックに展開するところは見事と言って良い。この下降スケールのテーマが終楽章で反行型になりパッサカリアの主題となるのだから、ブラームスのこの作品に仕掛けた構造上の多くの技のスケールは、まさしく円熟の極みである。
だからこそ、この主題の音階を印象づけておくこと(このスケールの下降というのは第1楽章の三度の徹底した連続から発しているのだが・・・)が音楽の構成上、実に重要なのだが、ザンデルリンクはその点でも全く問題ない。(久しぶりに作曲の専門家らしい発言をしているが・・・笑)
終楽章は予想通り、抑えた表現ではじまる。冒頭から興奮しては10分あまりの道のりの半ばで疲れ切ってしまう。しかし集中力は大変なものだ。ブラームスの指定したテンポの変化は、ザンデルリンクの一部となっているがごとく、自然で大変スムーズ。ブラームスの変奏の技術がとてつもないレベルだったことをこの演奏を聞くとよくわかる。余計な味付けが全くなく、スコアが完全に音にされているからだ。オーケストレーションも分厚くって野暮ったいと思っていた自分の不明をブラームスに詫びるしかないほど、それは美しい響きを作り出している。

実は買ってから一度も聞かないで、CD棚に放りっぱなしだったのだから世話はない。それもよく数えてみたら七年ほど前のことだった。七年も・・・。今も手にはいるのかどうかわからないが、この4番はぜひ手に入れられることをお薦めしたい。中古店を回ってでも手に入れてこれはソンはない。素晴らしい名演だ。あと「悲劇的序曲」が入っているがこれも素晴らしい演奏であることを付け加えておこう。

ブラームス交響曲全集/DARPRO/RS 953-0041
by Schweizer_Musik | 2005-04-09 09:53 | CD試聴記